2010年9月28日火曜日

一生に一度の経験  ~世界杯観戦記~ (1)(2002年6月17日執筆)

忘れられない経験

この日のことは、おそらく一生忘れることはない。2002年、6月14日――多くの人はこの日を、「日本が初めてワールドカップで決勝トーナメント進出を決めた日」と記憶するだろう。当然ながら、それは私も例外ではない。日本にとって、W杯でのベスト16進出はかねてからの悲願だったからである。もちろんそれが嬉しいのは言うまでもない。ただ、私はその快挙が成し遂げられたのと全く同じ時間帯に、その事実よりも忘れがたい、2度と訪れないかもしれない経験を得たのである。

日本サッカーの歴史を再び塗り替えた、日本対チュニジア戦。その試合の真裏の時間(15:30開始)に、静岡エコパスタジアムにて、日本と同じH組のベルギーとロシアによる、予選突破をかけた大一番が行われていた。私は、実に幸運なことに、友人 I の尽力と好意により、この戦いを、現場に行って目に焼き付けることが出来たのだ。

サッカーの試合を、実際にその会場に行って生で観る感覚は、TVの画面を通して、「番組」としての試合を観る感覚とは、全く次元が違う。ボールを蹴る音、選手が叫ぶ声が聞こえてくる迫力。今、まさに目の前で二つのチームが戦っているという臨場感。何と言っても最高なのが、観客の声援が選手をゆり動かし、ピッチと客席との温度差がなくなった時――その中に自分もいる、という何とも言えない一体感。どれも、ブラウン管の前では決して味わえないが、それらこそがこの球技を観戦する醍醐味である。

その醍醐味を、ワールドカップの試合で味わってみたいというのは、サッカーファンなら誰もが抱く願望である。ただ、サッカーファンのみならず、この4年間、サッカーのサの字も口にしてこなかったような人たちまで、この時期ばかりは、どういうわけか必死にチケットを手に入れようとするため、チケットを取るのは極めて難しい。実際に、自分がワールドカップを生で観ることになるとは、全く思ってもみなかった。日本で開催されるとは言え、チケットを取る、ということ自体が想像できなかった。

しかしⅠの情熱が、願望を現実に変えたのである。彼は、睡眠時間を削って、インターネット上の直前販売システムでベルギー対ロシアのチケットを手に入れることに成功した。あの、うさんくさい、劣悪な、いんちきチケット業者によって運営されている、貧弱なサーヴァーの元に置かれたふざけたウェブサイト上の、ろくに機能していない愚劣なシステムで手に入れたのだから、彼の努力は賞賛に値する。彼の熱意が、一生に一度の経験を生んだのである。

順調すぎた出発

二人は、10時に新横浜駅で待ち合わせた。私は、前回、アイルランド対サウジ戦のために待ち合わせたときに10分遅れてしまったので、気合を入れて早めに起きて家を出た。今回遅れたら、それは前回の遅れよりもはるかにⅠに迷惑をかけ、後々の行動に響く。そう考え、大学のある日にはしばしば寝過ごす朝も、問題なく起きた。そして支度を済ませ、予定通りの時間に家を出る。全く順調だ。

しかし、横浜駅で地下鉄の改札に向かっているとき、あることに気付いた。私の行動は、あまりにも順調すぎたのだ。どういうわけか私は、約束の時間を9時と勘違いし、一時間早く家を出てしまったのである。このままでは、予定よりだいぶ前に新横浜に着いてしまう。

実際に、9時前には新横浜に着いた。時間が余るため、I に頼まれて、この日の観戦者御用達の「エコパ観戦チケット」の彼の分を買った。しかし、その用事も数分で済んだ。切符を買い終えて時計を見ると、9時2分。あと58分余っている。 I は早目に着くことは出来ないようで、理不尽にも、私が早過ぎると主張するのだ。だから、58分という時間を殺さなければいけなくなった。普通に待ちあわせ場所で待っているのもつらい時間だ。どこかで潰さなければ。

少し、駅の周りをうろつく。まだこの時間では、店が開いていない。皮肉にも、大体の店が、待ち合わせの時間の10時に開店するため、10時までの時間を費やすという意図は満たされない。人通りは多いが、皆出勤する人々のようだ。どこか時間を潰すところはないか、などとふらふらしている暇人は私くらいしかいない。

しばらく適当に歩いていると、マクドナルドが目に入った。そう言えば、早く出発するために朝飯を食っていなかった。ちょうどいい、ここにしよう。そう考えて私は、普段は滅多に利用しない、アメリカによるグローバリゼーションの象徴であるファストフード店に入った。

ちょうど、Cover story が今回のワールドカップのチケット騒動に関する特集となっていた Newsweek を読みながら、おそらくここ数年で最もゆったりとした朝食の時間を過ごしていると、ちょうど待ち合わせの時刻より少しはやめの時間(45分くらいか)になったので、待ち合わせ場所の、緑の窓口前へと向かう。

こだまで掛川へ

CDウォークマンでEMINEMのアルバムを聴きながら Newsweek を読む、というアメリカンスタイルで I を待つ。ちょうど1つの記事が読み終わったあたりで、I が登場。ちょうど10時くらいだ。ずいぶん回りくどかったが、ようやく二人が対面したのだ。挨拶を交わすと、早々と先ほどの「エコパ観戦チケット」を改札に通して「こだま」のホームへと向かう。新横浜から掛川に行くのだ。

