2010年8月2日月曜日

ソウル見聞録 (6)(2003年5月11日執筆)

ナンタとは

さて、劇場に入る前に、基本的な質問。そもそもナンタとはなんだ? パンフレット(日本語版)に説明してもらう。
1997年の初公演以来、客席の平均占有率110%という記録を打ち立ててきた "NANTA" はサムルノリのリズム(Korean Traditional Rhythm and Beat)を素材にドラマ化した作品として韓国初の Non-Verbal Performance (非言語劇)です。(COOKIN' NANTA 日本語パンフレット)

少々日本語が不自然なのはご愛嬌。では、具体的にはどういう内容なのだろうか。再び、パンフレットから。
韓国のサムルノリを西洋の演劇様式に取り入れたこの作品は、大型厨房を舞台にして4人の料理師が登場し、結婚披露宴のための料理を作る家庭で各種の厨房器具(なべ、フライパン、皿など)を持ってサムルノリを演奏するという内容で構成されています。(同前)
ということだ。

料理長の誕生日

劇場に入る。収容人数は、まあざっと見て300人くらいだろうか。自分達の席は後方にあり、ほぼ真ん中だがやや左寄りの位置だ。

後ろの方の席なのが不満だが、Yによると、むしろこの方が都合がいいという。というのも、前の方に座っていると、ステージに上げられて劇に参加させられるらしいのだ。YやFが数百人の観客の前でリズムに合わせて体を揺らすだなんて、想像するだけで顔を覆いたくなる。

劇の開始(午後4時半)の前に、ステージに幕が出てきて、日・英・中・韓の4ヶ国語の文章が映し出された。内容は、客への挨拶や、簡単なあらすじの説明だ。小音量の軽快な背景音楽に乗せて、文が切り替わっていく。何回か、客にリズムに合わせて手を叩かせる場面もある。

要は、客の温度を上げておくための演出だろう。私が一番それを感じたのは、今日は料理長の誕生日だ、という意味の文が出てきたあたりである。単に誕生日だと指摘するにとどまらず、図々しくも、客に祝福の歌を歌えと言ってくるのだ。

そんなこと言われても、ねえ。私としては「はあ、そうなんですか・・・」と鈍い返事を返すのみである。急に歌えと言われても困惑する。よって、黙殺する。実際、殆どの人が歌っていない。観客の大半が日本人のため、そのような欧米的なノリにはついていけなかったからだと見た。

ソウル見聞録 (5)(2003年3月30日執筆)

プルコギバーガー

8時に携帯のアラームが鳴り出した。私たちが起き出したのは50分くらいで、部屋を出たときには9時半になっていた。

朝ご飯は、江辺駅近くのロッテリアで食べることにした。ガイドブックか何かに、「韓国に来たからにはファストフードなどではなく、地元の料理を食べよう」といった趣旨のことが書いてあった。確かにそれは正論だ。なぜならファストフードの味やサービスは国によってほとんど変わらないからである。

ただ、そうは言っても、もう入店してしまった。せめて何らかの韓国の独自性を感じさせるものを頼んでみたい。メニューを見ると、プルコギバーガーというのが目に入る。(「プルコギバーガー」と分かったのは、ハングルの脇にアルファベットで書いてあったからである。)

3人とも、そのプルコギバーガーのセットを頼むことにした。これには、3人が別々のものを頼むと、Fにまとめて注文をさせづらいから、という隠された理由がある。

例によって、Yと私はFが注文するのを脇で興味深く観察させてもらう。Fの朝鮮語の使いっぷりはかなり怪しいが、指差しと店員(女性、推定22)の察しによって何とか通じている。


(プルコギバーガーセット)

店員はフレンチフライ(米国の一部では「フリーダムフライ」)を付けずに出そうとしたが、直前で気付き付け足した。「あ、忘れた、ごめんなさい」という感じで何か言ったのが朝鮮語なのを考えると、我々を韓国人と思ってくれているようだ。

