2010年5月17日月曜日

【第二章 多文化主義の解剖】自由主義 vs. 多文化主義:アメリカの多文化主義を巡る保守とリベラルの対立

Ⅱ 多文化主義の解剖

「多様の統一」ではなく「多様」

われわれの国土には、あらゆる種類の地質と気候があり、われわれ国民もあらゆる種類の民族、人種から成り立っている。しかも、この国土は一つの国であり、人びとはみなアメリカ人である。モットーというのは、とかく願いごとや夢を盛りこむ。ところが、アメリカの「多様の統一」(E Pluribus Unum)というモットーは事実である。不思議な、信じられないようなことだが真実だ(*24)。
*24 スタインベック、19

上の引用は、『怒りの葡萄』などで知られるアメリカの作家、ジョン・スタインベックによるエッセイ、『アメリカとアメリカ人』の、第1章の、最初のパラグラフである。「多様の統一」とは、独立以来アメリカが掲げてきたモットーであり(*25)、現在もラテン語の「E Pluribus Unum」は、現在使われているすべての硬貨に刻まれている(*26)。英語にすると「Out of many, one(多くからなる一つ)」である。このモットーは元々、13の州からなる一つの国家(*27)という意味だったが、後に、流入してくる色々な人種的、民族的背景を持つ移民たちを統合し、同化させ、一つのアメリカ人を作るという意味合いを持つようになった(*28)。私たちに馴染み深い言葉で言えば、これは「メルティング・ポット(いわゆる『人種のるつぼ』)」の発想である。

*25 より正確には、1776年にベンジャミン・フランクリン、ジョン・アダムズ、トマス・ジェファソンがアメリカの印章に採用し、6年後に国の公式なモットーになった。The Columbia Encyclopedia, Sixth Edition, 15742
*26 スタインベック、220
*27 アメリカは、独立する以前は、13の独立した州だった。独立の背景については次の章で説明する。
*28 “E pluribus unum,” Wikipedia, the free encyclopedia. http://en.wikipedia.org/wiki/E_Pluribus_Unum

スタインベックの本が出版されたのは1966年だが、40年近くたった今では、その考え方への批判が激しい。多文化主義は、その表れである。同化は、アメリカ人たちが持つさまざまな人種的、民族的な多様性を無視し、彼らを一つの支配的な「アメリカ人」のモデルに押し込む作業であるから反対しなくてはいけない。目指すべきは、すべての集団が一つの型に融合する「メルティング・ポット」ではなく、それぞれの集団が個性を失わずに共存する「サラダ・ボウル」あるいは「シチュー」である(*29)。「多様の統一」は統一に焦点を置いた目標だが、多文化主義者たちはそれよりも多様性を重視する。差異は、統一するより祝福しなければならないのだ。

*29 Mitchellほか、143, 209, 272

また、人種や民族、また他の社会集団は、白人男性中心の社会において、政治的・経済的な面で、周辺に押しやられている。この状況も改善しなくてはならない。多文化主義を支えるのは、そういった哲学である。この章の使命は、多文化主義を定義し、その理論と実際の運用のされ方を探ることである。

多文化主義を定義する:三つの視点

「多文化主義」とは何か? まず、名前が自ら語るのは、それが多くの文化の共存を認める思想だということだ。もちろん、それでは単純すぎる。その素朴な説明に、いくつかの視点を加える必要がある。それは以下の三つである。

1)問題とする範囲が、世界ではなく、一つの国家である。
2)主に政府が政策によって「上から」行うものである。
3)目的は、差別解消と多様性の実現である。

まず、1)について。ただ漠然と「多文化の共存」と聞くと、多くの人は世界レベルの話をしているのだろうという印象を受けるかもしれない。しかし、多文化主義は厳密に、一つの国家の問題であって、その適用範囲は国境を越えない。国家によって内情は異なるため、その適用のされ方も異なる。多文化主義を論じる際には、国家が単位となる。

