2010年5月9日日曜日

2010年2月5~15日インド旅行記 (8)

ホテルに戻るや否や(as soon as構文)、風呂場のバケツにお湯をためて、足を浸ける。何せ、数時間に渡って氷でキンキンに冷やされていたのだ。

高校生の頃観たエヴァンゲリオンのアニメで碇ゲンドウが腕まくりをしてうちわをあおぎながら、暑さを紛らすためにバケツの冷水に足を浸す場面があったと記憶するが、今やっているのはその逆である。

足を温めた後、しばしベッドで横に。いやあ、疲れた。ただでさえ普段そんなに運動をしない頭脳派の俺なのに、今日に関してはほとんど経験がない登山、しかも足場が雪と来たもんだ。この悪条件で普通のナイキのスニーカーで挑んだのは無謀だったかもしれぬ。悪天候のため本来の目的地まで行けなかったのは心残りと言えば心残り。でも、何はどうあれ、今やれることをやり切ったことに満足。

相も変わらずお腹の調子はまったくよくないのだが、何かしらの形で肉を摂取したい。これは意地である。身体は求めていないが、頭が求めている。手軽に肉がどこでも食える日本は恵まれている、としみじみ思う。

足取りは自然とホテルを出て、チベット寺院方面へ。寺院近くに、肉料理を出してそうなパンジャブ料理屋(パンジャブとはインド北部の地域名)を発見し、目を付けていたのだ。

レコーディング・ダイエットの泰斗である岡田斗司夫氏は『いつまでもデブと思うなよ』で、頭の欲望に身を任せず身体の声を聞き食事内容を決めることを指南されていた。その原則からすると俺の行動は非難の対象となって然るべきである。

それはともかく、店。収容人数は10人くらいかな。言っちゃ悪いが小汚い。まともな日本人なら、外から垣間見る限りお世辞にも衛生的には見えない厨房を見て逃げ出したくなるかもしれない(実際には中はきれいなのかもしれないが・・・)。


(店)

本当はガッツリ肉にありつきたいところだが、あまりにお腹の調子がすぐれなくて空腹感ゼロなので、料理はチキン・モモの一品だけを注文。それとホット・レモン・ジンジャー・ハニー(温かい飲み物)も。

私の不安をかき消すかのように現れたのが、奥で作っていた料理人。ネパール人。片言の日本語を操る。少し日本で働いていたことがあるらしい。親子丼と緑茶が好き。

俺「日本で多くのネパール人がインド料理屋をやってるよ」
ネパール「知ってる」

たとえば池袋にある「グレート・インディア」というインド料理屋はネパール人がやってるっぽい。「グレート・インディア」は味のリアルネスという点だけに着目すると一押しとは言えないが、値段の安さ等総合的に見るとおすすめできる店だ。

ホット・レモン・ジンジャー・ハニーは、千切りの生姜が入っている。あんまり味がない。


(ホット・レモン・ジンジャー・ハニー)

チキン・モモ。うん、肉の味だ。この味が恋しかったんだ。おいしいけど、個数を重ねるとちょっと口がパサつくな。テーブルに調味料が三種類置いてあって、店員の説明によるとそれぞれ醤油、酢、チリ。全部試す。


(インドで二回目のモモ)

午後9時くらい、店を出る。

ネパール「明日も来て、今度はスープ入りのモモを試してくれよ」
俺「そうだね!(行く気はない)」

ホテルで横になると、どうもお腹がチクっと痛くなってきた。

電気を付けたまま眠りに落ちていた。目が覚め、電気を消す。(6/11日目、終了)

七日目

う・・・お腹が痛い。

腹痛で朝を知る。

下痢気味だ。

和光市のドラッグ・ストアでもらったストッパの試供品と胃薬をペット・ボトルの水で飲む。

少し風邪気味かもしれない。

今日はあれこれできそうにない。

ネットくらいならできるから、せめてツイッターに旅行記を投稿しよう。ネカフェへ。

3時間ほどツイッターに貼り付いて、120ツイートくらい投稿したところで、それ以上投稿できなくなった。どうやらツイッター側からスパムと認識されたようだ。このときはフォロワーがほとんどいない状態で自分のメモ用に投稿してたんだけど、もし今の状態でやったら怒濤のようにフォロワー数が減っていくだろうね(今でもそんな多いわけじゃないけど)。英語だし。ちなみに今日たまたま読んでいた佐々木俊尚氏の「ネットがあれば履歴書はいらない」というセルフ・ブランディングの本によると、ツイートの数は一日10件以下にしておいたほうがいいらしい。

私をツイッターの世界に誘ってくれた友人(karasi_gj)が、「玄米フレーク以外のシリアルは甘過ぎてとても食べていられない」なんてふぬけたことをつぶやいているので、「俺はチョコ・クリスピーとシュガー(もしくはキャラメル)・コーン・フレークを混ぜてそこにハチミツを入れて豆乳で食べるぞ」とハードコアな返信。俺は甘党かつ辛党だ。日本語入力の仕方が分からないので英語だ。

