2014年6月23日月曜日

℃-ute岡井千聖バースデーイベント2014 参戦記録

2014年6月21日(土)、国内外に数多くのファンを抱えるだけでなく同業者からも多大なプロップスを誇る、日本を代表する5人組女性アイドルグループ℃-uteの一員である岡井千聖のバースデーイベントが行われた。

会場が去年より大きくなった分(昨年は東京会場のTOKYO FM HALLが300人くらい、今回の山野ホールは700人くらい?)当選しやすくなったのか、私は2公演とも申し込んだら両方当たった。だから両方観に行った。1回目が16時開演、2回目が19時開演。

この記事は私がそのイベントに参加した記録である。岡井千聖が言ったことを、メモを元にしてなるべく忠実に書き記すことを強く心がけたものの、細かい口調や言葉遣いまではすべて再現出来ていない。私の勘違い、聞き間違い、無自覚の記憶の捏造もあるだろう。全部の発言を網羅している訳でもない。議事録ではない。正確な内容と発言については後日ファンクラブ会員向けに発売されるであろうDVDを観てほしい。この記事は参加したイベントの楽しさを文字として残したいという一ファンの欲求に基づいて書かれたものであり、内容や発言については参考程度に留めてもらいたい。

13時前に会場の山野ホール(代々木駅から徒歩数分)に着くと、既にヘッズが集結してグッズ列を作っていた(ヘッズとグッズで韻を踏みたい訳ではない)。100人以上は並んでいる。仮にこの後ろに並んだら自分の番まで相当に時間がかかる。記念に写真でも買おうかなと思っていたが、列を見て気が失せた。

℃-ute 岡井千聖バースデーイベント2014 オリジナルグッズ
https://www.up-fc.jp/helloproject/news_Info.php?id=6040

マフラータオルあたりが気になる。一部の商品を除いて後でネットで買えるようになるので、そのときにまだ欲しかったら手を出すかも。

代々木駅近くのPRONTOで15時くらいまで桜庭一樹の『私の男』を読んだ。頼んだアイスカフェモカはあまり好きな感じではなく、半分くらい残した。クリーミーすぎた。甘すぎた。カフェ・ド・クリエのアイスカフェモカの方が好きだ。

会場前に戻ると、「チケットゆずってください」と書かれたボードを持って練り歩いている男がいた。そこまではよくあることだが、その下に「ちさポテト下さい!!」と書いてあった。ちさポテトというのはこのイベント用のグッズでスナック菓子に写真が一枚付いている。写真目当てで買った人からお菓子をただでもらおうという魂胆らしい。比喩じゃなくてリアルな乞食じゃないか。

Berryz工房の最新シングル「愛はいつも君の中に/普通、アイドル10年やってらんないでしょ!?」を地面に置いてタダで配っている紳士がいた。「これ、もらっていいんですか?」と確認してから一枚いただいた。実のところこのシングルは一枚購入済みなのだが、誰かにあげてハロプロを布教するために使おうと思う。


AKBでアイドルが握手会の参加者に斬りつけられた例の事件以降、ハロプロでも荷物検査や警備が厳しくなっているが、つい数日前、ファンクラブイベントでも手荷物検査を厳格化する通達が出たばかりである。

Hello! Projectファンクラブイベントでの手荷物検査について
http://www.up-fc.jp/helloproject/news_Info.php?id=6074

厳格化された荷物検査にどれだけ時間がかかるのか読めないので開場時間(15:15)になったらすぐに列に並んだ。

最初2列で並ばされていたファンたちは、途中から4列で並ぶように指示され、最後の荷物検査は5列になっていた。5列ある上に各列に二人ずつ係員が配置されているおかげで検査は円滑に進んで、すぐに入場出来た。

近くに「眼鏡ケースの中まで見られた」と言っている人がいた。一方、見るからに善良そうで怪しむ余地がない私は軽い検査と「録音機器、カメラ、アルコール類はお持ちではないですか?」という口頭の確認で済んだ。

地下の会場に着くと、電波がつながらなくなった。山野ホールは以前Juice=Juiceのシリアルイベントで来たことがあるがそのときにもつながらなかったのを思い出した。手持ち無沙汰なので資料を見る。A4の紙に両面で印刷してある。片面には「岡井千聖HISTORY①」という年表(後で貼り付ける)、その裏にはMUSH&Co.の『明日も』という曲の歌詞。右下にWriting by Mai hagiwaraと書いてある。萩原舞に書いてもらったようだ。かなり可愛らしい字である。



席は9列目。右には女性の二人組。関西弁。聞こえてくる話によると新幹線で来たようだ。萩原舞の文字を見て興奮していた。左も女性だった。

1回目(16時開演)

岡井千聖、登場するなり「緊張する」を連呼。

バースデーTシャツを着用したりこの日に発売されたグッズを持ったりしているファンが多いことに触れて「ちょっと最近色々あれだからね。よかった、頑張って」と岡井。
だいぶぼかしているが、今年のクールハローと呼ばれる方針に沿ったグッズのデザインが滑りまくっていてよろしくないという意味である。それが顕著なのが各ツアーやメンバーの誕生日に発売されるTシャツだ。一般的な服としてもお世辞にも「クール」とは言えない上、ハロプロに対する愛の感じられないデザイン、メンバーカラーを無視した黒や白の生地。喜んでいるファンはおそらく皆無に近い。そのような迷走した会社方針という制約の中、岡井は自らスタッフと交渉してファンが喜ぶグッズを作り出しているのである。6月7日に行われた℃-uteコンサートツアー座間公演のアンコール明けMCでも、本来であれば黒になりそうだった自身のバースデーTシャツの色を頑張ってライトグリーンにしたことを明かしている。(この記事参照。)
しかし「かといってこれから期待出来るわけじゃないけど」と、クールハロー!路線が今後も続くであろうという不安を覗かせた。

トークで3枚の写真を使うらしい。写真を運んでくるスタッフと見せかけて矢島舞美と萩原舞がステージに現れた。驚きの歓声。「出て来るの早すぎだから!」と岡井。矢島も萩原も、イベントの当事者ではないという安心感からかリラックスしているように見える。萩原は「すっぴんでしょ?」という岡井の問いを否定したが、「ちゃんとメイクをしていない」と言っていた。

萩原は「千聖はテンションがおかしかった。そわそわして歩き回っていたし、『岡井、いっちゃっていいっすか?』とか言ってたもん」と開演前の岡井の様子を話す。

萩原は「歌は一緒に練習したんだから間違えないでね。間違えたら、(客席の)後ろでマイクを通して『オイ!』って言うから(笑)」と岡井にプレッシャーをかける。それじゃオイって言われっぱなしかも、みたいなことを言って岡井はおどける。

矢島と萩原が捌けようとするが、「一人だと緊張するからもうちょっといて」と岡井が駄々をこねる。「ねえ、5分だけ!」と裏にいるスタッフの方を見て懇願する。結果、「岡井千聖HISTORY」の最初の項目だけいていいという許可を得た。

岡井千聖HISTORY

「誕生。3404グラムで、今の15分の1でした。計算しちゃダメだからね。
10ヶ月で歩いた。生命力強め。滑り台が大好き。赤ちゃんがベビーカーに乗ってると必ずキスをしていたらしいです。キス魔だったんですね。今は違いますよ」

なかなか矢島と萩原を帰そうとしない岡井に業を煮やした萩原が「うちら、もう帰っていい(笑)? 客席で見たいから」と切り出す。矢島はあまり言葉を発さず、ずっとニコニコ笑っていた。どのタイミングか正確には覚えていないがこの辺で二人は退散。私は目で確認していないが客席の後方で観ていたらしい。

公演後のブログ
矢島
バースデーイベント(o^^o)
http://gree.jp/c_ute/blog/entry/686849877

萩原
chisa!!mai
http://gree.jp/c_ute/blog/entry/686838949

「1歳。泣き虫で、ママじゃないとダメだった。パパとか人があやしても泣きやまなかった」

グッズの「千聖20thライト」を持っている人がどれだけいるのかと客席に問いかける岡井。多くのファンがライトを手に持って掲げる。岡井、満足げ。
「結構強いでしょ、光。前の℃-uteの奴(2013年の武道館公演で発売された「℃」の形をしたライト)より(笑)。ゲットしてない人は、ゲンコツしたいと思います(笑)」

「3歳。川にジャンプして顔を切った。ママはショックを受けたみたいです。女の子なのに・・・って。縫わなかったんです。縫わない方が傷が残りにくいと言われて。女の子のみんな、顔に怪我しないように気を付けてね。
この頃は食べ物に執着がなかったらしいです。そのままだったらよかったのにな。こんなに太らなくて済んだのに」

「5歳。ピーターパンで主役。運動会では必ず一位を獲っていた。負けず嫌い。
好きな子が二人いた。こうへい君とかずき君。こうへい君には好きって言われた。そのことを先生がママにチクって、家に帰ってからママに『なーに、こうへい君に好きって言われたの?』と言われて泣きました」

「7歳。キャンプで寝起きが悪すぎて草原に残される」

8歳(ハロプロのオーディション合格)を飛ばしてしまいファンが騒ぎ出す。それを受けて8歳に戻る。
「私はモームスも知らなかったウルトラマンが好きでした。むしろ妹がハロプロのことが好きだったんですけど、妹は年齢が足りなくて応募出来なくて。で私が受かっちゃいました。ママは自信満々で。私は(オーディションの歌を)歌いたくない、覚えられないと思っていて、オーディションの歌も何となく覚えて(笑)行った」

「11歳。モーニング娘。のオープニングアクトに出演。覚えられずよく叱られました。『千聖、ちゃんと練習してきた?』『してきた』『嘘でしょ!』『してない』って(笑)」