飲み物は選べない仕組みで、有無を言わせずコーラが出てきた。レジ近くにこの炭酸飲料が「入れ置き」してある。

ソウル見聞録 (4)(2003年3月25日執筆)

CoEX Mall

次に向かうのは「CoEX Mall」という、様々な店が入った高層ビル(skyscraper)だ。様々な店舗に加え、映画館なども入っているという。ここに来るのは昨日の夜から決めていた。ガイドブックで見て興味を持ったからである。

明洞から20分くらいだろうか、乙支路3街(ウルチサムガ)駅を経由して、三成駅に到着。電車を出て地上へと進んでいると、ソニーのデジカメ、「Cybershot」の宣伝広告が、壁の至る所に貼ってある。それ以外の広告はないと言っていいほどのサイバーショット尽くしだ。

駅を出た瞬間から人通りが多い。実際、駅前には店が建ち並んでいる。そして、100メートルほど先には、探すまでもなく、目的地とおぼしき巨大な近代的建築物が見えている。

その手前に2002年ワールドカップのグッズ店があるので、まずはそこに入る。公式グッズが色々と置いてある。しかし、私が欲しかったユニフォーム類は全くない。アン・ジョン・ファンの人形が興味を惹くが、本人とあまり似ていないのが問題だ。結局、3人とも何も購入せず。

ソウル見聞録 (3)(2003年3月14日執筆)

電車

車両に乗り込む。好奇心から中の様子を観察してみる。だが、日本の電車内と呆れるほど似ており、特筆すべき相違点はほとんど見つからない。

Fが持参してきたガイドブック、「地球の歩き方」に、大韓民国は儒教の国だから、年配者に席を譲る習慣が徹底していると書いてあった。しかも驚くことに、譲る相手は、単に年配者のみならず、「自分より目上の人」全体に当てはまるという。さらに驚くことに、混雑している時には、席に腰掛けている人が、前に立っている人の荷物を持つことがあるという。

実際に乗ってみた感触としては、さすがにそこまでは行かないのでは、と感じた。確かに、明らかに譲るべきだと思える状況や、シルバーシートではきちんと譲っている。だが、座っている人が、常に前に立つ乗客の顔色を窺い、自分より年齢が上かどうかを検証しているようには見えない。座席を占有している乗客が他の人の荷物を持つ光景も目撃しなかった。

気付いた日本との違いを挙げるとすれば、それは携帯電話で通話している人が多い、ということである。本人達に悪びれている様子はなく、周りの人たちも気にする素振りは見せていない。それらから判断するに、どうやら南朝鮮の電車内では、携帯電話で通話することは禁止されていないようだ。私達の乗っている1車両の中で、同時に4人くらいが話していることもあった。

日本では、禁止されていようといなかろうと、電車の中で携帯メイルを打つ人が多い。しかし韓国では違う。この国で、携帯で電子郵便(e-mail)を打ち込んでいる人は、旅行全体を通して1人くらいしか見なかった(実際はもっといたのかも知れないが、いずれにせよほとんど目にしなかった)。Yの話によると、こちらではコンピュータの普及率が高いため、携帯で電子手紙を書く人が少ないという。

ソウル見聞録 (2)(2003年3月4日執筆)

ホテル外を歩く

ジャージに着替えて外に出る。言い忘れたが、冬の韓国の気温は日本より低い。旅行前にヤフーの旅行情報ペイジで調べていたのだが、確か今日は最高が6度、最低が0度。ただ先ほどまで一緒だったガイドさんによると、最も寒い時にはこんなものではないらしい。まあそれでも結構な寒さなわけで、ジャージ1枚で出たのは失敗だった。

適当に、ぶらりとホテル周囲を散策してみる。コンビニがある。しかも日本のコンビニだ。店名の所がハングルになっているが、明らかにこれはセブン・イレブンだ。ファミリーマートもある。探すまでもないくらい、焼肉屋が林立している。宿舎からの客を狙っているのか、食い物屋が多い。安全上の理由から、あまり裏道に深入りするのは止めておいた。


(ファミリーマート)

