2014年1月15日水曜日

服ヲタクを辞めます。

服ヲタクを自負してきたが、そろそろその看板を下ろそうと思う。

私のことをよく知る友人は、びっくりするかもしれない。

私のことをよく知らなくても、「大学時代までJEANS MATEで服を買っていた俺が、ヨウジとギャルソンを愛好するようになるまで。」を読んでくれた人なら驚くかもしれない。

http://s01454ks.blogspot.jp/2010/11/jeans-mate1.html
http://s01454ks.blogspot.jp/2010/11/jeans-mate2.html
http://s01454ks.blogspot.jp/2010/12/jeans-mate3.html
http://s01454ks.blogspot.jp/2010/12/jeans-mate4.html
http://s01454ks.blogspot.jp/2010/12/jeans-mate5.html
http://s01454ks.blogspot.jp/2011/01/jeans-mate6.html
http://s01454ks.blogspot.jp/2011/01/jeans-mate7.html
http://s01454ks.blogspot.jp/2011/01/jeans-mate8.html

3年前の文章で書いてきたように、2005年に就職して以来、私のファッション・服への情熱は並々ならぬものがあった。人生の一つの軸だったと言っていい。

時間がたつにつれて熱意が徐々に冷めてきているのは感じてきたが、現在では明確に服ヲタクとしての自覚を失った。

あれだけ好きだったのに、なぜ? 煎じつめると、以下の三点だ。

理由1.あまりにもお金がかかり過ぎる。

理由2.いつまでたっても満たされない。

理由3.他の安価で楽しい娯楽を覚えた。

これらの理由が組み合わさることで、服ヲタからの卒業を決意するに至った。

理由1.あまりにもお金がかかり過ぎる。

私が働き始めてから服にどれだけのお金を費やしてきたのか、定かではない。500万円は下らないだろう。1000万円までは行っていないかもしれないが、その間のどこかだと思う。この金額を頭に浮かべる度に、その金額を貯金できていれば・・・という思いが頭をよぎる。

もし服に使っていなくても、他の何かに使っていただろう。お金の大切さをほとんど理解できていなかったからだ。

私はお金に関して無邪気すぎた。会社員という身分に慣れ過ぎて、給料が安定的に入り続けることが当然だと思っていた。むしろ自分がもらっている額は少ないと思っていた。給与明細の内訳もまともに理解していなかった。毎月、額面と手取りの額を見て少ないなとかちょっと多いなとか思っていた程度だった。健康保険料、住民税、年金などは何か引かれているなくらいの認識しかなかった。少し踏み外せば職がなくなり給料をもらえなくなる生活が来るとは想像も出来なかった。

職を失って、お金が生死に関わるほど大切だということが身に沁みた。収入がなくても前年度の収入に応じて請求される国民健康保険料に、住民税。国民年金の督促状。会社に勤めていた頃は何となく天引きされるのを横目にしていただけだった。一つ一つの請求書と向き合って、金額にげんなりして、初めて税金の重さを理解した。

服にどっぷりはまっていた頃は金銭感覚が麻痺していた。何せあの世界では、3万円のジーンズをお手頃ですよと言って勧めてくる。1万円のTシャツをちょっとした記念に買わせようとしてくる。そうやって何となく消える数万円が、境遇が変われば生活を続けられるかを左右することがある。それを分からずに、物欲に身を任せて貴重なお金を使ってしまうのは愚かなのだ。

最近、服が好きな友人たちと3人で飲んだ。私以外の2人は最近、結婚した。月の小遣いは2万円だと言っていた。月に2万円だと、年間に24万円、半年で12万円。服以外への出費をゼロにするという無理のある仮定でも、1シーズンに12万円しか使えない。12万円というとファッションの世界を知らない人は十分じゃないかと思うかもしれないが、すぐに吹き飛ぶ金額だ。服以外には1円も使わないのは不可能だから、実際にはもっと少なくなる。

そこまでして切り詰めて、毎シーズンのように服が欲しいだろうか。話した感じだと、彼らの服への出費は激減しそうだった。服をたくさん買っていた頃、私たちは消費者としての自己実現を楽しんでいた。いつまでもそこに留まっているのは幼稚なのだ。

理由2.いつまでたっても満たされない。

服を着ることには自己表現という一面も、たしかにあるかもしれない。だが、基本的にはファッションや服を楽しむのは消費であって、何かを生み出す行為ではない。デザイナーが作り出した世界や世の中の流行に、お客さんとして関わっているのだ。

あくまで消費者であって、ファッション・ヴィクティムだ。常に新しいのが欲しい。次が楽しみ。いつになっても、いくら使っても、終わりは来ない。その過程で、ブランドの売上に貢献するのを除けば、他の誰かを助けるわけではない。自分の欲求を満たしているだけ。でもずっと空腹なんだ。

『ビル・カニンガム&ニューヨーク』というドキュメンタリー映画で、ビル・カニンガムがこう言っていた。
「ファッションに否定的な声もある。『混乱を極め問題を抱えた社会で、ファッションが何の役に立つ? 事態は深刻だ』と。だが要するに、ファッションは鎧なんだ、日々を生き抜くための。手放せば文明を捨てたも同然だ、僕はそう思う」(訳の出典はhttp://eiga.com/extra/sasaki/3/)
毎日を生きていくためにファッションや服が必要というのは、自分のことを振り返っても思い当たる。私にとって服とは仕事をする理由だった。好きな服を選ぶ喜び、身にまとったときの高揚感。安心感。それらを得るための給料だった。仕事のストレスや疲れの大部分は服が癒してくれた。

それをずっと続けるわけにはいかない。日々の強いストレスや不満を高いコストのかかる娯楽や趣味で解消するのは消耗戦である。疲れたときの栄養ドリンクのようなもので、一時しのぎにはなるかもしれないが、長期的には疲弊するばかりで、依存症になって、幸せにはなれない。

ファッションは素敵だ。その考えを捨て去るつもりはない。私のことも鎧として守ってくれたのに、いきなり手のひらを返してディスるつもりはない。

今さらユニクロや無印の服に移れるわけがない(下着や寝間着を除く)。今後、ヨウジ・ヤマモトやコム・デ・ギャルソンの店舗にいっさい足を運ばないわけではない。でも、頻度はだいぶ落ちるだろう。

