2010年9月28日火曜日

一生に一度の経験  ~世界杯観戦記~ (2)(2002年6月30日執筆)

ゆず醤油と「めんてい」問題

「めん邸」に入り、テーブル席に腰を下ろす私と I。メニューを見て、注文を決める。私は、チャーシュー麺の大盛りにしようという決断を、あえて直前で曲げて、醤油ラーメンのBセット(ラーメン+餃子)を頼む意思を固める。I は、「ゆず醤油ラーメン」という奇抜なメニューに一旦はひかれるものの、当然ながら嫌な予感がしたらしく、無難な、ラーメンのAセット(ラーメン+餃子+半ライス)にすると宣言。

店員が、注文を取りに来る。この店は夫婦でやっているらしく、見た限りでは、調理する夫と注文を取って運ぶ妻、という分業構図が出来ていると推測する。その女性店員に、注文内容を告示する。すると、ちょっとした異変が起きた。ちょうど、私の頼んだBセットのチャーハンを作ったところで、ご飯がなくなるため、I の注文は受け付けられないらしいのである。オーダーの変更を余儀なくされた I は、何か運命じみたものを感じたのであろう、諦めたような表情で、「ゆず醤油ラーメン」とつぶやいた。

「神様が俺に怒ってるんだ」、自分に言い聞かせるかのように I が言う。「いつものお前ならゆずに挑戦するだろう。どうした、お前らしくないぞ、とね」

注文の料理が届く。ラーメンのスープは、おそらくかつおだしで、あっさりしている。麺は、メニューに細めんと書いてあったので、細めんなのだろう。チャーシューがたしか二枚入っていた。味はというと、そこそこうまいというのが私の感想だ。一応、全てを食べ切るに値する味だ。チャーハンの方は、パラパラ感が足りなく、不満が残る。ただ、全体としてはそれほど不満は残らない(評価:7)。

ところが、どうも I の様子がおかしい。というのも、彼は食事中、一貫して苦笑いの表情を崩さないのである。私が麺をすすっている間にも、スープを飲んでいる間にも、空になりかけたグラスに冷水を注ぎ足している間にも、Ⅰの口元から冴えない微笑が絶えることはないのだ。見ている限り、あまり食が進んでいないようにも見える。そして、ちらちらと私に視線を向けている。

「どうしたんだ?」。平和に食事を進めていた私は、不思議に思って聞いてみる。するとⅠは、自分の手元に置かれた「ゆず醤油ラーメン」を指差し、かろうじて聞き取れる程度の声でこう言った。「これ、やばいよ・・・」。助けを求めるような視線から事態の深刻さを悟った私は、問題の「ゆず醤油らーめん」のスープを少し味見させてもらった。

かつおだしのスープの中に、ゆずの味が入ったという、まさにそのままの味だ。そうとしか言いようがない。想像してもらえれば分かるだろうが、調和は取れていない。よく見ると、スープの中に、大量のゆずの切れ端。まさに強烈な切れ味。「必要のないアクセントが効いてるんだ、」Ⅰは苦しそうに言う。「50円出してラーメンをまずくしてしまった(通常のラーメンより50円高かった)・・・」。確かにそうだ。れんげ一杯分しか味わっていない私でさえ強い打撃を食らったのだ。どんぶり一杯分を目の前に差し出された I には、同情の念を禁じえない。(ちなみに、後になっても I からこの衝撃は消えておらず、ゆずの「アクセントに悪戦苦闘した」と回想している。)

食事を終えて、店を出る。私は満足しているのだが、当然のごとく I の怒りは治まらない。「名物だから入れればいいっていうわけじゃないだろ・・・」「完全な失敗作だ」。しばらくの間は、サッカー談義より「ゆず醤油論争」が我々の話題の中心だった。もちろん、他のメニューはうまかった。しかし、どう考えても、ゆず醤油ラーメンはラーメンとして失敗である。

ここで店の名前が問題になる。なぜ「めん邸」なのか。確かに、入店する前から何かがおかしいな、とは思っていたのだが、この時になってようやく気付いた。つまりこの店名は、「ゆずをスープに入れたあの料理を出すようでは、ラーメン店として『免停(めんてい)』だからだ」、という隠された意味を持っていたのである。迂闊だった。これに最初から気付いていれば、I が苦い思いをすることもなかったのだ。すぐ近くにあったラーメンショップ、「紅楽」にすればよかったのかもしれない。

「口直しがしたい」という I。その希望を叶えるため、モスバーガーに向かう。ところが、やたらと人が多い。一旦は入るものの、この店が、注文をとってから作り出すという方法をとっているということを考えると、時間がかかりすぎる。あえなく、諦める。

エコパステイディアムへ

他にめぼしい店がないので、シャトルバスの方向に向かうことに。人で溢れかえっている駅前を通る。お茶の試飲をしたりして歩いていると、ロシアとベルギーに対するメッセージを書く板があり、サインらしき書き込みやまともなメッセージ、さらには全く関係のないチーム、選手に対する応援メッセージまで書かれている。その少し先では、無料でフェイスペインティングが行われている。描いてもらうのも悪くはないな、と思ったが、やめておく。かわりに、板にメッセージを書くために用意された油性ペンを使って、自分たちで手の甲にベルギー国旗(黒・黄色・赤)を描く。意外と見映えがいい。

