2011年1月30日日曜日

大学時代までJEANS MATEで服を買っていた俺が、ヨウジとギャルソンを愛好するようになるまで。(8) 完結

最近、周りの人たちを観察していて思う。

多くの人たちのファッション感覚は、中高生くらいで止まっている。いや、まあ女性は分からないけど、少なくともほとんどの男は自分なりの合わせ方、ブランド、サイズ、色なんかに対する探求を、ほとんど行っていない。

俺の働いている会社では、子供っぽいプリントのTシャツで仕事をしている人や、よく分からないベンチ・ウォーマーみたいなのを羽織って出社している人なんて普通だし、リクルート・スーツ以上のスーツを着ている人なんてほとんど見たことがない。お、ちょっとおしゃれを頑張ってるかな、という人でもせいぜい丸井系が関の山だ。

馬鹿にしているわけじゃないよ。俺だって会社に入った時点では丸井系にすら到達していなかったんだから。

俺だって、そんな人たちと紙一重だった。今でこそ当たり前のようにヨウジやギャルソンの店に通い服を選んでいるし、合コンで俺の服装を見た女性たちは必ずと言っていいほど「おしゃれですね」「街角スナップに出てきそう」といった否定できないコメントを発してくる。でもこうなったのは色んな偶然が重なったからだ。

もし就活のとき、今の会社に合格していなかったら? 俺はたぶん大学院に行っていた。今のように自由に使えるお金がなければ、ヨウジ・ヤマモトもコム・デ・ギャルソンも、買ってみようだなんていう発想は浮かばなかっただろうね。

もし、会社で粘着ファッション・オタクの友人に出会っていなかったら? どの街で、どのブランドを、どの店を、どうやって見ればいいのか、デザインのいい服とはどういう服なのか、といったことへの理解を助けてくれる人がいなければ、とてもじゃないけどJEANS MATEからギャルソンとヨウジにはたどり着けなかったよ。

もし、体重が以前のままだったら? 体型がコンプレックスのままで気後れして、店員さんとまともな対話もできなかっただろうし、自由な気持ちで色んな店やブランドを見ることもできなかっだろう。

色んな偶然が重なっていなければ、今こうやって、このブログ記事を書いていることもなかっただろう。

大学時代の延長で人生を過ごしていれば、この一連の記事とはまったく反対の立ち位置からファッションを眺めていただろう。服オタクを見て、「馬鹿だなあいつらは。大して金持ってないくせに服だけは成功者気取りかよ。めでたいな。大体ファッションの値付けなんて詐欺じゃねえか。ブランド名に踊らされてるな」なんて小馬鹿にしていたかもしれない。



自分がこうなるだなんて、大学時代には想像もできなかった。

そう、俺は元々おしゃれでも何でもないんだ。

というより、今でも俺は、自分が「おしゃれ」なのかどうか分からない。

ただ言えるのは、服が本当に好きだということ。そして、服は自分の一部であるということ。

洋服にはまり込んでしまったのは、運がよかったんだろうか? 悪かったんだろうか? 得たものと、失ったものは、どちらが大きかったんだろうか?

それは、分からない。

でも、嫌いだったものを好きになる。かつては理解できなかった人たちのように自分がなってしまう。それは、人生の一番の醍醐味なんじゃないかと、最近俺は思っている。

そういう意味じゃ、JEANS MATEからヨウジ・ヤマモトとコム・デ・ギャルソンに到達する過程で俺が味わってきた感情、考えてきたこと、学んだ教訓。考えと行動の変化。そういったことのどこかに、人生の面白さが隠されているのかもしれない。

この一連の記事では色々と好き放題言ってきたけど、俺は外野から評論しているわけじゃない。ここに書いていることはすべて、自分のお金を出して、自分の時間を使って、自分で経験して考えたことだ。俺は服に数百万円使ってきた。そして、結果としては無駄な買い物もたくさんして、後悔や、嫌な思いもたくさんしてきた。服やファッションに関する専門知識は一切持っていないけど、とにかく服を通して自分を、自分を通して服を考えてきた。