ファッション業界は、産業である以上、常に新しい服を作って売りださないといけない。そうしないと事業が成り立たない。関係者が生活できない。ただ、一人ひとりの消費者がそれに合わせて新しいものを買い続ける必要はない。

理由3.他の安価で楽しい娯楽を覚えた。

服の金額よりもはるかに安い金額で楽しめる娯楽が、世の中にはあまりにも多い。

ハイキング。私の今の住処からだと、6,000円くらいあれば埼玉の小川町に行って、昼食を食べて、静かなハイキング・コースを歩いて季節を感じ、温泉で岩盤浴とロウリュ・サウナを堪能し、世界一うまいポーク・ソテーを食って、帰って来られる。

友人との歓談。数千円出せば、一緒にうまいものを食って、酒でも飲みながら話が出来る。

音楽。何十回と聴き返しても飽きず、期間を置いて聴き直しても新たな発見があるようなジャズの名盤がCDで一枚1,000円から1,500円で買える。

映画。名画座に行けば過去の名作が1,300円で2本、観賞できる。

本に関しては説明するまでもない。

喫茶店に入れば、数百円でおいしいコーヒーを飲みながら、好きな音楽を聴きながら好きな本を読める。

もちろん、お金をかけて初めて見える世界があるのはたしかだ。一流のサービスや製品。それは服ヲタク時代にたっぷり味わったからよく分かっている。でも日常的に高いお金をかけなくても生活を楽しむことは出来る。

今後、私はどういう服を着るのか

お金の大切さが身に沁みた。服をいくら買い続けても満たされないことに気付いた。他の安価な時間の楽しみ方を覚えた。今後の私が以前のような勢いで服にお金を注ぎ込むようになるとは考えにくい。では何を着るのか?

一つ言えるのは、アウトドアの服は重用していくだろうということだ。2011年にトルコに旅行した。3月で場所によってはマイナス15度とかだった。同行した旅慣れた友人の勧めで、防寒用の服をアウトドア用品店で買った。それ以来、アウトドア服の虜になっている。

店内を見ていると着丈が短くてフードがでかいマウンテンパーカがあった。店員さんによると、着丈が短いのはクライミング時に腰に道具を付けるため。フードがでかいのはヘルメットを装着した上にかぶるため。てっきりおしゃれのためかと思っていたが無駄のないデザインに感心した。

そのときに買ったTHE NORTH FACEのマウンテン・パーカ(シェル)が今でも重宝しまくっている。夏を除くすべての季節に使える。飛行機の中でも重宝する。空調で変に風がふいており、普通の服では防ぎきれないのだがこれを着用すれば快適。

ネック・ウォーマー。朝の寒さが苦ではなくなった。首回りの防寒という目的に対して無駄がないというか、マフラーをあざ笑うかのような最小限のデザインがいい。

メリノ・ウールの靴下。クッション性が高く履き心地がよい。保温性がありながら蒸れにくい。普通の靴下には戻れなさそうだ。

実用性、機能性と、無駄のないデザインに、納得できる価格。服の高級ブランドに比べれば、ブランド・イメージの幻想ではなく実際に役に立つ何かにお金を払っているのを実感できる。

もっとも、全身アウトドア服だと登山の格好そのものになってしまうので、他の服とうまく組み合わせる必要はある。THE NORTH FACEのシェルに、ジュンヤのeyeのパンツがよく合う。そういう感じで組み合わせていくのが自分のカジュアルな格好としては中心になっていくだろう。

2013年7月16日火曜日

喫茶店で近くの席の人たちが怪しすぎる。

思わずイヤフォンのセシル・テイラーを止めて、マルコムX自伝を閉じて、話に聞き入ってしまった。盗み聞きがばれないように、イヤフォンは耳に着けたままにした。

最初、男女二人だったんだけど、横並びに座るから変だなと思っていたら、数分後にグレーのスーツ男が現れた。

グレーが女にかけた第一声は、「芸能人で誰かに似てます?」だった。「趣味は何ですか?」、「仕事は何をされていますか?」といった普通の質問を立て続けにした後、こう言った。

「ブログで好きなことを書いて副収入を得られたらよくないですか?」

男と女はカップルかと思ったら違うらしく、飲み会で知り合って、そこで男が女にこのビジネスを紹介したらしい。

男は、グレーと歌舞伎町で会ったのをきっかけにビジネスを一緒にやるようになり、会社を辞めたらしい。「僕は仕事で歌舞伎町でした。彼は何を目的に来たのか知りませんけど」と、笑いを挟むのを忘れないグレー。軽快な話術で場を笑いに包む。男も不自然なくらいケラケラ笑い続けている。男は、テニスのブログで稼いでいるらしい。

女は22歳(今年23歳)。男は26歳。グレーは老練な営業トークの割にかなり若いらしくどうやら20歳らしい。見えない。中一のときに大学のキャンパスで「どこの学部ですか?」と聞かれたことがあるらしい。

最初はがっつり勧誘モードだったけどしばらく取り止めもない世間話に。と思ったらいつの間にかまたブログの話に。

「今ここに1,000万、ポンと置かれたらどう思います?」とグレー。
「えー、分からないです」と、女。
「あー、そうか、実感を求めるんですね。ほら、男ってロマンを求めるから見たことなくても一千万という響きで燃えるじゃないですか。」
「そうそう」と男。

男はほとんど発言はせず、相槌を打ったり笑ったりしているだけだ。

「僕らが言ってるのは、別にお金を稼ごうっていう話じゃないんです。自分が好きなことを書いて毎月10-20万入って来れば、たとえば旅行に行けるとか、そういうことが出来るんじゃないかっていうご提案なんですよね」、とグレー。

女は家電量販店で四月から働いているようだ。カメラ販売。人と話すのが好き。休暇は月に8日。忙しい月は7日、余裕のある月は9日等、変動する。特に欲しい物はない。仕事に関して野望はなく、店長になりたいわけではない。近々、友達と三人で都内ルームシェア一人5万を始める。

グレーの仲間が一人増えた。黒いスリーピースのスーツに、プラスチックのスタッズみたいなのが打ち込まれた黒いカバン。人数で圧力をかけるのかと思ったが、グレーは入れ違いに席を立った。

