●学んだことは無駄だったのか?
大学の授業で教師がしゃべることは、ほとんどの場合、直接、会社では使えない。企業は、ほぼすべての学生(ここでは文系に話を限る)が、大学を卒業したらそれ以降、身を置き続ける場所だ。では、大学が社会に出るための準備機関で、仮に社会≒会社(両者がほぼ一致する)とすると、企業で使えない知識を得ることには意味がないのではないか?
今の俺は、その主張を完全に論破することはできない。明らかに、一定の真実性があるからだ。
俺は、大学に入った当初は、語学、言語学に興味があって、途中から転向して主に政治学、特に政治思想に関心を移した。語学を除けば、学んだところで、企業の入社試験でまったく有利にはならないし、得た知識は、会社に入ってからも使えない。
では、俺はそれらのことに興味を持ってきたことを、勉強してきた(と言えるほどのあれでもないが・・・)ことを、本を読んできたことを、後悔しているのか? 最初から、会社での仕事に直結したことを学んでいればよかった、とため息をついているのか?
少しはそうかもね、正直なところ。でも、それは、もうちょっとビジネス的なことも学んでいればよかったかも、と思うからで、決して、自分で興味を持って学んできたこと、考えてきたこと、それ自体が無駄だと思うからではない。要はバランスの問題だ。
大学および大学生活での「学び」を、講義を聴いたり、本を読んだりして(読書が主)自分の頭で考えること、と定義すると、学んだ(でいる)ことは、無駄などころかむしろ大いに有意義だと思っている。なぜなら、俺にとって何かを学ぶということは、単に具体的な対象についての知識を得ることではなくて、より深い意味を持っているからだ。
●社会を見る「メガネ」
自分にとって、その深い意味とは何か。主に社会に関する学問に興味を持つ自分にとって、それは、社会を見るための「メガネ」を獲得することだ。
俺は、大学に入った当初、勉強から得たいと思っていものは知識だけだった。たとえば、言語学の授業を受けたら、そこから得ようとしていたのは言語に関する具体的な知識だけだった。これは、受験勉強で世界史の年号を覚えたり、英単語を覚えたりするのと同じだ。
だが、次第に、それでは何かが違うような気がしてきた。知識を得るという行為は、それ自体が目的ではなく、何かの目的のための手段ではないかと思うようになった。
その目的とは何だろうか。まず、頭を鍛える、というのがあるだろう。つまり、論理的な文章を読んで考えることによって、論理的な文章を書くよう試みることによって、論理的に考える習慣を付けことだ。
それもあるが、ここで強調したいのは、もう一つの目的だ。それは、社会を理解するための一定の枠組み、視点を手に入れることだ。それが、前に言った「メガネ」のことだ。
社会は、ものすごく複雑で、広い。何もなしで、「裸眼で」それを把握して理解するのはほぼ不可能だ。そこで、社会科学(社会に関する学問。主に、政治学、経済学、心理学、社会学あたり)が、自分が社会を見て理解できるようになるための、助け船になってくれるのだ。
「裸眼で」というのは、言ってみれば、前述した「知識だけのために」学んでいる状態だ。経済学の授業を受けて、経済理論を覚えてそれで終わり。政治学の授業を受けて、いくつかの統治理論を覚えてそれで終わり。その次元だ。
そのように、ある対象について知るためだけに学ぶのは、学問の本質をついていない。
学問の役割とは、ある特定の対象を扱うことではなく、対象を問わずある特定のやり方(問題設定、視点、枠組み)で扱うことである。
宮台真司は『野獣系で行こう!』(p.424)で述べている。
(引用開始)
「日本人の大半が誤解しているが、学問の同一性は、対象にはない。お金の問題を扱うから経済学、法を扱うから法学、心を扱うから心理学・・・・・・という具合に考えてはならない。現に、お金の問題も、心の問題も、社会学的な問題設定において扱えるのだ。
逆に、法の問題や、心の問題を、経済学的に扱うことができる。心の問題やお金の問題を、法学的に扱うことができる。思考が、法学的か心理学的か経済学的か社会学的かは、対象ではなく、問題設定で決まる。」
(引用終了)
内田義彦が『読書と社会科学』で言っていることが、自分の中では上の宮台氏による説明と重なった。
内田氏によると、社会科学の役割とは、社会を見るための道具を提供することである。たしか、内田氏が、社会を見るための「メガネ」という表現をしていたような気がする。が残念ながらうろ覚え。
内田氏によると、自然科学では、望遠鏡、顕微鏡といった道具を使えば、直に対象を見ることができる。一方、社会科学で同じことはできない。社会科学では、専門用語で固めた「概念装置」がその代用品となる。
もちろん、たとえば、心理学の目的が人間の行動の法則性を発見することで、経済学の目的が経済の法則性を発見することなのも間違いないだろう。それぞれが最も得意とする分野、第一義的に扱う対象は決まっているだろう。しかし、それだけではない。社会科学に分類される学問には、より広く「社会をどう見るか」の道具、「メガネ」としての役割も持っている。
