2011年10月10日月曜日

2011年7月30日~8月4日 広島旅行記(2)


「これか・・・。」思わず一人、声に出した。

夜の10時を回っているが、照明が照らされ原爆ドームが見える。すぐ側に川があるのだが、ここも爆弾が落ちた当時、全身を火傷した人々が埋め尽くしたのだろうか? そんなことが頭をよぎり、呆然としてしまった。


私は広島に来る直前、予習として『いしぶみ 広島二中一年生全滅の記録』(広島テレビ放送 編)を読んでいた。原爆が落とされた前後の中学生たちの様子と死にざまを、子供でも読める平易な言葉で、淡々と記述した本だ。爆心地近くの川に生死をさまよう人たちが溢れたことをはじめ、数々の生々しい事実を、この本から学んだ。もちろん、原爆のことは小さい頃にも学んでいたのだろうが、今、改めてこの本を読み、衝撃を受けた。

前回、原爆のことを学んだのはいつだったろうか? 覚えているのは、小学生時代の大半を過ごしたニュージーランドで『はだしのゲン』を読んだときだ。たしか補習校の図書館にあったのだと思う。「補習校」とは、日本人が現地校の後に来て日本の教科のお勉強をする、補助的な学校だ。生徒は主に親の仕事でニュージーランドに来ている子供たちだった。現地の学校と並行して、週に数回通っていた。図書館といっても、蔵書はほぼ児童向けに限られ、せいぜい数百冊。図書館というよりは、三つか四つの本棚だった。

でもその小さな図書館のおかげで、海外にいながら日本語の活字に多く接することができた。日本に住んでいる日本人の小学生よりもずっと本は読んでいたはずだ。アルセーヌ・ルパンの翻訳物に特に夢中になって全部読んだのを覚えている。幼い頃の私はどちらかというと、誰もが陶酔する正義の味方よりは、ちょっと影のある悪役に魅力を感じていた。

『はだしのゲン』を読んだのは小学生の頃だったし、おそらく他にも何かしら原爆については教育を受けたのだろうが、28歳の私には具体的な知識として残っていなかった。

最初はドームの写真を撮っていいものか、若干ためらったが、意を決した。ぐるっと一周して、しっかりとその全容をカメラに収めた。おごそかな気持ちでいずにはいられなかった。


いくつかの慰霊碑が、ここが普通の場所ではないことを物語っている。でも、ドームすぐ横のベンチでは、カップルがいちゃついている。後ろを振り返ると、道路を車が走り、バス停には人が並んでいる。何事もないように日常が回っている。当たり前だ。だって爆弾が落とされてから、約66年経っているのだから。でも、それを当たり前のこととしてすんなり消化することができなかった。

2011年8月22日月曜日

2011年7月30日~8月4日 広島旅行記(1)

スペインの地ビール、エストレージャ・ガリシア。かきとたまねぎのキッシュ。から付きかきのオーブン焼き4種。

広島駅から徒歩5分ほどの川沿いにある牡蠣料理屋「牡蠣亭」でぜいたくな夕食を楽しみつつ、私は心地よい充実感に包まれていた。

国内旅行も捨てたもんじゃないな。それどころか最高だ。グラスに残されたビールの最後の一口を喉に流し込む。

若いうちは、海外を旅するべきだ。国内旅行なんて、歳をとってからでいい。そう思っていた時期が、私にもありました。

でも、広島に行ってみたいという思いが数年前から徐々に大きくなってきていて、無視できなくなっていた。戦争のこと、アメリカが私たちの国に原子爆弾を落としたことを多少なりとも思い起こさざるを得ない夏が来る度に、一度も原爆投下の現場となった街に足を踏み入れたことがないというのが心残りで、負い目ですらあった。一人の日本人として、どうしても行っておきたかったのだ。



7月30日、土曜日。

10:17品川発、14:06広島着の新幹線。

Charles Bukowskiの"Ham on Rye"をKindleで読む。アメリカ人著者による、少年・青年期の自伝的小説なのだが、すこぶる面白い。

この本で描かれている著者は、アメリカ型非リア充の一種だ。主人公はケンカが強く、荒々しい生活を送っている。こう書くと人気者のガキ大将のようだが、友達がいなくて、貧しくて、女性にもてず、親からは暴力を振るわれる。

