自由主義 vs. 多文化主義
Ⅲ章で、筆者はアメリカ政治思想の保守とリベラルを三つの視点から定義した。意図は二つあった。一つは、既に述べたとおり、この二者がそれぞれ自由主義と多文化主義とつながっていることを示すことだ。それ以外にもう一つあった。それは、「自由主義 vs. 多文化主義」モデルの不十分さを補うことだ。アメリカの保守が常にⅠ章で述べたような個人の自由と平等のみを最優先するとは限らない。国益、愛国心、キリスト教といった、個人を「我々」にまとめ上げる力が、時に個人の自由よりも上に来ることがある。その例が、宗教右派による中絶医院への攻撃だった。逆に、大きな政府を志向し、個人の経済的な自由を制限しがちなリベラルが、特定の社会問題に関しては保守たちよりも個人の自由を認めることがある。「自由主義 vs. 多文化主義」というモデルは、アメリカの保守主義とリベラリズムをそっくりそのまま反映するわけではない。「保守主義 vs. リベラリズム」=「自由主義 vs. 多文化主義」ではないのだ。もちろん、「=」は不可能にしても、なるべく「≒」に近づけるのが理想だが、単純化の犠牲は避けられない。その犠牲をⅢ章で救出したかった。
Ⅰ章で論じたように、モデルとは複雑な対象から特定の部分だけを取り出し、残りを捨て去った理念型である。「自由主義 vs. 多文化主義」モデルで筆者は、保守主義の中の自由主義的な側面を取り出し、それと対比する形でリベラリズムを描いた結果、実際には自由主義の個人主義的な原則を保守が占有しているわけではないという事実を捨象した。つまり現実のある側面だけを切り取ったのだ。この二項対立モデルでは、多文化主義を支持する人々がみな、自由主義を完全に否定するかのような印象を与えるかもしれない。だが、前述のようにアメリカは国家全体が自由主義的な背景を持っている。実際、保守もリベラルも自由主義であることに変わりはないと解釈する学者もいるようだ。だが筆者のモデルは、自由主義をあたかも保守だけが占有する属性であるかのように扱っている。このように、「自由主義 vs. 多文化主義」モデルは粗探しをしようとすれば欠点を指摘するのは難しくない。
しかし、「自由主義 vs. 多文化主義」は、多文化主義をめぐって保守主義とリベラリズムが抱える最も重要な対立点の一つの描写である。それを本章と続くⅤ章で示す。実際のアメリカ政治思想との関係を探るために、Ⅳ章は保守たちによる多文化主義批判の議論、Ⅴ章はリベラルたちによる多文化主義支持の議論と、それぞれつなげる。まず本章では、自由主義の視点に立って多文化主義を攻撃する。
自由と平等
多文化主義は、自由主義の根幹を為す自由と平等の否定である。まず、自由とは何か? これは国家権力が個人に介入しない状態であった。Ⅱ章で論証したように、多文化主義は、政府が介入することで社会を改良するという発想の上に立っている。これは民間部門から見れば干渉である。公立機関だけならともかく、私立の大学が誰を入学させるか、民間の企業が誰を入社させるか、といった問題に関して、国家権力が口をはさんでいるのだ。政府が、差別の解消と「多様性」のイデオロギーを論拠に、一つの「あるべき社会」を全体に押し付けている。国家権力中心の考え方が、小さな政府の理念と真っ向から対立する。
次に、平等とは何か? それは個人を単位にした権利の平等だった。「自然状態」では個人しか存在しないため、その状態からは集団の権利という発想自体が不可能だ。ところが、多文化主義においては、権利の単位が個人ではなく集団であり、また平等ではない。ジェイムズ・ヤングが述べるには、自由主義が力を持ち出した19世紀には、個人が所属する集団、たとえば都市、国家、職業、性別、宗教に縛られており、何に属するかによって権利が制限されていた。自由主義がその状況を打ち破り、権利を持つ単位を個人にした。それによって個人が社会の主人公になった。しかし、現代のリベラリズムは再び集団を強調し権利の持ち手を集団にしようとしている。これは自由主義以前への逆戻りである。ヤングが強調しているように、「自由主義」は、現代のリベラリズムが出てくる以前には、政治的右派を表現する言葉だった(*98)。
*98 Young, J. (2002): “Placing Groups over Individuals,” The Washington Times, Sep. 8, 2002
