2010年8月2日月曜日

ソウル見聞録 (1)(2003年3月1日執筆)

南朝鮮旅行

あっという間にこの日が来てしまった。今日は2月23日。午前9時14分、横浜駅の緑の窓口に一番乗りした私は、使い慣れない車輪付きのカバンを地面に置き、ほっとため息をついた。それは安堵のため息だった。まず、待ち合わせの時間に間に合ったという安堵。そして何より、この旅行自体が実行できるという安堵。前々から、アメリカのイラク攻撃の時期と重なってしまうのではないかと危惧していた。だが報道を追う限り、3月にずれ込みそうだ。

とは言っても、私は別にイラクに行くわけではない。そんな危なっかしいことをするわけがない。「人間の盾」とかいう運動の活動家でもあるまいし。目指すのは大韓民国。デモクラシー(民主政権)の方の朝鮮だ。3泊4日の予定。友人2人とともに。

なぜ韓国へ? 正直なところ、そんなに深い理由はない。春休みに海外に行きたい。しかもなるべく安く行きたい。なら台湾か南朝鮮だ。そこから先は何となく韓国に決まった。もちろん、ただ海外で旅費が安いというだけでここに決めたわけではない。ぼんやりとした興味はある。何となく訪れてみたいと思っていたのは確かだ。

成田へ

待ち合わせは20分。14分にY、18分か19分にFが現れ、参加者の3人が揃った。参加が予定されていたKは諸般の事情により参加を見送った。38分発の電車に乗り成田に向かうことになっている。

自販機で1890円の切符を購入し、成田行きが来る10番線のプラットフォームへ。電車の進行方向側の、端の方で待つことにする。周りを見ると、明らかに海外行きとおぼしき人々が多い。スーツケース率高し。しばらく待っていると、成田エクスプレスが到着。この特別電車に乗り込む、かと思いきや、実は我々が乗る38分発の電車というのは普通電車である。周りにいた人達のほぼ全員は成田行きの高級電車に吸収され、いなくなってしまった。取り残された我々はやや複雑な心境である。

普通電車でも最初から座れたので、結局大差はなかった。成田エクスプレスは3000円くらいするという。その金額差を考えると賢明な選択だったということになる。


(聞いたことのない旅行会社名)
11時40分、終点、成田空港に着いた。何回かエスカレーターに乗って改札へ。パスポートを見せて本格的に空港に入る。まず、今回のパック旅行(3泊4日、飛行機代と宿泊代込みで43200円)で定められている場所で荷物を預ける。3人とも、預けるカバンと普段背負うためのリュックを持ってきている。

成田で昼飯

ようやく身軽になった。昼飯を食いたい。飛行機の出発時刻は13時55分。まだまだ時間はある。適当にレストラン街のようなところを歩く。「ピザが食いたい」と言ってみたら、本当にピザ屋があった。

Fはスパゲッティ、私とYはピザを注文。注文を終えると、「空港関係者ですか?」とウェイターに聞かれた。関係者には割引制度でもあるのだろう。よく見てみると、周りにいる客はほとんどが明らかに空港の従業員だ。テーブルごとに同じ制服を着ている。

先にFのスパゲッティが来た。Fが料理を8割方片付けたあたりでピザ2枚が到着。私が頼んだのは「アンチョビとモッッツァレラ」という品名のピザ。980円。思ったよりでかい。直径30センチくらいか。具が少ない(本場イタリアではそれが普通だと聞く)が十分に分量はある。味も文句なし。アンチョビの塩っ辛さがよきアクセント。単純な組み合わせだが飽きの来ない味だ(評価:8点)。


(成田空港のピザ屋)

(大韓航空)

コンビニや、飛行機の離陸や到着が見渡せる展望台のようなところに立ち寄っていると、適当な時間になった。いよいよ搭乗だ。22番ゲートへ。チケットとパスポートを握り、列に並ぶ。利用するのは大韓航空。

アウェーの地に半歩踏み込む

従業員に搭乗券を渡す。機械を通され、元の2割程度の大きさになって戻ってきた搭乗券を持ち、パイプ型通路を経て機内へ。入口に色々と新聞が置いてあり、自由に取れるようになっている。日本の一般紙やスポーツ紙もあるが、私は迷わずに韓国の新聞だけを手に取り進む。