外の冷気に身をさらしていると、だいぶ気持ち悪さが解消されてきた。30分ほど前には飯を食うなどもっての他、「行くなら俺を置いて2人で行ってくれ」と言っていたが、何とか「食うんなら付き合ってもいいよ」と言えるくらいには復調してきた。

食欲旺盛なYの推進により、結局、今夜は夕食を食べることにした。やはり、南朝鮮に来たからには焼肉がいい。ホテルの向かい側の店を指差し、「あそこにしよう」とY。

ソウル見聞録 (1)(2003年3月1日執筆)

南朝鮮旅行

あっという間にこの日が来てしまった。今日は2月23日。午前9時14分、横浜駅の緑の窓口に一番乗りした私は、使い慣れない車輪付きのカバンを地面に置き、ほっとため息をついた。それは安堵のため息だった。まず、待ち合わせの時間に間に合ったという安堵。そして何より、この旅行自体が実行できるという安堵。前々から、アメリカのイラク攻撃の時期と重なってしまうのではないかと危惧していた。だが報道を追う限り、3月にずれ込みそうだ。

とは言っても、私は別にイラクに行くわけではない。そんな危なっかしいことをするわけがない。「人間の盾」とかいう運動の活動家でもあるまいし。目指すのは大韓民国。デモクラシー(民主政権)の方の朝鮮だ。3泊4日の予定。友人2人とともに。

なぜ韓国へ? 正直なところ、そんなに深い理由はない。春休みに海外に行きたい。しかもなるべく安く行きたい。なら台湾か南朝鮮だ。そこから先は何となく韓国に決まった。もちろん、ただ海外で旅費が安いというだけでここに決めたわけではない。ぼんやりとした興味はある。何となく訪れてみたいと思っていたのは確かだ。

成田へ

待ち合わせは20分。14分にY、18分か19分にFが現れ、参加者の3人が揃った。参加が予定されていたKは諸般の事情により参加を見送った。38分発の電車に乗り成田に向かうことになっている。

2010年8月1日日曜日

とりあえず行ってみた香港・マカオ、その記録(9)(2004年12月24日執筆)

もうやる気がない

明日の朝帰国するため、今日が実質最終日だ。しかし、もはや俺たちから、観光する意欲はほとんど消え去っていた。もう疲れた。

携帯のアラームは鳴ったはずだが、どうやら俺が無意識に止めていたらしい。記憶にないがおそらくそうなのだろう。起きたら10時45分だった。さあ、今日は何をしようか、という感じではない。むしろ、ああ、まだ一日あったのか、というのが私たちの内なる声に近かった。

しぶしぶ起き上がり、嫌々ながら着替えて顔を洗い、部屋を出た。11時半くらいだった。

例によって、今日も最初の食事が昼飯だ。電車で金鐘駅に行き、駅近くにあるPacific placeという買い物処に入った。その中に、数百人が座れる椅子とテーブルがあって、それを取り囲むように色々な食い物屋がある場所がある。

しかし、ちょうど一番混む時間なのだろう、人で溢れていて、座れる場所がない。ここで食べるのはあっさり諦め、建物を出た。やけに活気があると思ったら、そういえば今日は日曜日か。

とりあえず行ってみた香港・マカオ、その記録(8)(2004年11月24日執筆)

快適なスピードで

警備員さんの言葉にしたがって、A1系統の止まるバス停まで歩いた。ドッグレース場のすぐ前がバス通りなので、特に迷うことはなかった。ベンチに貼り付けてある路線図を見ると、たしかに先ほど教えてもらった目的地にA1のバスは行くようだ。

ただ、ここで安心してベンチに座っているわけにはいかない。というのも、停留所とはいえ、こちらから積極的に乗る意思を示さないかぎりバスは止まってくれない。何台かA1以外のバスが、まったく減速せず俺らの前を通り過ぎていった。運転手によってはブレーキを踏んで様子を見ていたが。とにかく止まってくれるかはこっち次第のようだ。

