2010年8月2日月曜日

ソウル見聞録 (3)(2003年3月14日執筆)

電車

車両に乗り込む。好奇心から中の様子を観察してみる。だが、日本の電車内と呆れるほど似ており、特筆すべき相違点はほとんど見つからない。

Fが持参してきたガイドブック、「地球の歩き方」に、大韓民国は儒教の国だから、年配者に席を譲る習慣が徹底していると書いてあった。しかも驚くことに、譲る相手は、単に年配者のみならず、「自分より目上の人」全体に当てはまるという。さらに驚くことに、混雑している時には、席に腰掛けている人が、前に立っている人の荷物を持つことがあるという。

実際に乗ってみた感触としては、さすがにそこまでは行かないのでは、と感じた。確かに、明らかに譲るべきだと思える状況や、シルバーシートではきちんと譲っている。だが、座っている人が、常に前に立つ乗客の顔色を窺い、自分より年齢が上かどうかを検証しているようには見えない。座席を占有している乗客が他の人の荷物を持つ光景も目撃しなかった。

気付いた日本との違いを挙げるとすれば、それは携帯電話で通話している人が多い、ということである。本人達に悪びれている様子はなく、周りの人たちも気にする素振りは見せていない。それらから判断するに、どうやら南朝鮮の電車内では、携帯電話で通話することは禁止されていないようだ。私達の乗っている1車両の中で、同時に4人くらいが話していることもあった。

日本では、禁止されていようといなかろうと、電車の中で携帯メイルを打つ人が多い。しかし韓国では違う。この国で、携帯で電子郵便(e-mail)を打ち込んでいる人は、旅行全体を通して1人くらいしか見なかった(実際はもっといたのかも知れないが、いずれにせよほとんど目にしなかった)。Yの話によると、こちらではコンピュータの普及率が高いため、携帯で電子手紙を書く人が少ないという。

景福宮

景福宮(キョンボッグン)駅で下車。ここから徒歩で、国立民族博物館に行くらしい。私は、どの駅で降りてどの方面に進むか、といったことは全く気にしていない。全てFとY、特にFに任せている。





(三枚目:なぜか両脇には警備員が。それ以外の三枚は2010年8月2日追加画像)

Fらの導きに従い歩く。ここら辺は交通量が多く、高層ビルが林立している。都会的で騒がしい雰囲気だ。しかし、駅から10分ほど歩くと、同じ場所とは思えないような空間に着いた。ゆったりとした広大な空間の中に、いかにも観光名所だと言わんばかりに、巨大な伝統的建造物がそびえている。

進んでいくと、さらにいくつか建造物が。そして、これ以上先がないところに、やたらと大きな門らしきものがある。何やらよく分からないが、ここから先は入場券を買って見学する仕組みらしい。門の右側に売り場がある。


(2010年8月2日追加画像)

もちろんのこと、日本語で用は足せない。値段体系の表を見る限り、私達が買うべき区分は500ウォンの「YOUTH」である。「YOUTH を3枚」。それだけなのだが、簡単には行かない。

たしか私が持ってきた「韓国語は3秒で話せ!」に、似たような表現が載っていた。カバンから取り出し、思い当たった箇所を開く。すると、あるではないか、ほぼぴったりの文が。「大人2枚下さい」が「オルン・トゥ・ジャン・チュセヨ」だという。「大人」が「オルン」、「2」が「トゥ」に相当するので、それぞれを「ユース」と「3」に言い換えればいいわけだ。

私は、1人で列に並んでいるFに本を渡し、「『ユース・セッ・ジャン・チュセヨ』だ」とだけ言って5メートルほど離れた。Fの朝鮮語は本当に通じるのか? 最初から自分が並ぶ意思を全く見せないYと共に、遠巻きに、気楽に見物させてもらう。

列が進み、Fの番になった。本を見ながら、ぎこちない様子で売り場のおばさんに先ほどの文を読み上げている。緊張している様子が微笑ましい。あまりうまく言えていないが、何とか通じたようだ。間もなく、Fが切符3枚を持って来た。めでたし、めでたし。

しかしよく考えると、「セッ・ジャン」というのは間違っていた。「セッ」というのは「三つ」の意味だから、それでは「三つ枚」になってしまう。「3」は「サム」。「サム・ジャン」が正しかった。