つまり、社会科学に属する学問はすべて、何もなしでは途方もなく理解しがたい社会というものに対し、理解のための一定の枠組み(パラダイム)を与えるのだ。それは、宮台氏の言葉でいうところの「社会学的な」枠組みだとか、「法学的な」枠組みということになる。
「~~の経済学」とか「~~の政治学」のような題名の本をたまに見るが、それが意味するのはそういうことなんだと思う。たとえば、読んでいないので分からないが『吉野家の経済学』というタイトルの本だったら、吉野家に対して、経済学的な視点から考察を加えている本だろう。吉野家というテーマなら、たとえばその会社内部の権力関係を描けば政治学的な本が書けるだろうし、いかにこの店が客を引き付けるような心理的工夫をこらしているかを分析すれば心理学的な本が書けるだろう。
このことが分かってから、自分の中で、一気に闇が晴れた。モヤモヤしていた何かが吹っ切れた。何のために本を読んでいるのか分かってきたし、本を読むときにその本をどう位置づければいいのかが見えてきた。ただ漠然と「どういうことが書いてあるか」だけではなく、「どういう角度から社会を斬っているのか」「どういう視点(バイアス)から対象を見ているのか」に着目するようになってきた。
●政治思想的なものの見方
その「視点」を考える上で、自分が興味を持つ政治思想はどう絡んでくるのか。
たとえば、数ヶ月前にアマゾンに書評を書いて、一向にサイトに反映される模様のない、ブルース・ゴールドバーグ氏の"Why Schools Fail"は政治思想的な観点から、より正確に言えばリバータリアニズムという特定の「メガネ」を通して見た教育論だった。ゴールドバーグ氏は教育学の専門家としてこの本を書いたわけではない。一リバータリアンとして書いたのだ。
政治思想とは縁の遠い人が書いた場合と比べ、この本は、そもその問題設定の仕方自体が異なるのだ。教育者なら、「いかにしてよい教育を行うか」「どのようなことを教えるべきか」という問題設定を行うだろうが、ゴールドバーグ氏の場合は、(個人主義的な)リバータリアンの立場から、「そもそも教育の名の下、すべての子供に同じやり方を押し付けること自体がおかしいのではないか」と考えるわけだ。
しばらく政治思想に関心を持って勉強していると(勉強と言えるレベルではとてもないが・・・)、政治思想的なものの見方とは何なのか、少し分かってきたような気がする。
もっとも、政治学の本は、特に思想がかった本の場合は「科学的」ではないから、政治学的というよりは「政治的」といった方が正確な場合が多いかもしれない。
それでも、政治思想に興味を持てば、右から左までバラエティに富んだ立場が存在し、同じ対象でも見る位置が違えばまったく別のものに見えるということが分かる。その意味で、政治思想というのは、世の中をみるための枠組み、「メガネ」として機能する。
つまり、学問を学ぶこと、知識を得ることには、単に表面的な情報とか事実を知るという以上の功能があるんだ。社会に関する学問を学べば、それは、自分が社会を見るための枠組みを手に入れることにつながる。
もちろん、企業で必要な、ビジネス知識も、大学にいるうちから学ぶに越したことはないと思う。でも、社会に足場を置く一人の人間として、自分が所属することになる「会社」以外の「社会」を見る眼を鍛えるのは悪くないことだとも思う。「社会」と「会社」を同一視すれば、会社で使えない知識は即無意味だろうが、この両者はイコールではない。人は、会社で働く「ため」に、金を稼ぐ「ため」に生きるわけじゃないんだから、金とか、即仕事につながる知識だけを追い求めるのは、悲しいことだと思う。
大学での勉強には、果たしてどのような意味があるのか。そもそも意味があるのか。それについて考えなければ大学に在籍している期間が、単なる空白の4年間やモラトリアム期間に過ぎなくなる。そこで、自分なりの答えを出してみようと思った。少なくとも自分に関しては、企業で直接使えないことばかりを学んでいるが、決して無駄ではないと思っている。まだ1年近く先の話だが、大学を出ても、趣味として学問を学び続けていきたい。
2004年5月22日(土)
↓当時のコメント欄。
--------------------------------------------------------------------------------
バド 2004/05/23/07:30:11
なるほど、確かにそう考えれば勉強をすることの意味というのが見えてくるね。
そして、君の文章構成力が羨ましい…。
--------------------------------------------------------------------------------
c-teki 2004/05/23/23:17:30
嬉しいこと言ってくれるな。