「13歳。紅白歌合戦に出演。この頃は売れるんじゃないかなーと思ってました。自分たち来てるぞ!と。で、まあ現状です(笑)」

「(14歳のときに萩原舞から)大福みたいと言われ太っていることに気付く」

3枚目の写真を公開。「七五三のどれかかな」という大ざっぱな紹介。私の周囲から「雑だな・・・(笑)」「七五三のどれよ?(笑)」という声がちらほら聞こえる。

「16歳。YouTubeに『Danceでバコーン!』を踊ってみた【岡井千聖(本人)】を投稿。最初は嫌だったんです。ダンス得意じゃなかったし。この頃は、自分が℃-uteに貢献出来ていないのが悩みでした。でもこの動画で覚えて好きになってくれたと言ってくれる人がいると嬉しい。
ソロライブでは歌うことの楽しさと、自分のために集まってくれる人の存在のありがたさを知りました。もっと頑張ろうと思いました。努力が遅かったなと思います」

「18歳。武道館公演を発表。もし武道館が決まっても泣かないよねと舞と話していたんですけど、その二人が一番泣いていました(笑)」

「19歳。カウントダウンライブ。この前日の仕事が凄く忙しくて。『モテない女』という番組の収録があって。モテないのは確かですよ。(忙しさが)芸能人みたいで。そういうの嫌いじゃない。正月も忙しくなりたい。最近は正月はテレビ消してます」

以上でHISTORYの振り返りが終了。「あんま覚えていないんです、昔のことは」

夢コラボ

ステージに上がったファンは、メモに漏れがなければ下記の四名である。

  • バーチーさん(男)
  • チャーさん(女)
  • 男女ペア(名前は聞きそびれた)

「リハーサルは(ファンの役を)愛理がやってくれたんです」

公演後のブログによると鈴木愛理は犬のお参りに行くためにイベントに行けなくなったとのこと。
ちさと20!(あいり)
http://gree.jp/c_ute/blog/entry/686841775

事前に歌割は指定してあるが、最後の締めの部分は、一番上手いと岡井が判断した人に直前に指名される。チャーさんが選ばれた。たしかに上手かった。

皆さん上手だと褒める岡井。
「前回は面白い人もいたの(笑)。上手なんだけど。今日は真面目な方たちで(笑)」
「男性の方が高い声を出すのは大変だったと思います」



1.かっちょ良い歌

「次は2曲続けて歌うんですけど、2曲目(通算3曲目)は座って聴いて欲しいと思います。バラードなので」
岡井の言う「2曲目」を通算2曲目と思い座ろうとするファンたち。「あ、2曲目です」と岡井。

2.お願い魅惑のターゲット(メロン記念日)
3.藍(スキマスイッチ)

「スキマスイッチさんの藍、聴いたことない人は本人のを聴いてもらった方がうまいので聴いてみてください」

4.ロマンティック浮かれモード(藤本美貴)

何と途中から藤本美貴が登場。見たことのないような驚き方を見せる岡井。沸き上がる客席。

バースデーTシャツの着用率の高さに触れる藤本。「みんな普段も着るんだよね」と客席に問いかける。

「もう二十歳? 育ったねー! 金髪になって(笑)」

「去年のバースデーイベントはVTRで出させてもらったんですけど、岡井ちゃんが私のことを尊敬しているというのをいつもスタッフ経由で聞くんですけど、本人から一度も聞かなかったんですよ。後輩から嫌われてるんじゃないかと思ってた」という藤本の発言は、岡井が否定する。

「すみません、お子さんもいるのに・・・」と岡井は恐縮する。
「そこ? そこを気遣う?」と藤本は笑う。

「(私が出ることを)岡井ちゃんは知らなかったんだよね」と藤本。
「知らなかったです。また舞ちゃんかなっきぃかと思った(うんざりしたような表情で)」と岡井。

「美脚すぎて、負けると思いました」と、藤本がショートパンツから魅せる脚に言及する岡井。いやいや・・・と少し恥ずかしがって笑う藤本。

ケーキがステージに。岡井の金髪を表しているらしいが客席からは見えない。「後で岡井ちゃんのブログ(に上げるということ)でいいね?」と藤本。

「ヲタ芸をしてなかった人が、藤本さんが来てからヲタ芸を始めた。さすが藤本さん」と岡井。

岡井がお酒が飲めるようになったということで、今度飲みましょうという話をしていた。本当に?と何度か藤本は念押ししていた。

藤本が捌けて一人になった岡井。「みんな今日ラッキーだったね」と言って、一呼吸置いてこう漏らした。「ちょっと最初怖かった・・・」

イベント後に更新された藤本美貴のブログ。
後輩ちゃん
http://ameblo.jp/miki-fujimoto/entry-11882381919.html

次の曲に行く前に、給水。ペットボトルからストローで水を飲む岡井。客席の誰かが「日本酒!」と言ったらしく、「さっきからこれ日本酒じゃないよ(笑)。これが日本酒ならどんなアイドルよ」と笑いを誘う。

5.明日も(MUSH&Co.)
イントロがアカペラだった。

アンコール(千聖!コール)

6.僕らの輝き(℃-ute)

首にまいたグッズのタオルを紹介し、文字が上手いでしょと自画自賛。絵は上手い友達にイメージを伝えて描いてもらったとのこと。
可愛いグッズが出来たと満足げ。「脱クールハローだね!」と煽る岡井に場内は拍手喝采。
「あんまり言うと怒られるから」と前置きして、「(会社は)格好いいのを目指してるんでしょうけど、たまには可愛いのもいいでしょ。道重さんのTシャツ、うまくいくといいね」

「二十歳になったからといってそんな変わらない。でも常識問題は出来るようになりたいですね。
13年間アイドルをやっている人は他にいない。それを誇りに変えて これからも皆さんと思い出を作りたいです」

「緊張した。ずっと緊張していた。(次の曲に行く前に)ちょっと待って、今歌詞思い出すから(笑)。(しばらく考え込む)ここに立つと真っ白になるんだから。何年間やってても変わらない」

7.Dearest(松浦亜弥)

「結構選曲、よかったっしょ? そうでもなかった?(笑) まあそれは何ていうのそいういうの・・・その人によるでしょ」

「これからお見送り会でポストカードをお渡しするんですが、そこで誕生日の誕の字を間違えちゃいました。千聖らしいと思ってやってください」

これまでの本編終了時点で17:10くらい。

お見送り

場内アナウンスで指輪、腕時計、アクセサリーを外すように指示があった上、岡井千聖にたどり着くまでに三回くらい別々の係員が手のひらを見せろと要求してきたので握手があるのかと思ったら握手はなかった。通り過ぎざまに一瞬顔を合わせてまた先に進むというくらいのスピードだった。言えるとしてもせいぜいありがとうとか楽しかったくらい。無言でも全然成り立つ。そんな短時間でも(私が観測できたかぎり)一人一人の顔を見てありがとうと言っている岡井。プロフェッショナルである。

みんなほぼ立ち止まらずに通り過ぎるだけなので待ち時間が短く、エスタシオンの黒づくめスーツ集団に肩や背中を触られながら剥がされるストレスがないのがよかった。

最近のハロプロはシリアルイベントの握手がなくなっているらしい。私は接触にあまり興味がないのでこの流れは歓迎する。シリアルイベントやリリースイベントで仮に何か接触に寄ったことをやるにしてもこれくらいがいいのではないか。そうすれば個別握手会の稀少価値ってのも出るもんでしょ。


ポストカードは片面に文字、もう片面は岡井さんがうつ伏せに倒れ込んで犬二匹と戯れる写真だった。

お見送り会が終わって、電波のつながる地上に出たのが17:30くらいだった。Twitterにポストカードの写真やMCのレポートを投稿していたらあっという間に開場時間(18:15)が迫ってきた。

2回目(19時開演)

荷物検査の列と人員が十分用意されているおかげで、入場口はまったく並んでいない。よくよく見てみると、5列のうち2列は係員が女性のみで、女性はそちらで検査を受け、男性は他の3列(男性係員だけが配置されている)に誘導されている。何人か前にテニスラケットを預けさせられている人がいた。

私の席は25列目の中央だった。1回目よりだいぶ後ろだが、18列目から段差があったので視界を遮られなくて見やすかった。今回は左右とも男で、1回目より落ち着く。

2回目は配布資料の岡井千聖HISTORYが②になっていて、内容が(全部ではないが)1回目と違った。裏側の『明日も』の歌詞が書いてある方は1回目と同じだった。

1回目に比べて岡井の緊張は解けているように見えた。

「3時間前まで、20歳になる3時間前まで嫌でした。1回目はミキティが登場しましたね、びっくりしました。怒られるかと思いました(笑)」

「岡井千聖HISTORY」に行こうとしたところで突然、誰かの声が流れる。モーニング娘。'14の佐藤優樹だった。日本語として意味が分からない部分もあったが大体こんな感じだった。

「バキューン! ドッカーン!
岡井さんのいいところは、いつも赤いリップを付けているんですけど、その赤いリップを貸してくれたり、香水を付けてくれたり、たなさたんがいなくなってからハロコンのときずっと一緒にいてくれる。まーちゃんって話しかけてくれる。まーにとっては6人目のお姉ちゃんです。(岡井「多っ!」)
これからハッピーバースデーの歌を歌いましょう。名前は岡井ちゃんかちっさーか5秒で決めてください。(岡井ちゃんにしようと岡井が会場に話しかける)ごー、よん、さん、にー、いち、終了!(ここでハッピーバースデーの歌)ではこの辺でドロンします。以上、夏焼雅でしたー!(客席爆笑)」

「ミキティの後のこの人のレベルの低さ!」と1回目に藤本美貴が登場してからの2回目の佐藤という落差を嘆いた岡井は「愛されキャラ。人の言うことを聞かない。たぶんこの(メッセージの)録音も1時間くらいかかっている。
滑舌、まーちゃんも悪いよね? 訛ってるし。北海道だからかな」等と佐藤を評した。