つぎの発車は、10:30だ。ホームに並びながら、サッカー談義。I がかばんから、スポーツ新聞のトーナメント表をコピーした紙を出す。その表を元に、決勝Tがどうなるかの予想をしたり、今までの予選トーナメントの展開について話したりする。優勝はブラジルなのか。私たちの大好きなパラグアイのキャプテン、チラベルは、果たして公約どおり、ワールドカップで得点する初めてのGKになれるのか。アイルランドはスペインに勝てるのか。日本はどこまでいけるのか。韓国は決勝トーナメントに行くのか。と、まあ、様々な話をしていると、こだまが到着。

車内は混んでいて、ホームでは列の先頭に並んでいた我々も、通路で立たざるを得ない。やはり、この混雑はベルギー対ロシアを観る人たちによるものなのだろう。目的地まで座れないのも致し方ないか。と思っていたら、案外、掛川の前でそれなりに人が降りてしまった。途中から、私たちの前に一つ席が空いたので、何回か交代しながら腰を落ち着かせた。

我々の隣で立っていた中年女性が、ぶっきらぼうに言い放つのが耳に入る。彼女もこの試合を観るようだ。「日本の試合なんてどうでもいいのよ。どうせ夜のニュースでいくらでもやるんでしょ。こっちの方がいいわよ」 


(こんなに人が入るのはこのW杯で最後だろう)

2時間かからないくらいで、掛川に到着。ここに着くまでに人がそれなりに降りたとは言え、掛川が目的地の乗客が一番多く、この、いかにも地方色の強い駅は、人で溢れかえった。

昼食を食う場所を探す

時計を見ると、まだ12時30前、午後3時半のキックオフまで十分余裕がある。駅の近くで、昼
飯を食おう。まず駅を出るわけだが、駅の中やすぐ外には、横浜の時ほどではないが警官が
多い。シャトルバスへと観客を誘導するスタッフも目に付く。

しかし、地方色の強い土地であるためか、厳戒態勢でここを警備しているはずの警官さんたちも、どこか牧歌的なのだ。実際に「何か」が起きたときに、それを止めることが出来るのだろうか、という不安も頭をよぎるが、ほのぼのとした光景である。


(「うーん、どうもくつがしっくり来ないんだよなあ」)


(掛川駅前。ここから歩いて店を探すことに。だが・・・)

我々をシャトルバスに乗せようという誘導を固い意思でかわし、駅の外へと出る二人。一番人通りの多い、中央の通りで、昼飯を食うべき所を探す。もちろん、どこかしら手頃な所があるだろうと、楽観的に構えていた。仮にも、文字通り世界中の注目が集まる大会が開催される土地である。そこで、飯を食うところを探すのに苦労するわけがないだろう、まさか。

しばらく歩いていると、モスバーガーが姿を現す。しかし、わざわざ静岡まで来て、どこの店舗で食べても identical (同一)なバーガーを食べてどうする。横浜でも全く同じものが食えるではないか。よって、まずここは候補から脱落。

次に、ビュッフェ風のレストランが目に入るが、興味はそそられない。今回は、あまり時間をかけて、ゆっくり、満腹になるまで食べるわけには行かないからだ。だから、ここもそのまま通り過ぎることに。

そこから少し歩くと、「赤い悪魔(ベルギー代表の愛称)がやってくる」の看板が。ベルギービールを出している店のようだ。いかにも、「今日の試合を観るやつら、集まれ! そして盛り上がれ!」という感じの商売だ。興味を惹かれ、見てみることに。しかし、どうも店内の様子がおかしい。中は真っ暗で、人の気配がない。おかしいという以前に、そもそも店自体が開いていないのである。

ベルギーファンを誘う看板を出しておきながら、営業していないとはどういうことなのか。この日を逃したら、二度と同じチャンスは訪れないと思うのだが・・・。もしかしたら、試合終了後を狙っていたのか? そうだとしたら商売魂が足りないぞ。ベルギーが負けたとしたら、終了後に大勢のベルギーファンが盛り上がりに来るはずがないからだ。

納得しきれないものの、首をかしげながらまた歩き始める二人。次に見つけたのがコンビニ。だが、ここまで来て、おにぎりや、レンジで温めた弁当を買って、どこか別の場所で食すというのもわびしい。店の中で、落ち着いて食いたいものだ。したがって、ここも論外だ。

もう少し歩く・・・までもなく、我々はあることに気付いた。そのコンビニの先には、もうそれ以上店など存在しないのである。道路をはさんで建っているのは、上の写真にも少し見えているように、住宅のみである。

ここでこれまでの復習。今までの昼飯所の候補は、モスに行っても意味はないし、今日はビュッフェでのんびり食うわけにもいかない。ベルギービールの店は開いていない。で、コンビニっていうのもわびしい。――何とこれで、一旦、候補は出尽くしたのである。「本当にこれしかないのか・・・・・・」。さすがに、我々も焦り始める。

中央の通りではない、横道的な方向も見てみることにする。言うまでもなく、こちらはより店が少ない。こちらは、ほぼ文字通り「何もない」と言っていい。食べ物を出す店と言えば、弁当屋が一つあるだけ。あとは、コンクリートで舗装された道と壁がひたすら続いている。

ここで発想を転換する。逆の出口に行ったら何かがあるのではないか。その期待を胸に、逆口に行ってみる。


(ここで昼飯を食うことに)

幸い、こちらはさっきまでさまよっていた側の数倍人通りが多く、その分店も充実している。散策して食べ物屋を探すと、いくつかの候補が浮かび上がってきた。ラーメン屋と、中華そば屋に、あとはラーメン店と、ラーメンショップである。いつまでもここで迷っているわけにはいかないので、ラーメン店で昼ごはんを食べることに決定。「めん邸」というキャッチ―な名前のラーメン店だが、この名前が後でちょっとした論争を引き起こすことになろうとは、私たちには予見しようがなかった――。(続く。まだスタジアムにも入っていないではないか)

(2002年6月17日、午前3時55分)