2)は、多くの人々による多文化主義の定義から欠落している視点である。三浦信孝は、アンドレア・センプリーニの『多文化主義とは何か』の解説文で、「広辞苑にのっているもっとも簡単な定義」とことわりながら、多文化主義を「一つの国・社会に複数の民族・人種などが存在するとき、それらの異なった文化の共存を積極的に認めようとする立場(*30)」だとしている。これは、多文化主義の定義としてかなり一般的である。三浦の言い回しからは、彼が何らかの複雑な定義を隠し持っていることを推察できるが、この解説文では披露されなかった。しかし、その「もっとも簡単な定義」から先に行かなければ、多文化主義を真に定義したことにはならない。なぜか? 上の定義は「誰が」文化の共存を認めるのかという問いに答えていないのである。
多文化主義の担い手は誰だろうか? 政府である。Ⅰ章でいう「公」である。もちろん、人々の支持なり理解がない状態では多文化主義の存立が不可能なのは言うまでもない。しかし、私たちが文化の共存を認めるというとき、それは一体どういう状態を意味するのか? 私たち一人一人が頭にそのような考えを抱けば、それで多文化主義は成立するのだろうか? 否、である。多文化主義とは、基本的に政府が行うものであり、「上から」資源を配分する作業を伴ってはじめて成り立つのである。中央で計画する権威が必要なのであって、一般国民が多文化主義に関してできるのは、主に支持や協力である。

*30 センプリーニ、171. 原文では最後の部分が「認めようとすると立場」になっていたが、明らかな誤植と判断し、「と」を削除した。

3)は、多文化主義が何のために存在するのかという質問に答える。理由の一つは、アメリカ社会が経験した歴史的な差別である。その筆頭は何と言っても黒人たちである。彼らへの差別は、奴隷制、隔離政策などの制度的差別(*31)に限っても1960年代まで続いた。また、黒人以外の人種・民族集団、女性なども、不利な扱いを受けてきた。そういった差別を解消し、発生を防止するためには、公教育の内容に彼ら(*32)の歴史をより反映させる必要があるし、教育や仕事を得る機会においては彼らを公的権力が優遇する必要がある。これは過去に着目した、消極的な理由である。

*31 制度的差別とは法律による不平等な扱いを意味する。
*32 女性も含まれるため「彼ら・彼女ら」とするのがより適切だが、本稿では英語のtheyに当たる表現はすべて「彼ら」に統一する。これは文章のぎこちなさを防ぐためであって他意はない。

もう一つ、積極的な理由がある。それは、アメリカ社会の「多様性」を実現するため、ということだ。たとえば、特定集団の優遇によって、大学にさまざまな人種と民族を共存させることは、キャンパスにさまざまなものの考え方、発想を持ち込む。Ⅳ章でも触れるように、最高裁判所がアファーマティブ・アクション(後述)を合憲とする際の論拠は「多様性」なのである。色々な人種・民族集団が混在することが、教育やビジネスに大きな利益を生むのだ。近年では、前者の理由から後者の理由へと、論拠が移っているようである。

多文化主義の定義には1)だけでなく、2)と3)の視点も必要である。もしあなたが多文化主義に賛成を表明するなら、それは単に諸文化は一つの国家内で共存すべきだというぼんやりした理想に共感することにとどまらず、それを政府の再配分的な政策で実現すべきだと主張することを意味するのである。越智敏夫は、多文化主義を「単一のネーション・ステイトの中に文化を異にした複数の集団の存在を認め、それらの諸文化を公共政策上に繁栄させようとする考え方(*33)(傍点は筆者による)」だとしている。筆者はその定義を大筋で支持する。傍点を振った部分が、筆者が重要と考える点に目を付けているからである。しかし、本稿ではより一歩踏み込んで、「ある国家内における社会集団を単位にした結果の平等を、主に政府の介入を通して上から目指すことを支持する考え方」という定義を提示する。

*33 越智、pp. 95

この定義には文化という言葉が入っていない。これは多「文化」主義の定義としては不十分に見えるかもしれない。しかし、筆者はこれで問題ないと考える。というのも、問題は文化というよりは社会集団なのである。多文化主義が目指しているのは、人種、民族などを単位にした社会集団の政治的・経済的な地位の向上である。文化の多様性よりは、人種・民族(などの諸集団)の多様性と言った方が、本質を突いている。