「今日のTシャツ(岡井のバースデーTシャツ)、まーちゃんの色(メンバーカラー)じゃない? ライトグリーン。でも(皆さんは)まーちゃんの方に行かないで(推し変しないで)くださいね」

岡井千聖HISTORY

「1994年6月21日、午後12時49分、誕生! 3404グラム。今の15分の1です。計算しないでくださいね。(ここで客席から51キロという声が飛んだ模様)51キロもないです。今の私、51キロあるように見える? え、見える? じゃ今日何も食べない(拗ねた言い方で)」
3404グラムの15倍を計算したらたしかに51キロだったので、15分の1というのが岡井の計算間違いのようだ。

「2か月で寝返りを打って、10か月で歩きました。生命力強いでしょ?」

右端の写真のボードにグッズのライトがかかっている。
「何でこんなところにライトがかけてるの? これ絶対スタッフさんわざとでしょ。℃-uteで一人だけのライトを作ったのは初めてなんだから。
色も最初の℃-uteの奴(2013年の武道館公演で発売された「℃」の形をしたライト)より明るいでしょ? ゲットしてない人は、後でゲンコツしたいと思います」

1枚目の写真を開ける。1回目のとは違う写真だ。
「2歳かな? このとき好きなポーズだったみたい(写真では右手の人差指?を右のほっぺに、左手はグーでほっぺに当てている)」当然、客席からはやってという声。「そう欲しがるよね やらないからね!」と恥ずかしがり、結局やらなかった。

「4歳。補助輪のない自転車、一日で乗れたんです! 人生やる気満々で。そのときの気持ち欲しいわ。今もやる気はありますよ。でも今は何かに挑戦するときも出来ないという気持ちになっちゃうんです。子供の頃から色々やるのが大事ですね。だから将来子供には絶対塾に行かせます」

「一人で外に出て行ってママを探しに行っていたらしいです。こんな子いなくないですか? あ、そんなことない? 私ママっ子だったんです」

「6歳。先生が嫌いで学校から逃走。水泳教室にかくまってもらう(笑)。先生が意地悪だったんです。成績は至って普通でした。凄いでしょ?(客席からエーイング)みんな馬鹿って言うけど、なっきぃの方が馬鹿だから。まいちゃんはもっと馬鹿(笑)」

「寝坊がひどくて。学校で登校班があって最初は起こしに来てくれてたんですけど、途中から迎えに来てくれなくなったんです」

「8歳。ハロープロジェクト・キッズ・オーディションに合格! このときは合格したいと思わなかった。あ、違う。合格出来るとは思わなかった。でもママは自信満々でした。合格発表を見に行くときも番号を見て『ほらあったよ』という感じ。母親は強気で。でも娘(自分)はモーニング娘。のこともまったく知らなくて。『加護ちゃん、辻ちゃん、どっち?』(どっちがどっちか分からない)って感じでした。こんなお母さんがいるからハローに受かることが出来て、よかったと思います」

「12歳。レコーディングのとき全然覚えてなくて怒られました。たまに今でもライブで歌詞を飛ばすことがあるじゃないですか。あんな感じでした。メロディも覚えられなくて。でも何気に歌割あってよかったです」

3枚目の写真。
「次はボーナスショットです。いや、違う。サービスショットか。ボーナスショットって何言ってるんだ、もう馬鹿だな」
スクール水着を着用した幼い頃の岡井。客席のあちらこちらから、お約束のフー!という声。
「水着はもう着ないです」という岡井に客席からエーイング。「写真集は一冊で十分。見たければ事務所に何か(要望を)送ってください。その数次第で何とかなるかも? いや、送ろうじゃないわ」

「13歳。キューティーレンジャー。このとき初めてつんくさんに褒められたんです。「岡井、走るの速いね」って(笑)。それがつんくさんとの初めての会話かも」

「15歳。『SHOCK』。本当にショックだった(笑)。もう『終了のお知らせ』だったもん。人数は減るし、イメージカラーは変わるし。何で青じゃなくなるの! 会社は何やってるんだ!(と当時は思った。)(会場が盛り上がる)あ、でも今は緑好きですよ。
今思うと愛理はプレッシャーだったんだろうなって。私たち(愛理以外)は「チャー隊」と呼ばれていて。「マイダーリン隊」よりひどいよ(笑)。でも『アダムとイブ(のジレンマ)』で初のセンターをやらせていただいて、センターにいることの不安を感じました。(『SHOCK』当時はセンターの重圧を理解せずに嫉妬をして)愛理に申し訳なかったなって」
 
「16歳。YouTubeに『Danceでバコーン!』の「踊ってみた(本人)」動画を投稿。当時は℃-uteに貢献出来ていないのが悩みでした。でもこの動画で℃-uteやハローのことを知ってくれた人もいて嬉しかった。結果として他の(ハロー内の)グループに行った人もいるかもしれないけど、ハローのことを知ってもらえてよかったです。
初のソロライブ。最初はお客さんが100人でした。今日はこんなに集まってきてくれて嬉しいです。
『Kiss Me(愛してる』。(ビデオクリップを)一番気に入っています。痩せているし髪の毛も長かったので。
愛理とのライブ。またやりたいです」

「次、℃-uteのライブは武道館かな?(ここで客席からパシフィコ!という突っ込みが入る)パシフィコ! その次が武道館か。あ、ハロコンかあるね。武道館までに終わってる? ℃-ute頑張ってるんで、ハロコンにも来てください」

夢コラボ

応募したファンから抽選で選ばれた人たちが、ステージに上がって岡井とDanceでバコーン!を踊る企画。事前にホームページで参加者を募集していた。

「℃-ute岡井千聖バースデーイベント2014」にご参加される皆様へ緊急大募集!!
http://www.up-fc.jp/helloproject/news_Info.php?id=5997

登壇したのは、

  • うっちーさん(男)
  • グリーンマンさん(男)
  • すだゆうたさん(男)
  • かなさん(女)
  • のぞみさん(女)
  • ピロシさん(男)
  • 荒井さん(男)
  • 女性二人組(名前は聞き逃した)

一人一人が登壇する際、岡井がその人の意気込みを読み上げる。岡井の誕生日を祝うためにファンクラブに入ったというのぞみさんのメッセージを受けて「え、千聖の誕生日を祝うためだけにハロプロのファンクラブに入ってくれたんですか? ファンクラブ限定なんだね、このイベント」と岡井。客席からはおいおい知らなかったのかよという感じの声が出る。「あんまそういう細かいこと考えてなかった」

ムーニーさんという女性が呼ばれると客席のあちこちから歓声。
「ムーニーちゃん人気なの? そうやって何?女の子ファンを狙ってるの?」

ステージに参加者全員が揃う。
「みんなライバルみたいな目で千聖を見てくるんだけど(笑)」

「いつも(客席で)よく踊ってくれている二人です」とピロシさんと荒井さんに光を当てる岡井。後列にいるその二人を前に来させようという流れになるが、二人はいやいやという感じで断る。
そのやり取りの中で岡井が彼らに近づく。一定以上近づくのを制止しようとする護衛スタッフ。それを嫌がって振り切ろうとする岡井。
「(スタッフに向けて)大丈夫だから! 今まで何もされたことないし(笑)。本来だったら平気なんです、ハローは!」

「みんな誰のパートで覚えているの?」という岡井の問いかけに参加者たちは「あなたです」という仕草で手を伸ばして岡井を指し示す。
「いないよね、愛理とか(笑)」と岡井が冗談を飛ばすと、一人、愛理で覚えてきている人がいた。岡井が理由を聞いて何か説明していたが私は聞き取れなかった。

ピロシさんが黄色Tシャツの背中に黒テープで「雅命」という文字を貼っている。
「お、いいね、雅命!」

ダンス終了後。
「もう感無量。みんなうますぎ。一曲でこんな疲れたことない。ピロシさんと荒井さんのあの動き、何ですか(「Funky男子~」のところでM字開脚のような姿勢になっていた)。虫かと思った(笑)」
参加者たちがステージから客席に戻る。拍手。
「(客席の)みんな行きより帰りが尊敬の眼差しになってる(笑)。正直舐めてました」



歌う前に水を飲む岡井。客席から「日本酒!」という声。
「日本酒じゃないから! これが日本酒なら今おかしくなってるでしょ? お水! クリーンクリーン」

1.ロマンティック浮かれモード(藤本美貴)
2.赤いフリージア(メロン記念日)
3.やさしさで溢れるように(JUJU)

「メロン記念日の楽曲、℃-uteに欲しい。メロン記念日、いい曲が多いですよね。℃-uteなんて『サクッと世界羽ばたく』だから。『サクッと世界羽ばたく、オイ!』(振りを交えて)。でも℃-uteはこれで頑張っていきます(会場から拍手)。
『やさしさで溢れるように』はJUJUさんの方が全然うまいので、帰って聴いてみてください」

4.かっちょ良い歌
5.明日も(MUSH&Co.)