コンビニで飲み物やいくつかの菓子(結局あまり食わなかったが)を買い、シャトルバスへの順路に向かう。日本人が大半ではあったが、ロシアのサポーターも目立つ。皆、一様に、日本語で「がんばれロシア」と背中に印刷されたTシャツを身にまとい、ラッパのような楽器を鳴らしながら、元気に歌を歌っている。ベルギー人らしき人は、この段階ではほとんど見ない。試合のほうは、事前予想で、私が、「2-1でベルギーが勝つ」と断言し、I は同じスコアでロシアが勝つと言い切っていたのだが、サポーターの数に関して言えば「白い巨人」が優勢だ。



(順路を歩きながら、ロシア国旗を広げて気勢を上げるラシャンサポーターズ)

試合のチケットを提示して、競技場直行のシャトルバスに乗り込む。運良く、右側前方の席に座ることが出来た。それまで飯を食うところがないだとか、ゆず醤油がどうだとか騒いでいたのが嘘のように、一気に気分が盛り上がるサッカーファン二人。そうだ、俺たちはサッカーを観に来たんだ。

駅からエコパへの間には、道と畑しかなかった。その道も幅が狭く、かろうじてバスが通れる程度。まさしく、「駅とスタジアムを結ぶため」だけに作られた道、といった感じだ。サッカーの世界大会が行われる会場に向かっているというのに、周りがあまりに殺風景なのに不安を抱いた I からは、「このまま北朝鮮あたりに連れて行かれるのではないか」という懸念が出るものの、それは杞憂に終わった。


(この段階では、まだスタジアムに向かっているという実感が沸ききらなかったが・・・)

しばらく乗っていると、大量のバスが駐車されているのが見える。到着点だ。いよいよ、ワールドカップH組、ベルギー対ロシアが行われる、静岡エコパスタジアムに本格的に近づいたのだ。私は胸が高揚する。スタジアムへと、定められた道に沿って、ぞろぞろと歩いている人々。その中に加わり、着々と運命のステイディアムへと歩みを進める我々。

この集団移動の一歩一歩が、私たちをエコパに近づけているのだ。そう思いながら、アスファルトを踏みしめる私。とは言え、途中までこの道は長く感じられたものだ。というのも、見えるのはただただ、人、人、人だけで、肝心の会場が目に入らないからだ。しかし、ステイディアムが見えた!という決定的な瞬間からは、道のりが長いどころか、自分が歩いていることすら意識しなかった。目的地が見えたという喜びが、頭の全てを支配したからだ。


(ようやく会場が見えた!という、本当に何ともいえない景観)

その喜びは、よりエコパが近づいてくるていくにつれ、よりエコパが大きく見えてくるにつれ、ますます増長されていった。頭が期待感で一杯になる。表情も否応なしに緩む。本当に俺たちは、この中に入ってW杯の試合を観ることができるんだ・・・。ついに、夢のような話が実現しようとしているのだ。



(ついにW杯生観戦が実現しようとしているのだ・・・という、感無量の景観)


(荷物検査。ペットボトル禁止かと思いきや、その場でふたを取れば持ち込んでよかった)

「6‐11」の雪辱を果たす

ここで思い出すのが、3日前の6月11日に味わった敗北感、屈辱、悔しさである。私たちは、アイルランド対サウジアラビアの試合を観たくて横浜国際競技場まで行ったものの、中に入るまさに寸前の、入場ゲートという大きすぎる障害を踏み越えることが出来なかった。さらに、ラーメン博物館にすら入場できなかったのである。結果、二流の居酒屋に入って個性的な晩ご飯を食べるしかなかったのだ(詳しくは入場ゲートの目前まで行ったアイルランド対サウジ戦を読んでください)。それが今回はどうだ。何と、わずか3日前には越えられなかった最大の難関を、難なく越えようとしているではないか。

荷物検査を終えると、凶器か何かを持っていないかの確認か、身体の側面を両手で触られる。これらの儀式を通り抜けると、もう本格的にスタジアム入場目前、という状態になった。競技場に入るまでの場所には、飛んでくるボールをボレーで打ち、的に当てるというゲームが行われており、参加希望者が長蛇の列を為している。しかし、それに並ぶのも馬鹿馬鹿しく、少し外周を歩いたものの見るべきところもないと見え、早速入場することにした。ついに、今回は入場ゲートを実際に通ることが出来るのだ。

感慨を味わったり、気持ちの準備をしたりするひまもなく、スタッフのおばさんに催促されてチケットを渡す。もぎられた入場券を手に、自分たちの席を目指す。ついに、静岡エコパスタジアムの観客席に座ることが出来る。自ずと、歩みが加速する。


(私と I が「6-11の悲劇」を乗り越えようとする、決定的場面。我々は成長した)


(一番後ろに行ってもカメラの視界には収まりきらない。生で見ないと分からない迫力)

自分たちの席への入り口を見つけ、スタッフにチケットを見せ、観客席への短い階段を昇る。数秒後、感動が我々を襲った。

眼前に広がる壮大な光景。思わず声を上げる二人。入る前に、概観の絵が載っているパンフレットを見たのだが、それだと、陸上トラックがあるため、ピッチと客席は遠いものと思っていた。しかし、実際には客席の勾配が急に設計されており、むしろ見やすそうな印象を受ける。特に我々の席が2階だったという事実が、「高見の見物」的心地よさに拍車をかけている。意外なほどの観やすさ。スタジアムに入る前から膨らみ続けていた期待感は、ますます大きくなるばかりだ。(当然まだ続く)

(2002年6月30日、午前2時23分)