道に半身を乗り出す感じで、向こうからバスが来ないか、そして来たらそれがどの系統なのか、判断しなくてはいけない。A1ならばすぐに手を振るなりして運転手に気付かせないといけない。数秒間躊躇したら、容赦なくバスは通過してしまう。さらに午後10時で薄暗く、光情報が限られている。目がよくない(のに裸眼で生活している)俺は諦め、何とか見えるらしいパンダに任せた。


レース会場の外

バス停に着いて10分くらいだっただろうか、パンダがバスが来ているのに気付いた。そして車道に一歩踏み出し、手を大きく振った。いかにも乗ります、という感じで。

ところが、その身振りは完全に放置された。バスは停留所側に幅を寄せる気配すらまったく見せないまま、快適なスピードで正面突破をすることに成功した。

とりあえず行ってみた香港・マカオ、その記録(7)(2004年10月9日執筆)

マカオタワー

今歩いているのは、最初にバスで来たセナド広場に戻るためだ。一旦戻り、そこから再びどこかに向かうのだ。あそこは前述したように国のちょうど真ん中ら辺だから行動するときの「ベースキャンプ」になる。観光案内所みたいなのもあったはずだ。

パンダと微妙な距離を保ったまま歩いていると、徐々に人通りが多くなってきた。広場に近づくにつれ、ちょっと前に通ったところでは考えられないような、近代的な店(デジタル家電を扱う店など)も増えてきた。

広場内の地図を手がかりに観光案内所があるはずのところに行ったが、どうも見つからない。おかしいと思っていたら、潰れていた。入り口の看板にに"for rent"と書かれていて、シャッターが下りていた。やはりここは観光地ではない。


セナド広場に戻る途中


あれがマカオタワー

ただ、案内所がなくても行きたい場所は俺らの頭にあった。マカオタワーだ。タクシーを拾おうと道に出たが、どうもあまりタクシーが通るところではないらしく、なかなか拾えなくて諦めた。

地図上で位置は分かるし、パンダによると大体1.5キロくらいなので、歩くことにした。

1.5キロの徒歩とだけ言うと大したことではないように思えるが、決して楽な道のりではなかった。今まで散々嘆いてきたこの気候の中での移動を通して、俺はだいぶ疲れていた。

とりあえず行ってみた香港・マカオ、その記録(6)(2004年9月18日執筆)

とにかく飯

駅を出た俺らにとっての差し当たっての目的は、一つしかない。昼飯を食う場所を探すことだ。宿舎を出るのが遅かったため、まだ何も食っていないというのに昼の1時が近い。

正確に言うと、探すというよりは「見つける」ことだ。というのも、電車の中でガイドブックを見て、行きたい場所を決めていたからだ。

それは、ファミレス感覚で入れるという、フランチャイズ展開している中華料理屋だ。ガイドブックの写真を見たイメージだと、日本でいうバーミヤンみたいなもんなんだろうと思う。

しかし、近いところまで来たはずなんだが、どうも店を見つけることができなくて立ち往生。すると、いきなりパンダが地図を片手に何かの店に突撃し、店員さんに道を聞いてきた。「向こうだ」と、爽やかな笑顔で指差すパンダ。俺はちょっと驚いた。こいつは単身で海外に行ったこともあるのだが、そういう経験の中で、こういう思い切りのよさ、勇気を身に付けたのだろうか、と感心する。言葉が分からないのに。

どうやら、パンダ野郎が得てきた情報によると、店は俺らがついさっき通り過ぎたところあったらしい。そして、数十秒歩くと、あったあった。何で見落としていたんだ。

とりあえず行ってみた香港・マカオ、その記録(5)(2004年8月16日執筆。22歳の誕生日)

料理を待っていると、地元の女性客(40くらい?)が一人で来店して、俺らの座っているテーブルに案内された。何なら店員と、知り合い同士のような手馴れた感じでいくつか会話をかわし、注文した。

すると今度は50くらいのおじさんがこれまた一人で来て、またも俺らのテーブルに座った。どうやらこちらでは相席が当たり前のようだ。俺は隣の椅子に置いていたかばんを床に降ろす。おじさんの方は別のもっといい席が空いたので、そっちに移動した。