アンコール(「千聖!」コール)

6.Dearest(松浦亜弥)

「最初のソロライブでも歌ったんですけど、さっきと同じところで間違えました(笑)。頭をよぎったんです。(間奏明けの歌いだしは)ここだ! 通り過ぎた!って(笑) でも心を込めて歌いました(客席から拍手)」

「二十歳という実感はないんです。お酒は、ケンちゃん(父親)みたいに(酩酊状態に)ならないように飲んでいきたいと思います。
二十歳になれると思ってなくて。皆さんの中にはもっと長く生きている人もいて、尊敬します」

「やる気がない時期も・・・いややる気はあったんですけど、やる気があっても出来ない時期もありました。最近では覚えも、前よりはよくなりました。一番最初のイベントに来た人は分かると思うんですけど、最初はほとんど覚えられなかったです。一曲ほとんど歌えなかったこともありました。『恋の花』という曲のとき。今では、今というか数年前ですけど、ソロライブも出来るようになりました。今日の会場はいつも℃-uteのイベントで使っている会場なので、ちゃんと埋まるのかなあって不安だったんですけど、しっかり後ろまで埋まりました。他の子を応援している人もいるかもしれないけど、千聖のために集まってくれる、その気持ちだけで嬉しいです。ソロライブ、またやりたいです。まあ今日もソロのライブコーナーはありますけど。楽しかったですか? 私は感無量です。
帰りにポストカードをお配りするんですけど、そこに書いてある誕生日の誕の字を間違えちゃったんです。でもそういうところが千聖かなって。あ、でもちゃんと書けるようにしますよ。ポストカード、可愛いので。あ、1回目も来てくれた人、いる?(客の大半が挙手)ポストカード、可愛かったでしょ? グッズも可愛かったでしょ?
19のとき、バスツアー、ソロバスツアーがやりたいって言ったんです。でもスタッフさん無視ですよ。(今年)土曜日なのにね。
来年はカラオケを借りて飲んだり歌ったりしたいね。そういうラフな感じもたまにはいいじゃん」

ここで突然、音楽が流れる。ちょっと悲しげな音楽なので岡井は「(私がハロプロから)卒業?」とおどける。すると、母親が手紙を朗読する音声が流れる。内容は大体こんな感じ。

「千聖は二十歳になったけど、私にとってはまだまだ子供。千聖が産まれた時、こんなに幸せなことがあるんだっていうくらい幸せだった。やっと会えたと思った。胸が痛いほど幸せだった。
産まれてからは、それはそれは大変だった。芸能界に入ってからは大変なことが続いて精神的にきついこともあった。千聖は泣きながらダンスや歌をやっていたこともあった。小学生なら経験しなくていいつらいこともあった。その度に、『やめてもいいんだよ?』と言ってきたけど千聖は『やめない』と言ってきた。それを聞いて私の方が弱かったんだな思った。どんなことがあってもこの子を守らなきゃと思った。千聖がいるおかげで、人生のつらいことがすべて半分になった。感動をたくさんもらった。千聖は自分が大変なのにいつもママ大丈夫? 何が食べたい? と気遣ってくれる。こんなに幸せな母がいるのかと思う」

号泣する岡井。「もう、長いよ!」と言って会場が和む。手紙は続く。

「人生にはつらいこと、悲しいことがある。それがないと人は成長できない。泣きたいことがあっても、思いっきり泣いて、また生きていこう。千聖の笑った顔も、泣いた顔も、ママには幸せだよ。これからも笑顔溢れる日々を過ごしてね」

左袖からスタッフが現れ、箱ティッシュを差し出す。岡井が一、二枚取る。箱ティッシュを持って捌けるスタッフ。
「箱をここに置いてってよ!もう!」と岡井がやけくそ気味に言い放つと本当にスタッフが戻ってきて箱を下に置く。あ、すみませんという感じの岡井。客席から笑い。
「もうやだ! こんな手紙いらないのに。直接、渡してくれればいいのに。会社が頼んだんでしょ?(客席笑。岡井、涙でグシャグシャ。)もうやだ。もうライト(自身に当たっている照明)消してほしい。もうやだなあ。もう。なんだっつーの(客席笑)。いいお母さんでしょ?
ケンちゃんは手紙書けないから(笑)。大人気だね、ケンちゃん。今日ケンちゃん来てるんだよ(位置を指し示す。18列目(後半ブロックの最前列)の中央にキャップを被って赤ん坊を抱えた男性が岡井父だった。

散々泣きじゃくって、ようやく落ち着いてきた岡井。もうこれでおしまいにするというようなことを言う。1回目の曲数を見るとまだ一曲あるはずなので、ファンはエーイング。「(泣くと)何かテンション下がっちゃうじゃん」と言った岡井だったが、持ち直して最後の曲に移った。

7.僕らの輝き(℃-ute)

お見送り

私が岡井の前に来ても前のチェックシャツ紳士が岡井にしゃべりかけていた(今日は帰ってから飲むの?みたいなことを聞いて岡井は飲むと返していた)ので私が岡井千聖と正対したのは本当に一瞬だった。それでも彼女はこちらにしっかりと顔を向けてありがとうと言ってくれた。

ポストカードを受け取る。写真面も文字面も、1回目と違う。写真は黒い衣装を着ての、斜め上からの自撮りだった。



階段を上がりながら時計を見たら、20時41分だった。去年のバースデーイベントも参戦したのだが、たしか60分くらいで終わっていた。今年は待ち時間もあったとはいえ、長さでは去年に感じた物足りなさはなかった。

歌もたっぷり7曲ずつ(計14曲)聴けたし、何よりコンサートツアーでは聞けないような話、仕草、反応をたくさん見られたのが最高だった。藤本美貴が出て来たときの驚き方はこういうファンクラブのイベントじゃないとお目にかかれないだろうし、母親の手紙はおそらく二十歳だからこそ用意された企画であり、ああやって泣き崩れる姿はそう何度も見られるものではない。

次のバースデーイベントはどんなのがいいだろうか? 例えばの話。岡井さんの持ち味は歌だ。歌を中心にしたイベントにして、それをライブ収録してCDで発売するのはどうだろうか? そんなCDがあったら絶対に買う。ハロプロでライブ音源がCD化されるのは聞いたことがないので欲しがるファンは多いと思う。岡井さんの歌唱力ならライブ音源化に耐え得るだろう。

でも今回のように他では聞けない話をたくさん聞きたいし、音源やコンサートでは見られない一面を見たいという思いもある。

次に私が岡井千聖を目にするのは6月29日(日)。パシフィコ横浜に℃-uteのコンサートツアー「℃-uteの本音」千秋楽を観に行く。本人にも明かされないサプライズがいくつもあったバースデーイベントとは異なりかっちりと企画され、練習、本番の積み重ねを経て彼女たちがたどり着いたツアーの集大成をしっかりと目に焼き付けたい。

公演後の岡井ブログ
二十歳 千聖
http://gree.jp/c_ute/blog/entry/686839165

中島早貴は2回目を観ていたとのこと。
-中-
http://gree.jp/c_ute/blog/entry/686841797

2014年6月8日日曜日

℃-ute 「℃-uteの本音」 ハーモニーホール座間 6月7日(土)15時開演 参戦記録

1.序盤

岡井「今日はあいにくの雨。皆さんの服もビシャビシャになっていると思いますが、むちゃくちゃむちゃくちゃ盛り上がって雨が吹き飛ぶまで頑張りましょう!」

岡井「もう雨が止んでてもいいんじゃないかな、と言いたいところですが」
矢島「止んでてもいいんじゃないかな?」
岡井「まだ降ってます。今の本音の気持ちを教えてください、舞ちゃん」
萩原「今日、千聖と同じタイミングで着替えた。そしたら千聖と下着が似ていた」
岡井「舞ちゃん、まだ昼公演だよ!」
萩原「で千聖に『下着似てない?』って言ったら『一緒にすんなよ!』と言われて、今日いけそう!(頑張れそう、みたいなニュアンス)と思った」

2.「℃-uteの本音トーク」

「友達が少ない」
岡井「私は知り合いは多いけど、友達が少ない。友達(℃-ute外の知り合い)が私を呼ぶときは誰かにしゃべって欲しいときなのね。千聖も話すのが好きだから。でも食事に呼ばれて私がしゃべるとすぐに『千聖って馬鹿だよね』と茶化してくる。だから悩みを打ち明けたりできない。
℃-uteはそういう目で見てこない」
中島「分かんないよ、℃-uteも千聖は馬鹿って思ってるかもよ」
岡井「悩みがあっても(℃-ute外の知り合いの前では)さらけ出せない。やっぱり心と心でつながってる友達は℃-uteしかない。
上から目線の知り合いにジュース買って来てと言われるとはいって買ってくるけど、なっきぃがいればなっきぃに頼めるのに…と思う(笑)」
萩原「自分(℃-uteだと)ちょっといい位置にいるかなって?(笑)」
岡井「ちゃんとそういう役割があるってこと。℃-ute外の知り合いが悩みを聞くよって言ってくれても舞やなっきぃにメールしよって思うもん」
萩原「千聖がそう思ってると思ってなかった。だって友達たくさんいるじゃん」
鈴木「知り合いと友達の区別をしていると思ってなかった」
岡井「(℃-ute外の知り合いは)大阪に行くと言ったらマダムシンコ買って来て、名古屋に行くと言ったら手羽先買って来てとか(パシリ的に扱ってくる)。
13年間の付き合いがある℃-uteとは違う。℃-uteのメンバーとは言葉に出さなくてもお互いの気持ちが分かる」
矢島「たしかに、それはあるよね」

「見ちゃいけないもの」
鈴木「ハロプロでは年2回(ハロプロ全体の)ライブがある。(普段の℃-ute公演で)よく見る人が客席にいて、いつも見る自分のファンだと思ったら赤いTシャツを着ていた。(私のファンはハロコンでは)絶対鞘師ちゃんのTシャツを着ている。あ、この人そういう感じか…となる。目が合うと相手も『あ、どうも』という(気まずい)感じになる。いや、いいんですよ、色んな人を好きになるのは分かるし」
萩原「今(この会場で)舞のファンなのに浜浦ちゃんのTシャツを着ている人がいる。私のイメージカラーは(研修生Tと同じ)黄色だからよりメンタルに来る」
鈴木「逆に『鈴木さんのTシャツを着てました』と(鞘師から)言われることもある」
岡井「同じ人なんじゃない?」
鈴木「同じ人なのかな(笑)」
岡井「応援してくれるだけで嬉しいよね」

