就職活動を始めている。色々とエントリーして。今日だけで8社くらいにウェブで登録。俺は、自分の分析によると、模範的な就職活動家と比べて、活動の進み具合や意識が最低2ヶ月分は遅れている。辛口な批評家は3ヶ月と言うかも知れない。まあ、遅れているとか、遅れてないとか、そんなことはどうでもいい。時間は戻らないんだから。それに致命的な遅れじゃないよ。うん。あと、人それぞれでしょ? そもそも。
就職活動をするにあたって困ることの一つが、それが読書に制約をかけることだ。まず当然のこととして、忙しくなる。したがって自由な時間が減る。読書とは自由な時間にするものである。よって読書に割け得る時間が減る。あと、自由な時間での読書でも「就活」の二文字が頭に浮かんできて集中できなくなる気がする。今も少しその兆候がある。
あと、就活関連の本を読まなければならないため、自分が本来読みたい本を読みにくくなる。就職の対策本を読むのは、結構、空しい。今日、本屋に行って見て来たんだけどね。大体、今日買ってきたやつのタイトルからして『超速マスター!就職活動こまったときのなるほど!ブック』だよ。自室の本棚にある未読の(つまり読みたいと思って買った)本のタイトルをパッと見ると『プラトンの哲学』、『社会科学の方法』、『ヨーロッパ思想入門』などなどなどなど。今、読んでるのが"The End of History and the Last Man"。まだ読んでないけどそれと並行して読もうとしているのが『経済学殺人事件』。
で、改めて、今日買ってきた本を見る。色とりどりの表紙にこうある。「ホンネ&裏ワザはこの3人に聞け!」・・・つまり、俺が普段読みたい本と、今読まなければならない本にはこれだけの落差があるんだ。今の状況で俺は、よく言えば実用的、悪く言えば、何だろう、即物的っていうのかな、低俗って言うのかな、そういう本を読まざるを得ないわけだ。嘆かわしいね、まったく。それに、この一冊じゃ足りるわけないし。あと何冊か買うはめになるんだろうなあ。
2010年5月9日日曜日
大学で学ぶことと、企業でやること(2) (2004年5月22日執筆)
●学んだことは無駄だったのか?
大学の授業で教師がしゃべることは、ほとんどの場合、直接、会社では使えない。企業は、ほぼすべての学生(ここでは文系に話を限る)が、大学を卒業したらそれ以降、身を置き続ける場所だ。では、大学が社会に出るための準備機関で、仮に社会≒会社(両者がほぼ一致する)とすると、企業で使えない知識を得ることには意味がないのではないか?
今の俺は、その主張を完全に論破することはできない。明らかに、一定の真実性があるからだ。
俺は、大学に入った当初は、語学、言語学に興味があって、途中から転向して主に政治学、特に政治思想に関心を移した。語学を除けば、学んだところで、企業の入社試験でまったく有利にはならないし、得た知識は、会社に入ってからも使えない。
では、俺はそれらのことに興味を持ってきたことを、勉強してきた(と言えるほどのあれでもないが・・・)ことを、本を読んできたことを、後悔しているのか? 最初から、会社での仕事に直結したことを学んでいればよかった、とため息をついているのか?
少しはそうかもね、正直なところ。でも、それは、もうちょっとビジネス的なことも学んでいればよかったかも、と思うからで、決して、自分で興味を持って学んできたこと、考えてきたこと、それ自体が無駄だと思うからではない。要はバランスの問題だ。
大学および大学生活での「学び」を、講義を聴いたり、本を読んだりして(読書が主)自分の頭で考えること、と定義すると、学んだ(でいる)ことは、無駄などころかむしろ大いに有意義だと思っている。なぜなら、俺にとって何かを学ぶということは、単に具体的な対象についての知識を得ることではなくて、より深い意味を持っているからだ。
●社会を見る「メガネ」
自分にとって、その深い意味とは何か。主に社会に関する学問に興味を持つ自分にとって、それは、社会を見るための「メガネ」を獲得することだ。
大学の授業で教師がしゃべることは、ほとんどの場合、直接、会社では使えない。企業は、ほぼすべての学生(ここでは文系に話を限る)が、大学を卒業したらそれ以降、身を置き続ける場所だ。では、大学が社会に出るための準備機関で、仮に社会≒会社(両者がほぼ一致する)とすると、企業で使えない知識を得ることには意味がないのではないか?
