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2010年7月4日日曜日

2010年2月5~15日インド旅行記 (12) 完結!

フェロスは「分かった」と俺の1500ルピーを受け取り、階段を降りる(フェロスの家は3階)。ついていく俺。


(バイクでヘルメット着用してる人は少数派)

時折通るリクシャや乗用車に神経を使いながらフェロスの後を付いていく。俺が見た中ではインドの道には歩道や車道といった概念はない。数分歩いたところの店に入ると、フェロスは店員にあれこれ聞きながら店内を回り、手際よく様々な商品を手に取っていく。

見たところ、かなり色んなものを買っているようだが、予算的に大丈夫なのだろうか? もう俺には帰りのタクシー代しか残ってないよ。

買い物はフェロスが独断で商品を選んでくれているし、店内で立ち止まって他の客の邪魔にもなりたくないので、買い物は彼に任せて店の外で待機。


(待機中に撮影。店の外)


(米を売ってる)

びっくりしたのが、フェロスの家からここまでの道のりもそうだし、店の中でも外でもそうなんだけど、誰も客引きしてこないし話しかけてもこないこと。今までの経験だと、店が軒を連ねる地区では金持ちな(と彼らが思っている)外国からの観光客を見るなり必死で食らいついてくるのが普通だ。そういうのがないってことは、ここは本当に外国人が来ない、地元民の市場なんだな。

フェロスが会計を済ませている。かなり買ってるみたいだ。本当に渡した金で足りてるのかな?

2010年6月27日日曜日

2010年2月5~15日インド旅行記 (11)

そのまま部屋でまったりゆっくりと時間を過ごす。

にしても、ホテル・アルカの部屋の清潔さと絶妙な空調は、本当に居心地がいい。この旅で初めて、まともに心を落ち着かせる場にたどり着いた気がする。

何よりありがたいのが、シャワー。それなりの勢いをもった、ちゃんと温かいお湯が、継続的に出てくる! しかもバスタブがある。白いピカピカな。声をあげて感激。備え付けの液体石鹸とシャンプーで旅の疲れと汚れを洗い落とす。

そのまままったりゆっくりベッドに横になり、旅行記をノートに付けたり、色んな感慨に浸ったりしつつ時間を過ごし、インド滞在の実質的な最終日となる明日に備えて、就寝。

(9/11日目、終了)

十日目

今日の夕方の飛行機で、インドを発つ。そして明日の早朝に成田に戻る予定だ。つまり、今日はインドで過ごす最後の日だ。

そんな最終日の予定。それは、二日目に家に招いてもらい、晩ご飯をごちそうしてくれたインド人の家族と、再会を果たすことだ。

俺は、信じている。約束したように、彼らは、コンノート・プレイスのマクドナルド前で俺のことを待ってくれているはずだ。

昨日は俺の勝手な都合で待ち合わせ場所に行くことはできなかったが、約束したように、今日も待ってくれているはずだ。

ホテルをチェック・アウト。午後4時半にタクシーを手配してもらう。カバンはホテルで預かってもらい、タクシーの時刻になったらまたここに戻ってきて、そこから空港に送ってもらうということで話をつける。

2010年6月20日日曜日

2010年2月5~15日インド旅行記 (10)

地図で大体の位置を確認し、いざ紅茶屋Premierへ。

1分くらい歩くと、地元民が声をかけてくる。

地元民「こんにちは」
俺「こんにちは」
地元民「ここはPブロックだ(コンノート・プレイスは区域ごとにアルファベットが付けられている)」
俺「うん」
地元民「どうした、どこに行きたいんだ」

まともそうな人なので、「歩き方」の地図を見せて「ここに行きたいんだ」と伝える。

俺「紅茶屋のPremierに行きたいんだ」
地元民「おー、Premierか。あそこはいいぞ」
俺「知ってるんだ?」
地元民「俺もたまに買いに行く店だ。案内するから付いてこい」
俺「いいのか?」
地元民「ちょうど俺も通り道だからさ。俺、さっきマクドナルドで昼ご飯食べてて、これから家に戻るところなんだ」

道すがら、地元の人に3000ドル出せと脅された話をしてみると、彼は信じられないとばかりに顔をしかめて横に振る。

地元民「いくら裕福な国の人でも、何千ドルも稼ぐにはハード・ワークが必要なんだ。そんな金をポンと出すわけがない。彼ら(詐欺師たち)は教育を受けてないからそれを理解する頭がないんだ。豊かな国の人に金を出せと言えば簡単にお金をくれると思ってるんだ」
俺「そうだそうだ!」