文化とは属性のこと

多文化主義における「文化」とは、人が持つ属性のことである。そこでは、ある社会集団に属することが、その集団の文化に属することと同義である。文化は選ぶことはできない。人々の社会的属性に付いて回るものなのである。だから、多文化主義が共存させようとしているのは、文化そのものというよりは、社会集団なのである。多文化主義をめぐる議論においては、常に「文化」という言葉が使われるわけではなく、単に「多様性」を支持するかしないか、ということが焦点になることが多い。多様性の実現とは、そこでは、社会の中で色々な集団が平等な政治的・経済的地位を占めることを指す。

文化人類学者のピーター・ウッドによると、「文化」という言葉は、アメリカでは本来の学問的な意味を離れ、「二人の人間、二つの機関や場所の間にあるほとんどすべての差異について(*34)」持ち出される。たとえばウッドが引用している記事では、ある水上ボートの所有者が、水上スキーの規制に関する公聴会で「水上スキーができるのは私の文化だ」と言って規制に反対している(*35)。多文化主義に関する議論においても、この例ほど極端ではないにしても、「文化」は厳密に定義されず、広い意味で使われている。多文化主義者が「さまざまな文化の共存/多様性」について話すとき、それは社会集団の共存/多様性を意味する。「文化」という用語を学術的に定義し、それを多文化主義について考察する土台にしても、あまり意味はない。多文化主義においては、まず社会集団ありきなのである。

*34 Wood, 76
*35 Wood, 76-78

「多様性」は集団間の結果の平等

なぜ、多文化主義では人が属する集団と文化が不可分なのだろうか? それは、多文化主義が目指すのが、集団を単位にした結果の平等だからだ。前章で、自由主義における平等が権利の平等、法の前の平等であることを確認した。それは、誰もが労働によって自分の富を増やすことができるという、競争の前提条件における平等だった。これに対して、多文化主義が促進する結果の平等とは、競争の結果、人々が手に入れる富の量の平等である。自由主義的視点から見ると、人々が競争するなら獲得する富は異なって当然である。一方、多文化主義的視点から見ると、競争の結果に格差があるのは是正しなければならない。それは、単純化して言えば、裕福で余裕のある人たちから富を取り、貧乏で困っている人たちに分け与えることである。これを「富の再分配(redistribution of wealth)」と呼ぶ。そして、自由主義では個人のみが競争するのに対し、多文化主義は集団を市場に参加する単位と捉える。

その集団とは、主に人種と民族を指す。たとえば、『多文化教育事典』(The Encyclopedia of Multicultural Education)という本がある(*36)。これは、多文化主義と多文化教育を推進する立場から見た、関連用語の解説本だ。この書には、多様性という言葉が、参考文献の題名と「多様性」の項目を除いて23回登場する。筆者は、それらの「多様性」がどう用いられているかを、表現別に分けて数えた。たとえば「人種的、民族的な多様性」という表現があれば、「人種的」と「民族的」が一度ずつ、という具合に。結果は以下の通りである。

*36 Mitchellほか

・人種的(racial):12回
・民族的(ethnic):10回
・文化的(cultural):8回
・宗教的(religious):2回
・その他および単に「多様性」と表記:5回

このように、多様性という単語は、圧倒的に人種と民族という意味で使われていることが多いことを確認した。もちろん、他にも女性や、場合によっては同性愛者などのマイノリティ集団が視野に入るときもある。しかし、人種と民族というのが多様性の単位として中核的な位置を占めている。「多様性」の項目ではこの概念がこう定義されている:「人間の差異を表す用語。多文化教育の立場に立つ書き手たちによって用いられている。アメリカにおける多数の異なる人種的、民族的、そして宗教的な諸集団を表す。さらにこの用語は、アメリカ以外の民族的な起源を持つ個人や、教育面あるいは他の面で特別な必要を持つ個人も表すためにも使われる(*37)」。ここでも人種、民族が主な焦点である。