今の俺は、その主張を完全に論破することはできない。明らかに、一定の真実性があるからだ。
俺は、大学に入った当初は、語学、言語学に興味があって、途中から転向して主に政治学、特に政治思想に関心を移した。語学を除けば、学んだところで、企業の入社試験でまったく有利にはならないし、得た知識は、会社に入ってからも使えない。
では、俺はそれらのことに興味を持ってきたことを、勉強してきた(と言えるほどのあれでもないが・・・)ことを、本を読んできたことを、後悔しているのか? 最初から、会社での仕事に直結したことを学んでいればよかった、とため息をついているのか?
少しはそうかもね、正直なところ。でも、それは、もうちょっとビジネス的なことも学んでいればよかったかも、と思うからで、決して、自分で興味を持って学んできたこと、考えてきたこと、それ自体が無駄だと思うからではない。要はバランスの問題だ。
大学および大学生活での「学び」を、講義を聴いたり、本を読んだりして(読書が主)自分の頭で考えること、と定義すると、学んだ(でいる)ことは、無駄などころかむしろ大いに有意義だと思っている。なぜなら、俺にとって何かを学ぶということは、単に具体的な対象についての知識を得ることではなくて、より深い意味を持っているからだ。
●社会を見る「メガネ」
自分にとって、その深い意味とは何か。主に社会に関する学問に興味を持つ自分にとって、それは、社会を見るための「メガネ」を獲得することだ。
大学で学ぶことと、企業でやること(1) (2004年5月22日執筆)
●金にならない学問
社会に出て役立たなければ、勉強する意味がない、という人がいる。「役立つ」の定義は人によって異なりうるが、最初の言葉の意味は、要するに、「仕事につながらなければ、お金にならなければ、学ぶことに意味がない」ということだ。この立場の支持者は、大学の授業に対して、論文に対して、本に対して、学問好きな人間に対して、学問に対して、常にこう問いかける。「で、それがどう会社で役に立つわけ? いくらになるんだ?」。
まさにプラグマティック(実用主義的)な意見。即物的と批判するのは簡単だし、実際、その批判は当たっていると思う。後に、その視点から、自分の考えも書くつもりだ。でも、批判して済むもんでもない。金にならない学問への懐疑主義者たちの問いかけには、一縷(いちる)の真実があるからだ。ちょっと前には考えられないことだったが、最近では、俺は、部分的に、その問いかけに同調する。それを支えているのが、就活をして以来味わっている、大学での多くの授業への失望、脱力感である。
今回は、その失望と脱力感を前面に出して、大学で学問を学ぶことへの懐疑を書く。ただ、この文章に書いてあることは、俺の考えの一部に過ぎないことを断っておく。
●当たり前のことが改めて分かった
俺は、2月くらいに就職活動を始めてから、初めて、世の中にどういう職業があるか、社会がどういう仕事で成り立っているか、自分がやるとしたらどういう職種があるか、といったことについて、真剣に悩んだ。それなりに、答えは見えてきた。
悩んだ結果、分かった。企業にある仕事は、俺が大学で(あるいは大学生活で)学んできたことと、ほとんど一切何の関係もない。もちろん、大学で学ぶことをそのまま仕事にできるだなんて、別にそんなロマンティックな考えに浸っていたわけじゃない。でも、それを理屈上で何となく理解するのと、実際に自分のこととして、実感をともなって理解することは違う。