いかれ気味の国で稀に聞く正論に興奮していると、店に到着。案内してくれた地元民に感謝を伝え、握手を交わし別れる。チップはもちろん要求してこない。

2010年5月29日土曜日

2010年2月5~15日インド旅行記 (9)

八日目

インドに来るのはこれで三回目なのだが、もう当分いいかも。これで最後でも思い残すことはあまりない。まあ、そう言いつつまた来そうな気はするけど。

上のオフィスに行って、バスの切符を受け取る。

マサラ・チャイのスモール・ポット(コップ3杯分)とハニー・トーストを注文し、部屋に持ってきてもらう。

昨日インド人に粉ミルクを買わされた店で強引にお釣り代わりに押しつけられたビスケットをほおばる。ん、意外とうまいじゃねえかよ。二枚の円形ビスケットにオレンジ味のクリームがはさまれている。

そんな感じで、適当に食べたり飲んだりしつつ(まだ本格的に物が食える状態じゃないが)ベッドで横になる。

そのまま午後5時くらいまで休息。

チェック・アウト。受付の机には、各国からの旅行者が書いた感謝状が飾ってある。ニュージーランドの女性が書いた「とにかくすべてが最高で、予定より長く滞在しちゃった。このホテルを運営している兄弟は最高よ」的なべた褒めが目に留まる。なぜなら俺は昔ニュージーランドに住んでいたから。

ホテルマン「カシミール地方のツアーもやってるから今度インドに来るときは参加してくれ」
俺「そうだな」

午後5時くらいまで部屋でまったり。鍵を受付に戻して、いざバス乗り場へ。

いよいよこの旅も、終わりが近づいてきたな。まだ終わっちゃいないが、軽い達成感みたいなのが沸いてくる。

2010年5月9日日曜日

2010年2月5~15日インド旅行記 (8)

ホテルに戻るや否や(as soon as構文)、風呂場のバケツにお湯をためて、足を浸ける。何せ、数時間に渡って氷でキンキンに冷やされていたのだ。

高校生の頃観たエヴァンゲリオンのアニメで碇ゲンドウが腕まくりをしてうちわをあおぎながら、暑さを紛らすためにバケツの冷水に足を浸す場面があったと記憶するが、今やっているのはその逆である。

足を温めた後、しばしベッドで横に。いやあ、疲れた。ただでさえ普段そんなに運動をしない頭脳派の俺なのに、今日に関してはほとんど経験がない登山、しかも足場が雪と来たもんだ。この悪条件で普通のナイキのスニーカーで挑んだのは無謀だったかもしれぬ。悪天候のため本来の目的地まで行けなかったのは心残りと言えば心残り。でも、何はどうあれ、今やれることをやり切ったことに満足。

相も変わらずお腹の調子はまったくよくないのだが、何かしらの形で肉を摂取したい。これは意地である。身体は求めていないが、頭が求めている。手軽に肉がどこでも食える日本は恵まれている、としみじみ思う。

足取りは自然とホテルを出て、チベット寺院方面へ。寺院近くに、肉料理を出してそうなパンジャブ料理屋(パンジャブとはインド北部の地域名)を発見し、目を付けていたのだ。

レコーディング・ダイエットの泰斗である岡田斗司夫氏は『いつまでもデブと思うなよ』で、頭の欲望に身を任せず身体の声を聞き食事内容を決めることを指南されていた。その原則からすると俺の行動は非難の対象となって然るべきである。

それはともかく、店。収容人数は10人くらいかな。言っちゃ悪いが小汚い。まともな日本人なら、外から垣間見る限りお世辞にも衛生的には見えない厨房を見て逃げ出したくなるかもしれない(実際には中はきれいなのかもしれないが・・・)。


(店)

本当はガッツリ肉にありつきたいところだが、あまりにお腹の調子がすぐれなくて空腹感ゼロなので、料理はチキン・モモの一品だけを注文。それとホット・レモン・ジンジャー・ハニー(温かい飲み物)も。

私の不安をかき消すかのように現れたのが、奥で作っていた料理人。ネパール人。片言の日本語を操る。少し日本で働いていたことがあるらしい。親子丼と緑茶が好き。

2010年5月3日月曜日

2010年2月5~15日インド旅行記 (7)