黒スリーは、女(今年23)と同い年らしい。18歳から働いている。やたらと「タメ」を強調する。かつては運動神経抜群だったが今では「ボウリング3ゲームで腕がパンパンになる」「駅で階段を駆け上がると息切れがする」といった自虐ネタで場を和ませる。

彼の得意技は、量販店でパソコンを値切ること。98,000円のパソコンを最終的に9,800円で買ったことがある。量販店で値下げのハシゴ。池袋東口→秋葉原→池袋東口と5時間かけて店を回ったことがある。親友がイー・モバイルに勤めているから加入で4万円まで値引けることを知っている。さらに裏技があって、月額使用料を1,000円増やすと割引額を5万円に出来るらしい。

知り合いがパソコンを買うときは同行して、報酬としてポイントをもらう。6万円くらい溜まっている。発売したばかりの新製品を「もし現品限りだったらいくらになる?」というあり得ない仮定から価格を出してもらい、その価格を利用して他店で値引いたことがある。家電量販店では有名人で、彼が来店すると店員はうんざりした表情を見せる。

18歳から20歳まで光通信に勤めていた。一年間で最高4,700万の利益を出したことがある。会社の売上15%を叩き出し関東1位、全国8位。光通信では毎日、6時半出社の深夜1時退社。週何回かは先輩に誘われ5時まで飲んでいた。平均睡眠1.5~2時間。「超ブラックですよ」、「2年で同期の9割以上は辞めました」と得意気に語り、自分が生き残った精鋭であると強調する。18歳で年収が830万円だった。

態度をはっきりしない女に業を煮やした黒スリーは、「欲あるでしょ」と女に切り出した。「女の人は欲しかないよ」
「いや、ないです」と女。
「睡眠時間、1時間と10時間、どっちがいいですか」
「10時間」
「欲あるじゃないですか!」
「イケメンと不細工どっちがいいですか」
「…それは、イケメン」
「欲あるじゃないですか! 欲あるんですよ、あなたは」

死ぬまでに世界遺産をすべて見るのが夢だという黒スリーピース。どこかの海でのダイビング体験の素晴らしさを語り、絶対に行くべきだと女に説く。世界を見ることの重要性、そのためのお金の必要性へと話は展開。

「100万あったら100万なりの楽しみ方がある。200万あったら200万なりの楽しみ方がある。かけるお金によって、楽しめる世界ってのは変わってきて、お金ってあった方が視野って広がるんですよ。日本という訳の分からない島国で終わるんじゃなくて、世界を見た方がいいじゃないですか」

「どこかに行けるかどうかではなく、行きたいかどうか。限界を決めるのは自分。リミッターを外したら欲がぶわあっと出てくる。現実主義の人は欲が少ない」

「僕がなぜビジネスをやるかっていうとやりたい人が少ないからです。今の人って欲がないんです。みんな特に人生の目標もないし、100万円あったら貯金すると言う。チャンスじゃないですか」

彼は、新宿に自分のバーを持っている。店の名前を聞き取って検索して特定したがここに書くのはやめておく。

「自分の店を持つのはいいですよ。自分のホームがあるってのはやっぱいいね。バーってね、200万あれば出来るんです。毎月のランニングコストが150万。200万売り上げれば50万残る。自分は20%もらっている。これが出来れば遊び放題。フリーダム人生です。最初の200万を用意出来るかどうか。それだけです。何かやってみるといい。バーでもいいし、カフェとかいいんじゃないですか? 何か、人が集まる場所を」
「うーん…私、欲ないんですよね。お金が落ちてても拾わないタイプなんです」
「拾ってください」

「人には客観型と主観型がいて。客観は人の役に立ちたいと思うタイプで、NPOとか向いているんです。主観タイプは経営をやった方がいい。ツインソウルって分かります? 二つの心臓を持つ人のことをそう言うんですけど。僕はどこの占いに見てもらってもそう言われるんですよ。客観と主観、両方持ち合わせている」

「で、どうします?」、決断を迫る黒スリー。
「うーん、考えてみます」と女。
「ちょっとトイレ行きますね」、わざとらしく席を立つ黒スーツ。

しばし、男と女が談笑。黒スリーもどる。男が女の気持ちを代弁。「バーを持つとか、大きい夢よりは五万円の家賃をまかなえるような小さいことがやりたい」

黒スリーはそれに答えずに話題を転換。

「(女に向かって)たぶん25-35歳の間に結婚しますよね」、「僕、数字が好きなんですよ」とペンを取り出して、女の人生でこれからいくらお金がかかるかの計算を始めた。黒スーツの試算によると最低限1億4250万円必要らしい。

「自分は今、副社長として色んな人間を見て思うのは、育ちって出るな、と。どれだけ親から愛情を受けているか。お金に余裕がないと子供の育ちにも影響しますよ」

「欲がなくても、最低限以上の生活をしたいのであればお金は必要です」

「50歳になってカメラの販売は出来ないですよ」

黒スリー曰く、今はモノを売る時代ではなく、知識を売る時代。彼の会社の例だと子供にサッカーを月二万円で教えて四十数万円を売り上げている人。週末の料理教室で数十万売り上げている人。

「世の中は年収500万円以上と、1000万円以上に分かれている。中間層ってのがなくなってきている。今はピラミッドの中に収まって安定を得る時代ではなく、自分で安定を作り出す時代。終身雇用にも年金にも頼れない。僕は今、収入源は七つあって、どれかがなくなっても全然生きていける」

「就職活動は大学三年から四年の勝負。受験は高三の勝負。就職や受験と違って、ビジネスに階級はないんです。僕は普通のサラリーマンの3倍は稼いでます。勝つことに意味があるというよりも、自分の可能性を広げるのが面白い。月収100万とかもらったことないでしょ? ないですよね。もらったことないから、楽しさが分からないんです」

この場で女からイエスを引き出せないと悟った黒スリー。

「宿題を出します。欲を出す練習です。欲というかモチベーション。このままじゃいけないと、自分で思ってるでしょう?」と黒スリーが問いかけると、「それは長年、思ってます」と乗る女。 黒スリーは紙に何かを書き始めた。