席がどこなのかよく分からない。私が座席番号を確認しようとしていると、男性の乗務員が何やら話してくる。席の場所を教えてくれているようだがよく聞き取れない。そうか、相手は韓国人なのか。3回くらい聞きなおしたが何だか理解できない。日本語で言ってくれているようだが。階段を指差しているようなので上に行けということだと判断、2階に上がる。そうか、「2階」と言っていたのか。

2階に上がった途端、女性添乗員にいきなり朝鮮語で案内され面食らった。分かっているような素振りを見せつつ、自分達の席へ。運良く前に席がない区切りの位置で、エコノミークラスなのに足を伸ばせる。

先ほど取った新聞を広げてみるが、残念なことに読めない。多少なりとも空しくなった。Yの取ったスポーツ新聞を横から覗くはめになってしまった。

管制塔から離陸の許可が下りなかったとかで、予定より離陸が遅れた。機長が朝鮮語→日本語→英語の順で事情を説明していた。韓国語を聞いてみても、文末の「スミダ」しか聞き取れない。

手押し車を押して、フライトアテンダントさんらが飲み物をすすめて回っている。「水ありますか?」と言ったら、「水割り」と勘違いされた。もちろん訂正したら水が来たが。日本人の客も多いのだろう、スチュワーデスさんらは2ヶ国語を使い分けている。だがやはり相手は韓国人。飛行機に乗った時点で異国に半歩踏み入れているのだ。周りの乗客も7、8割はコリアンである。少し、重圧に近いものを感じる。


(2010年8月2日追加画像)

(日本を見下ろす)

(辛い)

間もなくして機内食が来た。乗る前に昼飯は食っているので、実のところあまり欲しくはない。が、来たものに手をつけないのも憚られるので食べる。メインの入れ物のフタをはがすと、ご飯と、鶏肉と野菜の炒め物とが、4対6(2対3)くらいの比率で入っている。あとはオレンジジュースに、ケーキのようなもの。炒め物が非常に辛い。明らかに辛い。唐辛子がたくさん入っている。アウェーの洗礼を受けた。

ちなみに私は、基本的に機内食というものは嫌いである。上空で食べることも影響しているのか、概しておいしくない。以前、所ジョージ氏もラジオで機内食のまずさを非難し、航空会社が食品の会社と癒着しているのではないかと疑っていた。

通路をはさんで右側に座っている朝鮮人らの会話から、たまに聞きなれた言葉が出てきてドキッとする。「カードゥゲーム」云々といってカードゲームを始めたり、「シャッターチャンス!」といってカメラを取り出し、窓からの風景を撮影していた。

機内放送でも「シディプレイヤー」といった単語が聞き取れる。英語の外来語の発音(発声)は、日本語と韓国語でほとんど変わらないようだ。そう言えば以前立ち読みした韓国語の単語帳でも「PC」が「ピシ」となっていた。

韓国上陸

予定より遅れて南朝鮮に上陸。2時間半くらいで着くと聞いていたが、離陸が遅れたため、結局ソウルに着いた時には17時を回っていた。

長い列に並び手続きをし、色々と面倒な過程を経て、荷物受取所へ。ベルトコンベイヤーから回ってきた荷物を取る。

パック旅行の待ち合わせ場所に向かう。事前に渡されたキーホルダーを身に付けなければならなかったらしい。だがYと私はそんなことは露知らず。Fだけが韓国仕様だという赤いセーターの胸の部分につける。

そのキーホルダーを目印に、ガイドさんが我々を発見。40歳くらいの女性だ。両替所で円をウォンに変える。私とFは30000円、Yは21000円分。案内されて、空港外に停めてある車に乗る。私は事前に予定表を見ていないのだが、どうやらここからホテルに連れて行ってもらえるようだ。

車中では、ガイドの朴さんが色々と話し掛けてくる。あと2人客がいるのだが所在がつかめないとか、近くに大きな河があるとか、地下鉄の2番線は山手線のように環状線だとか、駅には全て番号がふってあるとか、色々と豆知識を提供してくれた。