個人という単位はどこへ
多文化主義は、社会を構成する最重要単位としての個人の否定である。自由主義を一言で言い換えるとそれは個人主義である。Ⅰ章で述べたとおり、ロックの「自然状態」モデルにおいては、個人しか存在しなかった。その仮定によって、個人の自由や平等が発見された。多文化主義においては「文化=社会集団」なのはⅡ章で論じた通りである。それが、本稿で筆者が文化を定義せず、また多文化主義の定義に文化という単語を入れなかった理由だった。この同一視は、社会の単位としての集団を個人よりも上に置く発想に基づいている。
ウッドは、多文化主義を支える「多様性」を、でっちあげの概念だと主張した(*99)。彼は多様性を多様性Ⅰと多様性Ⅱに分けた。多様性Ⅰとは事実、現実の多様性である。たとえば、アメリカ国民の13%がアフリカ系、といった具合の、数値的な人種的、民族的構成のことである。それに対し、多様性Ⅱとは、願望、理想の多様性である。たとえば、アフリカ系がアメリカ人の13%を占めるならば、テレビのニュースキャスターの13%がアフリカ系であるべきなのだ。もちろん、多文化主義者たちが掲げるのは多様性Ⅱである。しかし、多様性ⅠからⅡへの移行には問題がある。それは、多様性Ⅱの根拠となっている多様性Ⅰの「事実」は、人々が考えているよりも不透明なのだ。区分けには限界がある。「白人」「黒人」「アジア系」「ヒスパニック」といった分類は、それぞれが色々な社会的背景、文化、宗教、言語、身体的特徴を含んでいる。それらを一括りにしてきれいに分けることはできないはずだ。また、アメリカ人は徐々に、自分たちを一つの集団の成員ではなく、複数の文化への参加者と捉えるようになってきている。たとえばゴルフ選手のタイガー・ウッズは「Cablinasian(キャブリネイジアン)」を自称している。これはCAucasian白人、BLack黒人、INdianインディアン、ASIANアジア人を組み合わせた彼による造語である。また、2000年の国勢調査では、4%のアメリカ人が複数の民族への帰属を表明した。よって、多様性Ⅱは、必ずしも現実を反映しないグループ分けを、あたかも寄与のものと決めつけて、その分類に人々をはめ込んで、勝手な数値目標をもとに社会を変える試みなのだ。これは鳥小屋や水族館式の人工的な多様性であって、本当の多様性ではない。
*99 Wood, 19-48
ウッドは多様性Ⅱの言い換え語として「人工的な多様性」のほかに「diversity」というイタリック表記を用いている。イタリックのdiversityは、日本語でいえば「タヨウセイ」とカタカナで表すようなものである*100。
*100 なお、ウッドは多様性Ⅱによる社会分類を個人主義の否定と、一つのアメリカ文化の否定という二つの視点から非難しているが、ここでは前者のみを見る。
ウッドによると、文化人類学的に見て、民族と文化を切り離せないものと捉えるのは間違っているのだ。1960年代まで、アフリカ民族研究の前提は一部族・一文化だった。しかし、その発想の実効性が疑われ出した。文化は流動的で、はっきりと区別することは不可能に近いことが分かった。文化の明確な区別は、まさしく多文化主義にとって必要不可欠な作業である。それがなくては、Ⅱ章で触れたAAも多文化教育も多様性トレーニングも成り立たない。「多」の単位が文化(すなわち社会集団)のくっきりした区分けに基づいているからだ。
アメリカの大学は多様性Ⅱ実現の舞台になっている。ウッド曰く、大学における多様性運動の背景には二つの考え方がある。一つは、過去に特定の集団が否定されていた教育の機会を、現在その集団に属する人々に与えることで償いができるという発想だ。これは集団権の発想につながる。これは、権利は個人のみにあるというアメリカの自由主義的伝統に反する。特権を持つ集団が現れると、人種や民族は利益集団と化し、資源をめぐって政治的な闘争を繰り広げるようになる。もう一つは、集団への所属がその人の世界観や文化的な見地を決めるという考えだ。これは人種や民族のステレオタイプ化である。「文化の違いへの繊細さ」の名の下、「アフリカ系アメリカ人の学習方法は全体論的」といった決めつけがまかり通る。
