2010年12月5日日曜日

大学時代までJEANS MATEで服を買っていた俺が、ヨウジとギャルソンを愛好するようになるまで。(3)

丸井系で一つ思い出した。

コム・サをはじめとしていくつかのブランドを展開しているファイブ・フォックスという会社は、販売員に課されるノルマがきつくて、洋服販売の世界では体育会系で有名らしい。

まず朝礼からして気合いが入ってるとか。「今日も売るぞー」みたいな感じなのかな?

もちろん、ファイブ・フォックス系のブランド以外でも、それこそコレクション・ブランドであっても、程度や制度の差こそあれ、ノルマが存在することに違いはない。

たとえばシャツを買おうとするとそれに合うTシャツなりパンツなりを強力に薦めてくるのは丸井系の店ではよくあることだが、店員たちからするとセット販売できるかどうかが自分の給料に響いてくるのかもな。だから、ある意味じゃ彼らはシステムの被害者でもある。

まあ、それでもうざいけどな。

一時的にはごり押しで売った方がたくさん売れるかもしれないけど、そんなやり方では客は定着しない。いつも新しいカモを追い続ける必要がある。流行とともに客までも消費する丸井というシステムは、功罪でいうと明らかに罪の方が大きいだろう。

丸井系を卒業して次にはまったブランドの店員さんに丸井の苦い思い出を話したことがある。「ファイブ・フォックスは軍隊だよー」とその店員さんも呆れていた。

まあ、もっとも卒業といってもある日を境に突然買わなくなったわけではなくて、徐々に次のブランドに移っていったんだけどね。

で、そのブランドというのが、マリテ・フランソワ・ジルボー。本元はフランスのジーンズ・ブランドで、メンズはミラノでコレクションをしてるのかな?

でも日本で売ってるのは本家本元の服ではなく、タカヤ商事という会社がライセンス契約をして日本向けに企画して作った服。サイズが日本人向けになっているのはもちろんだが、デザインも元のコレクションとは若干違っていた。ごくたまに、本家の服が輸入されて売ってることもあったが、向こうの人向けだから俺にはサイズがでかかった。

初めて買ったのは、池袋のパルコ。店に陳列された服の数々が放つ雰囲気に圧倒された。ブルゾンとかシャツとか色々あるんだけど、特にジーンズはそれまで丸井で見てきたジーンズとは見るからに違っていて最高にかっこよかった。

値段はジーンズ一本で2万円台後半くらいで、丸井に置いてある典型的なジーンズの倍くらい。だから最初は「こんな高いジーンズに手を出していいんだろうか・・・」という戸惑いがあった。でも、何本か試着してみるとこれは買うしかないと思った。だってどれも風合いといい形といい、かっこいいんだもの。もっとも、最初に買ったのはジーンズじゃなくてカーゴみたいなデザインが入ったパンツだった。

ジルボーのジーンズが標準になってからは、丸井で買ったパンツなんてあからさまに安っぽくて、履けるもんじゃなかった。だから捨てた。

ちなみに池袋パルコのジルボーは、丸井系の粘着質なくそ接客が大嫌いだったので、青山店に通うようにした。八百屋のノリで、数万円の商品を売るんじゃねーよ、お前ら。青山店の店員さんはみな感じがよく、特に俺が担当してもらった女性店員さんは素晴らしかった。今でも元気してるのかな。たしか俺より2歳くらい年上だったから、今30過ぎてんのかな。



この頃もギャルソンの店は例の同期とよく行っていたんだけど、自分が買うには至っていなかった。俺はあくまで、馬鹿高い服を喜んで買うギャルソン信者を客観的に眺める一般人だと自分では思っていた。でも、元々オタク気質なところがある俺は、少しずつギャルソンにも魅力を感じ始めていたのはたしかだ。

やっぱり、メンターの影響はでかかった。彼にしょっちゅうギャルソンの店に連れて行ってもらっていたからこそ、服のデザインや価格にある程度目が慣れてきた。

ファッションの情報源も彼から学んだ。会社に入ってからは、たまにファッション雑誌を見ていた。メンズ・ノンノとか、あとはもうちょっとフォーマルな感じの雑誌とか。でも俺にブランドの楽しみ方を教えてくれたメンターは、ファッション雑誌なんてほとんど見てなかった。唯一彼が真剣に見ていたのが、『ハイ・ファッション』という高級ブランドだけを集めた雑誌。彼にとって主な情報源は、ネットで公開されるパリやミラノのコレクション画像だ。

そう、コレクションの画像を見ていれば、別にファッション雑誌なんかを見る必要はない。なぜならファッション界という川では、雑誌でもてはやされるスタイルや情報は、下流に過ぎないんだ。上流はもちろん、パリやミラノ、ロンドンといった都市(特にパリ)で毎シーズン開催される高級ブランドのファッション・ショーだ。そこがファッションの先鋭であり、そこからすべては始まる。

俺は実体験からそれを断言できる。

たとえば、パリ・コレクションに参加しているジュンヤ・ワタナベというブランド(コム・デ・ギャルソンの中のブランド)に、ライダース・ジャケットばかりのシーズンがあった。

すると、どうも街中のブランド、それもコレクション・ブランドよりも価格帯の低い、より一般向けのブランドがやたらとライダース・ジャケットを発売してるんだ。で、ファッション雑誌を見ると「今、ライダースが熱い!」なんて書かれてるわけ。

そこで俺は、気付いてしまった。

服の流行というのは、みんなの気分や好みが集積されて自然に生まれているわけじゃないんだ。

服の流行は、高級ブランドがファッション・ショーで作りだすんだ。そこから、川の水が上流から下流に流れるように、安価なブランドに流れていく。その逆は、あり得ない。だから、ブランドには、厳然たる序列がある。

つまり、ブランドというのは、好みだけの問題じゃないっていうことだ。コム・デ・ギャルソンの服は、ヨウジ・ヤマモトやイッセイ・ミヤケの服と比べるべきであって、丸井系のブランドと比べても無意味だ。なぜかっていうと、作りだすブランドと、追従するブランドは、そもそも同じ土俵に立っていないからだ。

コレクション・ブランドのデザインを明らかにパクったとしか思えない服を見たことも何度かある。

「君はギャルソンが好きかも知れないけど俺はヨウジ・ヤマモトの方が好きだ」は、成り立つ。

でも、「君はギャルソンが好きかもしれないけど俺はコム・サの方が好きだ」は、成り立たない。ためしにギャルソンの愛好者にこの言葉を言ってみ。険悪な空気になることを保証するよ。

ブランドに上下関係があるなんていう考えは、俺も最初は認めたくなかった。だって、おしゃれなんて各自が好きなようにブランドを組み合わせながら楽しむものであって、このブランドよりあのブランドの方がいいなんていうのはあくまで個人の頭の中だけにある考えだと思っていたからだ。

そう。ギャルソンやヨウジにどっぷり浸かるまでは、色んなブランドから自分が好きな服を買って、それを自分なりに組み合わせていくのが本当のおしゃれだと思っていた。だって、自分で組み合わせるからこそ、自分のスタイルでしょ。一つのブランドで全身を固めるだなんて、思考停止だ。そう思っていた。

今ではその考えは間違っていると、確信している。(続く)