いよいよラーメンが来た。「いよいよ」と言うくらい期待していたわけだが、目の前に運ばれてきたそれを見て拍子抜けした。「ん?」という感じ。何がって、その大きさだ。ボウルの直径がせいぜい12-3センチくらいしかない。


期待したわりには・・・

具はもちろん海老ワンタンが3つか4つ入っているが、麺の中に埋没していて、見ただけでは麺とスープしか入っていないように見える。つまり見かけも貧相だ。日本でラーメンというと、ラーメン博物館の「ミニサイズ」でもないかぎり容器のサイズは直径でこの倍くらいはあるし、種類にもよるけど何種類かは具が入っていて、見かけの時点でうまく見せるように工夫している。それに対して、今俺らが食そうとしているラーメンは、「食ってくれ」というオーラをまったく発していない。少なくとも、俺にはそう見える。

味も何というか、驚きも発見もない。麺は硬く、噛み切るのが難しい。口の中で麺を揃えて、ハサミで切るようにしっかり切り目を入れないと、食うときの区切りを付けることができない。スープにはあまりコクとか深みはない。海老ワンタンはさすがにうまいと思った。でも日本でいう「ラーメン」を少しでもイメージして行くと肩透かしを食らう。

とりあえず行ってみた香港・マカオ、その記録(4)(2004年8月3日執筆)

半裸

船に乗る時点で既に目的地が見えていただけあって、時間はあまりかからなかった。10分ほどで到着。

あ、そう言えば、再三再四に渡って暑いと言っているけど、それを示すいい例を思い出した。それは、たまに上半身裸で歩いている男がいるということ。船の乗り場付近にもいた。(3)の最後の写真の、下部の真ん中にも、よく見ると半裸の男が写っている。よーく見ないと分からないよ。


船から


到着。港

日本でいくら暑くても、海岸でもない限り乳首丸出し野郎の目撃者になることはそうそうないでしょ。もちろんここでもそこらじゅうにそういう人がいるわけでもないけど、いても結構自然な感じ。自然というか、仕方ないよな、という感じ。

さて、話を戻すと、着いたわけだ。九竜島に。港を出ると「駅前」という風情で、店が集中している。

道端に座り込んで何かを売っているおばさんが客と何やら大きな声でしゃべっている。人々が自分が分からない言葉を当たり前のこととして使っているのを見ると、外国に来たことを実感する。

とりあえず行ってみた香港・マカオ、その記録(3)(2004年7月17日執筆)

よく「歩いているだけで汗が噴き出てくる」という表現を聞くが、今俺が経験しているのがまさしくそれである。

いや、その表現だけでは不十分かもしれない。今、日本で7月16日にこれを書いている。俺は今日の昼間は何もしなくても汗をかいたが、それでも香港に比べると快適だった。何かが違う。おそらくそれは湿度だ。太陽光線に蒸されていると、顔も否応なしにしかめ気味になってしまう。

暑さの中に、爽やかさが微塵もない。暑いというより熱い。暑さというよりは「熱気」。


押す=「推」


ワタミ

駅へ

駅ビルを抜けて、駅へ向かう。

宿舎近くのコンビニがセブン・イレブンだったのは前に書いた通りだ。コンビニが日本資本なのは韓国でも体験済みだったので特に驚きはしなかったが、意外なところに見覚えのある店を見つけた。「ワタミ」だ。

日本でワタミというと、カネのない奴ら御用達の、敷居の低い、上品とは言えない、ファミレスのような感覚の居酒屋だ。だが、パンダ野郎によると、香港では、むしろ裕福な人々の支持を集めているという。

とりあえず行ってみた香港・マカオ、その記録(2)(2004年7月9日執筆)

パンダホテル

バスに乗っている30分くらいの間、ガイドのおじさんが乗客の日本人たちに、日本語でトークを展開し、色々な情報を提供してくれた。日本語自体は、注意して聞き取らないと意味は汲めないことも多かったが、内容は聞くに値した。たとえば、こんなことを言っていた:

