2010年12月19日日曜日

大学時代までJEANS MATEで服を買っていた俺が、ヨウジとギャルソンを愛好するようになるまで。(5)

ファッションに疎いやつは、コレクション・ブランドの服を「高い服」程度にしか思っていない。その証拠に、彼らの口から「その服、いくら?」を超える質問を聞いたことがない。

その質問をされると、居心地が悪い。

分かり合えないことは分かり切っているからだ。だって、あっち側の人間ってのは、「たかが洋服がなんでそんなに高いんだよ」「もっと有効なお金の使い方があるだろ」なんて思っている。口には出さなくても、そう思っている。そう、初めてギャルソンの店に入って値段を知った当時の俺みたいにな。

一方、ファッションに理解があるやつは、値段より前に、デザインやブランド、買った店や場所なんかについて質問するね。

そこが、一般人と服オタクを分ける高い壁だ。一般人から服オタクに転身した経験のないやつは、その壁の存在にすら気付かない。だから彼らからしてみると、せっかく稼いだ給料を洋服ブランドに貢ぐなんて無駄遣いにも程があるわけで、お金以外の要因なんてそもそも頭にない。

たしかに、高いのは間違いない。俺の収入では、使えるかぎりのお金を注ぎ込んだとしても好き放題バンバン買うことはできない。

洋服屋の店員さんたちは、高い給料をもらっているわけではないのに服に対する金銭感覚が麻痺している。ギャルソンやヨウジでは、三万円のジーンズをお手頃品として薦めてくる。事実、ジーンズであれば6万円以上するときもあるから、そっちを基準にすると決して間違っちゃいない。

客も一緒だ。高い給料をもらっているわけではないのに、一度高い服を買ってしまうと、それが普通になってしまう。これは必ずしも健全なことではない。だから俺はたまに店員さんに「この服を買うお金があれば、いい家電が買えますよね。こないだビック・カメラに行ったら32インチの液晶テレビが39,800円で売ってましたよ」なんて話をして、お互いの感覚の正常化を試みている。そういった、服以外の世界の金銭感覚を踏まえた上で、それでも本当に自分が欲しくて値段に納得できるものを買った方が、満足できると思う。

ちなみに服に対して一番興味津々でのめり込んでいた頃、俺が服に使っていたお金は、全部だよ。もちろんCDとか本も買っていたけど、使えるお金は、実質的にすべて服に注ぎ込んでいた。書籍もCDも、いくら買ったって洋服代に比べたらたかが知れてる。ちなみに知人や友人は俺のことを「本をよく読んでいる」「頭がいい」と思いがちだが、会社に入ってから2、3年はほとんど読んでいなかった。なぜなら残業ばかりで疲れていたのと、関心が服に片寄っていたからだ。

その浪費から、俺は多くのことを学んだ。それは間違いない。でも、だからといって必ずしも服への出費を手放しで正当化したいわけじゃない。世の中には服以外にも買えるものはたくさんあるから、それが見えずに服ばっかりにお金を使っているのはよくない。まあ、今でもたくさんのお金を使っていることに変わりはないんだけどね。



でも、俺らを明示的にもしくは内心でディスる一般人は、大きな勘違いをしている。彼らにはどうも、俺らがギャルソンやヨウジの服を「高いから」買っていると思っているフシがある。つまり、高級品を身にまとうことの満足感を得たいがために大枚をはたいてブランドにお金を落としていると思い込んでいるようなんだ。

だから、彼らからするとコレクション・ブランドの服を買う俺らは悪趣味で見栄っ張りなんだ。だから「それいくら?」なんて聞くことで内心小馬鹿にしたがるんだ。

ブランド品を着ている人の中には、そういう人もいるのかもしれない。でもそれは成金趣味であってファッション好きとは別の話だと思う。少なくとも、ヨウジやギャルソンの愛好家の大半は、服が好きで、そしてブランドの世界観に魅せられて買っていると思う。