でも、決して悲劇仕立てではない。息苦しく、痛々しいが、ひたすら痛快で笑える傑作だ。

アメリカン・ドリームを手に入れた一握りの成功者たちの陰には、それとは比べ物にならないくらい多くの落ちこぼれがいるんだろう。

アメリカ的ポジティブ思考がもてはやされる陰には、どうしようもなくネガティブな現実が立ちはだかっているんだろう。

起業家やスターたち、ポジティブ思考だけでアメリカが成り立っているわけではないという当たり前のことに気付かされた。

2011年6月26日日曜日

『けいおん!』を5時間観たハロプロ好きが考えたこと。

どういうわけか、アラサーの男性3人が集結し『けいおん!』なるアニメ作品を5時間ぶっ続けで視聴する(「1期」全話+@)という企画が拙宅にて決行された。

乱暴にまとめると、『けいおん!』とは女子高校の軽音部員たちの活動を描いた作品である。

部屋のブラウン管(地デジ非対応)に映し出された光景は、『けいおん!』を今まで観たことないどころかアニメを観る習慣のない私にとっては見慣れないものだった。

『けいおん!』愛好家@yokohamalotte氏による解説を聞きながら作品を視聴していくにつれ、以前から抱いていたこんな仮説が確信に変わっていった。

『けいおん!』のファンと、アイドル※のファンが根底で求めているものはかなりの程度、共通しているのではないか。

この記事では上記仮説を、下記二つの切り口から立証する。

1.男性との関係が最小限
2.物語ではなく、登場人物が中心

※この記事で「アイドル」というとき、それはハロー・プロジェクトを想定している。

1.男性との関係が最小限

『けいおん!』を見ていて何よりも明らかだったのは、男性の登場人物が最小限に抑えられており、登場したとしても軽音部員の女子生徒と深く関わることは絶対にないという点である。

まず、舞台からして女子高であるので、学校に男子生徒はいない。文化祭で演奏する場面があるのだが、観客は女子生徒ばかりで、他校の男子生徒など見る影もなかった。

男性教師が出てくる場面もあったが後ろ姿と声だけで、何と顔が映らなかった。この徹底ぶりには笑ってしまった。

2011年6月22日水曜日

書評:"How Men Think"(『女性(あなた)の知らない7つのルール―男たちのビジネス社会で賢く生きる法』)

Adrienne Mendell, How Men Think

(日本語版:エイドリアン・メンデル、『女性(あなた)の知らない7つのルール―男たちのビジネス社会で賢く生きる法』)

題名からして女性向けなこの本を、男性の私がなぜ手に取った(正確にはキンドルでダウンロードした)かというと、先日参加したキャリアに関するセミナーで、佐藤留美さん(『結婚難民』の著者)が推薦されていたからだ。

男性たちへの取材を元に彼らの発想法や仕事における行動原理を解説し、彼らが支配的なビジネス界でいかに生き抜いていくかを具体的に説く、女性による、女性向けの指南書である。

念頭に置く必要があるのは、本書は米国の社会や企業文化を前提に、米国の女性向けに書かれているということだ。この本に「男のやり方」として出てくる事例が、仮に私たちの社会や企業で当てはまることがあったとしても、その程度や頻度はだいぶ控え目だろう(と、信じたい)。

一つの例を挙げると、筆者は「コンピュータの使い方を教えてあげるからパスワードを教えて」と言ってくる男の目的はあなたからデータを盗むことかもしれないと警告している。こういった個人の業績を得るために他人を騙したり蹴落としたりする行為は、弱肉強食の雇用環境や企業文化の上でしか試みる価値のあることとして成立しないだろう。

もっとも、そういった個別の事例はともかく、全体像としては日本でも共通する点が多いだろうし、日本の女性にとっても十分ためになる読み物だと思う。

それでは、男性にとっては役に立たない本なのだろうか? そんなことはない。むしろ、日本の企業で働く男性にこそ読んでもらいたい一冊だ。

一つの明らかな理由は、会社および社会一般で女性の働き手たちが置かれた立場を想像するきっかけになることだ。私は本書を読むことで、今まで抱いていた「ビジネス的な」考え方のいくつかが、実は「男性的な」考え方であり、女性にとっては馴染みにくいかもしれないことを知った。そして、「男性的な」考えや行動様式を身に付けなくてはいけない女性たちの気苦労を想像すると、ぞっとした。

もう一つの理由は、私たち男性も、状況次第で本書における「女性」になり得るからだ。メンデル氏は女性のことを、受け身で、ガツガツしておらず、競争よりも協力を好む存在として描写しているが、これらの特徴は男性と比較することで初めて導き出すことができる。だから、本当の論点は仕事をする相手との関係における自分の「女性的な度合い」なのであって、必ずしも性別そのものだけではない。

