2012年7月28日土曜日

2011年7月30日~8月4日 広島旅行記(4)

タリーズに入った。大体の店が8時には閉まる商店街だが、この喫茶店だけは9時まで開いている。2階で、『被爆証言集 原爆被爆者は訴える』を読んだ。想像を絶する世界が、そこには描かれていた。「この世とは思えない」とはこういうことか。こんな本は読んだ記憶がない。

半分くらい読んだところで、閉店時間が近くなってきたので、店を出た。

こちらで何軒か書店に行ったけど、『テロルのすべて』(樋口毅宏)を見つけることができなかった。広島・長崎の報復のためメリカに原爆を落とすことを夢見る日本人が主人公の小説だ。この旅の前に一度読んであるのだが、広島の土地で読むとまた感じ方が違うのではないかと思っていたが、この旅での再読は叶わなかった。



8月1日(月)

市民センターみたいなので開かれている「原爆と戦争展」というのを見に行った。この展示のことは、街で受け取ったビラで知ったか、会場近辺の張り紙で知ったかのどっちかだったと思う。

部屋に入ってすぐ左側に本を並べて販売してあるので見ようとしたら、「そっちじゃねえよ」と(実際にはもう少していねいな言葉遣いで)逆の方向(逆時計回り)から回るよう指示された。

「過ちは繰り返しません」的な、何かをはぐらかしたような人道主義もどきとは趣が異なり、日米双方の政府を厳しく糾弾する、生々しい、政治的といっていい内容だった。軽い気持ちで入ると引いてしまう感じだった。

当時アメリカ側が被爆者のための治療所みたいなのを設置したが、被爆者を診るだけ診て、ろくに治療をせずにデータだけを集めていたことが写真付きで説明されていた。その情景を少し想像しただけで、胸がむかむかしてきた。

ところどころで福田正義という人の文章が引用されていて、気になる。もっとこの人の文章を読んでみたい。

「どうでしたか?」

展示を大体見終わったところで、私より少し若いくらいの男性が声をかけてきた。

「そうですね、見応えがあって・・・」と言ったきり、うまく言葉を出すことができなかった。胸がいっぱいになっていたからだ。

「今回の展示で特に何が印象に残りましたか?」

「被爆された方の症状の写真ですね。あれはもう・・・」

「広島に来て感じるのは、原爆の体験を街をあげて語り継ごうとしている点ですね。これは本当にすごいと思います」と言うと、「東京でも戦争はあったし、空襲はあったわけですよね」と言われ、ハッとした。そういえばそうだよな。原爆だけが戦争ではない。

思いがけず80歳の男性被爆者の方から一対一でお話を伺うことができた。椅子と机が用意されており、何人かの被爆体験者からお話を聴かせていただけるのだ。一時間くらいだっただろうか。本当に貴重な経験。

正直、お話の内容に、驚きはなかった。『いしぶみ』を読んだし、広島平和記念資料館にも行ったし、『被爆証言集』も半分くらい読んだから、知っていることが多かった。でも、だからといって適当に聞き流すわけにはいかなかった。歴史に残る体験をされた方が、貴重なお時間を、私一人にお話をすることに割いていただいているのだ。録画された動画を見るのとは訳が違う緊張が私を襲う。

被爆者のほとんどは被爆体験を人前に出て話そうとはしないらしい。なぜなら、あまりにつらくて、一生封印しておきたい記憶だからだ。事実、私に体験談を伝えてくださった方もそうだったらしい。しかし、その後自分なりに勉強し、死に絶えていった同世代の人たちのためにも、自分の体験を伝えていかなければと決心されたらしい。数年前からこのような活動をしているとのこと。

つまり、このように被爆体験者からお話を聴ける機会はそもそも稀少なのだ。その上、言うまでもなくご存命の被爆者は、日々減っていく。自分の子供の代は同じ体験をできないと思うと、すべての神経を集中させて聴くことは、私の責任であり、唯一の選択肢だった。

戦争を実際に体験した方から、戦争時のことを聴くのは、もしかすると生まれて初めてだったかもしれない。私の祖父や祖母は戦争を経験した世代だが、戦時中のことは向こうからも、こちらかも話題にしたことはなかった。

今は、母親方の祖母だけが生きているが、別の場所に住んでいて数年に一度しか会わないし、今更になって聞く気にもならない。

原爆の体験を後々の代まで絶対に語り継ぐんだという地元の人々の執念を、資料館や展示で販売されている自主出版のような本からひしひしと感じる。「原爆と戦争展」では福田正義の本を三冊買った。『福田正義評論集 原水禁・平和運動論』『猿とインテリ』『戦争はなぜ起きたか』。

昼飯。2時近くになっていたので、ガイドブックを見て気になっていた中で、市民センターからそれほど遠くない「幻霜庵」という店に入った。

ブランド豚「幻霜ポーク」専門店の「幻霜庵」にてロースカツ定食1000円。+100円で味噌汁を豚汁に変更。味わい深いお肉だこと! 一切れか二切れはソースで食べたが、残りは塩で食べた。