3.アンコール明け

鈴木「外は湿気が凄い。室内だったら普通なのかと思ったら、この中の湿気、凄くないですか? 皆さんはお肌つるつるになるかもしれないけど、しっかり拭かないと風邪をひくので汗を拭いて、塩分をポカリスエットなりで補給して、健康また来てね!」

萩原「楽しかったですか? 私、汗が凄いです。髪を巻いてたのに、外はねになっちゃいました、早い段階で。なっきぃと舞が一番大事にしているポールの湿気が半端なかった。つるんつるん!って(滑った)。それくらいファンの人が熱いということだなと思いました。サイコー!」

岡井「皆さん、何と! 雨が小降りだそうです! 雨に濡れちゃったという人?(ヲタクたちがはーい!と手を挙げる)着替えないといけないので、今日発売された千聖のバースデーTシャツを帰りにグッズ売り場で買ってください。黒じゃなくライトグリーンですので!(ヲタクたちが沸く)」
鈴木「何で? 何で? 何でなのー?(悔しそうに地団駄を踏む)」
岡井「頑張ったからだよ!」

中島「個別握手会で『明日(コンサートに)行くね』とか『何列のどこどこにいるから』とか言ってくださる方がいて、実際に確認したら本当にいる!と思って。親近感が湧いていいなと思いました。一人一人と目が合って楽しかった」

矢島「雨だから皆さん来るの大変だったと思います。しっかり汗を拭いてくださいね。でも雨に濡れたら変わらないか」
岡井「大雨洪水警報が出てるんだからそういうことは言わないで!」
矢島「ドライヤーとか持ってくればいいんじゃない?」
岡井「どこにコンセントがあるの!」
矢島「トイレとかにないかな?」
岡井「普通貸してくれないから!」
矢島「自力で乾かしてください。今日(℃-uteメンバーはコンサート会場まで)バスで来たんですけど、遠足気分で楽しかったです。風邪ひかないようにね!」

2014年5月7日水曜日

キース・ジャレット ソロ2014 Bunkamuraオーチャードホール 5/6(火・祝)19時開演 参戦記録

開演前









大阪公演での事件※を受けて客も運営もピリピリしているのが伝わってくる。

※参考1:キース・ジャレット ソロコンサート | MY Favorite Things http://red.ap.teacup.com/mitsuyo/2325.html
※参考2:キース・ジャレット、大阪でキレる - Togetterまとめ http://togetter.com/li/662693

咳を防ぐためにマスクをしている人もちらほら。私もそんなに咳をする方ではないがいざ「するな」という状況になると変に意識してしまって、緊張する。

思ったよりいい席だった…一階の後ろブロックの一番前。ステージから完全に見える。咳払いしたら「おいそこのお前!」と特定されるレベル。これは重圧がかかる。

喉飴を持ってくればよかった。会場でパンフレットやCDよりも喉飴を売った方がよかったのではないか。

開演前のアナウンス。英語はdo not cough咳をするなと明確に言っていたけど日本語は大きな咳やくしゃみをするときはハンカチで押さえる等のご配慮を…と婉曲的な言い方だった。

開演後

キース・ジャレットが登場し会場には歓迎の拍手とともに異常なほどの緊張が走る。

前半の3曲目(メロディアスな曲だった)終了時点でキースはかなり乗っていた。「フー!」と声を上げてから4曲目を始めた。

グーピーいびきをかく猛者がいる。幸いにもキースは気付いていなかったか、もしくは気付いてもそれで怒りはしなかった。

5曲目序盤でやっぱこれは違うという感じで演奏をやめて新しい曲を始めた。この前半最後の曲が神がかっていた。キースも納得の表情で演奏後客席に頭を下げるときうんうんと頷いていた。この曲が信じられないくらいに美しかった。信じられないくらいに。いつかCDで聴き直せる日が来ることを願う。

私はコンサート前半、緊張のせいか強い尿意を催して今の俺なら童子-Tみたいな感じで尿意-Tを名乗れるかなと思うくらいだった。休憩時間に入るや否やトイレに文字通り駆け込み事なきを得た。

後半の一曲目冒頭で大きな音を立てて荷物を床に落とす客。キースも「おーい」って感じの声を出して演奏を中断するもBetter than beginning(最初よりは客の鑑賞態度がマシ)とおどける。

(NAVERまとめで目にしたあるジャズ批評家のツイートでは演奏中断したときにキースが発した言葉が「曲の最初でよかったね」と書いてあったが、英語としてどう聞き取ったのかが気になる。Better than beginningと聞こえたが。物を落とした音に「さすがにそれはないだろ」って一旦中断しながらも「でもみんな冒頭に比べて集中して聴いてくれてるよねw」とおどけて、客を萎縮させないように気を使ったのだと私は理解した。私が間違っているのかも知れないが、あの英語をどう聞き取れば前述の解釈になるのか純粋に興味はある。)

後半2曲目の出来に納得行かないらしく冗談で横にはける仕草。前方の客がおそらく「今の曲よかったよ」的なことを言う。キ:Even that one? 客:Yeah キ:Goodとのやり取りで機嫌を取り戻す。次の曲演奏するまでにうーんと悩む。

私を含め客席は最初は緊張感が強すぎて集中し切れていなかったが、進むにつれてのめり込んでいった。キースもノリノリだったと思う。それが4回ものアンコールにつながった。最後は大半の客が立ち上がって拍手。4回目のアンコールの後もスタンディング・オーベーションは鳴りやまなかったが会場の照明が付いて終演となった。大阪で観た人が聞いたら悔しがるだろうなあ。

客も気を抜けない空間だった。ピクニック気分で観に来るもんじゃない。キースはよく客席に顔を向ける。客が試されている。何だこの美しい曲は!と思っても誰かが大きな音を立ててキースの集中が切れたら終わるのではないかという恐怖。しかも即興だから二度と再現出来ない。

客がだれたらそこで曲が終わる感じがした。入り込めていないのを見透かされているというか。こちらの集中が途切れたらそこで曲も終わり。鑑賞態度が直接、曲に影響を与えている感じがした。静寂が必要ならスタジオでやれよと思うかもしれないが、たぶんスタジオで同じ音楽は生まれない。

いつ客席の誰かがヘマをして公演が台無しになるんじゃないかというあの緊張感、今まで味わったことがなかった。少人数ならともかく客は2000人いるわけで。あれだけ観客がいると多少の音は致し方ないかと思った。キースは前評判通りというか、かなり神経質で、観客にも緊張と集中が求められた。

私はキース・ジャレットのリスナー歴がほぼ一年の新参だが夢中になって様々なアルバムを繰り返し聴き、彼に関する本を2冊読んだ。そんな彼のコンサートを生で体験出来たのは本当に嬉しかった。緊張と集中の先に至高の美しさが待つ濃密な時間だった。別世界に連れて行かれた。二度と再現出来ない音楽が目の前で作り上げられているという何とも言えない感動があった。一生の思い出になった。

2014年5月3日土曜日

℃-ute 「℃-uteの本音」 中野サンプラザ 5月3日(土)15時開演 参戦記録

※会場でとったメモを元にした個人的な備忘録。正確さは保証しません。

1.序盤

岡井「朝からスタバを2個飲みました。(メンバーが『え?』という表情)一人だけ二つ飲ませていただいたんですよ。カフェインパワーで頑張りたいと思います」

岡井「ちょっと気温が上がっているじゃないですか。(会場の熱気で)もっと高くなっていく感じ。それでは今の本音の気持ちを教えてください、なっきぃ」
中島「(言おうとしていたことを)千聖に言われちゃった。今日は、というか昨日から暑いですね。今日は3時には28℃だったらしいです。それ以上に暑いライブにしたいと思います。覚悟が必要」

2.「℃-uteの本音トーク」

「バナナボート」
中島「ハワイでバナナボートをやった。DVD(『アロハロ!3 ℃-ute』)の企画。最初に(以前のDVD企画で)バナナボートに乗ったときは片手にジュースの入ったグラスを持って、こぼれていない人が勝ちという対決だった。そのときは安全運転で、気分爽快だった。バナナボート楽しいって思った。今回(『アロハロ!3 ℃-ute』)もバナナボートに乗りたいですと言ったら企画に入れてくれた。残った人が勝ちという対決だった。そしたらバナナボートが本気を出しまして。一つ目のカーブで全員落ちたんです。ボートから落ちて、水の中でぶくぶくってなってから顔を出したらリーダーだけボートの上にいたんです。『よっしゃ』って。いやいや一回落ちたからって思いました。それから腕力で上がったみたいで」
岡井「バナナボートって前の方だけ沈みながら進んで行くんです。私となっきぃが前に座らされて(「身長の関係じゃない?」と矢島が指摘)。どんどんどんどん水に飲み込まれて行くんです。そうしたら舞ちゃんが私を持ち上げてくれたんです。でもなっきぃはそのまま水の中に落ちて行って誰も助けない」
萩原「お疲れ様でーすって感じ(で助けずに見送った)。なっきぃは落ちてからよじ登ろうともしない」
矢島「千聖は(海からボートに戻る様が)蟻地獄から這い上がる蟻のようだった」
中島「海のしょっぱさに負けたね」
岡井「これはDVDには入っていないんですけど??(聞き逃した)を愛理だけやってなくて、聞いたら『水がしょっぺえからやめとく』って。あのしょっぱさは精神的にやられる」