*37 同上、62

多文化主義と結果の平等とのつながりを示すのが、「多様性」の指標が常に数値的なことである。たとえば、アファーマティブ・アクションは、大学や企業にマイノリティ集団をより多く入れようという試みである。多文化的な教育カリキュラムの目的は、学校でマイノリティ集団の歴史や、白人男性以外が書いた本を、よりたくさん取り扱うようにすることである。それらの目標が達成できたかどうかは、数字、割合が表す。

「差異」と「多様性」は同じ

ただ、「多様性」という言葉は、多文化主義を支える最も大事な理念のはずなのに、その用語を用いない人もいる。たとえば、多文化主義を支持する立場を代表する論文、「承認の政治を考察する(“Examining the Politics of Recognition”)」を書いたチャールズ・テイラーがそうである。これは筆者にとっては謎だったが、理由が分かった。彼らが用いる「差異(違い、difference)」という用語が「多様性」の役割を果たしているのだ。つまり、「差異」は「多様性」と同じ意味を持つのだ。テイラーは1992年出版の本に収録された前述の論文で、「差異の政治(the politics of difference)」の重要性を説くことで多文化主義への理論的支持を試みた。この論文は、「差異」を「多様性」に置き換えて読んでも違和感がない。
この論文の骨子を箇条書きでまとめると、このようになる(*38)。

*38 この論文についての記述は、Taylor, 25-73に拠る。

1)人から承認(recognition)を得られるかが、人間のアイデンティティ形成に重要な役割を果たす。
2)これは個人だけでなく、社会を構成する様々な集団にも当てはまる。
3)すべての個人に平等に権利、尊厳を与えるタイプの自由主義(「尊厳の政治」)では、すべての社会集団に承認を与えることはできない。
4)各集団がアイデンティティをしっかりと育めるように、集団間の差異を強調しそれを守るべきである。「差異の政治」が必要なのだ。

テイラーによると、他の人から承認されているかどうかが、私たちのアイデンティティ形成に大きな影響を与える。承認というのは、誰かが誰かを受け入れたり、理解したり、認めたりすることを指す。つまり、他人の評価が、そのまま鏡となって、自分が自分をどう見るかにはね返ってくるのだ。だから、他者からの承認を欠いた人は傷を負う。これは個人だけでなく集団についても言える。社会で支配的な位置を占める多数派集団が、被抑圧者たる少数派集団に否定的な見方をしていると、そのイメージを自己に投影した少数派集団は自己嫌悪に陥ってしまう。そういう事態を防ぐために、社会を構成する諸集団に、等しく承認を与える政治が重要なのだ。

すべての個人に平等な権利を与える自由主義は、この課題に対する有効な解決策にはならなかった。なぜなら、この考え方は、普遍性を重視するあまり、差異に目をつぶっているからだ。ある一定の権利体系をすべての人々に同じように適用するという発想は、文化によって権利を異なったやり方で適用したり、文化が持つ集団的な目標を認めたりするという考えを拒絶する。「差異に盲目」なのだ。

しかし、すべての集団に、同じだけの承認を与えるためには、個人を同じように扱うだけでは不十分なのである。集団によって置かれている状況と達成すべき目標が異なるのだから、集団によって得る権利と権力は異なるべきだ。不利な立場の人たちにはより多くの資源や権利を与えなくてはならない。集団ごとの差異にしっかりと目を向けなければならない。

テイラーは、多文化主義を、自由主義と対比させている。この点では、本稿の題名に「自由主義 vs. 多文化主義」を選んだ筆者と、問題設定の仕方が重なっている(*39)。自由主義においては、個人が平等な権利を持ち、国家権力から干渉を受けずに、一定の法の下、自由な意思で思考し、行動する。しかし多文化主義においては、権利の単位は集団であり、国家権力が、それぞれの集団が同じだけの承認を得られるよう、集団ごとに異なった扱いを与えるのだ。