おじさんに切符をもぎられ、門――光化門というらしい――を通り抜ける。すると、眼前の建物がいきなり建設途中である。豊臣秀吉によって破壊されたためらしい。元禄の役という16世紀末の事件で。しかしそれだけにしては改築が長すぎる。まあ何か原因があるのだろう。


(建設中)

そこから先は、順路に従って様々な建物を見物する。しかし、それらの歴史的背景が一切分からないのがやや痛い。ガイドが観光客の一団を率いて、建物の前に立って何やら説明しているので、その中に混じってみた。しかし、切ないことに説明は朝鮮語である。





(二枚目の建物は10000ウォン札に印刷されている。四枚中三、四枚目は2010年8月2日追加画像)

それぞれの建物を網膜に映していく。どういう意味のある建造物群なのかはよく分からないが、まあそれでも景観、景色として見るに値する。特に、10000ウォン紙幣にも載っている慶会樓(キョンヒル)は、池にその姿が映っており、なかなか荘厳で優雅である。

さっき「順路」と言ったが、別に矢印などによる進行方向の指示がある訳ではない。ただ何となく、人の流れと、進路の制限上、こっちに進むのだろうと判断しているだけだ。だから、最後の方になって人が減り、建物がなくなってくると(広大な公園のような所に放り出された)、どちらに進めばいいのか分からなくなってきた。

だが、すぐ近くに国立民族博物館、次の目的地があるはず。そう考えて歩いていくと、それらしき施設に行き当たった。

国立民族博物館

中に入るとまず正面に案内所、左側に土産店がある。韓国の国旗の上下に「KOREA」という英文字と何やらハングル文字(おそらく大韓民国と書いてあるのだろう)が印刷されたTシャツ(8000ウォン)と、キーホルダー(3000ウォン)を購入。私は無言だったにも関わらず、店員は日本語で値段を言い、商品を渡す際に「ありがとうございました」と言った。

そのまま進んでいくと、色々な展示がしてある。20種類くらいの、色とりどりのチマチョゴリ(韓国の着物)が置いてある部屋もある。どうやら新たに入場券を購入する必要はないらしい。

この施設は、その名が示すとおり、朝鮮民族の風俗、文化を紹介する博物館である。例えば伝統的な村の形態、家の造りなどが模型や文章によって解説されている。

もちろん、私は朝鮮の文化に興味はあるが、観光地の無味乾燥な「展示」ほどつまらないものはない。福島旅行の時にもいくつか行ったが、こういうのはどこでも一緒だ。事実の列挙だけで読ませる工夫がない。今までに私が行った博物館の中で、展示の文章が面白かったのは福島の会津酒造博物館くらいだ。

さも興味あり気に展示を眺めている私達だが――「眺めている」という表現が的確である――実際のところ私が本当に表面的でない興味を持ったのは食文化の所だけだ。FとYもそうだろう、正直なところ。

展示はかなり長い。Yが「まだあるのか」とつぶやいた。朝鮮の文化全般を扱う博物館だから、長くなるのも当然かもしれない。


(展示は長かった)

ようやく展示が終わり、外に出る。空腹だ。そう言えば、今日は朝から何も食べていない。食文化の展示に惹かれたのもそのせいかも知れない。

今日は、あと明洞(ミョンドン)という商店街のような所に赴く予定らしい。色々と飯屋があるだろうから、そこでご飯を食べることにしよう。


(博物館を出て数分)

(電車が到着)

明洞へ

駅に戻り、12:30発くらいの電車で明洞へ。油断していると、2駅乗り過ごしていた。逆方面の電車に乗り、2度目の正直で明洞に到着。

駅から5分ほど歩くと目的地に着いた。ここは、所狭しと店が並んでいる繁華街。飲食店、CD屋、書店、カラオケ、靴屋、服屋――。渋谷のセンター街を思い浮かべてもらえると分かり易いかも知れない。ただ、センター街ほど混雑してはいないし、通行者も若者ばかりというわけでもない。また危険度が低そうで、渋谷のような狂気は感じない。

初日にガイドさんが、色々とおすすめの店を教えてくれていた。ここがいいよと、明洞の地図にいくつかペンで印を付けて渡してくれたのだ。しかし、それを受け取ったのはいいが、私はそれを持って来ていない。それに、私達は朝から何も胃に収めていないので、とにかく早くご飯が食べたい。今日は本場のビビンバを食べてみたい。