ガイドブックに取り上げられる飲食店は外れだという人がいる。分かる気はするが、この店に関しては当たりだった。

コム・デ・ギャルソンの路面店があったので、入った。大体の商品は東京の店で見たことがあった。常連(この世界では「顧客」と呼ぶ)が担当店員と仲良く話していた。店内には、いい感じにいづらい雰囲気がある。

いづらいというのは皮肉ではなく褒め言葉である。言い換えれば高級感。高い店には、それなりの敷居の高さが必要。スーパーやコンビニとは違うのだ。その店の服を買えないし買う気もない層が平気でベタベタ商品を触っているようでは店づくりに問題がある。

店づくりという点では店員さんも大事だが、コム・デ・ギャルソンは、高級ブランドの割に販売員の質にばらつきが大きい。他の高いブランドでは、まあ、やっていけないであろうなあという感じの人が結構いる。

それに引き換え、と言っちゃなんだが、ヨウジ・ヤマモトの接客の素晴らしさ。たまに不思議に思うのだが、この違いを生むのは何なんだろう。社内の教育? 客層?


原爆にゆかりのある施設は他にないかなとガイドブックを見ていると、旧日本銀行広島支店というのが目に止まった。


今では銀行としては機能しておらず、博物館的な役割と、若者の芸術的表現の場としての役割を担っているようだ。入ると、視界に映るありとあらゆるところに作品が吊るしてあったり置いてあったりする。





二階に全世界から贈られた千羽鶴が展示してあるところがある。

日本全国、そして世界各国の学校名が書いてあるのだが、山口県の学校からの千羽鶴が特に多いようだ。広島の隣にあるからね。

山口県といえば、モーニング娘。道重さゆみの出身地である。

コム・デ・ギャルソン・オムのチノパンツの右ポケットからiPhoneを取りだした私の右手は、Safariを開き「道重さゆみ 小学校」と検索していた。

山口県の小学校からの千羽鶴が密集しているあたりでその小学校名を探すが、見当たらない。

あまり必死で探し続けるのもあれなので、諦めた。


千羽鶴が置いてある場所に、受付のおじさんがいる。「どちらから?」と聞かれたので「埼玉です」と答えたら、まるで天気の話でもするかのように「それはまた遠いところから…どうですか放射能は?」と聞かれ、戸惑った。映画「黒い雨」がおすすめだそうだ。

こういう場面でどこから来たのかを聞かれて「東京です」と答えない程度には、埼玉県民であることに誇りを持っている。

アンデルセン第一号店。こんな広いパン屋さんに入ったことがないというくらい広い。どこまでがアンデルセンの管轄なのか分からないが、2階はレストラン、3階には土産物屋みたいなのがあった。

1階に併設されている喫茶店。サンドイッチを注文してその場で作ってもらうこともできるようだ。ただ、ここで本格的に食事をとってしまうと夕飯が食べられなくなるので、ミルクソフトと紅茶を注文。ソフトクリームで冷えたお腹を紅茶で温めるという配慮である。

窓際の席で商店街の通行人を眺めながらしばし休息。仕事柄、普段は昼間に外に出ることが少ないので気付く機会がなかったのだが、暑い中歩き回ってから食べるソフトクリーム、うますぎだろ。



広島で絶対にやりたいことの一つが、牡蠣を味わうことだった。

ガイドブックで牡蠣料理屋を探す。この時期は旬ではないらしく営業していない店もちらほら。そんな中、「牡蠣亭」という店が夏でもやっていて、よさげなので行くことにした。

広島駅から徒歩5分ほどの川沿い。店内、お洒落な感じ。

スペインの地ビール、エストレージャ・ガリシア。

かきとたまねぎのキッシュ。

から付きかきのオーブン焼き4種。

食後にエスプレッソ。








食事内容もさることながら、途中で一人紳士が入ってくるまで客が私しかいないという貸し切り感覚。贅沢な料理と空間を堪能した。思わずにんまりしてしまう。この店は雰囲気もいいし、外国人観光客受けすると思う。

国内旅行も捨てたもんじゃないな。それどころか最高だ。グラスに残されたビールの最後の一口を喉に流し込む。

若いうちは、海外を旅するべきだ。国内旅行なんて、歳をとってからでいい。そう思っていた時期が、私にもありました。

でも、国内旅行は国内旅行で、すごく楽しいじゃないか。

食事代の3,650円は、宿泊している「ホテル28広島」の一泊の宿泊代金より高かった。一人で飯を食ってこの金額になったのは、ちょっと記憶にないな。

すっかり暗くなった街を歩き回った。駅から少し離れると、灯りも少なくて静かだが、大通りの交通量はそれなりに多い。個人経営の小さなお好み焼屋さんがいい味を出している。





方向音痴な私だが、駅からホテルまでの道は覚えた。

いい気分でゆったりと街を散策し、部屋に戻った。(続く -追記:・・・つもりだったがここで途絶えた)