*39 もっともテイラーは、「差異の政治」を、自由主義に反する立場ではなく、新たな形の自由主義なのだとしている。彼によると、集団的な目標を認める社会も、自由主義的であり得る。私たちが人種や文化に関係なく持っている平等な市民権と投票権は、自分の集団的な伝統文化に価値があると認められる集団権へと、スムーズではないものの、移行していくのだという。ただし、テイラー自身はこの主張の妥当性については断言を避けている。

「オリジナル」の原理の不在

多文化主義に、「オリジナル」の原理は存在しない。もちろん古典と言われる研究もあるが、それらは、既に起きた現象の結果生まれた解釈なり分析であって、多文化主義の原因ではない。自由主義にとってのロック、共産主義にとってのマルクスのような、カリスマ的な思想家や聖書的な本は存在しないのだ。だから、ある人による多文化主義の定義・解釈が間違っていると思っても、その証拠として挙げるべき、原点を示す原典は存在しない。人によって解釈はもちろん、定義すらも変わり得る。

多文化主義は新しい考え方で、その理論は、今まさに作られている最中なのだ。後述するように、ウッドによると、多文化主義を支える「多様性」という概念が正式にアメリカの目標として認定されたのは1978年の最高裁判決である。この年に、カリフォルニア大学のアファーマティブ・アクション(後述)を正当化する理由としてルイス・パウエル判事がこの概念を持ち出した。結果、同様の裁判でこの判例が引用されるようになった。これが、多文化主義を支える柱として「多様性」が幅を利かせるための起爆剤となった(*40)。越智によればアメリカで「多文化主義は1980年代後半から議論されるようになった(*41)」。これらの年号には若干ズレがあるが、70年代末~80年代というのが、多文化主義の本格的生誕にとっては重要な時期だったことが推測できる。また越智によると多文化主義は、「その議論の広がりもあって、その言葉の意味内容自体が非常に多義的になっている(*42)」。センプリーニも似たことを述べている。彼によると「多文化主義的認識論を構成する理論的立場は、個々バラバラであり、・・・均質的で首尾一貫した全体をなすわけではない(*43)」。

*40 Wood, 99-145
*41 越智、pp. 95
*42 同上
*43 センプリーニ、81

定義というのはどんな議論でも土台を為すものだが、多文化主義に関しては、まだそれが定まっていないのだ。本稿における筆者の多文化主義の定義や説明も、一つの解釈である。しかし、解釈の仕方に関わらず、一つだけ明らかなのは、「多文化主義」がたしかにアメリカに存在し、社会を動かす大きな力になっていることである。したがって、多文化主義を把握するには、常にそれがどう実行に移されているかという現実と突き合わせる必要がある。ここでは、アファーマティブ・アクション、多文化教育、多様性トレーニング、ポリティカル・コレクトネスを取り上げる。

アファーマティブ・アクション

アファーマティブ・アクション(affirmative action、以下「AA」)は、多文化主義が実際の社会でとる形の中で、最も議論を呼ぶものの一つである。AAとは、米国市民権委員会(U.S. Commission on Civil Rights)の定義によると、「過去の差別の是正あるいは未来における差別の再発防止のために適用される措置のうち、単なる差別的慣行の廃止にとどまらないものすべてを広く含意する用語(*44)」である。ここで言及されている「差別」とは、主に白人による黒人への、数々の制度的差別を指す。AAは、それらへの償いの意味を持って開始された。「単なる差別的慣行の廃止にとどまらない」というのは、制度的差別をなくして、法的な条件を平等にするだけでなく、競争の結果を平等化するために、差別されてきた人たちを優遇することを意味する。だから、アファーマティブ(積極的)なアクション(行動、処置)なのである。

*44 “1977 Commission statement on Affirmative Action (PDF),” U.S. Commission on Civil Rights. http://www.usccr.gov/aaction/state77.pdf

発端は、政府による契約に関する大統領命令だった。1961年に、民主党のケネディ大統領が、大統領命令10925号(*45)の中で、大統領としてはじめて「AA」という言葉を用いた。彼は、雇用機会均等委員会を創設し、政府の持つ契約機関が、求職者と従業員を人種、信条、肌の色、出身国に関係なく(平等に)扱うように、アファーマティブなアクションをとるように指示した。