「プレゼントで」
矢島「2月の誕生日に皆さんからもらったプレゼント。一度会社を通してから家に届くんです。色々な可愛い雑貨が並ぶ中、一つ輝く物が。真っ金金のマッチョな銅像で顔に私の写真が貼り付けてあって。筋肉とか(ムキムキなのを私は)気にしてるじゃん。初めてあんなものをもらった。でも最近、写真で腹筋が見えない方法が分かったんです。へそ出し衣装のときに可愛い衣装と合わなくて」
萩原「たぶん男性は舞美の腹筋になりたいと思ってるよ(矢島、照れ笑い)」
矢島、写真で腹筋が見えない方法を実践する。斜めに立って上半身をひねって顔をこちらに向ける感じ。「ほとんどお腹が見えてないじゃん」とメンバーから突っ込みが入る。
鈴木「私の父はプロゴルファーなんですけど、私のファンの方で父のことも応援してくれて試合を見に行ってくれる人もいる。それはありがたいんですけど私の写真集を会場に持って行って、表紙じゃなくて厳選された憂いのある表情のページに父のサインをしてもらって、その写真・父との3ショット写真をくれた人がいた。写真集は母親にも見せていない」

3.アンコール明け

鈴木「今回のツアーは、連日続くことがあんまりないんです。今はゴールデンウィークなので続くんですが、それ以外は一週間とか空くことが多くて。毎回新鮮な気持ちで臨んでいます。外が暑いからか分かりませんが、皆さんの熱が今日が今回のツアーで一番だったと思います。汗をかいて塩分が抜けたと思います。グッズの『早貴イカ』をチェックしてもらって、塩分を補給してまた元気な姿でライブに来てもらいたいです。あれはおいしい」

萩原「中野サンプラザでやるのが久々。凄い緊張した。今日は、はじめましての方が多い気がして。『あ、はじめまして』『あ、はじめまして』って。嬉しいです。もっと頑張ろうと思いました。グッジョブ!」(次の岡井が話し始めようとするが中島と何やらじゃれ合っている萩原。岡井が振り返りどうしたのか聞くと「グッジョブの意味分からないで言っちゃった」と萩原。

岡井「今回のツアーはいつもより大人しめな曲が多くて、でも最後はいつもの℃-uteのコンサートのように盛り上がる曲が入っている。そのとき℃-uteはReebokの靴を履いているんです。知ってる?(客席が微妙な反応)え、ブログ見てしょ?(噛んだのをメンバーがいじる。『見てるでしょ』という意味だと思う) Reebokの新作、皆さん知ってますか?(客席、反応薄い)じゃあ教えますね。ミランダ・カーさんがCMやってるやつです。ピンクとか、ゼブラとか、ひょうガラガラとか。合ってるよね? ひょうガラガラ(『ひょう柄ね』と萩原)。あれ、凄く軽いんです」
中島「私たちそれ頂いたんですよ」
岡井「宣伝とかじゃなくて(客席エーイング)お勧めしたいんです。以上お勧めでした」

中島「昨日から五日間連続でファンの皆さんと合える。今日、楽しかった。熱気が凄かった。ゴールデンウィークの楽しい思い出が作れるのがこれから楽しみ。明日あさってと来てくださる皆さん・・・(言っていることがとっ散らかってしまう)何が言いたかったかというと、凄い楽しかったということです。研修生に行く方も明日楽しんでください」

矢島「気温が高いのでいつも以上に汗をかくと覚悟していた。このツアーでは髪を下ろしているんですが汗をかいてへばりつくんです。これから対策を考えます。さて、ここで皆さんに嬉しいお知らせがあります。今年もやっちゃいます!(何をやるのか分からないので客席はどう反応すればよいのか戸惑う)2014年9月10日、℃-uteの日を今年も日本武道館でやります」
岡井「舞美ちゃんのしゃべりが下手過ぎて・・・」
矢島「台本に『溜めて』って書いてあったから。去年初めて立たすつ・・・(『立たせていただいて』と言おうとして二度噛む。気持ちが高まっているから上手く言えないと釈明する)初めて立ったんですが、その武道館で初めて℃-uteのことを見てくださった方もいました。今年の公演はまだどんな構成なのか、どんなことをやるか決まっていないんですが、決まり次第ブログやオフィシャルサイトでお知らせしたいと思います。今から、というか後で手帳を出して9月10日は空けといてください。お願いします」

2014年4月6日日曜日

℃-ute 「℃-uteの本音」 五反田ゆうぽうとホール 4月6日(日)18時開演 参戦記録

※注意:所謂「ネタばれ」が少しあるかも。
※会場でとったメモを元にした個人的な備忘録。正確さは保証しません。

1.序盤

岡井「私は早起きが苦手。でも昨日と今日だけは奇跡的に早起きが出来て、朝ご飯を作った。今日はかなりミラクルなライブになること間違いなし!」

岡井「(客席の)温度がかなり上がっているところで、リーダー、本音の気持ちを」
矢島「あのね、やっぱね…ライブは楽しいよ。今日は何て日だ!」
岡井「愛理」
鈴木「やっぱりライブは楽しいよ…この空気どうすればいいの」 
岡井「一回目もそうだったけど最初からグダグダなのはやめて」

矢島「このツアーでは椅子を使ったパフォーマンスのように初めての試みを取り入れている。こんな大人っぽいことをするようになったんだなと思う」
萩原「普通、椅子に立つと怒られる。なかなか出来ない」
矢島「椅子から身体を反らして逆さになると皆さんの顔が反転して見える。その光景に感動した。ちょうどそのとき私は(カメラに)抜かれているらしいのでどんな顔になっているのか気になる。重力で落ちていないか」
鈴木「リーダーは美人だから大丈夫だよ」

2.「℃-uteの本音トーク」

「雨女卒業」
お題が表示されると客席エーイング。
矢島苦笑。「(雨女から卒業)したと思ってた。2014年は降らないことが多くて」
客席エーイング。
矢島「ホントだよ! ナルチカでも『今日は晴れてるね』とよく言われていた。ある番組で占い師に龍神が付いている(のが雨女の原因)と言われてお祓いをしてもらった。それ以降、2014年はいいスタートを切れていた」
岡井「その企画(番組収録)の帰り道、大雨だった。ひなフェスも雨。昨日も意味の分からない雨。今日も雨。四月から(雨女)留年だよ」
萩原「付いてるんだよ後ろに(龍神が)」

「体調悪かったのに!」
中島「一時期、鼻が凄く詰まっていた。詰まりすぎて息を吸うと鼻水が喉に入ってきて痰が絡んだ。舞ちゃんと話しているときに息を吸ったら入ってきて呼吸困難になった。苦しかったのには舞ちゃんは笑いながら携帯をいじってヘラヘラしながら『えー大丈夫?』と言ってきた。大変なのに気を使ってくれなくてイライラした」
萩原「最初ふざけて苦しい振りをしているのかと思ったら鼻が赤くて怒っているように見えたので何とか笑いを鎮めて真剣なトーンで『大丈夫?』と聞き直した」
岡井「なっきぃはそういうことが多い。なっきぃ、千聖、愛理で上の階にカップラーメンを誰が一番早く取りに行くかを競争した。私が一番だと思って帰ってきたらなっきぃが部屋の外で胸のあたりを押さえてしゃがみ込んでいた。『なっきぃどうした?』と聞くと『…喘息です』。『袋(持ってこようか)?』と聞くと『…袋とかじゃない。ほっといて…』と苦しそうに答えてきた。
ある日はダンスレッスン中に急に脇腹の辺りを押さえて倒れ込んでびっくりした」
萩原「撃たれた?位の倒れ方」
岡井「そしたらつったんですって」
中島「つらいときに笑われるとイライラする」
岡井「だからファンの人にも気難しいと言われるんだよ」
矢島「ということでメンバーの気持ちを察しながら(やっていくのが大事)…私が一番察しないか」
岡井「ホントだよ!」

3.アンコール明け

鈴木「10代最後のライブ。あんまり考えすぎると間違えるので考えすぎないようにした。凄いな私も20だなと。10代で皆さんと会えるのは今日が最後。オーディションの頃は10代にもなっていなかった。20代に向けていいスタートを切れそう。次から20代の私もよろしく」

萩原「地元の友達が観に来てくれている。中学生の頃は私の学校生活しか見ていなくて私の仕事には興味がなかったけど卒業してからコンサートを観に来てくれるようになった。℃-uteを尊敬すると言ってくれる。ファンの皆さんにも尊敬されるよう輝いていきたい。気を付けて帰って」

岡井「四月から消費税が上がった。チケット代も上がって申し訳ない。少し値段が上がったのでもっといいパフォーマンスをしてその値段を出しても来たいと思ってもらえるようにしたい。消費税が上がってつらい人も明日から仕事やバイトを頑張って。また来てね」

中島「ポールダンスで『Crazy完全な大人』の落ちサビのときに宙づりになると皆さんがフーッて言ってくれるけど実はその後の起き上がる方が大変。最初は出来なくて『中島さん腹筋ないね』と言われていた。一ヶ月腹筋を鍛えて出来るようになった。次からは起き上がる瞬間も見てほしい」

矢島「このツアーのレッスンでみんな筋肉が付いてきた。『私筋肉付いてきた』とメンバーから言われると嬉しい。(筋肉質なのが自分)一人じゃないって。
明日からお仕事や学校を頑張って。
(会場の)近くにおいしいうどん屋さんがあるらしいんです、スタッフさんによると(注:おそらく「おにやんま」のこと)。だから帰りにうどん食べて行って」


(4/6公演を終えてのメンバーたちのブログ)