「10個ずつ書いてください」

紙には

  • 人生でやりたいこと
  • やりたくないこと、嫌なこと
  • 欲しい物
  • 自分と言えば
  • 怒ったこと
  • 短所
  • 好きなこと

と項目が列挙してある。各項目について10個ずつ書かないといけないようだ。自己啓発セミナーみたいになってきた。

「えー? 就活以来だー」と圧倒される女に、「僕だったらすぐに書ける」と黒スリーが自分に当てはめて書き出して見本を見せる。「来週までの宿題」らしい。いつの間にか、来週も会うことが既成事実になっている。

女も特に断る素振りは見せず、「ちょうど一週間後」なら空いているということで、次の日にちを決めた。これで今日はお開き。

時間を見たら16:57だった。レシートによると私が入店したのは13時ちょうど。360円で4時間も居座っちゃって、許してにゃん。

2013年6月27日木曜日

キリコに耳ヲ貸スベキ。

日本のヒップホップ音楽を聴くのであれば、ある時点でキリコを通る必要があるのではないだろうか。それくらい重要なMCだと思う。

キリコは、先人たちが作り上げてきた日本語ヒップホップをしっかり踏まえながら、それを批判的に継承しようと試み、自分なりのリアルなヒップホップを追い求めた(追い求めている)稀有なアーティストだ。

日本のヒップホップ創始者たちの地道な普及活動によって、2000年代の初頭には、ヒップホップを意識しせずともラップができるほどラップという技法が定着した。しかしながらそれは確固たる音楽ジャンルとしての「日本語ラップ・ミュージック」の登場にはつながったが、必ずしも「日本独自のヒップホップ」の定義にはつながらなかった。何がリアルで何かフェイクかの基準は明確ではなく、煎じ詰めると雰囲気(「ワルだからヒップホップ」?)や好き嫌い(「俺が気に入らないからフェイク」?)にすぎなかった。

そこに風穴を開けようともがいた異端児が、キリコである。

異端児と言ったが、キリコは単なる「個性派」や「キワモノ」ではない。先人たちの多大な影響下にあり、日本のヒップホップという文脈の上にしっかりと乗っかっている。

たとえば、2ndアルバム「BLAST」の「耳を貸すべきMC達」ではフックでライムスターの「耳ヲ貸スベキ」を引用している。同アルバムの「手も足も出ず」ではTHA BLUE HERBのMCであるILL BOSTINOと、Shingo2の二人を一曲丸ごと使ってほめ殺した上にTHA BLUE HERBの「THIS'98」にある「針は変えたんだろうな?」というイントロの台詞を引用している。

そういった直接的な引用は別にしても、キリコはラップを通して「日本のヒップホップよ、それでいいのか?」と問いかけている。彼はヒップホップを使ってヒップホップを評論しているのだ。彼の歌詞や作風は、日本のヒップホップをしっかり聴き込んでいないと理解できない。彼の音楽をちゃんと評価できるのは、ヒップホップにどっぷり浸かった人間だけだ。

キリコは、ヒップホップへの入門編として聴くべきアーティストではない。ヒップホップに馴染みがないのにヒップホップ評論を聴いても仕方がないからだ。そこが、キック・ザ・カン・クルーとの違いだ。キックは、J POPの中にポジションを取ることでヒップホップとは何かという小難しい問題から距離を置いて、大衆に受けるラップ音楽を売りさばき、商業的な成功を収めた。

これだけだとヒップホップの優等生以外の何者でもないかのように見えるが、キリコがヒップホップを表現したやり方を見ると、異端児と呼ばざるを得ないのだ。

キリコは従来自明とされてきた文法(たとえば韻や、悪ぶった歌詞、米国の模倣)を崩しそれらを茶化すことで、形式にはまって独自性を失った多くのアーティストたち、そしてリスナーたちも挑発している。

韻を放棄したのは、衝撃であった。これには私も戸惑った。キリコは、韻を踏めない訳ではない。むしろ上手い。たとえば未CD化音源集、「LOST TRAXX」の「良い音楽を」での畳み掛ける韻は、圧巻である。1stアルバムの「セルアウトをする気分を味わおう♪」でもきれいに韻を踏んでいる。でも大半の曲は前述した独自のフローで歌っている。

早口でまくし立て、語尾を繰り返す独特のフロー。強いて米国のアーティストを挙げると、キリコのラップの仕方は(2ndアルバム内の「ORIGINAL FLOW」で自ら影響を認めるように)ときたまSage Francisを感じさせる。あと「ありがとう名無しの2チャンネラー諸君」で2ちゃんねらーから指摘されてたように降神もたしかに。けど、「・・・みたい」では括れないな。

キリコは日本人がギャングスタ風ラップで悪ぶったり、ストリートを強調するのを否定し、正直なリリック、オリジナリティを推進している。雑に言えば、それが彼にとってのリアルである。

1stアルバム「僕は評価されない音楽家」は歌詞の9割(割合は実際に調べていない)が日本のヒップホップに対する愚痴、批判、皮肉、問題提起。ひたすらに独白的で、内省的。アルバムの題名にあるように、「どうせ俺の言っていることなんてみんなは分かってくれないし、誰も評価してくれないだろうけどな」というようなひねくれた思いが垣間見える。

2ndアルバム「BLAST」では、前作で「評価された音楽家」になったためか、少し対話的になった。二つの曲で、一枚目にはなかった客演を呼んでいる。「ありがとう名無しの2チャンネラー諸君」では2ちゃんねるのキリコ・スレッドへの書き込みにアンサーするという前代未聞の試みで2ちゃんねらーたちと対話をしている。

3rdアルバム「DIS IS IT」は、中盤に「レトロなお家のレトロなパスタ feat. toto from SUIKA」という謎の「スイーツ(笑)」的な曲が挟まれるなど、余裕と遊び心を感じさせるアルバム。そんな中でも童子-Tやシーモの名前を出して当てこするなどディスの切れ味は健在で、1stからの一貫したヒップホップへのこだわりを痛切に感じさせる。



一枚目は本当にごく限られた人しか受け付けないであろうアルバムだったが、三枚目になるとだいぶ聴きやすくなっていった。尖りながらも、徐々に社会的になっていくキリコ自身の変化や成長を見るような三作品だった。たしか当時、2ちゃんねるのキリコ・スレッドでもそんなことを書いている人がいたような。

4thアルバム「GREYHOUND」では、過去三作からがらっと作風を変えてきた。正直、少し聴いただけであまり興味が惹かれず、未だにちゃんと聴いていない。これは勝手な想像だが、キリコは最初の三枚で、言いたいことは大方、言い尽くしてしまったのではないかと思う。評価されたからといって、惰性で同じことはやらない。キリコのアーティストとしての誠実さだと思う。