*45 “Executive Order 10925,” U.S. Equal Employment Opportunity Commission (EEOC). http://www.eeoc.gov/abouteeoc/35th/thelaw/eo-10925.html

後に、その適用範囲は民間にも及ぶようになった。1965年に、同じく民主党のジョンソン大統領が、大統領命令11246号(*46)を発布した。これは、ケネディによる命令と、内容的には大きな違いは持たないが、より強い影響力を持った。なぜなら、その年の前年に成立した公民権法が、連邦政府から資金援助を受けているすべての行事や活動における人種、肌の色、出身国による差別を行うことを禁じた(*47)からである。つまり、公民権法と大統領命令11246号が、政府だけでなく、民間部門もAAを適用するようになる伏線を引いた。そのせいか、ジョンソン大統領がAAを開始した大統領として紹介されることが多い。公・私の両部門でAAが適用されるようになったのは、共和党のニクソン、フォード大統領が政権を握っていた時代(1969~1977)である(*48)。民間部門の舞台は大学と企業である。女性や人種的、民族的マイノリティなどに属する受験生、求職者に対して、選考段階でそれらの属性を点数化するなどして評価に加えるなどの形をとっている。

*46 “Executive Order 11246,” 同上ウェブサイトhttp://www.eeoc.gov/abouteeoc/35th/thelaw/eo-11246.html
*47 “Civil Rights Act of 1964,” US Dept of State. http://usinfo.state.gov/usa/infousa/laws/majorlaw/civilr19.htm
*48 Marable, pp. 7

「人種差別解消」から「多様性」へ

AAの当初の目的は、何と言っても黒人への人種差別の解消だった。その証拠に、ジョンソン大統領が大統領命令11246号を出す3ヶ月前に行ったハワード大学での演説は、中身が黒人問題のみに絞られていた。彼は、「あまりにも多くの面で、ニグロ系アメリカ人は除け者にされて来た:自由を奪われ憎しみによって骨抜きにされ、機会の扉は閉ざされてきた(*49)」と、黒人たちがアメリカで置かれてきた状況を分析した上で、彼らに「権利そして理論としての平等だけでなく、事実と結果としての平等(*50)」が必要だと説いた。この明確な「結果の平等」の哲学が、大統領命令を支えた。事実、大統領命令11246号には、最初は差別してはいけない属性として性別は入っておらず、2年後の修正によって女性が含まれるようになった(*51)。また、ニクソン大統領が政府による建設工事で積極的に採用するように求めたのもマイノリティの所有する業者のみだったが、こちらも2年後に女性が追加された(*52)。

*49 “President Johnson’s Commencement Address at Howard University,” LBJ Library and Museum Home Page. http://www.lbjlib.utexas.edu/johnson/archives.hom/speeches.hom/650604.asp
*50 同上
*51 “Federal Women Program,” National Science Foundation Home Page. http://www.nsf.gov/od/oeo/women.html
*52 “Stephen Cahn on the history of affirmative action,” Affirmative Action and Diversity Page.
http://aad.english.ucsb.edu/docs/Cahn.html

しかし、今日ではAAを支える主な理念は「黒人への人種差別の解消」から「多様性(の実現、擁護)」へと移行している。アメリカの人口比率に対して、白人が高等教育に占める割合が高すぎる。それを解消し、より多様な人種・民族構成のキャンパスや職場を実現しようというのだ。Ⅳ章で後述するように、最高裁判所が大学入試におけるAAを合憲とする際には、この措置が学生の「多様性」を実現する、というのが判決の理由になる。これは、多文化主義を支える消極的な理由から、積極的な理由への転移と見ることができる。

学校教育

多文化主義は、他には学校教育、企業での教育、そしてポリティカル・コレクトネス(political correctness、政治的な正しさ。以下PCと略す)運動といった形をとると言われている(*53)。これらすべてを貫くのが、アファーマティブ・アクションと同様、数値的な多様性、結果の平等という原則である。多文化主義の理念を実現するには、人々に何を教えるか、つまり教育は重要な問題である。単に大学や企業の集団構成を変えるだけではなく、人々の態度も変えなければ意味はないからだ。