「地球の歩き方」を見てると、Ladie's Venture Hotelというのが評判がいい。何やら部屋が清潔で、ホット・シャワーで旅の疲れも吹き飛んでしまうらしい。しかも一泊220ルピーと来たもんだ。

マクロード・ガンジは町全体が坂になっていて、中心部から5分くらい降りたところにLadie's Ventureがある。

支配人はインド人にしてはおとなしそうな雰囲気。部屋を見せてもらう。

シャワーとトイレはあるが、隣の部屋と共用らしい。自分が入っているときは、隣の部屋に通じている扉に鍵をかけることで独占使用権を確保する仕組みだ。

部屋はまあたしかにそこそこきれいだ。値段聞いたら200ルピーとのこと。外は雨だし、インドなのに同じ時期の東京近郊より寒いし、今から別のホテルをあたるのも手間なので、おとなしくここに決める。

毛布が一枚しかベッドにないので、主人に頼んでもう一枚もらう。


(部屋の鏡。チベットの拠点らしく町中にフリー・チベットの文字が)

午後10時頃、Tシャツ+トレーナー+ユニクロのフリース+毛布を上下に一枚ずつ+布団という、ファイナル・ファンタジーVでいうところの「にとうりゅう」のくらいのフル装備で就寝。(4/11日目、終了)

五日目

しかし、あまりの冷たさに何度も目が覚める。そのまま目をつむっても耐えきれない極寒ぶりに、たまらずスウェット・パーカを重ねるがそれでもきつい。

外はしょっちゅうピカピカ雷が落ちている。洒落にならないくらい本気で天気が悪い。窓の外を見ると、雪が積もっている。ふんわりした雪ではない。固いひょうみたいな物体がバシバシ地面を叩いている。

2010年5月2日日曜日

2010年2月5~15日インド旅行記 (6)

入場する前に、水がたまっているところを通って足を清めるようになっている。

足を洗い、階段を下りると、お目当ての建造物が姿を現す。実のところ、建物の上の方は外からも見えていたのだが、四方を壁に囲まれていて、一段低い場所にあるので全容は中に入らないと見えない。

昼間も金色は金色なんだけど、夜は照明に照らされて正真正銘の金ピカ。荘厳で本当に美しい。見とれてしまう。

スピーカーからずっと、お経みたいな音楽が鳴っている。来てる人はみんな土下座して寺院に向かって拝んでいる。


(独特の雰囲気は言葉では表現しづらい)

周りを一周して一通りの角度から写真を撮りまくる。いい被写体に巡り会ったときは、なるべくたくさん写真を撮っておくのが肝要だ。なぜなら、その場ではうまく撮れたと思っても後から見るとぶれてたり斜めってたりして後からがっくりすることがあるからだ。夜ならなおさらぶれやすいので念を入れる必要がある。






(以上が最もよく撮れた三枚。案の定ぶれてる写真もあった)

あ、ちなみにここに入るには頭に布を巻かないといけない。入り口に黄色い布がたくさん置いてあって、自由に使わせてもらえる。

2010年5月1日土曜日

2010年2月5~15日インド旅行記 (5)

2:45にホテル前に行くと、さっきのリクシャ運転手が待っている。国境(アターリー/ワガ国境)とホテルの往復で500ルピーとのこと。

雨が降り出す。運転手が席に雨よけをかけてくれる。インドに来て雨が降ったのは初めてだ。

でも5~10分ほど乗ったところだろうか、降ろされて、こっちに乗れと乗用車に案内される。車の運転手は、リクシャ運転手によると、そいつの父親らしい。

するとリクシャ運転手が、50ルピーのチップを要求。おい、最初往復で500ルピーと言っただろと抗議するが、ここまで連れてきたんだからいいだろと向こうは譲らない。仕方ないので払う。

父親に「お前の息子はグッド・ビジネス・マンだな」と言うと父親は頷く。

ちなみに後から見たのだが、「歩き方」に載っていたアムリトサル発の国境までの運賃相場は、ジープ・ツアー(ただし1台8人)で75~85ルピー、リクシャで250~300ルピー。

車の移動はさすがにリクシャなんかよりは快適で安心感がある。運転手は何度か「ほらあそこに・・・があるよ」的にガイド的な発言をしてくれる。しかし英語がほとんど通じず、まともに会話を交わすことはできない。


(インドに雨は似合わない。そういえば傘さしてる人ほとんど見ない)