最近、自分って歳をとったな、と感じることがある。

たとえば、原宿に繰り出すのすら三十手前になってくると「なんか違うな」って感じになってくる。会社に入ったばかりの頃は毎週のように原宿に出かけては洋服屋に限らず街中の店を見て回っていたものだが、最近ではめっきり行かなくなった。俺が担当してもらっているヨウジの店員さんも似たようなことを言っていた。俺の服に関するメンターの同期も原宿からは足が遠ざかりつつあるが、若い感覚を忘れないために「頑張って行くようにしている」らしい。あれだけ楽しみに歩いていた若者の街も、いつの間にか努力して行く場所になってしまった。何なんだろうね、何か、そういう気分が湧いてこないんだよね。街を歩く学生が、気付いたらガキに見えてきたし。

「若いうちは旅をするべきだ。冒険をするべきだ。」

最近、自分よりも年上で人生経験も長い人たちからそう言われた。俺も同意見だ。

俺の周りには日本から一歩も出たことがないなんていう人が結構いる。その人の自由は尊重するけど、はっきり言って、彼らは人生の大きな部分を逃している。

旅をするべきだ。冒険をするべきだ。それも若いときに。それは、ファッションにも当てはまるんじゃないかと思う。

若いうちに色々冒険して模索していかないと、お仕着せではない自分のスタイルや着こなしなんて、一生身につかないんじゃないかな。

自分のスタイルを持つのは、他人の助言や流行を無視するっていう意味では、必ずしもない。たとえば店員さんにあるコーディネートを薦められて、訳も分からず従ってしまうのが自分のスタイルがない人。同じ状況でも、鏡に映った自分を見て、店員さんに薦められた合わせが自分に似合っているのか、そもそも自分がその格好を好きなのかを、自分の眼で判断できるのが、自分のスタイルをもっている人。

ファッションは、若いうちに色々試して失敗して、自分のスタイル(好み、合わせ方)を見つけておけるかがすべてな気がする。ファッション感覚は、歳を重ねるごとに比例的に熟成していくもんではない。

自分のスタイルを見つけるっていうのは、簡単なことではない。

世の男性を見よ。スーツを囚人服や作業服として着させられるのではなく、楽しんで選び、着こなしている人がどれだけいるのか。スーツ以外の、カジュアルすぎない服装が出来る人がどれだけいるのか。

男は若いうちにスタイルを模索しなければ、Tシャツにジーンズ、もしくは仕事のスーツの二種類しか選択肢を描けなくなる。平日が会社漬け、土日が家でゴロゴロもしくは近場で済ますとするなら、それはある意味合理的かもしれない。(別にTシャツにジーンズの合わせを否定しているわけではなく、あくまで一つのたとえとして挙げている。)

男が、スーツでもなく、Tシャツにジーンズでもなく、という線のスタイルを身に付けるのは意外とハードルが高い。そういや俺の父も小学校の授業参観の案内に「スーツでなくてOKです」と書いてあるのを見て「こういうのが一番困るんだよな…スーツって言ってくれれば楽なんだが」と苦笑していた。

女性の場合は安価でそこそこ流行を取り入れたブランドがたくさんあるだろうが、男が自力でブランドを開拓して、カジュアルすぎず、ガキっぽくなく、会社スーツでもないスタイルを習得していくのには涙ぐましい努力と多大な出費を伴う。上述の条件を満たしたブランドは、少なく、高い。俺は最近ようやく、そういったスタイルを自分なりに確立することができてきた。

そこまでの労力を注いで、そこまで膨大なお金を出す価値はあったのかって?

そんなこと、分かるわけないだろ。

でも、JEANS MATEからヨウジとギャルソンにたどり着いた俺から言わせてもらうと、この旅路は一度はまると引き返せないほど面白いぜ。(了)