*53 ただし、後述するように、筆者はPCが多文化主義の一部だとは考えない。

まず学校教育について。AAは、学校に関しては大学(高等教育)だけが適用するが、多文化教育は公教育全般が対象だ。多文化主義が望む教育カリキュラムとはどういうものか? それは、生徒たちが学ぶ内容に、多数派に属さない人種、民族、そして女性の視点を取り入れることである。ここでも、数値的な多様性、結果の平等という原則を見出すことができる(*54)。つまり、従来の教育内容を白人男性が独占しているため、それを見直し、少数派集団の視点が占める割合を増やすのが狙いなのだ。たとえば大学教育が抱える問題の一つが、扱う本の著者が白人男性ばかりであることだ。マイノリティ集団に属する著者たちの本もカリキュラムに取り入れるべきなのだ。また、言語も重要な焦点だ。民族的背景を無視して、すべての生徒に英語だけを押し付けるのではなく、彼らの民族的アイデンティティに目を向けてバイリンガル教育を実施するべきだ。2020年から2030年には、有色人種がアメリカの学童の4割を占めるようになるといわれている(*55)。

*54 ただし、混乱を招くことに、多文化教育を代表する論客の一人、ジェームズ・バンクスは、彼が唱導する教育を「メルティング・ポット」の理念を支えるものと位置づけている。
*55 Stephens, G. “Nuestra America in the Transnational North: The Bilingual Crisis in Living Color,” Gregory Stephens Homepage. http://www.geocities.com/onelovemcg/nuestra.html


起源は、1960年代の公民権運動に遡る。この時期、多くの運動家が、学校のカリキュラムを抑圧的なものとして非難し、アメリカの人種的多様性を反映した内容にするように求めた。さらに、60年代末から70年代にかけて、女性運動が合流した。フェミニストの学者や女性運動の活動家が、女性の歴史や経験を含んだカリキュラムを要求した。80年代中盤から終盤にかけて、多文化教育推進者たちの要求はさらに広がり、学校の方針、教育方法、教材の改善を求めるようになった(*56)。1979から全米教員養成教育基準認定協会(The National Council for Accreditation of Teacher Education )が、多文化教育の実施を計画しているかどうかを、教員養成学校のアクレディテーション(評価)基準に含めた。これが、多文化教育を受けた経験のある教師の普及を促した(*57)。

*56 Gorski, P. “Multicultural Philosophy Series, Part 1: A Brief History of Multicultural Education,” Multicultural Education Supersite http://www.mhhe.com/socscience/education/multi/philosophy/1history.html
*57 Banks

多様性トレーニング

企業(*58)における教育は、「多様性トレーニング(diversity training)」と呼ばれている(*59)。これは、社員たちが受ける研修である。研修を担当するのは「多様性コンサルタント」や「多様性トレーナー」と呼ばれる職種についている人たちだ。彼らはコンサルティング会社などに所属し、企業が招聘する。アメリカの職場には「ガラスの天井(glass ceiling)」があると言われている。会社の上層部は白人男性が占めており、それ以外の人たちは、一見公平な扱いを受けているようでいて、見えない差別(天井)によって、一定以上の地位に上がる(昇進する)ことができないという意味だ。それを打開するために、より多様な職場を受け入れるように支配的な位置にいる白人たちを教育するというのが、一つの大事な焦点である。

*58 公的機関でも行われている。
*59 学校における同種のトレーニングも「多様性トレーニング」と呼ぶことがある。

1964年の公民権法によって、企業が人種、肌の色、宗教、性別、国籍を、雇用や昇進の際に差別材料に使うことができなくなった。この法律への対応のために会社が行った教育が、多様性トレーニングの起源だ(*60)。1980年代中頃から1990年代にかけて、その教育が拡大し、今日多様性トレーニングと言われる形を取るようになった。1991年の調査によると、100人以上の従業員を抱えるアメリカ企業のうち、6割以上が多様性トレーニングを実施し、また実施していない企業の多くも導入を検討していると答えた(*61)。多くの会社はインターネットのウェブサイトに「diversity commitment(多様性への取り組み)」というページを設け、自分達がいかに多様性を大事にしているかを強調している。