ツアーSTART (≧∇≦)
http://gree.jp/c_ute/blog/entry/684645371

無事! 千聖
http://gree.jp/c_ute/blog/entry/684645590

2日目( あいり)
http://gree.jp/c_ute/blog/entry/684645662

楽しかった!mai
http://gree.jp/c_ute/blog/entry/684645934

2014年4月5日土曜日

℃-ute 「℃-uteの本音」 五反田ゆうぽうとホール 4月5日(土)15時開演 参戦記録

※注意:所謂「ネタばれ」が少しあるかも。
※会場でとったメモを元にした個人的な備忘録。正確さは保証しません。

1.序盤

岡井「今の季節は桜が満開。さっき雨が降って桜は少し散っちゃったけど」
矢島「そんなことはない」
岡井「桜を満開にさせたいと思います!」

萩原「本当に緊張。脚がgkbr。このツアーは(自分の)見せ所がたくさんある。みなさんがおーっとなるように、練習の成果を見せたい」
岡井「ハードル上がった」
萩原「でもそれくらい練習したから」

2.「℃-uteの本音トーク」

「ケガしてるのに」
萩原「あれは本気で『なかった』」
メンバー「何?」
萩原「最近まで右脚を怪我していた。今はダンスが出来るくらい回復してきたけど『あるメンバー』が右脚をパーンと叩いたりしがみついたり踏んだりしてきた。
「そのメンバーは『右脚痛いって言ってんじゃん!』と怒ったら『あーはーはー、ごめん』とヘラヘラしていた」
ビジョンにバツの悪い表情をした岡井が映し出される。
萩原「ね、千聖?」
岡井「わざとじゃない。私は一番心配していた」
客席からエーイング
岡井「何も知らない癖に!」
会場、笑。
岡井、しどろもどろになる。無意識に脚に巻き付いちゃったときもあって舞ちゃんに「いてーよ」と言われたとのこと。
岡井「千聖はいつでも舞の右にいるよ」
萩原、照れ笑い。
このトーク中の並びも岡井(右端)が萩原の右だとメンバーが指摘。

「いつか仕返ししてやる!」
矢島「何年も前、お弁当に砂糖を入れられた。前回のツアーでも全く同じように引っかかった」
萩原「学ばないね」
矢島「この間もちさまいから仕掛けられた。楽屋でご飯を食べようとしたところスタッフに呼ばれた。話を聞いたら楽屋でも出来る話だった。改めてお弁当を食べようと顔を上げたらカメラがこちらに向いて置いてあった。『これ引っ掛けられてる?』と言ったらメンバーは『え?』と何も知らなさそうな反応。『気になるんだったらカメラどかそうか?』となっきぃがカメラをよけてくれたけど鏡越しに私が映る位置だった。 私の被害妄想かな?と思いお弁当を食べた。砂糖はかかっていなかった。食後に緑茶を飲んだら紅茶の味がしてやられたと思った。引っ掛けたでしょ?と言って楽屋を出ると『きゃー、ばれたー』というちさまいの声が廊下から聞こえた。
スマイレージのあやちょもメンバーから(いたずらを)引っ掛けられやすい。ナルチカのときあやちょが『(自分たち以外の)お水に砂糖を入れません?』と提案してきたが結局やらずじまいだった」
岡井「今(この公演で矢島が)飲んでる水に砂糖を入れたの知ってる?」
矢島「え?」
岡井「砂糖を入れた。ジョリジョリしてるのがばれないようにストローを切って」
矢島「嘘でしょ? 私飲んでた?」
岡井「飲んでた。舞美ちゃんは味覚がおかしいんだよ」
糖分の摂りすぎだと矢島、メンバーたちが盛り上がる。
矢島「いつか仕返しする!」

3.アンコール明け

鈴木「始まる前みんな心臓がバクバクだった。単独ツアーは久しぶりで五年ぶりに再結成してやったくらいの感覚。今回のツアーはショーとして楽しんでもらうのをコンセプトにやっている。怪我なく乗り切りたい」

萩原「緊張がずっとバックバクでずっとバックバクでずっとバックバクだった。脚の怪我がツアーに間に合うか分からないと言われていた。せっかく練習してきたのをふいにしたくないと思っていたが無事に間に合ってファンの皆さんと楽しめて本当に幸せ」

岡井「無事に初日を迎えられてよかった。今回はポールダンスもあって」
メンバー「千聖はやってないじゃん!」
岡井「(両側にいる中島と萩原が)落ちてくるんじゃないかと心配だった」「ひなフェスで『彼女になりたい」を歌った。今日客席を見て自分のファンだった人が黄色いTシャツを着ているのを何件も目撃して『研修生(のファン)になっちゃったのか…』と落ち込んでいた。でもその人たちのTシャツをよく見ると『岡丼』と書いてあった。
私は研修生よりは歳が少しいってしまっているけど同じくらいピチピチで頑張るので、研修生も℃-uteも応援して欲しい」

中島「『Crazy』のとき、客席が『来るぞ来るぞ』と予期しているのが伝わって来てポールダンスをするのがバレていたか?と思った。これから緊張しないで楽しめるように動きを身体に入れていきたい」

矢島「単独ツアーは久しぶり。ステージに立ち『ああそうだこんな感じだ』と思った。衣装が色々と可愛くて今の衣装も海の中の宝石みたい。ダンスでは階段を使ったり今までにないことをやった。今日来てくれた皆さんがまた来たいと思ってくれれば嬉しい」


(4/5公演を終えてのメンバーたちのブログ)

-中-
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初日!mai
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初日(あいり)
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皆さんこんばんは!千聖
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2014年3月31日月曜日

音楽家の苦労話ではなく、音楽を聴こう。

Twitterを眺めていたら、あるジャーナリストが「(前略)感動した」という言葉を添えて上原ひろみが公式サイトに載せた文章を共有していた。

メキシコへの長い旅」という、3月25日付けの記事だった。夜にメキシコでの公演を控えた上原ひろみトリオ。前日にもアメリカでコンサートをやったばかり。少し仮眠を取っただけでほとんど寝ていない。

アメリカからメキシコへの移動中に問題が発生する。国内で乗り継ぎの際、空港で機内へのベースの持ち込みを許可してくれない。国内便は楽器の持ち込みが出来るという法律があるはずなのに、いくら粘っても航空会社の職員はダメだの一点張り。大切な楽器を雑に扱われて壊されることを考えると、上原の側も譲れない。

ここで展開を全部なぞっても仕方がないので詳細は割愛するが、最終的には上原が不屈の精神でベースを飛行機に持ちこむことに成功する。メキシコでは観客を大満足させ、公演は成功裏に終わる。

上原たちはベースの持ち込み拒否の他にも様々な困難に襲われている。記事をざっと一読しただけでは起きた問題のすべてを正確に把握するのが難しいほどである。

そんな過酷な状況を、とにもかくにも歯を食いしばって粘り強く乗り越えて、最後には大きな喜びを手に入れる。

上原は記事をこう締めくくる。
そして、次の日のメキシコ公演、その次の日のロス公演を終え、
私は今ルーマニアにいる。
さぁ、今日も限界まで、やってやろうじゃないか。
勝利の美酒を味わう暇もなさそうである。手に汗を握る展開。焦燥感と疾走感、達成感がこぼれ出てくる、勢いのある文章だ。

これだけのガッツと体力を持ち合わせた上原ひろみ。もし彼女が会社員だったらベンチャーを渡り歩いていただろうかなどと無職ながらに想像した。

ただ、機材の移動に苦しんだかどうか、飛行機のダブル・ブッキングに見舞われたかどうか、睡眠をきちんと取れているかどうか。それらは彼女の音楽の美しさと愉しさとは関係がない。むしろ機材もメンバーも余裕を持って現場に到着してほしい。その方が余計なことに神経を使わず音楽に集中出来るだろう。可能な限りたっぷり休養を取って、ちゃんと寝てほしい。心身ともに健康で長く創作と演奏を続けてほしいからだ。あの上原ひろみがこんな苦労をしているからと言って、過労をしているからと言って、それらを美化する必要はまったくないのだ。

「成功者がこういう苦労をしている」、だから「そういう苦労は成功するために大事なんだ」という思考回路を断ち切らないといけない。他の誰かが上原ひろみの苦労を真似したところで上原ひろみにはなれないのである。

成功に、人生に、再現性などない。「私はこうやって成功した。だからあなたも同じことをやれば成功する」というビジネス書が掃いて捨てるほど書店に並んでいるのに、読者は一向に成功しない。

℃-uteの武道館公演が決まったときメンバーの誰かが「夢は口に出すと実現する。だからみんな自分の夢を周りに言おう」というようなことを言っていた。だが世の中に夢を公言した人は他にも山ほどいるわけで、その大多数は夢を実現出来なかったはずだ。ただその人たちが「夢は口に出しても実現しない。だから他人には言うのはやめよう」と言わないだけの話だ。

世の中には、自分の苦労を延々と自慢して「だからお前も苦労しろ」という意味不明な説教をしてくる始末に負えない馬鹿までいる。これも、前述の「成功者(ここでは自分)がこういう苦労をしている」と「そういう苦労は成功するために大事なんだ」を結びつける思考が前提にある。人生で苦しかったり大変だったりしたことは、それを乗り越えてからいい思い出になる。「あの頃があったから今の私がある」と後付けで意味を与えたくなる。それは自分に留めておくべきで、一般的な法則として他人に語るべきではない。同様に、成功者の苦労話から何かしらの教訓や指針を導き出そうとするのも馬鹿げている。

私は上原ひろみの独創的な音楽と、演奏しているときのチャーミングで情熱的な姿がこれ以上ないくらいに大好きだ。私たちが「感動」して共有すべきは彼女の類まれなる音楽であって、苦労話ではない。だからもし彼女の音楽に触れたことがなくてあの文章を面白いと思ったら、彼女のCDを何か一枚でも買って聴き込みましょうよ。どれを買っても外れはないから。5月21日には新しいアルバム『ALIVE』が出ますよ。