国境付近に到着。国境そのものまでは車で入れない。セキュリティ・チェックがあって、カバンも持ち込み禁止。

セキュリティ・ゲートの開場を待つ人で鮨詰めになっている。満員電車のようだがインド人は他人と身体が接触することへのストレス耐性がとても強いらしく、苛立っている人はいない。なぜか前の人の背中に手を付けている人がちらほらいるが、やられている方は気にしている様子もない。

2010年4月29日木曜日

2010年2月5~15日インド旅行記 (4)

シゲタ・トラベルに着くと、夜10時台だが普通にラジェンダさんがいるのでほっとする。

俺「朝申し込んだチケットを受け取りに来た」
ラジェンダさん「まあ座れや」

机の引き出しから私向けの切符を探し当てたラジェンダさんによると、電車の発車時刻は明朝7:20。ああ、早い便だったか。朝9時から10時までコンノート・プレイスで待つと約束してくれたインド人ご家族に申し訳ないが、彼らに会わないままアムリトサルに向かうことになる。

でも本音では、彼らに会わなくていい理由ができて少し安心している。昨晩あれだけお世話になっておきながら何を言い出すんだ? と思うよね。でも、どんなどんでん返しが待っているか分からないじゃないか。最初すごく優しくしてくれて、後から手のひらを返して金を請求してくるとか、危ない目に遭わせてくるという体験談は「地球の歩き方」を読んでたっぷり刷り込まれているもので・・・。

無事電車のチケットを受け取り、ホテルに戻る(シゲタ・トラベルのあるホテルから歩いて数分のところ)。

ラジェンダさんに聞いたところ、6時半くらいにホテルを出るのがいいだろうとのこと。ホテル番に「6時にウェイク・アップ・コール(目覚まし電話)してくれよ」というと、快く了承してくれた。

(2/11日目、終了。)

三日目(2月7日)

自分でかけておいた目覚ましで5時半に起きる。

身支度をあらかた済ませると6時になったが、当然のごとくウェイク・アップ・コールはかかってこない。一応確認したが、電話のプラグはちゃんとコンセントに入っている。予想していたことだ。別に怒る気にもならない。まあそうだよなって感じ。インド人の"OK"とか"No problem"を額面通りに受け取って損しても悪いのは自分だぜ。インドに限らないけどね。

2010年4月24日土曜日

2010年2月5~15日インド旅行記 (3)

そういや(2)で書き忘れたけど、詐欺師に案内してもらった紅茶・スパイス屋の親父から学んだプチ情報。アッサム茶は牛乳を入れてOKだが、ダージリン茶に牛乳は合わないらしい。

さっき恐喝されたときのYouTube動画タイトルを何にしようか思索をめぐらせながらホテルに戻る。そうだ、「インド人に恐喝される日本人」にしよう。


(右奥のMini Yes Pleaseってのが泊まったホテル)

腹痛用の薬を飲み、純白とは言えないシーツにシミが付いたベッドに横たわる。先ほど録画したリクシャでの恐喝を動画で振り返る。自分のことながら、切り返しの図太さに何度も笑ってしまう。この動画が撮れただけで、このカメラと予備電池に費やした2万円弱は回収できたのではないか。そう思うくらい動画の出来には満足だ。

一時間休むと、ある程度気持ちも落ち着いてきた。

ホテルを出て、ピンクのポロシャツ男が勧めてくれたコンノート・プレイスに向かう。今まで起きたことをツイッターに投稿したいのだが、やはりネカフェの場所が分からないのでそこら辺のサイクル・リクシャ運転手に聞くと近くにあるというので連れていってもらうことにした。


(癒しを求めてコンノート・プレイスへ)

ドライバー「じゃ乗りな」
俺「いくらだ?」
ドライバー「むしろお前はいくら払いたい?(表情があからさまに俺を試してる)」
俺「どれくらい時間がかかるんだ?」
ドライバー「15分くらいだ」
俺「じゃ50ルピー」
ドライバー「分かった」

ドライバーは曲者っぽいが意外にあっさり価格交渉成立。

2010年4月20日火曜日

2010年2月5~15日インド旅行記 (2)

二日目(2月6日)