*60 Bendickほか
*61 Hainesほか、49

マーク・ベンディックらは、1997年に、企業相手に多様性トレーニングを行っている組織の責任者たちに対する調査から、トレーニングの実態に光を当てた(*62)。彼らの研究から、いくつかの項目別に情報を抽出する。

*62 Bendickほか

・多様性トレーナーの多くは、伝統的に差別されてきた集団の一員であることが多い。
・対象となる社員は、さまざまなレベルに及ぶ。78.7%の回答者が、典型的な訓練生が非管理職を含むと答えた。ただ、98.1%の回答者が中間管理職を典型的な参加者と答えた。
・典型的なトレーニングでは、約25名の訓練生が、1人か2人の指導員から、平均して10時間の指導を受ける。一つのクラスが同じ程度の役職の社員で占められる場合もあれば、そうでない場合もある。指導員はたとえば、職場の差別を主題にしたロール・プレイングや議論などの手法を用いる。
・企業側から見ると、多様性トレーニングを採用するのは、道徳や法律を守るためというよりも、ビジネスのためである。82.3%の回答者が、自分が担当する会社は生産性や顧客との関係向上(*63)を重要な動機としているとしたのに対し、差別を反する法律の遵守を大事な理由としたのは37.4%に過ぎない。回答者の95.4%は、自分たちのトレーニングの目的を、職場での態度を変えることと答え、90.7%は組織全体に変化をもたらすことと答えた。

*63 これには、たとえば日本の企業が環境問題への取り組みを告知することによって、消費者からよいイメージを得ようとするのに近いところがあるのではないか。

多様性トレーニングは、私的な企業が行う措置であり、筆者が多文化主義の定義で掲げた、政府の介入を通して行うという部分と矛盾するように見える。たしかに、トレーニング自体は政府によって強制されていない。採用するか否かは各企業の自主性によるものだ。また、企業がトレーニングを導入する動機は、上に見たように主に商業的である。

しかし、そもそもなぜこのようなトレーニングが必要になったのか? 元をたどれば公民権法である。公民権法が、私的領域に属する組織の差別を規制した。差別を撤廃するための手段として、従業員に「多様性」を教え込む必要性が生じたのだ。企業は、政府の敷いたレールの上を走っているのである。これは、AAを実施する私立大学にも通ずる話だ。

ポリティカル・コレクトネス

最後に、ポリティカル・コレクトネス(political correctness、政治的な正しさ、以下「PC」)について簡単に触れておきたい。簡単な紹介にとどめるのは、これが多文化主義という枠組みの中に入るかどうかが微妙だからである。PCとは、人々が使用する言葉に差別や偏見を発見し、それらを書き換える運動である。PC支持者は、たとえば、会長などを意味する「チェアマン(chairman)」を「チェアパーソン(chairperson)」に書き換え、メディアや人々の生活での後者の使用を推進する。なぜなら前者はmanという男性を指す表現を用いており、男性中心的な視点に立っているからだ。
たしかにPC運動は1980年代に台頭したという点、社会の差別をなくして言語使用における「結果の平等」を目指すという点では、多文化主義と重なる。しかし、PCが標的とする「差別」と「偏見」は、障害者、貧困者、さらには肥満者、頭髪の薄い人々、ペットなどへのそれらを含み、多文化主義の範疇とするにはあまりに広い。両者は密接な関係にあるものの、片方がもう片方を含むという関係ではない(*64)。

*64 PCについては、ジェームズ・ガーナーによる『政治的に正しいおとぎ話』が面白い。これは、名作とされている文学作品から、「差別」と「偏見」を含む表現や展開を書き換えることで話を滑稽にし、皮肉たっぷりにPCの行き過ぎを警告した本である。