最後に、キリコに関して昔(2006年)のブログに書いていた投稿が残っていた。当時の自分の熱を伝える記録として、貼り付ける。

まず、1stアルバムを聴いた時の感想。

(引用開始)

達磨様がブログでキリコのアルバム「僕は評価されない音楽家」を取り上げていた。

http://app.blog.livedoor.jp/darumasan777/tb.cgi/50283676

アルバムに対する私の感想としては、気持ち悪いくらいのぶっ飛び具合で、最初は「何だこれ?」と若干引いた。しかし何回か聴くと、はまり込んでしまった。
韻の技術は高いのに、曲によっては、なぜかほとんど韻を踏まないという「反則技」を見せており、疑問が沸く。しかしフローや内容があまりに個性的で、そんなのはどうでもよくなってくる。(いや、よくないが。)
クセがあるが、クセになる。こんなアルバムにはそう頻繁には出会えない。

キリコにしても、達磨様にしても、普段、(何の仕事か知らないが)普通に働きながら、音楽活動をしている。仕事は仕事として割り切りながら、プライベートの時間で、日頃の鬱憤とか、本当にやりたいことを形にして爆発させているんだと思う。だから、HIP HOPへの姿勢が痛いくらいに純粋なんだろう。そういうところからは大いに学ぶところがある。

2006-11-21 21:10

(引用終了)

次に、キリコと対面したときの感想。

(引用開始)

土曜日に、横浜のHMVで、キリコが店内イベントをやっていた。

午後5時からだった。実家が横浜なので、週末帰るついでに参加するつもりだった。

会うのを楽しみにしていた。何か会話を交わして来ようと思っていた。

しかし、迂闊にも、原宿・青山をぶらついていたら、時計を見ると4時半。このまままっすぐ行っても、間に合わない。何だかんだでHMVに着くのは5時半とかになってしまう。

実際、横浜にそれくらいに着いた。おそらくちょうどイベントは終わっているくらいの時間だ。だが駄目元で、HMVに急いだ。

すると、いた! 案の定イベントは終わっていたが、終了後、店内のイベントステージ近くで、関係者っぽい人(マネージャー?)と一緒にいて、代わる代わる誰か(関係者?ファン?)と談笑して、人によっては握手していた。

キリコは横顔をネットでちらっと見た程度で、どういう人かよく知らない。けど、たぶんこの人だろうな、と思った。身長が高く(180近いか?)、小太りで、青いアディダスのTシャツを着て、人のよさそうな笑みを浮かべていた。ラッパーっぽくない。

数分間、その前で挙動不審にウロウロしてから、タイミングを見計らい、今だと思って近づいて話しかけた。

「すみません、キリコさんですか?」
「あ、はい、そうです」
「あの、僕、今日のイベントに間に合わなかったんですけど、アルバム、発売日に買いました。最高です!」(これを言っている最中に握手してもらった)
「ありがとうございます!」
「今後もCD出されるんですか?」
「とりあえずアナログを出します。あとクラブにも顔を出しますので、観に来てください」
「いつも注目してますんで、頑張ってください!」
「ありがとうございます!」

勇気を出して話しかけた割には、文字にすると大したことない会話だが、私には満足感と興奮が残った。

すっげーいい人だった。

2006-11-19 22:46

(引用終了)

2013年6月21日金曜日

ヒップホップ側からアイドルやJ POPをディスる幼稚さ。

ヒップホップにはまり出すと、アイドルやJ POPの音楽を馬鹿にしてみたくなるものだし、アイドルがラップでもしようものなら「ヒップホップを馬鹿にしている」とキレてみたくなるものだ。私もかつてはそうだった。今では幼稚だったと思っている。

ヒップホップ音楽がここまで主流になれば、他のジャンルに影響を与えるのは自然のはず。他ジャンルがラップを単なる歌唱法として取り入れていることに目くじらを立てても仕方がない。ヒップホップ支持者が怒るべきなのは、ヒップホップと呼ぶに相応しくない「自称ヒップホップ」である。

でも、ヒップホップというゲームの中でリアルとフェイクをしっかり見極めるのは簡単ではない。だから、楽な方に流れる。アイドルやJ POPといった攻撃しやすい相手を見つけて、フェイクと決め付けて、それをディスることで自分がリアル側に属していると思い込む。

往々にして人は、対象のことをロクに知らないでディスりがちだ。しかし、本来ディスるには対象をしっかりと理解しないといけない。学生の頃、小室直樹の本に「批判とは継承のことである」と書いてあって驚いた記憶がある。

批判とは、自分が相手と同じ世界に住んでいるという意思表示でもある。何かを批判するということは、少なくとも、対象の存在を認めること+自分が対象に興味があることを明らかにすること+対象を理解することを前提とするはずだ。だから批判している時点で、対象と土俵を共有しているのだ。それが出来なければ、おそらく批判にさえ至っていない。単なるいちゃもんや言いがかりと変わらない。

ラッパー同士で内輪でやる分にはいちゃもんだろうと言いがかりだろうといいのかもしれないが、ゲームのルールを共有しない他ジャンルに口を出すときにそれではいけない。以前買ったチャックDのアルバム日本版ブックレットの解説で、K DUB SHINEが「愛のない批評は要らない」みたいなことを書いていた記憶があるのだが、本当にその通りだと思う(K DUBはヒップホップ評論家がヒップホップ作品を評するときの態度について言っていたけど、これはヒップホップのファンが他ジャンルに言及するときも同じだと思う)。

Yamakouは、「Na~Na~Na~」という曲(アルバム「マイティー's Back」)でつんくをディスった。「ニセモノ増加中(中略)うぜえよな子供騙しのポップグループ ラップすんじゃねえよこのクズ たとえばDA PUMP つんくfromシャ乱Q FUCK WACK そろそろ消えろバタンキュー」。学生だった私はこの歌詞を聴いて溜飲を下げたものだ。



今考えると「ニセモノ」という言葉を持ち出してつんくをディスるのは、お門違いもいいところなんだよね。だって、何の「ニセモノ」よ? 仮につんくがヒップホップというゲームのプレイヤーであれば、ニセモノのラッパーなりプロデューサーなりとしてディスるのは成り立つんだけど、勝負している世界が違うからね。