たとえば、日本人男性は、外国人と仕事をするときに「女性」になり得る。外国人を前にすると、言語やコミュニケーション・スタイルの壁、そしてコンプレックスによってうまく振る舞うことができない日本人は、多い。

また、同じ男性でもみんなが一様にガツガツしているわけではない。筆者が説明する「女性」の特徴に当てはまる発想や仕事のやり方は、個人差はあれ男性にも当てはまることはあるだろう。

つまり、本書は「草食系」の働き手が「肉食系」の働き手からいかにして身を守り、彼らといかに共存するかの手ほどきとして読むことができるのである。

もっとも、読後感はすっきりしなかった。なぜなら私には「男性が支配的なビジネスの世界で女性たちが生き抜くためには『オトコ』になるしかないのか」という疑問が、ため息とともに残ったからだ。

How Men Think



女性(あなた)の知らない7つのルール―男たちのビジネス社会で賢く生きる法

2011年5月20日金曜日

SFCに行ってきた話と、その後考えたこと。

Twitterをやっていてよかったと思うことが、また一つ起きた。

尊敬する思想家の一人、岡田斗司夫さんが慶應義塾大学の講義にゲストで登場されることをタイムラインで知った。「潜り込みたいくらいだ」と何気なくつぶやいたら、思いがけないことに岡田斗司夫さんご本人が「潜り込んだらいいんじゃないですか?」と返信してくださったのだ。

2011年5月19日。

私は会社を休み、出身校である慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC)に足を運んだ。

θ(シータ)館という数百人収容の大教室。学生の頃は一度も時間通りに出席したことがないかもしれない一限の講義を、最前列で、食い入るように聴き入った。岡田さんは講義の後も教室の外で学生との問答に対応してくださった。私は次の約束があったので問答の方は途中で抜けざるを得なかったが、30分くらいは参加することができた。

その講義と問答でとった7ページに渡るメモから、何点か特に印象に残った学びを挙げる。

  • 何かの悪いところを直そうとすると、その反対にあるよいところを壊してしまう。世に無駄はない。よいものも悪いものも、残っているということは何かの必然性がある。
  • 将来を「予測」「予想」しようとしてはいけない。「・・・はこうなる」というように末尾に「なる」が付くことはやっても無駄。「なる」は「する」に変換しないと無意味。「自分」が乗っからないとあらゆるアイデアは凡庸でつまらない。
  • キーワード(「要するに・・・」「一言で言って・・・」)はどうでもいい。思考のプロセスに面白みがある。
  • 現代は農業革命、産業革命に次ぐ情報革命の時代。ハイパー情報社会の本質は、一人が成功し数百万人が失業する社会。
  • 日本の論争は「合理性(最大多数の最大幸福)」と「自由と権利」の綱引きになりがちだが、第三の視点として「美徳(好き/嫌い、嫌、気持ち悪い、どのようにありたいか等々)」も必要。実は世の大半の人々は「美徳(好き/嫌い、嫌、気持ち悪い、どのようにありたいか等々)」を元に物事を判断している。
  • ビジネスの成功は偶然。成功法則はない。もしあるのなら、ダイアモンド社等の社員は皆金持ちになっているはず。でも成功本は個人が動く上では力になるから無意味ではない。J-POPの歌詞と同じ。

濃密で刺激的な学びに、脳が喜びの悲鳴をあげているような心地だった。こんな講義を受けられるだなんて、SFC生は何てぜいたくなんだろう。

2011年4月29日金曜日

道重さゆみの、現実を作るための、自己評価。

「可愛いとは思ってるけど人気があるとは思ってません。」

正確な時期は分からないが、おそらくモーニング娘。に加入して(2003年)間もない頃のテレビ出演動画だった。

モーニング娘。構成員たちが一列に並び、メンバー内で(世間から)一番人気があるのは自分だと思う場合、手元にあるボタンを押す、という場面だった。

ボタンを押した3人の中に、道重さゆみは入っていなかった。

「どうした道重?」と不思議そうに尋ねる矢口真里にほぼ真顔で道重さゆみが返したのが、最初の言葉である。

ネットで動画を見た私は、機転の利いた対応に大笑いした。

しかし、それ以上に気になったのが、最近の発言とのずれである。

「(もし自分がAKBの一員で)総選挙をやったら一位になると思う」(2011年3月8日「ロンドンハーツ」)

「(私は)世間では一番可愛いと言われている」(2011年4月5日「PON!」)

