2010年12月12日日曜日

大学時代までJEANS MATEで服を買っていた俺が、ヨウジとギャルソンを愛好するようになるまで。(4)

色んなブランドを組み合わせて自分のスタイルを作る。そんな優等生的な回答が、なぜ間違っているのか。

それは、コレクション・ブランドの服は、服であると同時に世界観だからだ。ブランドがショーで提示しているのは個々の服だけではなく、全体としてのコーディネートであり、もっと言えば、物語であり、トーンなんだな。

もし、全身のコーディネートを提案しているにも関わらず、部分を他のブランドと入れ替えてもコーディネートの完成度が落ちないのであれば、それは、そのブランドだけの世界観を構築できていないということだ。他のブランドと入れ替え可能な、汎用性の高い世界ということだ。

俺は(1)の最初に書いたように、ヨウジ・ヤマモトとコム・デ・ギャルソンが大好きだ。でも、この二つのブランドを混ぜようとは思わない。

「混ぜるな危険」なんだ。

ギャルソンとヨウジを混ぜるのは、俺にとっては『白雪姫』の中にミッキー・マウスが出てきたり、『ジャックと豆の木』の中に桃太郎が出てきたりするくらい、やってはいけないことだ。

たまにヨウジの店員さんが「ジュンヤのデニムなんかと合わせるといいと思いますよ」とジャケットを薦めてくることがあったんだけど、それは俺にとってはまったく有効な売り文句にはならなかった。だから、「そういう合わせはしたくないんですよ。ヨウジはヨウジで合わせたいんです」と説明してきた。何度かそういうやり取りをしたので、店員さんも今では分かってくれていると思う。

もちろん、世の中には靴やジーンズといった特定のアイテムに特化したブランドもある。そういったブランドは、元から他のブランドと組み合わせることを意図しているわけだから、「混ぜても安心」。あともちろん、「川上」のコレクション・ブランドの世界観を模倣し薄めて安くした一般の「川下」ブランド。こういったブランドは、どんどん混ぜればよい。でも、コレクション・ブランド同士を混ぜてはいけない。



この考えを極端に推し進めると、同じブランドかつ同じシーズン、もっと言えば同じルック(ショーの中でのコーディネート)でないと真に満足できる合わせはできないという結論もあり得る。まあ、これは本当に極端な話なんだけど、ものすごく個性が強いブランドやシーズンでは、あり得る話だ。特にレディースの場合なんかはそうだよ。

なんでレディースのことが話せるかっていうと、レディースの服を見ていた時期がしばらくあったからだ。

なぜ、他の人よりも高いお金を出して洋服を買うのか。俺は途中まで、「面白さ」や「独自性」を過剰なまでに追い求めることで、その問いへの答えを見出していた。普通じゃ高いお金を出す意味がない。他の人が着ない、着られない服を着ること。できない着方をすること。それが自分の個性。だから奇抜さがなければ意味がないと思っていた。

その点では、メンターは俺の数歩先を行っていた。彼は一時期、「メンズはつまらない」と言って何と女性服に入れ込んでいたのだ。毎週のようにギャルソンのレディースの店舗に通い、毎週のようにとは言わないまでも毎月のように何かを買っていた。俺はよく一緒に店に行って、店員さんと彼のやり取りを横から聞いていた。

コム・デ・ギャルソンはフランス語で「少年のように」という意味だ。大学時代のゼミの教授がフランス語の先生なのだが、その方に伺ったところ、英語でいうと「like boys」だそうだ。このブランド名が示すように、「男の子っぽい女性服」がコム・デ・ギャルソンというブランドのアイデンティティだ。だから、女性服とはいえ若くて細ければ男でも着られる服も中にはある。事実、顧客にもそういうちょっと変わった男が結構いるらしくて、渋谷西武のレディースの店員さんは、シーズン立ち上がりには店内が「男祭りになる(店が男で溢れる)」と言っていた。

店員さんの話によると、女性は服を選ぶ際、職場で使えるとか普段着にできるとかいうような実用性を重んじる傾向があり、デザイン性に惚れて買うのは、レディースの店舗であっても男性客が多いんだそうだ。

ただ、いくらギャルソンとはいえ、男がレディースは、やりすぎだ。個性が強けりゃいいってもんじゃない。俺も、コム・コム(「コム・デ・ギャルソン・コム・デ・ギャルソン」という長ったらしい名前の、ギャルソンの一ブランドの略称)のサルエル・パンツを買ってみたりしたことがあった。今となっては若気の至りとしか言いようがない。買ってしまったレディース服はオークションでほぼ売りさばくことができたので、うまいこと過去を精算できた。俺は被害は数点で済んだけど、メンターの場合は、どう解釈しても黒歴史としか言いようがないような、お人形さんのような、芸術作品のような服を買ったこともあった。勢いで買ったはいいものの、さすがの彼でも着ることができず、そのままオークションで売却していた。傍から見たらこんなに滑稽で無駄なことはない。

俺はギャルソンの女性服を何シーズンか見てきた。その間、友人が試着するのを見て批評したり、店員さんとの会話に付き合ってきた。その累計何十時間もの経験から学んだ、とっておきの教訓を特別に教えてあげるよ。

準備はいいか?

その教訓とは:男は男服を着るべきだ!!

ちなみにメンターは、コム・デ・ギャルソン・オム・プリュスの、全身にローリング・ストーンズのリップ&タンの柄がプリントされた、ド派手にも程があるジャケットとパンツを身にまとって原宿に繰り出したことがある。あれはあまりにも衝撃的過ぎて、一緒に出かけた俺も、さすがに電車の中では他人のふりをせざるを得なかった。街で3人組みの高校生くらいの男が指をさして爆笑していた。「あれは一位だ!!」と一人が言っていた。そして原宿の交差点にあったGAPの前で雑誌の制作者に呼び止められた彼は、写真を撮られて雑誌に掲載されることに同意した。スナップ写真が載ったのはTOKYO GRAFFITIという雑誌だった。その後、彼は外国人に声をかけられ、服装を絶賛されて写真を撮られた上に「今度パーティをやるから来てくれよ」と訳の分からない誘いまで受けていた。

ギャルソン青山店のある店員さんが面白いことを言っていた。曰く、「ギャルソンを着る人、ギャルソンの価値が分かる人は、インテリか変な人」だそうだ。

その分類でいうと俺がインテリなのは、言うまでもない。(続く)