2010年11月27日土曜日

大学時代までJEANS MATEで服を買っていた俺が、ヨウジとギャルソンを愛好するようになるまで。(2)

会社に入ると、大きな変化が三つ訪れた。

まず、使えるお金が増えたこと。大学時代はせいぜい毎月3万くらいしか自由に使えるお金はなかったけど、働きだすとそれが4、5倍になった。

最初の頃は、今思うとバブルだったね。そう。今よりも、むしろ最初の方が使えるお金は多かったんだよ。

たくさん残業をしてたからその分残業代を多くもらっていたし、最初のたしか一年は住民税を取られてなかったからね。

二つ目は、ファッションに関して自分を導いてくれるメンター(先生)が現れたこと。会社の同期で、筋金入りの粘着ファッション・オタクがいて、彼が色んなブランドとか店を教えてくれた。やっぱりオタクだから、教えてくれるブランドや店というのがまた、容赦のない最高峰なんだ。

最後に、体重が10キロくらい減ったこと。会社に入ったのは4月なんだけど3か月くらい研修があって、7月から正式に配属された。配属されてから3カ月で9キロくらい減った。大学にいたときは70~72キロだった体重は、11月には60.4キロにまで落ちていた。

この三つの要因の組み合わせがなければ、今俺はギャルソンやヨウジを着ていることはなかっただろうね。

まず、お金がそれなりにないと高額な服を買えない。これは当然だ。

ただ、ヨウジ・ヤマモトやコム・デ・ギャルソンのようなブランドと付き合っていくには、お金があるだけでは不十分なんだ。店にあるものを何か買うだけだったら、そりゃお金があれば売ってもらえる。でも、欲しいのを買うには店員さんとの関係を築かないといけない。なぜなら、好きなときに店にいけば自分が欲しい服が常にあるわけじゃないからだ。というのも、生産数と人気とのバランスによってすぐになくなる商品がたくさんあるからだ。一つの店舗で一点だけ入荷とか、そんなのはざらだ。だから買い逃さないためにも入荷の時期を把握しておく必要があるし、事前に買うことをほぼ決心しているなら取り置きしてもらった方がいい。だから本当に楽しむためには店員さんと仲良くならないといけない。

これはコレクション・ブランドならではの特殊な世界で、ユニクロに行っているだけでは決して分からない。その世界にいる人から手ほどきをしてもらわないと、ルールを覚えて適応していくのはなかなか難しいと思う。だから、俺にとってファッションにおけるメンターの存在はとてつもなく大きかった。

最後に、太めだった体型を克服したことにより、自分の興味ある服を着られないかもしれないという心配がなくなり、以前に比べると臆せず色んな店に入れるようになった。



とはいえ、お金とメンターを手に入れ、無駄な体重を手放したたからといって、大学時代まで経験していたのとまったく異なるこの世界に、俺はひとっ飛びに到達したわけじゃない。

最初メンターにコム・デ・ギャルソンの路面店に連れて行ってもらったときなんて、最高に居心地が悪かった。見るものすべてがおかしいんじゃないかと思っていた。

まず最初に引いたのが、店に入るなり友人が「・・・さんいますか?」って店員さんを指名してるんだよ。どうやら、何年も前からその店員さんに接客してもらっているらしくて。でも、今までの俺の理解だと店員さんってのは向こうから寄ってくるもの、しかもなるべく避けたいものであって、自分から指名して呼び寄せるもんじゃなかった。

そう。コレクション・ブランドの店では、お得意様になると特定の店員さんがあなたのことを「担当」してくれるんだ。これは美容室でいつも同じ人に切ってもらうのと同じくらい普通のことだ。

このときのメンターのように自分から指名しなくても、店に入ると、他の店員さんが気を回して担当の店員さんを探してくれる。休憩中だったら電話して「・・・さんがご来店です(だから店に戻ってきなさい)」と店に呼び戻してくれることさえある。こっちから何も頼まなくても、だよ。

で、その馴染みの店員さんが登場したと思ったら、そこからが長い。服とまったく関係のない世間話を延々、何十分もしている。

あと何が引いたって、何より、値段だよ。お、これいいかも?って思ったジャケットがあって値札を確認したら、10万円で、強いカルチャー・ショックを受けた。それまでの俺は、1万円を超えている服はその時点で買うのをためらっていた。だからあのときはこっちからジャケットに「いいね」と近寄っていったら、「お前に買えるのかよ?」と服からカウンターを食らって打ちのめされた気分だった。

たかが服ごときに、何でこんなお金を出すんだ・・・。当時の俺は、コム・デ・ギャルソンというブランド、そしてそれを喜んで買う人々のことなど、まったく理解できなかった。会社に入る前からコム・デ・ギャルソン・オム・プリュスで服を買い続けてきたメンターにも、批判的な見方をしていた。あんな高い服ばっかり買って、あいつおかしいよと、他の同期に言いふらしていた。

そう、自分はあんな狂信的なファッション・オタクにはならない。一般世界に身を置きつつ、身の丈にあったおしゃれを楽しむんだ。



そんな自分がまずはまったのは、hiromichi nakano、TK TAKEO KIKUCHI、ニコル、ミシェル・クランといったいわゆる「丸井系」(丸井に出店している)ブランド。価格帯は、たしかジャケットで2-3万前後。シャツが1万円しないくらい。パンツが1万数千円だったと思う。

丸井系ブランドは、ノルマが厳しいのか知らないが、店員たちが販売にとても熱心だ。彼らの接客は「これがいい」「これとこれを合わせろ」「試着してみろ」「最後の一点だ」という具合に、インドでも通用するのではないかと思うくらい超攻撃的で、最高にうっとうしい。お金がないと言えば「丸井のカードを作って分割払いすればいい」とまで言ってくる、仕事とは言えどうしようもないクソガキどもだ。しかも、一見腰が低いように見せかけながら、俺のことを見下しているのが分かった。

なぜ見下しているのか。それは彼らにとって、おしゃれになりたくて、お金も少しはあるんだけどどこで何を買ったらいいか分からないという当時の俺のようなファッション初心者は、一番のカモだからだ。表面上はいかにも「はい、お客様!」みたいな感じでも内心では「つうかこいつだせえな。俺がファッションを教えてやるよ。授業料はたっぷり頂くけどなwww」と思っていたに違いない。

実は彼らの接客は、迷惑ながらも、少しはありがたくもあった。なぜならそのときの俺は、自分ではどういうブランドのどういう服が欲しいのかも判断できなかったからだ。店員のお墨付きがなければまともなコーディネートも考えられないし、どういう服がいけてるのかもまったく分からなかった。そういう俺にとって、どうやら世間的におしゃれらしい服やコーディネートを向こうから一方的に教えてくれる丸井というシステムは、利点もあった。あれは俺にとって、一種の学校だったのかもしれない。

いや、ま、もちろんみんながみんな変な店員だったわけじゃないよ。でも、まあ多くはそんな感じだった。

渋谷丸井のhiromichi nakanoで、入店と同時に密着マークしてくる女の店員がいた。あとで2chのhiromichi nakanoスレを見てたらその人に関する書き込みがあって「木村カエラ似」とか言われていたっけな。

そうそう。その頃はよく2chのファッション板を見ていた。脱ヲタスレとか、最高に好きだったね。(続く)