リバータリアン派のシンクタンク、ケイトー研究所の副所長、デイヴィッド・ボウツは、アメリカにおける白人の黒人に対する扱いを3期に分けた上で、各時期に共通しているのは搾取でも差別でもなく、黒人の人間性と個性の否定だと分析している(*101)。まず、第一期の、奴隷として扱っていた時期(1619~1865年)には、白人が黒人を動物や機械のように扱うことで、彼らの基本的な人権を否定した。第二期の、ジム・クロウ法による隔離を行っていた時期(19世紀末~1960年代初頭)には、黒人の自由労働市場への参加を制限し、自分の能力にしたがって成功を収める機会を奪った。そして第三期の、1965年から現在に至る時期では、AAを行うことにより、黒人が政府の補助を得ないと成功できないようにした。つまり、AAは、黒人たちを個人として見ず、あくまで「黒人という集団」として一括りにし、異なった扱いを与えている点においては、奴隷として搾取していた時期、まとめて隔離していた時期と、何ら変わりはないのだ。
*101 Boaz, 229
つまり、多文化主義を支える最大の理念である「多様性」は、人工的な社会分類によって、文化と民族を切り離せない存在として扱っている。これは集団と共同体の強調であり、個人という単位の軽視である。人をある人種の一員としてでなく、個人として扱うという「カラー・ブラインド(colorblind、肌の色に対して盲目)」の思想は、マーティン・ルーサー・キング牧師が、有名な「私には夢がある」演説で体現した。多文化主義が行っているのはその逆である。
AAと修正第14条
保守たちによるAA反対論で、おそらく最も繁栄に提起されるのが、それが人種差別を禁止する憲法の条文に抵触するという主張である。保守たちが憲法を持ち出してAAに反対するのは、一見、単なるレトリックに見えるが、彼らを突き動かすのが自由主義の論理であると仮定すれば、筋の通った意見であることが分かる。Ⅰ章で述べたように、近代憲法の役割とは政府の力を限定し、国家権力による個人への恣意的な干渉を防ぐことである。憲法違反は政府の暴走であり個人の自由の侵害である。つまり、憲法は、アメリカの保守主義の一大理念である小さな政府の実現のために決定的に重要なのだ。小さな政府が欲しいならば、政府による憲法違反は、最も批判しなくてはいけない暴挙である。公権力による国民への差別は許してはならない。
アメリカ合衆国憲法の中で、人種差別を禁止しているのは、1866年に成立した、修正第14条の第一節である。
第一節 合衆国において出生し、またはこれに帰化し、その管轄権に服するすべての者は、合衆国およびその居住する州の市民である。いかなる州も合衆国市民の特権または免除を制限する法律を制定あるいは施行してはならない。またいかなる州も、正当な法の手続きによらないで、何人からも生命、自由または財産を奪ってはならない。またその管轄内にある何人に対しても法律の平等な保護を拒んではならない(*102)。*102 「アメリカ合衆国憲法」、在日米国大使館 http://japan.usembassy.gov/j/amc/tamcj-071.html
焦点は、最後の一文にある「法律の平等な保護」だ。AAは、前に説明した通り、社会集団を単位にした結果の平等と多様性を目指すために、マイノリティや女性を優遇する措置である。マイノリティや女性が特権を持つのは、白人たちから見れば差別である。このように、ある集団に優先的な地位を与えた結果、それに該当しない集団が受ける差別を、「逆差別(reverse discrimination)」という。
法学者のスティーヴン・カーターは、著書Reflections of an Affirmative Action Baby(『アファーマティブ・アクションっ子による省察』)の中で、AAに言及する際に、繰り返して「人種の優遇(racial preferences)」という表現を使っている。彼はこの本の中で、自分が黒人であることが、ロースクールへの入学にいかに大きく影響したかを、実体験から語っている。たとえば、彼はハーバード大学のロースクールに一時は不合格となったものの、後にそれが間違いだったという連絡が入り合格となった。その時に大学の関係者はカーターに対し、「白人だと勘違いしてしまった」と弁解したという。つまり、彼は白人であったなら不合格だったのだが、黒人であったために入学を認められたのである(結局彼はイェール大学に入学するのだが)(*103) 。