シゲタ・トラベルがたしか朝9時からだと昨日聞いた。8時とかそこらに起きて、いよいよ本格的にインド一人旅が幕を開けたという緊張感を味わいつつ一日の予定を考えていると、9時になった。覚悟を決める。モーニング娘。の道重さゆみさんが毎日家を出る前に「よし、今日も可愛いぞ!」とやるみたいに、鏡に向かって「よし、行くぞ!」と気合を入れてシゲタ・トラベルへ。


(ホテルすぐ前の通り)

ラジェンダさんは日本語が通じる。アムリトサルまでの電車切符の手配をお願いした。チケット代750ルピー+手数料200ルピーで、950ルピー。ちょいと手数料の割合が高くないかい、という思いは封殺。駅に行って自分で格闘するのもありだが、正直それは気が重い。切符ごときで何を弱気なと思うかもしれないけど、この国では普通のことを普通にやるのが大変なんだ。少なくとも、不慣れな外国人観光客にとっては。

アムリトサルから先(アムリトサル→ダラムシャーラー→デリー)の移動方法について、何か有益な情報を聞けるかと思ったが、それに関しては「自分で頑張ってね」「はい」ということで話が終わった。

インターネット・カフェの場所を聞いたら、「その辺にたくさんあるよ」というご回答。ですよねー。はい、甘えないで自分で探します(泣)。

「前も(インドに)来たことあります?」とラジェンダさん。実は2年半前にはじめてインドに来たときも彼にお世話になったのだが、何とおぼろげながら、俺のことを覚えているらしい。ちょっと嬉しい。

あとは、デリーの街を堪能するぞ。具体的には、

・「地球の歩き方」を見てると名刺が作れる店があるみたいだから、寄ってみたいな。
・映画館に行って映画を観たい。
・インド人から見てモーニング娘の誰が可愛いのか、聞き取り調査を進めないといけない。
・ネットカフェでツイッターに旅行記ツイートを投稿したい。
・タンドリー・チキン発祥の店、「モーティ・マハル」で飯を食いたい。

2010年4月17日土曜日

2010年2月5~15日インド旅行記 (1)

インド旅行は三度目なのだが、初めて行くような緊張感に襲われていた。

なぜなら、一人で行くのが初めてだったからだ。

今までの二回とも、会社の同僚(同一人物)と一緒だった。と言うと聞こえはいいが、すべて彼に任せっきりだったのだ。何日目にどこに行って何を見るかの計画段階から、それはもう、何から何まで。

実は、今回もそいつと一緒に行くつもりだった。しかし、仕事の都合で行けなくなったとかで、2週間ほど前に、いきなり俺は行けないなんて言い出したのだ。いきなりだぜ。

ワックMCを見つけたときのR.A.P(radioaktiveprojeqt)くらい「そりゃあないよ」な気分だったが、ここで旅行を取りやめるわけにはいかない。

「そりゃあないよ」ビデオクリップ。本旅行記のBGMにどうぞ)

旅行会社にキャンセル料を35000円くらい払わないといけない。その同僚は、私のキャンセル代金も肩代わりしてくれるほどの器の大きさは持ち合わせていないから、俺も行くのを止めるとなったら35000円をどぶに捨てることになる。

一人だと心配だから僕もやめる、なんて弱気なことを言っている場合ではないのだ。むしろ、貴重な経験をできるまたとないチャンスである。そう自分に言い聞かせる。

とはいえ、不安は拭いきれない。

今回はよりによって11日間という長期間である。日本の会社員とは思えない休暇の取り方だ。

気が重い。インドがどういう場所なのか知らない部署の同僚が、インドに行くというと「いいなあ」と羨んでくる。「仕事なんかよりずっときついですよ。インドがどういうところか知ってるんですか(キリッ」とカウンターアタックを仕掛けることは忘れない私。

今までの人生で、まともな一人旅など国内含めしたことがない。唯一あるとすれば、仕事でアメリカ出張に一人で行ったくらいだ。でも出張なんて向こうに着きさえすれば、あとはホテルとオフィスの往復。自分で何かを計画して実行するという過程はほとんど発生しない。

あれよこれよで時間が過ぎてしまい、荷物の準備はもちろん旅行計画すらまともに立てられない。

直前になって、何とか大まかな旅程を作ることができた。今回の飛行機は、デリーIN、デリーOUT。旅行の流れとしては、デリー→アムリトサル→ダラムシャーラー(マクロード・ガンジ)→デリー→脱出という感じにしたい。

何でそれらの町を選んだかは、旅行前日にツイッターに投稿したインド旅行の目標11箇条を見てもらえると、分かると思う。