社会に出て役立たなければ、勉強する意味がない、という人がいる。「役立つ」の定義は人によって異なりうるが、最初の言葉の意味は、要するに、「仕事につながらなければ、お金にならなければ、学ぶことに意味がない」ということだ。この立場の支持者は、大学の授業に対して、論文に対して、本に対して、学問好きな人間に対して、学問に対して、常にこう問いかける。「で、それがどう会社で役に立つわけ? いくらになるんだ?」。
まさにプラグマティック(実用主義的)な意見。即物的と批判するのは簡単だし、実際、その批判は当たっていると思う。後に、その視点から、自分の考えも書くつもりだ。でも、批判して済むもんでもない。金にならない学問への懐疑主義者たちの問いかけには、一縷(いちる)の真実があるからだ。ちょっと前には考えられないことだったが、最近では、俺は、部分的に、その問いかけに同調する。それを支えているのが、就活をして以来味わっている、大学での多くの授業への失望、脱力感である。
今回は、その失望と脱力感を前面に出して、大学で学問を学ぶことへの懐疑を書く。ただ、この文章に書いてあることは、俺の考えの一部に過ぎないことを断っておく。
●当たり前のことが改めて分かった
俺は、2月くらいに就職活動を始めてから、初めて、世の中にどういう職業があるか、社会がどういう仕事で成り立っているか、自分がやるとしたらどういう職種があるか、といったことについて、真剣に悩んだ。それなりに、答えは見えてきた。
悩んだ結果、分かった。企業にある仕事は、俺が大学で(あるいは大学生活で)学んできたことと、ほとんど一切何の関係もない。もちろん、大学で学ぶことをそのまま仕事にできるだなんて、別にそんなロマンティックな考えに浸っていたわけじゃない。でも、それを理屈上で何となく理解するのと、実際に自分のこととして、実感をともなって理解することは違う。
2010年2月5~15日インド旅行記 (8)
ホテルに戻るや否や(as soon as構文)、風呂場のバケツにお湯をためて、足を浸ける。何せ、数時間に渡って氷でキンキンに冷やされていたのだ。
高校生の頃観たエヴァンゲリオンのアニメで碇ゲンドウが腕まくりをしてうちわをあおぎながら、暑さを紛らすためにバケツの冷水に足を浸す場面があったと記憶するが、今やっているのはその逆である。
足を温めた後、しばしベッドで横に。いやあ、疲れた。ただでさえ普段そんなに運動をしない頭脳派の俺なのに、今日に関してはほとんど経験がない登山、しかも足場が雪と来たもんだ。この悪条件で普通のナイキのスニーカーで挑んだのは無謀だったかもしれぬ。悪天候のため本来の目的地まで行けなかったのは心残りと言えば心残り。でも、何はどうあれ、今やれることをやり切ったことに満足。
相も変わらずお腹の調子はまったくよくないのだが、何かしらの形で肉を摂取したい。これは意地である。身体は求めていないが、頭が求めている。手軽に肉がどこでも食える日本は恵まれている、としみじみ思う。
足取りは自然とホテルを出て、チベット寺院方面へ。寺院近くに、肉料理を出してそうなパンジャブ料理屋(パンジャブとはインド北部の地域名)を発見し、目を付けていたのだ。
レコーディング・ダイエットの泰斗である岡田斗司夫氏は『いつまでもデブと思うなよ』で、頭の欲望に身を任せず身体の声を聞き食事内容を決めることを指南されていた。その原則からすると俺の行動は非難の対象となって然るべきである。
それはともかく、店。収容人数は10人くらいかな。言っちゃ悪いが小汚い。まともな日本人なら、外から垣間見る限りお世辞にも衛生的には見えない厨房を見て逃げ出したくなるかもしれない(実際には中はきれいなのかもしれないが・・・)。

(店)
本当はガッツリ肉にありつきたいところだが、あまりにお腹の調子がすぐれなくて空腹感ゼロなので、料理はチキン・モモの一品だけを注文。それとホット・レモン・ジンジャー・ハニー(温かい飲み物)も。