私達はナンタというショウの切符を予約してある。明後日、観に行くのだが、朴さんは会場までタクシーで行くことを薦める。「タクシーはボラれるんじゃないんですか?」。私が聞くと、朴さんはしばらく黙ってしまった。

食事の話になった。「犬は食べないんですか?」。私が聞くと、朴さんはまた黙ってしまった。曰く、食べる人もいるけど、私(朴さん)は食べないと。食べたことはあるが、口に入れると犬の匂いがするという。ペットとして可愛がっている犬の、あの匂いだと。そして、色々と食べるものはあるのだから、犬を食べる必要はないと主張した。私は「口に入れると犬の匂いがする」というくだりを聞いて、犬肉を食してみたいという意欲を失った。

車酔い

それにしても、運転手はかなりのスピードを出している。そして過剰暖房。足元が熱い。3人+ガイドさんは2×2で対面する格好で座っていたのだが、私は進行方向を背中にしている。朴さんが出す地図やパンフレットを見ていると、すっかり車酔いしてしまった。気持ち悪い。

私は途中までは頷いてみたりと聞く努力をしていたが、途中からガイドさんの話に集中するのもきつくなってきた。窓の方を眺めたり、目をつぶったりと、FやYから見ても「聞く気ないだろ」と思える体勢に入った。ただYもあまり真剣には聞いていない。Fだけが必死に話を合わせているのが涙ぐましい。

気持ち悪いから早く宿舎で休みたいのだが、免税店で降ろされた。中は女性向けのものばかりで全く興味をそそらない。店員どもはいかにも日本人目当てといった感じで、Fが言うに「目に『金』と書いてある」。飲み物の自販機だけが興味深い。安い。400ウォン、つまり約40円(大雑把に言って、10ウォン=1円)。日本でお馴染みの飲み物、例えばペプシなどにもハングル文字の表示がしてある。缶に大きく「2%」と書かれた飲み物や甘酒など、韓国独自の商品もある。ソーダを買ってみたが炭酸が強すぎて飲むに耐えない。





(自販機の飲料。四枚中三、四枚目は2010年8月2日追加画像)

免税店から車に戻り、ようやくホテルに向かうわけだが、私は先ほどにもまして酔ってきた。もう、朴さんの話など本当にどうでもいい。10000ウォン紙幣に印刷されている人物がハングル文字を発明しただとか、ほら、あそこがワールドカップの時に真っ赤に染まった広場だとか、豚の三枚肉がどうだとか、一応ためになる話ではある。だが、俺は気分が悪いんだ。

朴さんが途中で運転手と何やら言い争っている。さらに何度か携帯が鳴る。朝鮮語で、喧嘩口調でガンガンまくし立てる。会社が相手らしい。車酔いの気持ち悪さを必死にこらえている中、横から聞きなれない言葉を延々と怒鳴られる。これは最悪の拷問である。気分だけでなく機嫌も悪くなってきた。

「日本だと普通の店でも5000円ではお腹一杯焼肉を食べられないでしょう」などと朴さんが言うので、私は真っ向から反論した。「5000円でしょ?」「はい」「5000円もあれば食べられますよ」「えー?」。向こうも譲らない。旅行会社が、5000円で焼肉の食べ放題のコースを用意できるという。何だよ、5000円って。おかしいだろ。騙されないぞ。

ようやく宿舎到着・・・

午後9時くらいになってようやくホテルに着いた。朴さんに適当に別れを告げて部屋に。ベッドに倒れこむ。やっと休める。本当につらかった。

晩ご飯は食べていないが、とてもじゃないが食べる気にはならない。それはいいからひとまず休みたい。そういう空気だ。YとFも結構くたびれている。

だが20、30分もたつと、私と同じく車酔いしていたはずのYがケロリと、「腹減った」と言い出した。呆れるが、私も少しは回復してきたので、ホテルを出て外を歩いてみようという2人の提案に頷いた。(まだまだ続く)


(ホテル外のバスターミナル)

(2003年3月1日、午後12時7分)