一方の服オタクから見ると、一般人の多くが着ている服は見るからに安物でパッとせず、ダサい。だって、こないだの結婚式二次会にお前が着てきたスーツ、どうせ就活のときに使っていた「リクルート・スーツ」とやらをそのまま流用してるんだろ? そのコートだって、P.S.FだかAOKIだかで、1、2万で買ったんだろ? いや、気を悪くしないでくれよ。ただ俺が言いたいのは、下手にこっち側をディスろうもんなら、こっちからだっていくらでも反撃はできるんだってことだ。

そう、こっち(服オタク)側からは、そっち(一般人)側からじゃ見えないものも見えるんだぜ。

なぜなら、色々見てきているから、違いが分かるようになっているんだ。俺は専門的なことは何も勉強していないし一切分からないんだけど、何となく分かるんだよね。

ギャルソンやヨウジの服を見た後に、ユナイテッド・アローズとかシップスとかエディフィスとかのセレクトショップに入ると、明らかに違うのが分かる。へー面白いだなんて感心する服はないし、何か部屋着っぽいんだよね。10秒も見れば十分だ。



ファッション遍歴の話に話を戻そうか。えーっと、丸井系を卒業して、ジルボーにはまりつつ、ギャルソンの店はレディース含め継続的に見ていた、ってところまでは説明したよね。

俺が初めて買ったギャルソンの服は、オムのポリエステル縮絨のショッキング・ピンクのリバーシブル・ジャケット。今でも好きだけど、その頃は猛烈にピンクが好きだった。着るのにはかなり勇気がいる代物だったが、街の人々が浴びせて来る、刺すような視線は決して嫌いじゃなかった。なぜなら、自分は他の人には着られない服、それもデザイン的にそこらのブランドとは格が違う服を見にまとっているという、変な優越感に浸ることができたからだ。洋服屋に行くと店員さんから「それってギャルソンですよね?」と言われるのが嬉しかった。

そのピンクのジャケットはジルボーのデニムで合わせていたが、ギャルソンの服に手を出すにつれ、徐々に無理を感じ始めた。ギャルソンの服とジルボーの服は、同じコーディネートに共存させることの難しさを薄々感じていた。

もうその頃になると、ギャルソンのデザインには完全に引き込まれていた。だからといって、簡単にジルボーをやめてギャルソンで全身を固めようとは思わなかった。なぜならまだ俺には意地があったからだ。そう。異なるブランドを組み合わせて、自分だけのコーディネートで決める。それがおしゃれであって、全身ギャルソンなんてやつはギャルソンのブランド名に酔ってるだけなんだから。

それが崩れ始めたのが、2007年の春夏。ネットで見たコレクション画像に夢中になり、ジュンヤ参入を決めたんだ。このシーズンは、ジャージ素材の色とりどりのセットアップにハンティング帽、足元はスニーカーという感じだった。ウルトラマンのような配色の、心が躍る面白いシーズンだった。これは、絶対に全身でこの世界に浸ってみたい。このショーが作りだす世界観に心を打たれた俺は、軸足を少しずつジルボーからジュンヤに移していくことを決めた。

立ち上がりはたしか金曜日で、会社を休んでいったと思う。いや、土曜日だったかな? いずれにせよ、立ち上がりのときには何度か会社を休んで店に足を運んだものだ。

あ、立ち上がりっていうのは、春夏と秋冬それぞれのシーズンの始まりのこと。ギャルソンやヨウジのようなブランドにとっては、店と顧客双方にとって年に二回のお祭りなんだ。

春夏シーズンは、1月中旬に立ち上がる。秋冬シーズンは、その半年後の7月中旬に立ち上がる。

シーズンごとに、品揃えは基本的に完全に入れ替わる。そして、入荷は一ヶ月に一度が基本だ。ただしジュンヤの場合は、コレクション・ライン以外にeyeという定番品のラインがあって、そっちはコレクション・ラインとは別の週に入荷する。(続く)