私の不安をかき消すかのように現れたのが、奥で作っていた料理人。ネパール人。片言の日本語を操る。少し日本で働いていたことがあるらしい。親子丼と緑茶が好き。
高校生の頃観たエヴァンゲリオンのアニメで碇ゲンドウが腕まくりをしてうちわをあおぎながら、暑さを紛らすためにバケツの冷水に足を浸す場面があったと記憶するが、今やっているのはその逆である。
足を温めた後、しばしベッドで横に。いやあ、疲れた。ただでさえ普段そんなに運動をしない頭脳派の俺なのに、今日に関してはほとんど経験がない登山、しかも足場が雪と来たもんだ。この悪条件で普通のナイキのスニーカーで挑んだのは無謀だったかもしれぬ。悪天候のため本来の目的地まで行けなかったのは心残りと言えば心残り。でも、何はどうあれ、今やれることをやり切ったことに満足。
相も変わらずお腹の調子はまったくよくないのだが、何かしらの形で肉を摂取したい。これは意地である。身体は求めていないが、頭が求めている。手軽に肉がどこでも食える日本は恵まれている、としみじみ思う。
足取りは自然とホテルを出て、チベット寺院方面へ。寺院近くに、肉料理を出してそうなパンジャブ料理屋(パンジャブとはインド北部の地域名)を発見し、目を付けていたのだ。
レコーディング・ダイエットの泰斗である岡田斗司夫氏は『いつまでもデブと思うなよ』で、頭の欲望に身を任せず身体の声を聞き食事内容を決めることを指南されていた。その原則からすると俺の行動は非難の対象となって然るべきである。
それはともかく、店。収容人数は10人くらいかな。言っちゃ悪いが小汚い。まともな日本人なら、外から垣間見る限りお世辞にも衛生的には見えない厨房を見て逃げ出したくなるかもしれない(実際には中はきれいなのかもしれないが・・・)。
(店)
本当はガッツリ肉にありつきたいところだが、あまりにお腹の調子がすぐれなくて空腹感ゼロなので、料理はチキン・モモの一品だけを注文。それとホット・レモン・ジンジャー・ハニー(温かい飲み物)も。
私の不安をかき消すかのように現れたのが、奥で作っていた料理人。ネパール人。片言の日本語を操る。少し日本で働いていたことがあるらしい。親子丼と緑茶が好き。
2010年5月3日月曜日
2010年2月5~15日インド旅行記 (7)
「地球の歩き方」を見てると、Ladie's Venture Hotelというのが評判がいい。何やら部屋が清潔で、ホット・シャワーで旅の疲れも吹き飛んでしまうらしい。しかも一泊220ルピーと来たもんだ。
マクロード・ガンジは町全体が坂になっていて、中心部から5分くらい降りたところにLadie's Ventureがある。
支配人はインド人にしてはおとなしそうな雰囲気。部屋を見せてもらう。
シャワーとトイレはあるが、隣の部屋と共用らしい。自分が入っているときは、隣の部屋に通じている扉に鍵をかけることで独占使用権を確保する仕組みだ。
部屋はまあたしかにそこそこきれいだ。値段聞いたら200ルピーとのこと。外は雨だし、インドなのに同じ時期の東京近郊より寒いし、今から別のホテルをあたるのも手間なので、おとなしくここに決める。
毛布が一枚しかベッドにないので、主人に頼んでもう一枚もらう。

(部屋の鏡。チベットの拠点らしく町中にフリー・チベットの文字が)
午後10時頃、Tシャツ+トレーナー+ユニクロのフリース+毛布を上下に一枚ずつ+布団という、ファイナル・ファンタジーVでいうところの「にとうりゅう」のくらいのフル装備で就寝。(4/11日目、終了)
五日目
しかし、あまりの冷たさに何度も目が覚める。そのまま目をつむっても耐えきれない極寒ぶりに、たまらずスウェット・パーカを重ねるがそれでもきつい。