本当はもっとガンガン旅行記ツイートを投稿しておきたかったんだが、ツイッター側から拒絶されては仕方がない。渋々ネカフェを後にする。

Chu sum Restrauntという、町の中心部のチベット料理屋にて昼ご飯。いつも前を通って中をちら見すると、看板には肉料理の写真があるし、エンジの服を着たチベット僧が食事している以上味もそれなりだろうから、一度入ってみたかったのだ。

いくらお腹が空かないからといって、ここでしか食べられないものがある以上は多少無理ししてでも食べたい。よって強気の注文。玉子チョイメン(焼きそばのことをチョイメンという)、マトンと野菜の炒め物、Sliceというマンゴ・ジュース。計155ルピー。


(紙に書いて注文する)


(マトンと野菜の炒め物)


(エッグ・チョイメン)

うまい。マトンはちょっと硬くてchewy(チュウィ)だけど。Chewyって日本語でぴったりの単語が思い浮かばないけど、要は噛み切りにくいってこと。アメリカ人と日本で焼き肉を食べたとき、モツ系はchewyだから苦手だって言ってたのを聞いてこの言葉を覚えた。


(会計)

満足感を味わいつつホテルに向かう。あとはゆっくりベッドで休むとするか。

と思っていたら、赤子を抱いたインド人のおばさんが、いかにも絵に描いたような「私哀れでしょ」という表情をしながら赤子を俺の方に向けて、何やら訴えてくる。

金か。と俺は口に出してないが、向こうが「金じゃない」と言ってくる。そしてこっちへ来いと手招きし俺を先導した先は、食料品の店。

何かもう、店員も分かってて、俺が来るなり1キロくらいの粉ミルクの缶を渡してきて、女が「これを買ってくれ」と目で訴えてくる。

いやあ、たしかにあなたが直接得るのは金じゃないけどさあ、俺が払うのは金だよ。まったく。

俺「いくらだ」
店員「380ルピー」

可愛くない値段だ。缶底にその値段が書いてあるので、たぶん嘘じゃない。

でも380ルピー(約760円)は高すぎだろ。そんな払いたくない。そこで俺の口からとっさに出た一言。

俺「もっと小さいサイズはないのか?」

すると、半分のサイズがあるじゃないか。190ルピーらしい。ここまで来たら仕方ないので、こいつを買い与えるか。あまりいい気持ではないけど。いや、サイズを下げたことに対してじゃなくて、そもそも金を払うことに対して。

粉ミルクを受け取るとインド人おばさんは軽くお辞儀をしてささっと去って行った。

転売して金にしてるかも、というのは勘繰りすぎかな。

店員に200ルピーを渡すとお釣りを金じゃなくお菓子で渡してきやがった。「釣りを渡せ」と手を出すと、「それが釣りだ。10ルピー分だ」と言ってくる。むかつくが、受け入れる。

やれやれ、とんだ災難だったな、と今度こそホテルに戻ろうとすると、びっくり仰天(死語?)。何とさっきのおばさんとほぼ同じ姿かたちで同じような顔をしたレプリカのようなインド人が、まったく同じように「私の赤子にも・・・」とせがんでくる。振り払う。しつこい。さらに振り払う。キリがない。

チベット人は物乞いしてこないし、むやみに話しかけてもこない。

金ってなんなんだろう、なんて数分間、ホテルのベッドで考えちゃったよ。別に何の知見も得ることはできなかったけど。

まあそんなことを考えたりしつつ、ひたすらベッドで横になって休む。

やることはやったし、明日デリーに戻るか。

テラスへ。

ホテルマン「どうした?」
俺「明日デリーに行こうと思うんだが、どうしたらいいかな?」
ホテルマン「直行バスがある。夜間だ」
俺「夜間しかないのか?」
ホテルマン「そうだ」
俺「チケットを取ってもらえるか?」
ホテルマン「できるよ」
俺「いくらだ?」
ホテルマン「手数料込みで650ルピー」
俺「えー、高くない?」
ホテルマン「いいバスなんだ」
俺「地元のバスとは違うんだね? デリーからこっちに来たときのバスはひどかった・・・」
ホテルマン「ああ、それとは全然違うよ(首を横に振りながら、苦笑)」
俺「じゃあ、チケット取って」

部屋に戻る。明日はバスの出発が午後6時。5時半にバス乗り場に行けばいいらしい。

それまでは、休むことにする。

このホテルのチェックアウトは正午なのだが、もう一日分の料金を払って、バス乗り場に行くまでホテルで休んでいよう。

ここで、旅の最初に両替した5万円分のルピー(単純にレートでいうと25000ルピーだが、両替手数料があるので2万3000ルピーくらいだったか?)が今いくら残っているのか、数える。約1万ルピー残っている。これは余裕だな。

そのままずうっと部屋で横になり、薬を飲んで、ぼやーっとしつつ就寝。

(7/11日目終了。続く)