・香港ドルと日本円の交換レートは、旅行会社とバスの中で両替すると、1香港ドルが14.8円。銀行だと14.5円。ホテルだと15円だが手数料がかかる。うちで両替してくれ。

・治安的には、男性がいれば安心。女性だけでも二、三人いれば大丈夫だが、一人だと危ない。ただ、一般的には、香港は安全な場所だからあまり心配はしないで欲しい。

・観光客を騙す手口として、お釣りを渡すときに、札束の中に中国元を紛れ込ませる、というのがある。気を付けてくれ。こういうのは小さな店に多い。大きなところに行けば、そんな詐欺には会わない。

・香港名物の一つに、ワンタンメンがある。ワンタンの具の中の、海老の比率が高ければ高いほど、値段が高くなる。海老対豚が3対7の場合、11ドル。5対5の場合、18ドル。そして100パーセント海老の場合、35ドル。(数字はもちろんたとえだろう。)店によってワンタンメンの値段は違うが、それは必ずしも料理の質の違いを意味しない。海老をどれだけ使っているかの指標と思ってくれ。

ホテルに着く間際に、しゃべり終えたガイドさんが前から席を巡回して、希望者との両替に応じた。俺もパンダ野郎も、3万円分、通貨を交換した。つまり、450ドルを少し切るくらいの金額を手にした。これがこの滞在での軍資金だ。

バスが宿舎前で停車したときには、既に夜の11時過ぎだった。ホテルに入っても、すぐには部屋には入れなかった。色々と、ガイドの面倒な説明を聞いたり、紙に自分たちの名前と日本での住所を書かされたり、そして最終日のロビーでの待ち合わせ時間などを伝えられたりした後、ようやく自由になった。

部屋は19階。1919号室だ。(*この番号に関して、パンダ野郎が小学生並みの下ネタを口から放って俺を絶句させたことについては、このページの品格を落とすため、あえて記述するのは避ける。)とりあえず、無事にここまでたどり着けたことに安堵。長旅を経て宿舎の部屋に入ったときの安らぎは、何とも言えないものがある。

とりあえず行ってみた香港・マカオ、その記録(1)(2004年7月2日執筆)

6月17日、衝動

集合時間が遅かったので、寝坊の心配はなかった。旅行会社から渡された紙には、成田空港に夕方の4時半集合と書いてある。飛行機が成田を発つのはその2時間後だそうだ。拍子抜けする。というのも、「うっかり遅れでもしたら・・・」という重圧を味わいながら、気を引き締めて早めに床に就く、という、旅行前にありがちな、修学旅行前夜の小学生的な心境に浸ろうにも浸れないからである。

気合の入らない集合時間だが、気合が入らないと言えば、この旅を決行するに至る経緯も適当だった。いや、適当じゃないな。そうじゃないけど、やたらあっさりしていた。

大体、行くことに決めたのが、一週間ちょっと前だ。それも、前から綿密に計画を練った形跡はない。

言い遅れた。俺は香港に行くんだ。もっとも、それは既にこのページのタイトルが明らかにしているのだが、それを言ったら元も子もない。

日程は、4泊5日。香港に行くついでに、マカオにも寄るつもりだ。で、それらの土地を訪れようと思った理由。俺は来年に就職することを決めてから、学生時代にふんだんに使える自由な時間の貴重さに改めて気付いた。暇な間に、色々な文章を読んで、色々な音楽を聴いて、色々な場所を訪れて、何というか、自分の感性を磨いて、世界を広げておきたい、と真面目に考えるようになった。香港(とマカオ)という、特定の場所を選んだのには、安くいけるから(4泊の宿泊代+飛行機代で4万円以下!)、そして香港は英語が通じそうだから、という浅いにもほどがある理由がある。

でも、どこに行くかは、あまり大事ではなかった。とにかく、何かがやりたかった。すぐにでも、どこかに行きたかった。俺を動かしたのは、その衝動だった。