上記の発言は、「私は一番可愛いと自分で思っているし、それは社会的にも認められている」という信念がなければ成立しない。

しかし、どうも動画から判断するかぎり、デビュー間もない頃は「私は一番可愛いと自分で思っているが、それは社会的には認められていない」というのが基本的な姿勢だったようなのだ。

2011年4月16日土曜日

まだ終わりじゃないんだよ。

あれはちょうど去年の今頃。

金曜日だった。

いつもの昼休み明け。いつもの定例ミーティング、のはずだった。

上司が淡々と連絡事項を読み上げていく。課員たちは、黙って聞く。何人かの課員は自分の休暇情報を知らせる。10分後には、いつもの席に戻り、いつもの仕事に戻っていく。驚きも刺激もない、いつもの儀式。

そうあって欲しかった。でも、今回だけは違った。

まずは書類のファイリングを済ませて、あのメールを片付けるか。俺は、席に戻ってからやることを考えていた。

その時。一瞬だけ間を置いて、上司が口を開いた。

「えーと、あと、大変残念なんですが・・・」

何かが普通ではないことだけは分かった。

2011年3月27日日曜日

俺は負け犬。

こんなはずじゃなかった。

モニターに映し出される不採用通知。

何通目だ? 各社が申し合わせたように似通った言い回しで固められた文面を、もう笑い飛ばすことはできなかった。

ここを落ちたら、持ち駒は一社しか残っていない。俺はどうするんだろうか。

リクナビでボタンを押していけば、エントリーの数はいくらでも増やすことはできる。でも、俺の気力はもう限界だ。正直に言おう。つらい。

この就活(就職活動)というやつを、俺は心から憎んでいる。すべてが、アホくさい。

2011年2月28日月曜日

乾杯。

「乾杯!」

小宮麻子は、か細い腕で生ビールの中ジョッキを掲げた。

残念ながら、グラスをぶつけている相手は男ではない。

大学時代から仲良しの真美、佳子、愛の三人と、数ヶ月ぶりに飲んでいる。

4人とも就職して2年半以上がたつので、会うと仕事の話が多くなる。

早い話が愚痴大会だ。

麻子は、三人のことが羨ましかった。なぜなら彼女たちは自分よりもいい会社にいるし、自分よりも大きな仕事をしているし、おしゃれなオフィス・ビルで働いている。それに詳しい額は聞いていないけれど給料も自分より高いに違いない。話を聞くかぎり、彼女たちの会社には優秀な人や尊敬できる上司がそこら中にいるらしい。ロール・モデルにできる女性社員が何人もいるらしい。

自分の会社はと言えば、まったく自慢できることがない。社内に尊敬できる人なんていない。英語も仕事もできないのに偉そうにしている親父ばっかり。見本になって自分をリードしてくれるような人が一人もいない。将来自分はこの人のようになるんだって思える女性が会社の中にいない。そもそも女性がほとんどいない。社屋はちょっと辺鄙(へんぴ)なところにあって、お昼休みにランチができるお洒落な店なんて周りにない。しかもそのお昼休みが45分しかない。友達の会社のお昼休みはみんな1時間なのに。

麻子は学生時代、アメリカの大学に1年間、留学していた。そこで培った国際感覚や英語コミュニケーション能力を活かして、世界の人々と国際的な仕事をしたいと思って、今の会社に入ってきた。

でも降ってくる仕事は、英語の会議の通訳をしてくれだとか、英語の会議の議事録を作ってくれだとか、このメールを訳してくれだとか、そんなのばっかりで、自分がやりたいこととは違う。やる気なんか出ない。

こんなはずじゃなかった。私は通訳をするためにこの会社に入ったわけじゃない。

そんな愚痴をぶちまけていると、外資系金融機関に勤める佳子が口を挟む。

「えーダメだねその会社。転職すれば? 麻子の力があれば、もっといい会社にいけるって。麻子ならできるよ!」

そう、私にとって今の会社は、本当の居場所ではない。自分の能力を活かせる舞台ではない。

そんな気持ちを後押ししてくれる親友たちとの飲み会は、いつも麻子にとって心地よい時間だ。

転職は当然考えている。自分ならもっといい会社で、尊敬できる同僚に囲まれて、やり甲斐のある仕事を与えられて、もっといい給料をもらえるはず。

私が今の会社にいるのは、なぜ?

毎朝会社に行くと、みんながいるから?

会社が私を必要としているから?

流れで、何となく?