*103 Carter, 15
最高裁が合憲といえば合憲になるわけではない
多くの保守たちにとって、AAが人種差別であり憲法に反するというのは、意見というよりは確固たる事実である。だから、最高裁判所がAAを合憲とする判決を出しても、それはその判決の方が間違っているのだ。ここでは最近の例として、ミシガン大学の入試選抜制度をめぐる論争を取り上げる。1997年に、マイノリティの学生を優遇するミシガン大学の入試選抜方法を「逆差別だ」として、不合格となった白人学生3人が大学を訴えたが、2003年1月にブッシュ大統領は、同大学の措置は違憲だと主張する意見書を最高裁判所に提出した。ブッシュは、意見書を提出する前日の演説で、アメリカ社会が多様であることの価値を認めながらも、「人種を理由に高等教育に人を受け入れる、あるいは排除する割り当て制度(quota system)、およびそれが提供する機会は、軋轢を招き、不公平で、憲法と相容れない」と、ミシガン大学の採っている入試制度を非難した(*104)。
*104 “Bush: Affirmative action quotas unconstitutional,” CNN.com http://edition.cnn.com/2003/ALLPOLITICS/01/15/bush.aa.transcript/
ミシガン大学の措置に対して、最高裁判所は、2003年6月、以下のような決定を下した。まず、同大学のロースクールが入試の際に人種を考慮に入れていることは5対4の僅差で合憲とした(判決は9人の判事の多数決による)。一方、学部入試で黒人、ラテン系とネイティブ・アメリカンに、150点満点のうち20点を与えるという措置は、6対3で違憲とした。つまり、AAの概念自体は合憲だが、そのためにミシガン大学が採っていた特定の方法は度が越している、という内容である。両方の判決で多数派に属したオコナー判事は、「学生の多様性は国の利益として切実なものであり、それは大学入試において人種を選考材料に用いることを正当化する」とした上で、そのためには厳格に調整した(narrowly tailored)措置をとる必要があると論じた(*105)。
*105 “Affirmative action upheld, but justices set some limits,” For Faith & Family. http://erlc.com/partner/Article_Display_Page/0,,PTID313086%7CCHID590694%7CCIID1590970,00.html
しかし、最高裁判所が何と言おうと、保守たちは立場を変えない。AAが存在する限り、それは優遇の程度に関係なく人種差別であり、したがって、一刻も早く「完全に」廃止すべきなのだ。「厳格に調整した」方法であればいいというのは玉虫色の議論である。ウィリアム・マーチソンは、ワシントン・タイムズ紙のコラムで、最高裁がAAに対して「イエスとも言わないしノーとも言わない」、「信念のない」、どっち付かずの態度をとっていると批判した。彼によるとAAは明らかに憲法違反の人種差別だが、最高裁の決断はあくまで政治的なものである。そこには法的な議論が欠落しており、5人の判事は、「適量の」人種差別という、「芯のない鉛筆」「羽根のついた豚」に等しい無意味なものを探っている(*106)。
*106 Murchison, W. (2003): “Law and principles,” The Washington Times, June 26, 2003 http://www.washtimes.com/commentary/20030625-085919-5040r.htm
実際のアメリカの保守たちによる多文化主義への攻撃を、自由、平等、個人主義といったキーワードだけで解読するのは不可能だ。しかし、自由主義の原則は、多文化主義に対する保守たちの立場を支える、重要な論理的支柱である。政府が主体となって、社会を集団に分類し、異なった扱い方をするという発想は、自由主義の諸理念と正面衝突を起こす。多文化主義や多様性といった理念を、自由主義や憲法よりも上に置くことはできないのだ。
ただ、これは片方の立場から見た議論である。対立する立場の言い分も、聞くに値するのだ。