外はしょっちゅうピカピカ雷が落ちている。洒落にならないくらい本気で天気が悪い。窓の外を見ると、雪が積もっている。ふんわりした雪ではない。固いひょうみたいな物体がバシバシ地面を叩いている。
マクロード・ガンジは町全体が坂になっていて、中心部から5分くらい降りたところにLadie's Ventureがある。
支配人はインド人にしてはおとなしそうな雰囲気。部屋を見せてもらう。
シャワーとトイレはあるが、隣の部屋と共用らしい。自分が入っているときは、隣の部屋に通じている扉に鍵をかけることで独占使用権を確保する仕組みだ。
部屋はまあたしかにそこそこきれいだ。値段聞いたら200ルピーとのこと。外は雨だし、インドなのに同じ時期の東京近郊より寒いし、今から別のホテルをあたるのも手間なので、おとなしくここに決める。
毛布が一枚しかベッドにないので、主人に頼んでもう一枚もらう。
(部屋の鏡。チベットの拠点らしく町中にフリー・チベットの文字が)
午後10時頃、Tシャツ+トレーナー+ユニクロのフリース+毛布を上下に一枚ずつ+布団という、ファイナル・ファンタジーVでいうところの「にとうりゅう」のくらいのフル装備で就寝。(4/11日目、終了)
五日目
しかし、あまりの冷たさに何度も目が覚める。そのまま目をつむっても耐えきれない極寒ぶりに、たまらずスウェット・パーカを重ねるがそれでもきつい。
外はしょっちゅうピカピカ雷が落ちている。洒落にならないくらい本気で天気が悪い。窓の外を見ると、雪が積もっている。ふんわりした雪ではない。固いひょうみたいな物体がバシバシ地面を叩いている。
2010年5月2日日曜日
2010年2月5~15日インド旅行記 (6)
入場する前に、水がたまっているところを通って足を清めるようになっている。
足を洗い、階段を下りると、お目当ての建造物が姿を現す。実のところ、建物の上の方は外からも見えていたのだが、四方を壁に囲まれていて、一段低い場所にあるので全容は中に入らないと見えない。
昼間も金色は金色なんだけど、夜は照明に照らされて正真正銘の金ピカ。荘厳で本当に美しい。見とれてしまう。
スピーカーからずっと、お経みたいな音楽が鳴っている。来てる人はみんな土下座して寺院に向かって拝んでいる。
(独特の雰囲気は言葉では表現しづらい)
周りを一周して一通りの角度から写真を撮りまくる。いい被写体に巡り会ったときは、なるべくたくさん写真を撮っておくのが肝要だ。なぜなら、その場ではうまく撮れたと思っても後から見るとぶれてたり斜めってたりして後からがっくりすることがあるからだ。夜ならなおさらぶれやすいので念を入れる必要がある。



(以上が最もよく撮れた三枚。案の定ぶれてる写真もあった)
あ、ちなみにここに入るには頭に布を巻かないといけない。入り口に黄色い布がたくさん置いてあって、自由に使わせてもらえる。
足を洗い、階段を下りると、お目当ての建造物が姿を現す。実のところ、建物の上の方は外からも見えていたのだが、四方を壁に囲まれていて、一段低い場所にあるので全容は中に入らないと見えない。
昼間も金色は金色なんだけど、夜は照明に照らされて正真正銘の金ピカ。荘厳で本当に美しい。見とれてしまう。
スピーカーからずっと、お経みたいな音楽が鳴っている。来てる人はみんな土下座して寺院に向かって拝んでいる。
(独特の雰囲気は言葉では表現しづらい)
周りを一周して一通りの角度から写真を撮りまくる。いい被写体に巡り会ったときは、なるべくたくさん写真を撮っておくのが肝要だ。なぜなら、その場ではうまく撮れたと思っても後から見るとぶれてたり斜めってたりして後からがっくりすることがあるからだ。夜ならなおさらぶれやすいので念を入れる必要がある。