石焼きビビンバ

そういう事情から、特に吟味もせず、商店街を歩き始めて数分のところで目に入ったビビンバ屋への入店を即決。時間にして大体12時40分。

入口付近にいると、やたらと人のよさそうな店員さん(男、35歳位)が我々を中に招き入れる。見たところ、夫婦でやっている店のようで、中に入ると彼の妻(おそらく)が我々を席に導いた。

Fが、メニューに添えられた日本語の「石焼きビビンバ」(4000ウォン)を指差して指で3つと示す。

夫(推測)の店員さんが相変わらず人のよさそうな笑みを浮かべ、「エクスキューズ・ミー、ウェア・アー・ユー・フロム?(Excuse me, where are you from ?)」と聞いてきた。「ジャパン」と、アルファベットに直すまでもないほどの露骨なカタカナ読みでYが答える。

料理が届いた。ご飯に目玉焼き、ほうれん草、もやし、のり、肉などが乗っている。付け合わせはキムチ、もやしの和え物、あとみそ汁風のスープ。

夫(たぶん)の店員は、机に乗っている調味料を指差して「コチュジャン」と言い、これをかけて食べるんだ、と身振りで教えてくれた。私達がそれに従って赤いソースを碗に入れ始めると、心配しないでいいよ、という感じで「ノー・ホット、ノー・ホット(No hot, no hot.)」と言った。

実際、それほど辛くない。ただ逆に、かなりコチュジャンを入れないと味付けが物足りない。つまり、碗の中のご飯と具材が、赤い調味料に頼りすぎている気がする。ただ私は石焼きビビンバを食べるのはこれが初めてなので、判断は難しい(評価:7)。


(初めての石焼きビビンバ)

書店

本屋に入ってみる。昨日コンビニに行って分かっていたことだが、どこにどの題材の本が置いてあるのかすら、ほとんど分からない。コンピュータで在庫を検索できるようになっているが、キーボードもハングル入力なのでお手上げだ。あなたのコンピュータのキーボードを見て欲しい。そのひらがなの部分に、ハングル文字が書いてあるのだ(もちろんローマ字入力なのかもしれないが)。試しに、適当に打ってみた。文字は出てくるが、読めない。

表紙からの内容の推測が容易な、雑誌のセクションへ。金大中と金正日が表紙の、日本のサピオ誌をより分厚く、けばけばしくしたような雰囲気の政治雑誌が異彩を放っている。私はニューズウィークのハングル版を購入。店員さんの「カムサハムニダ(ありがとう)」が聞き取れたのがちょっと嬉しい。



(明洞の商店街。二枚目は2010年8月2日追加画像)

ちなみに、これはYが発見した事実だが、ほとんどの店の中に紙コップとタンクが置いてあり、水や茶が飲めるようになっているのだ。これは韓国独特のサーヴィスなのだろうか。もしくは店員用なのかも知れない。

日本人と朝鮮人の外見はほとんど変わらない。だから、街行く人や店の従業員らは、見ただけでは我々が日本人だとは気付いていないようだ。

キティーが気になるF

キティーグッズの店を通り過ぎようとすると、Fが異常な反応を見せ、どうしても見たいと懇願し出した。私とYは店の外で待つことにした。店内の様子を窺うと、Fは周囲から浮いていることを気にかける様子もなく売り場を徘徊している。当分、出てきそうにもないので、Yと私はFに告げないまま他の店に行くことに。3, 4店舗分先に、CD屋を発見。

そう言えば、A(徳島在住)からボア関連の土産を熱望されていた。ちょうどいいので同アーティストのCDを探してみると、運良く、分かりやすい所にジャケットを表にして陳列してある。値段が11500ウォン(約1150円)なのでシングルかと思いきや、後ろに書いてある曲数を見る限り、どうやらアルバムのようだ。


(サンドイウィッチ男)


(どう間違えたのかすら判断できない)

レジに向かう。CD屋なだけに、「ポイントカードをお持ちですか?」に類することを聞かれる可能性がある。そうなったら面倒だ。やや緊張したが、幸いにもそんなことは言われず、無言で、朝鮮人だと思われたままCDを買うことに成功した。

ちょうどその時、置いてけぼりにされたことに気付いたFが、焦った様子でCD屋に入ってきた。本人は何も買っていないと主張している。それ以上問い詰めるのはやめておいた――。(まだまだ続く)

(2003年3月14日、午前1時53分)