何で私がこんな会社にいなくちゃいけないのか、どう考えても分からない。

2011年2月13日日曜日

それはお前の仕事じゃない? じゃあお前は要らねえよ。

彼女の目が潤んでいるのに気付いたときには、もう遅かった。

あーあ、やってしまったな。

俺もカッとなってしまったのは否めない。

週も後半で、しかも夕方。疲れていたし、はっきり言ってイライラしていた。

彼女の名前は、田中さん(仮名)。先輩の星川さん(仮名)に連れられて、子羊のように彼女がうちの部署にさまよい込んで来たときから、嫌な予感はしていた。2メートルほどしか離れていない俺の上司の席に来たところで、星川さんは逃げるように退散していった。田中さんが俺の上司に何かを相談している。

直観的に、俺にその仕事が降りかかってくるということは予感できた。なぜなら他の部署から仕事の相談が来たとき、俺に振る以外の方法を俺の上司が思いつくわけがないからだ。だから予習のため、盗み聞きしていた。というか聞こえてきた。

2011年1月30日日曜日

大学時代までJEANS MATEで服を買っていた俺が、ヨウジとギャルソンを愛好するようになるまで。(8) 完結

最近、周りの人たちを観察していて思う。

多くの人たちのファッション感覚は、中高生くらいで止まっている。いや、まあ女性は分からないけど、少なくともほとんどの男は自分なりの合わせ方、ブランド、サイズ、色なんかに対する探求を、ほとんど行っていない。

俺の働いている会社では、子供っぽいプリントのTシャツで仕事をしている人や、よく分からないベンチ・ウォーマーみたいなのを羽織って出社している人なんて普通だし、リクルート・スーツ以上のスーツを着ている人なんてほとんど見たことがない。お、ちょっとおしゃれを頑張ってるかな、という人でもせいぜい丸井系が関の山だ。

馬鹿にしているわけじゃないよ。俺だって会社に入った時点では丸井系にすら到達していなかったんだから。

俺だって、そんな人たちと紙一重だった。今でこそ当たり前のようにヨウジやギャルソンの店に通い服を選んでいるし、合コンで俺の服装を見た女性たちは必ずと言っていいほど「おしゃれですね」「街角スナップに出てきそう」といった否定できないコメントを発してくる。でもこうなったのは色んな偶然が重なったからだ。

2011年1月16日日曜日

大学時代までJEANS MATEで服を買っていた俺が、ヨウジとギャルソンを愛好するようになるまで。(7)

ヨウジの服は、俺にとって、不思議な魅力がある。

もちろんギャルソンにもそういう魅力はあるんだけど、最近思う。ヨウジは特別なんだよね。

俺にとって、ギャルソンとヨウジの一番の違い。

ギャルソンの服は、何年かたつと古くなる。

今まで買ってきたジュンヤの服は、次々にヤフー・オークションに出品している。デザインは今見ても素晴らしいんだけど、これからも継続的に使う気がしないんだ。この言い方で合ってるか分からないんだけど、賞味期限が切れた感じがする、っていうか。新しいのが欲しいなあと思う。

ちなみにこの一連の記事に何度か登場するプリュス信者の友人も、プリュスの服はシーズンが終わるとヤフオクにバンバン流している。

2011年1月3日月曜日

大学時代までJEANS MATEで服を買っていた俺が、ヨウジとギャルソンを愛好するようになるまで。(6)

立ち上がりって言ってもさ、冷静に考えたら、春夏もしくは秋冬の、最初の入荷日、なんだよ。単に。

そのシーズンの服すべてが一斉に入荷するわけじゃなくて、その後も半年にかけて新作は出てくるわけだから。

でも、他の入荷日にはない特別な高揚感が、立ち上がりの店頭にはある。

お客さんは普段より多い。お客さんだけでなく、店員さんも、どこか浮足立っていて、ワクワクしている。基本、ギャルソンやヨウジの店が、ユニクロみたいに客でごった返すことはまずない。価格帯が違いすぎるからね。でも、立ち上がりに限って言えば、ユニクロと張るくらいのせわしなさがある。

ヨウジよりもギャルソンの方がその点はすごい。通常だと、ギャルソンでは一人の店員さんが一人のお客さんをじっくりと接客していくんだけど、俺が立ち上がりの日にコル・ソ・コモ(ギャルソンの路面店の一つ)に行ったときは、俺を担当してもらっている店員さんは俺と並行して他に二組のお客さんの対応をしていた。一人が試着している間に別のお客さんと話して、みたいな。