ZEEBRAは昔やっていたTOKYO FMの番組で、ミニモニ。の曲(ジャンケン・ピョンのやつ)が流れたコマーシャル明けに「ピョンで、お願いしやーす」と心から馬鹿にした口調で言い放ちDJ KEN-BOも同調していた。これはラップがどうこうではなく(この曲にラップはなかったはず)、単にアイドルの曲への嫌悪感の発露。たしかにヒップホップ番組の雰囲気とはまったく合わないコマーシャルだった。

当時、私は高校生でハロプロも大嫌いだったのでZEEBRAに内心喝采していた。しかし今振り返ると彼の言動には「アイドルやJ POPを馬鹿にしている俺らはリアル」みたいな筋違いで痛い幼児性があったことは否定出来ない。そして当時の私もそうだった。

彼ら、そして私は、意識せずともダブル・スタンダードに陥っていた。つまり、一方ではJ POPやアイドルを(おそらくは)ろくに聴きもせずにディスりつつ、「くだらないJ POPをディスる俺ら」というJ POPに依拠した形で自分たちの居場所を確認していたのだ。馬鹿にする対象なくして自分たちの居場所を定義できなかったのだ。学校がくだらねえと言いながら毎日しっかり通い続ける不良のようだ。もっとも学生の私は、不良ではなくオタクだったわけだが。

2013年6月16日日曜日

トレード・オフ。

最近、ジャズにはまり込んでいて、CDを漁っている。困るのが、昔の名作は何度も再発売されているからAmazonで検索すると同じアルバムが何件も出てくる。バージョンによってリマスターされて音質がよくなっていることがよくあるのだが、Amazonのページではレビューが統合されているし判別がつきづらいのだ。

だから、最近のリマスター盤を買うのであれば、実店舗で商品を確認して買うのがよいと気付いた。リマスター盤の場合、帯に書いてあるから。

そこで気になった。リマスターとは、どういうことなんだろうか? 音質がよくなるとはどういうことだろうか? 少し気になって検索してみると、こんな記事を見つけた。

マスタリング、リマスタリングのお話/Jazzを聴こうぜBLOG版
http://blog.goo.ne.jp/taromiles/e/f9d2517f69d5654cf5c77b98eee1b228

自分はジャズに関しては新参なんだけど、この記事に書いてあることは結構、腑に落ちた。というのも、音を作りこむことと、生々しさや即興性とのトレード・オフというのは、ヒップホップのリスナーとして感じていることだったからだ。

ヒップホップの場合、きれいなトラックで流麗に歌い上げたラップよりも、雑音入りのラジオ音源でちょっと詰まっているくらいのフリースタイルが臨場感があってかえってよかったりする。少なくとも、私はそっちの方が好きだ。もちろん、フリースタイルがすべてではなくて、作品には作品のよさがあるのは言うまでもない。

ただ、ヒップホップを「フリースタイル」と「作品」の二項対立で見たときに、あまりにも「作品」に傾いてしまうと、個人的にはあまり楽しくないしヒップホップじゃないと感じてしまう。あらかじめ書かれた歌詞であっても、聴いていてどこかしら「次、何て言うんだ? どういう韻を踏むんだ?」というわくわくを感じさせてもらいたい。

私がKanye Westに付いて行けなくなったのは、そこだ。自分の中で至高なのは、一枚目アルバムの"College Dropout"と、"Freshmen Adjustment 1, 2"という海賊版デモ曲集(今調べたら、3も出てるのか)。この三枚は、大好きで、まさにヒップホップだと思っている。その次に好きなのが二枚目の"Late Registration"だけど、この時点で、自分が求めるヒップホップとはちょっと違うかなと思っていた。三枚目は耳が受け付けなくて、それ以降、彼のアルバムを追わなくなった。あまりにも、きれいな音楽になりすぎた。だからKanye Westに関しては、上述の四枚しかちゃんと聴いていない。



もちろん、Kanye Westの試みは、おそらくBlack musicとしては非常に高度なんだろうし、単に私が彼の進化に追い付けなかっただけだと思う。当時の私は、ヒップホップという枠組みへのこだわりが強くて、そこからはみ出る音を受け付けなかった。その時に比べたら他の音楽も聴き込んでいるので、今聴いてみたらいい音楽だと思えるのかもしれない。

基本的には、音質はよいに越したことはない。特に昔のアルバムは、リマスターによって現代の聴き手に手に取りやすくなるのであれば、どんどんするべきだと思う。たとえばキングギドラの「空からの力」なんかはリマスター再発売してほしいと思っている。そうやって古典を世の中に残していくのは大切。傑作とされているPublic Enemyの初期のアルバムは、音が悪すぎて、聴く気が失せたのを覚えている。



ただ、ヒップホップの場合、雑味を削ぎ落として、くっきりした、きれいで、計算された音楽作品を作り込もうとすればするほど、何かが失われていくのもたしか。で、その「何か」は、ヒップホップをヒップホップたらしめる重要な感覚なんだろうと思う。その原点がフリースタイルであったり、ラジカセから流れる音だったり、あとはレコードの音だったりするんだろうね。

Lootpackの"Lost Tapes"は2004年のリリースだけど、「レコード感」がすごく出ていると感じる。音が少しざらざらしていて、くっきりはっきりというよりは、少しこもっている。あえてそういう感じの音を作っているんだろうと思う。



で、その作り込んだり決められた通りにきれいにやるのとは対極な部分、たとえばフリースタイルとか即興とか、ヒップホップに求めていた部分がジャズにもある(むしろジャズの方が強い)というのが、今こうやってジャズに強く引き付けられている一つの大きな理由なんだろうと思う。

2013年2月3日日曜日

神聖なるペンタグラム

昨日、友人二人を℃-uteのコンサート「神聖なるペンタグラム」の追加公演に連れて行った。

池袋のハンズでサイリウムを調達してから、昼飯。「アクデニズ」に連れて行こうと思ったが閉まっていたので、「逸品火鍋」に入った。

ここの昼食は、回鍋肉定食680円と、麻辣火鍋980円が抜群にうまい。月一回は食いに来る。今日は、たまには違うのを食おうと思って麻婆豆腐を頼んだ。

悪くなかった。実際、ここの麻婆豆腐は中華料理屋の中でもおいしい部類だと思う。でも、これだったら自分で近いものが作れる。というか、自分で作った麻婆豆腐の方がおいしいかもしれない。調味料さえ揃えれば、おいしい麻婆豆腐を作るのは意外と簡単なんだ。豆板醤、甜麺醤、豆豉、紹興酒、ラー油。