(以上が最もよく撮れた三枚。案の定ぶれてる写真もあった)
あ、ちなみにここに入るには頭に布を巻かないといけない。入り口に黄色い布がたくさん置いてあって、自由に使わせてもらえる。
2010年5月1日土曜日
2010年2月5~15日インド旅行記 (5)
2:45にホテル前に行くと、さっきのリクシャ運転手が待っている。国境(アターリー/ワガ国境)とホテルの往復で500ルピーとのこと。
雨が降り出す。運転手が席に雨よけをかけてくれる。インドに来て雨が降ったのは初めてだ。
でも5~10分ほど乗ったところだろうか、降ろされて、こっちに乗れと乗用車に案内される。車の運転手は、リクシャ運転手によると、そいつの父親らしい。
するとリクシャ運転手が、50ルピーのチップを要求。おい、最初往復で500ルピーと言っただろと抗議するが、ここまで連れてきたんだからいいだろと向こうは譲らない。仕方ないので払う。
父親に「お前の息子はグッド・ビジネス・マンだな」と言うと父親は頷く。
ちなみに後から見たのだが、「歩き方」に載っていたアムリトサル発の国境までの運賃相場は、ジープ・ツアー(ただし1台8人)で75~85ルピー、リクシャで250~300ルピー。
車の移動はさすがにリクシャなんかよりは快適で安心感がある。運転手は何度か「ほらあそこに・・・があるよ」的にガイド的な発言をしてくれる。しかし英語がほとんど通じず、まともに会話を交わすことはできない。

(インドに雨は似合わない。そういえば傘さしてる人ほとんど見ない)
国境付近に到着。国境そのものまでは車で入れない。セキュリティ・チェックがあって、カバンも持ち込み禁止。
セキュリティ・ゲートの開場を待つ人で鮨詰めになっている。満員電車のようだがインド人は他人と身体が接触することへのストレス耐性がとても強いらしく、苛立っている人はいない。なぜか前の人の背中に手を付けている人がちらほらいるが、やられている方は気にしている様子もない。
雨が降り出す。運転手が席に雨よけをかけてくれる。インドに来て雨が降ったのは初めてだ。
でも5~10分ほど乗ったところだろうか、降ろされて、こっちに乗れと乗用車に案内される。車の運転手は、リクシャ運転手によると、そいつの父親らしい。
するとリクシャ運転手が、50ルピーのチップを要求。おい、最初往復で500ルピーと言っただろと抗議するが、ここまで連れてきたんだからいいだろと向こうは譲らない。仕方ないので払う。
父親に「お前の息子はグッド・ビジネス・マンだな」と言うと父親は頷く。
ちなみに後から見たのだが、「歩き方」に載っていたアムリトサル発の国境までの運賃相場は、ジープ・ツアー(ただし1台8人)で75~85ルピー、リクシャで250~300ルピー。
車の移動はさすがにリクシャなんかよりは快適で安心感がある。運転手は何度か「ほらあそこに・・・があるよ」的にガイド的な発言をしてくれる。しかし英語がほとんど通じず、まともに会話を交わすことはできない。
(インドに雨は似合わない。そういえば傘さしてる人ほとんど見ない)
国境付近に到着。国境そのものまでは車で入れない。セキュリティ・チェックがあって、カバンも持ち込み禁止。
セキュリティ・ゲートの開場を待つ人で鮨詰めになっている。満員電車のようだがインド人は他人と身体が接触することへのストレス耐性がとても強いらしく、苛立っている人はいない。なぜか前の人の背中に手を付けている人がちらほらいるが、やられている方は気にしている様子もない。
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