2011年2月13日日曜日

それはお前の仕事じゃない? じゃあお前は要らねえよ。

彼女の目が潤んでいるのに気付いたときには、もう遅かった。

あーあ、やってしまったな。

俺もカッとなってしまったのは否めない。

週も後半で、しかも夕方。疲れていたし、はっきり言ってイライラしていた。

彼女の名前は、田中さん(仮名)。先輩の星川さん(仮名)に連れられて、子羊のように彼女がうちの部署にさまよい込んで来たときから、嫌な予感はしていた。2メートルほどしか離れていない俺の上司の席に来たところで、星川さんは逃げるように退散していった。田中さんが俺の上司に何かを相談している。

直観的に、俺にその仕事が降りかかってくるということは予感できた。なぜなら他の部署から仕事の相談が来たとき、俺に振る以外の方法を俺の上司が思いつくわけがないからだ。だから予習のため、盗み聞きしていた。というか聞こえてきた。

どうやら、彼女の部署がある案件を進めている中で、発生したある細切れの仕事。それを、自分の部署でやることなのか、それとも俺の部署でやることなのか、確認しに来たというのだ。というより、はっきり言うと、「やり方も分からないし、そっちでやってくれないか」と言いに来たようなのだ。その仕事っていうのが、先方に簡単な問い合わせメールを送るというだけの話。はっきり言ってしまえば、やろうと思えば誰でもできる。そんな仕事をわざわざ遠回しに、頼みに来たようだ。

たしかに、部署間の役割分担というものは、実際上、完璧に分かれているわけじゃない。これはどっちがやるんだっていう、曖昧な部分、いわばのりしろは、ある。

でもさ。やればいいじゃん。そうやってうじうじ相談してる暇があるんだったらさ。できるだろ? 仮にやり方が分からないのであれば、これを機会に覚えればいいじゃん。

田中さんを横目に見ながら話を聞いていくにつれ、俺は呆れるとともに、イライラしてきた。なぜなら、俺は部署横断のプロジェクトで、彼女に仕事を教えていた時期があったからだ。俺から何を学んだんだ、こいつは。自分の教え方が悪かったのか。自分のことさえ情けなくなってきた。

そして、いかにも「自分は分からないんです」とでも言いたげな、頼りなさを自己演出したような物言い。いつまで「かわいそうな女の子」を演じるつもりなんだ?

あと、星川。どうせ、面倒なことになるのを恐れて自分は逃げたんだろ。先輩のくせに使えねえ腰抜けの馬鹿野郎だ。何か言いてえことがあるんなら、直接俺に言いに来いよ。

予想通り上司が俺を呼んだ頃には、俺の怒りは頂点に達していた。既に盗み聞きしていた話を、田中さんを睨みつけながら一通り聞く。いくつかの問答を経ても俺の気持ちは治まらなかった。深いため息をつく。

「あのさ、やろうと思ったら、俺は田中さんの仕事を全部やれるんだよ。そうしたら、田中さんの仕事はなくなるよ。それでもいいのか?」

反応がない。あれ、伝わってないかな。

「言ってること分かるかな?」

ふと田中さんの顔を見ると、赤みを帯びた大きめの目からは、明らかに普通ではない量の水分が分泌されていた。鈍感な俺にも、こぼれ落ちなくてもそれが涙だということは明らかだった。

こ、これはまずい。モードを切り替えよう。

「優しい先輩」モードにスイッチを切り替えた俺は、優しい先輩が言いそうな優しい言葉をたくさん見繕って田中さんに浴びせ、最後に「分からないことがあったら、何でも相談しなよ」と付け加えて場を締めた。急に周囲の空気が穏やかになった。

内心では、俺の前で彼女が本格的に泣いてしまわないうちに迅速に事を処理し、帰ってもらうよう、必死だった。



反省した。

彼女から見れば、たぶん俺は怖い先輩だ。

俺は彼女の上司でも何でもない。別の部署に所属する、ただの平社員でしかない。でも向こうにとって俺という存在は、俺が想像している以上の権力なのかもしれない。正論をきつい口調で突きつけてしまえば、それは一種の暴力なのかもしれない。

傷付けるつもりはなかったのだが、傷付けてしまった。

自分の不器用さ、配慮のなさが少し嫌になった。

でも、それは一人の若い女性につらい思いをさせてしまったということに対しての後悔であって、失言への後悔では決してない。ふてぶてしいようだが、俺は言った内容については何も間違っていないと思っている。

お客さんがいること。注文があること。自分に仕事があること。それらは、当たり前のことではない。でも大きな組織には、そういったことを構成員に見えにくくする力があるらしい。

部署が乱立し、それぞれの役割が細分化すると、各部署にとっては自分がやることを最小限にすること、職掌から外れた無駄なことをやらないことが何よりも大切になってくる。

その文法に従えば、仕事はババ抜きのようなものだ。

会議に出ると、普段は温厚な某部署の課長が「それはうちの仕事じゃないでしょ」と声を荒げている。

「こうすべきだね」というところまでは活発に意見が出ても、「どこの部署がやるんだ?」と誰かが切り出すと、会議室は気まずい沈黙に包まれる。

ベテラン社員が他部署から相談を受けたとき、面倒そうな匂いを嗅ぎつけると「私は責任者じゃないから分からない」とはぐらかす。

もしあなたが大企業に身を置いているなら、ある程度はその文法を覚えておいた方が利口かもしれない。というより、そうしないと生き残れないのかもしれない。



でも、働き手、特に若手が取り組むべきは、一にも二にも、自分の能力を高めること。だから、第一に考えるべきなのは「自分がどうするのか」だ。

「これはどっちの部署がやるんだ」なんていう内向きのマネージメントごっこ、社内政治ごっこばっかりやっていても、個人としての能力開発にはつながらない。なぜなら、それは「こうあるべきだ」「この部署がやるべきだ」という第三者としての批評にしかならないからだ。そこには「自分」がポッカリ欠けているのだ。

そんなことに若手が、貴重な時間を割いて取り組むべきではない。

そんなことだけやっていて、仮に将来何かの間違いでマネージメント職に就いてしまったら本当に悲劇だ。実際に何かを実行して成果を出すという経験を持たない人が、何をマネージするのか。

仕事は、「やらないこと」では回らない。「やらないこと」ばかりに心血を注いできた働き手がマネージメント職に就いたら、社内政治を自己目的として日々こなしていくしか能がなくなるだろう。

自分がどのような能力・技術を高めて、どのような経験を積むことができるかを決めるのは、何をやるかであって、決して何をやらないかではない。

「それは私の仕事じゃない」と断るのは、実は大変危険な行為だ。なぜなら、それは「じゃあお前の仕事は何だ?」という問いを誘導しているからだ。その問いを受けて「これが私の仕事だ。これは絶対に私が責任を持って実行する」と言える何かを、断るとき以上の力で強く押し出せるのか? そしてその仕事は自分が人並み以上にできるというたしかな裏付けがあるのか? そうでなければ、自分の存在価値がなくなる。

「いいえ、私はやりません」と言ったら、「じゃあお前は要らねえよ」と言われる時代が来る。いや、もう既にそこに来ている。それを俺は、肌で感じている。

それは俺が、田中さんを泣かせてでも伝えたかったことだ。まあ、伝わらなかっただろうけどな。