このレシピ通りに作れば、その辺の店の味を超えるのは比較的容易だ。
http://allabout.co.jp/gm/gc/60090/

今まで行った中では、池袋「揚2号店」(TVドラマ『孤独のグルメ』でゴローが訪れた店)、新宿「川香苑」、立川「東園」の麻婆豆腐は、わざわざ食べに行くに値する。自分で同じのを作るのは難しそうだ。

渋谷公会堂。2時開場、3時開演。

チケットはSOLD OUTのはずなのに当日券を販売していたようだ。よく分からなかった。一定枚数は当日券用に確保されていたのだろうか。

多くの人が言うことだが、あの激しさ、あの運動量で、一日に二公演やるというのが信じがたい。あれだけ動いても歌はちゃんとしている。こちらは一公演を鑑賞するだけで声が枯れそうになる。

前の晩にネットで少し予習した以外に℃-uteを見たことがなかった友人たちは、彼女たちが『世界一HAPPYな女の子』でヒールを履いて、片足を持ち上げて踊りながら歌っているのに驚嘆していた。あと、全体的につんく節を感じたと言っていた。特に『まっさらブルージーンズ』の曲の運び方がそうだったと。

いつもながら、岡井千聖の発言には一々愛嬌があってすごく印象に残る。

「昨日の夜は早く寝ることが出来たのに、深夜に酔っ払って帰宅した父親に起こされた。でも元気です」(前回11月24日に同じ会場でやったときは興奮のあまり朝5時頃まで眠れなかった)

「あまり汗をかかないんですけど、今日は『会いたい 会いたい 会いたいな』(一曲目)くらいからじわじわ汗をかいてきて、ダイエットになるぞと思ってやっていた」

「皆さん、汗をかいたと思うので、風邪をひかないためにもTシャツをもう一枚買って帰ってください。緑のTシャツ、余っていますから」

酒を一滴も入れていないのに、終盤は頭が少しトリップして、ジンライムを飲んだように気持ちよくなった。

以前に比べて、コンサートで乗れるようになってきた。音楽に合わせて身体が動くし声が出る。恥ずかしさがなくなってきた。フリコピ厨たちの気持ちが少し理解できた。あれは乗っていることの彼らなりの表現方法なのだろう。

一階の、16列目だった。まあ悪くはない席くらいに思っていたけど、アンコールのときすぐ近くに鈴木愛理と岡井千聖が来て、1-2メートルの距離で歌っているのを見ることが出来て、最高の席だった。友人たちは間近で鈴木愛理を見て「何だあれは・・・」「なんちゅう美人だ・・・」ともはや引いていた。

ハロプロはファンの民度の高さが素晴らしい。メンバーが客席に登場する演出は、一人でも危ない客が何かやったらそれで終わりなのに、ハロコンを含めてそういう話を聞かないからだ。

私がこのツアーを観に来るのは11月に続き二回目だった。最近つくづく思うのだが、コンサートも映画も本も、一回目と二回目以降では、見えるものが全然違う。

園子温監督の『冷たい熱帯魚』は二週間くらい前に初めて観てから、毎日家で流している。

去年、モーニング娘。のツアー「カラフル・キャラクター」は三公演観た。

樋口毅宏氏の『さらば雑司ヶ谷』『雑司ヶ谷R.I.P.』『テロルのすべて』は二回ずつ読んだ。

お気に入りの作品があれば、機会と時間が許す限り、何回か味わってみるべきだ。なぜ自分がそれを好きなのか、どう素晴らしいのかは、一回だけじゃ分からない。

渋谷から池袋に戻って「聚福楼」で四川焼肉を食べた。羊の背中の丸焼き。抜群においしいし、視覚的にも楽しめる。この焼肉は、誰を連れて来ても喜ぶと思う。

生ビールが半額だった。一杯目だけとか何時までとかの縛りがないという太っ腹。久し振りに中ジョッキを4-5杯飲んで、酔った。気持ちがよかった。



何日か前、AKBの一員が、頭を坊主にした。

AKBの事務所や秋元氏をディスるまではまだ分かる。大いにやればいい。でも、今回の一件にかこつけて、ここぞとばかりに「これだからアイドル業界は」とか「これだからアイドルヲタクは」とか断罪し始める奴らは少々目に余る。たとえば中国人が犯罪を起こしたとして「これだから中国人は」と騒ぐ人種差別主義者たちと大きく変わらないのではないだろうか。つまり、自分がかねてから抱いている嫌悪感を、騒ぎに便乗して言いたいだけなのだ。

坊主事件を見てアイドル業界にまつわるあれこれをお気軽に批評している人たちの大半は、おそらくAKBのことも、アイドルのことも、アイドルのファンのことも、知っているつもりで、何も知らない。知らないからこそ、脊髄反射的に感情を発露できるのだ。

去年、下記のまとめ記事を引用しながらAKBをディスる人をTwitterでたくさん見た。

Mステに出演したOASISのノエル・ギャラガーさん 「日本の歌番組はクソだし狂っている。AKB48とかいう粗製濫造アイドルにはビックリした」
http://jin115.com/archives/51873862.html

原文を少し調べれば分かるのだがこの見出しは多分に「超訳」気味の煽りだった。

多くの人たちが、外国の有名人の発言(を曲解した扇動的な記事題名)に便乗したヘイト・コメントを投稿して喜んでいた。

ろくに知りもしないし、知ろうともしない。にも関らず、一つの事例を少し見ただけで反射的に全体に関する偏見をぶちまける。分別に欠けるし、知性の欠片もない。

911のテロ事件に関する報道から得た断片的な知識を元にイスラム教徒全体を嫌悪する一部のアメリカ人と、大して変わらないと思うんだけど。

何でもかんでも即席のご意見や好き嫌いを表明すればいいってもんじゃない。それが許されるのは子供だけだ。自分が立場を明らかにする対象は、選んだ方がいい。

鬱憤や不満を解消するのであれば、嫌いなものを腐すのではなく、好きなものを応援した方がいい。

よく知らないことについては、まずその情報を受け止めて、態度は保留した方がいい。



昨日の公演を終えた℃-uteのブログ記事

-中-
http://gree.jp/c_ute/blog/entry/661867673

最高すぎた!mai
http://gree.jp/c_ute/blog/entry/661868367

Aiiii千聖
http://gree.jp/c_ute/blog/entry/661872428

千秋楽!(あいり)
http://gree.jp/c_ute/blog/entry/661874930

幸せっ(* ´д`*)
http://gree.jp/c_ute/blog/entry/661891863

2013年1月19日土曜日

立ち上がり

渋谷にヨウジの春夏立ち上がりを見に行った。

あまりお金がないのもあって今季はそれほど気乗りしていなかったのだが、実際見てみると心が躍った。やっぱ自分は服が好きなんだな、ヨウジが好きなんだなと思った。

ボーダー柄のTシャツが何種類もあった。そのうちの一つは、「セントジェームスみたいなTシャツを作ってくれ」という山本耀司の指示(暴言)に基づいて作られたと店員さんが教えてくれた。シーズンの度にこういう小ネタを教えてくれるのはありがたい。

コレクション・ラインのアイビー・ルックを二種類と、スーツ・ラインのスーツを試着した。アイビー・ルックはジャケットがピンク、青、緑があって、ピンクと青を着てみた。パンツはそれぞれコレクションのルック通りで。

迷ったが、スーツを買った。スリーピースで、グレーで、ベストの背中とジャケットの裏地に赤い柄が入っているけど、柄と色が渋くて悪目立ちしない。

前々からスーツが欲しいと思っていた。4年くらい前から着ていて傷んでいるのが2着くらいあるので。アイビー・ルックは、仕事で着ると「お洒落すぎる工場勤務者」(「美しすぎる市議会議員」のようなもの)になってしまうので止めた。

「セントジェームス(風)Tシャツはどうですか?」と聞いてきた店員さんに「セントジェームスで買います」と返したら「予想通りの反応です」と笑っていた。この店員さんとは、もう6年間の付き合いだ。

青山に歩いた。「やんも」で焼き魚を食べようかと思ったが、「シタラ」に入った。以前から気になっていたインド料理屋だが入る機会がなかった。日々の生活で、何か新しいことをするというのを大事にしていきたい。入ったことのない店に入ってみるという小さなことでも。「今までとは違った経験」を自分の中に蓄積していきたい。

Wカレーセット1300円。カレー二種類は、スパイシー・チキンとフィッシュを選んだ。青山化された上品な味。悪くないけど少し物足りなかった。わざわざ青山に来て食べるほどのものではなかった。テーブル備え付けのアチャールが嬉しい。食後のラッシーが、カルダモンが効いていて美味。

数年ぶりに竹下通りを歩き抜けた。ニヤニヤしながら写真を撮る白人観光客たち。B系洋服屋の客引きらしきヘラヘラした黒人たち。大量の子供たち。以前来たときほど混んでいなかった。

新宿。整体。月一で通い続けてきたおかげかここ数ヶ月、身体のコリをそれほど感じることなく過ごせていた。ところがここ最近急激に背中や首のあたりが痛くなった。

「お正月はゆっくりされましたか?」
「ゆっくりできました。でも食べ過ぎて・・・」
「そうですね。お腹を触っていると前よりも大きいです」
「・・・」
「すぐに戻りますよ。元が締まっていますから」

年末年始は本当に食いすぎた。苦しかった。そう、自分にとっての適正を超えてたくさん食べるというのは快楽ではない。岡田斗司夫氏が『いつまでもデブと思うなよ』で説かれていたように(うろ覚えで手元にもないから正確な引用ではない)、痩せるのに食事量を減らして空腹を我慢する必要があるのと同様、太るのにもお腹をいっぱいにしてその苦しみに耐えなければならないのである。70キロの人が60キロに落とすのがきついのと同じように、60キロの人が70キロの人並の食事をするのも苦痛を伴うのだ。満腹感と幸福感を結びつけるのは間違っている。成長期の子供ならいざ知らず、大人にとっての満腹状態は祝福ではなく呪いと受け止めるべきである。

身体の左側よりも右側が圧倒的にこっていて、骨盤が歪み、脚も右側が開いていたらしい。しっかりハードにやってくれた。終わったらぐったりしてそのまま明日まで寝ていたいと思った。店を出て少し歩いたら平気になった。

整体にしても四川料理にしてもそうなのだが、痛み(辛さ)と気持ちよさ(おいしさ)が融合する地点があって、そこが真の快楽なのである。会社の後輩に解説したら気持ち悪がられるだろうなと思いながら新宿の街を歩いた。

山手線に乗っていると、小太りの男が書いた黄色い本の宣伝がやたらと目に付いた。後で池袋東武の書店に行ったらレジの近くに大量に平積みしてあった。手に取らなかったが、半年後にブックオフで100円で並びそうな臭いを発していた。竹中夏海氏が最近出したというアイドル・ダンス論の本を探したが本屋では見つからなかった。

池袋で歯医者に行った。一連の治療が、ようやく終わった。最後の一本を治すのに4回くらいかかった。

ザ・ガーデンでヨーグルト飲料を買って飲んだ。レジ列に並んでいると後ろのおばあさまが何度もごつごつぶつかってきた。こういうご老人、たまにいる。場所(国)によってはスリと疑われるのではないだろうか。

家で、月曜日に作ったボロネーゼ・ソースを温めてスパゲッティで食べた。月・火・水・木・土と食べた。あと一食分残っている。

セロリ二分の一と卵二つで『大好きな炒めもの』(ウー・ウェン著)のp.74に載っている「セロリ卵」を作った。4回目なので最初よりはだいぶうまく作れるようになった。『大好きな炒めもの』は良書である。特に回鍋肉は、自分でこれだけおいしいのが作れるのかと感嘆した。

Robert Glasperの"Black Radio Recovered: The Remix EP"をiTunesで再生しながらこの記事を書いた。このアルバム(6曲だからミニ・アルバム?)、アマゾンで900何十円かだったので何となく買ってみたけどすごくよい。

数日前に届いた『冷たい熱帯魚』のBlu-rayを観たい。明日観るか。