2014年3月29日土曜日

スキル競争。商品としての自分。鎮座DOPENESS。

凡人の働き手が身に付けるべきは「どこでもやっていけるスキル」ではなくツテではないだろうか。

「どこでもやっていけるスキル」を持った人材になるということは、労働市場の中の商品として上澄みになるということである。それを目指せるのは定義上、ごくわずかな人しかいない。もしくは、どんな雑用もこなす奴隷になるということである。(海老原嗣夫の『日本で働くのは本当に損なのか』に職業は習熟度が高くなればなるほど移動が出来なくなり、産業間を渡り歩けるのは一部の経営層かエントリー人材という指摘がある。)

市場は相対評価であり、減点法である。何かを多数の候補から一つに絞るときには消去法が必要になる。どれかを選ぶ理由だけでなく、それ以外を選ばない理由が必要なのだ。市場の商品になるということは欠点を探されるということである。

市場という客観的視点を抜きにして、加点法で自分のことを絶対的に評価してくれる人たちが、人生で最も大事にすべき人たちである。それは人によっては家族が当てはまるかもしれないし、親友がそうなのかもしれない。もちろん、自分にはそういう人などいないという人もいるかもしれない。

「お前と一緒に働きたい」と言ってくれる仲間が、会社員が手に入れられる最大の財産である。

漠然とした「世の中に必要とされるスキルを持った人材」として「まだ会ったこともない誰か」に評価されようとするのではなく、具体的な誰かに、盲目に選んでもらうようになるのが大事なのだ。

広く「世の中」や「業界」一般で生き抜こうとするのは、自分から固有の人格を剥ぎ取り、比較可能なデータに単純化することである。

比較可能なデータになればなるほど、不利なのだ。なぜなら自分と似たような価値を持つ人、自分より価値の高い人がいくらでもいるからだ。あなたである必要はないのだ。競争は値段(給料)も下げる。

市場の商品になってしまえば、人は「戦力」「人材」に抽象化される。人格を持った「○○さん」ではなくなるんだ。「○○歳くらいの、○○という経験を持った人が欲しい」という企業にとって、条件から外れる応募者の年齢は欠点なのである。しかし本来、年齢はその人の欠点でも何でもないのである。

鎮座DOPENESSというMCのバトル動画をYouTubeで観て衝撃を受けた。ろくに韻も踏まずに、時として内容ですら分が悪いように見えるのに、最後には勝ってしまう。対戦相手は「鎮座DOPENESS」と「韻など踏めず」で韻を踏んでそこを突くのだが、ビクともしない。韻のうまさは計測可能。そこで勝負しているMCはDOPENESSに勝てない。立ち振る舞いや雰囲気、独特のフロー(歌い方)で、DOPENESSは場を飲み込んでしまう。計測のできない魅力。

いつかのMCバトルで、メシアtheフライとの決勝戦の模様がYouTubeにあった。鎮座DOPENESSは、メシアtheフライが投げてくる色んな問いかけには正面から答えず、のらりくらりとかわしながら独自の世界を繰り広げ、どういうわけか最後には勝ってしまうのだ。

鎮座DOPENESSの虜になっている私から見ても、内容でも韻でもメシアtheフライが一枚上手に見えた(異論は認める)。鎮座DOPENESSのバトル動画を漁って見ていると、彼はヒップホップ用語で言うところのバイブス(雰囲気)や彼にしか出来ない予測の難しいフローを通して、技術を超えたところで対戦相手だけでなく観客や審査員をも圧倒しているのだ。

晋平太はバトルの中で鎮座DOPENESSの支持者を「信者」と揶揄していた。実際、バトルによっては少し鎮座DOPENSSに分が悪いように見えても、鎮座DOPENESSだから無条件に応援している人もいるような印象を受けた。でもそういう支持を集められるのが彼の強さなんだ。



競争が激化すると、その土俵に上がるために必要な基本的なスペックが高度になる。

例えば「これから生き残るには英語が必要だ」という風潮に対応するためにみんなが本当に英語を身に付けると、英語がある程度できるのを前提に別の能力や技能が「これから生き残るのに必要なスキル」の一覧に加わるだろう。生存の条件が底上げされるのだ。

競争は相対的な優劣で勝負が決まるのであって、いくら自分が訓練を通して何かの技術を習得したとしても、それが他の多くの人たちでも出来ることであれば、商品としての自分の強みにはならないのだ。その技能の習得がどれだけ大変かはあまり関係がない。

そして、一旦「みんながある程度は出来る」ようになった技能は、「非常によく出来る」ことの価値も減退するのだ。仮に日本人の大半が文字が読めなければ、きちんと読み書きが出来るだけでそれなりに食い扶持を得ることはできたかもしれない。日本人のほとんどが識字出来る現代では、読み書きが出来ることで優位に立てる職業はほぼ皆無であろうし、同様に識字において高度に訓練されている(難解な漢字を書けるとか)ことが評価される仕事もほとんどないだろう。「ある程度」が全体に行き渡ると、その能力や技能そのものが陳腐化し、それが高度に出来ることもそれほど評価はされづらくなる。

日本のヒップホップにおける韻が、そういう技能になっている。出来るのが当たり前。特別うまくはなくてもあまり攻撃の材料にならない。かなり上手でもそれだけではふーんで済まされる。

かつては韻が踏める・踏めないがヒップホップであるかどうかを判断する上での一つの大きな指標だった。今ではJ POPの枠内にあるラップでさえきれいに韻を踏むようになった。「キック・ザ・カンクルーとは何だったのか。」でも書いた通りである。

キリコのようにあえて韻にこだわらないMCも頭角を現した。鎮座DOPENESSもそうだ。そういうMCが活躍できているのは「お前は韻が踏めていない」というのが日本のヒップホップにおいて有効な攻撃ではなくなったからだ。

韻がありふれた技能になったから、リスナーにとって、しっかりと韻を踏んだラップのありがたみが減った。以前は、韻そのものが珍しく、韻を上手に踏めばそれだけで面白いラップになった。極論すると。それをとことんまで突き詰めたのが走馬党クルーと言えるのではないか。

スペックのみの勝負だと、その商品の価値は誰が見ても大体同じだ。ある人は最高評価を与え、ある人は最低評価を与えるというのは考えにくい。英語がTOEIC 800点の人は(TOEICが英語の技能を判断するのに妥当かは別にして)誰が見ても「TOEIC 800点レベルの英語力を持った人材」なのであって、それ以上でも以下でもない。

「その人であること」それ自体が評価や支持の理由になれば、その人を好きな人は無条件で支持する。TOEICが何点だろうが関係ない。

企業の選考でいくら人柄を評価の項目にしたとしても、その「人柄」はあくまで他の候補と比較するスペックとしての人柄だ。「戦力」として自分たちの一員に加えたいかどうかを決める上での、商品を相対評価で査定する上での項目の一つにすぎない。家族や親友はその人がその人であるという理由だけで愛するのであって、誰それより優れているから付き合っているわけではない。

自営でお店をやっている人が家族を従業員にする理由は、家族だから。それだけだ。求人に応募した候補者たちを採点した結果「戦力」「人材」としてポイントが高かったからではない。

「戦力」「人材」という市場が発達していくと、要求されるスペックは、どんどん底上げされていく。値段も限界まで安くなっていく。その上、年齢という逆らえない指標も極めて大きな要素である。つまり、年齢を重ねていくだけで基本的に「戦力」「人材」としての値打ちは下がっていくのだ。そんな中、市場での評価を狙ってスペックを磨いていくのは大半の人たちにとっては分が悪すぎる勝負だ。

自分のことを「○○さんだから」という理由で信頼してくれる人を一人でも増やしていくのが、一時期もてはやされた「グローバル人材」のような浮ついた目標よりもよほど現実的ではないだろうか。

私は、個人的なツテをたどって転職する人のことを、最初は格好悪いと思っていた。一種のずるのように思っていた。自分の実力で勝負するべきだと思っていた。

でも、実力なんてものは明確に定義できるものではないし、ましてや書類と一時間の面接で得た印象で正確に推し測れるものでもない。

その人と実際に何年も仕事をした上でその人と一緒に働くのが好きだと思わせることが、働き手にとっては何よりの勲章であり、実力である。

面接のときに初めて顔を合わせる相手たちから疑いの目を向けられ、試され、品定めされる「就職市場・転職市場」は、かなりのクソゲーである。

理論上、求職者は企業と対等に交渉する立場である。実際には立場が強いのは企業に決まっている。就職や転職の市場において求職者は商品であり、企業は消費者である。消費者と商品が対等なわけがない。

応募者を審査する側は、いくらでも落とす自由がある。求人を出して、数十人が応募してきて、十人を面接に呼んで、ピンと来なければ一人も採らないという選択が出来る。

労働者には会社に入ってから辞める自由と、ある会社に応募しない・行かない自由はあるが、好きな会社を選んで勤務する自由はない。働かない自由というのも一応はあるが、一時的ならともかく、何らかの理由で大金を持っていない限り長くは続けられない。生活が成り立たない。

応募者が求職時に職に就いているかどうかで企業との力関係は変わるかもしれない。「お宅に行かなくても食い扶持はあるんだ」「現にこれだけのお金をもらっているんだ」という事実があった方が交渉において有利だろう。だが、それでも対等ではない。

採用する側が「採用基準」を偉そうに語って本まで出版するのを見ることはあっても、求職者が「入社基準」を偉そうに語っても誰も相手にしない。

自分を市場に放り込むということは、自分を商品にするということ。資本主義の世の中では避けられない。でもそれ一辺倒になってしまうと苦しい。労働に重きを置く社会で、「自分」という商品が労働者の市場で売れないと、存在を否定された気持ちになるからだ。だから就職活動は疲れるし、大学生の自殺者まで出る。

鎮座DOPENESSは、リスナーや他のラッパーから韻が踏めないとディスられても痛くも痒くもないはずだ。(少なくとも業界で一般的に規定される形での)「スキル」という次元で、彼は勝負しているわけではないのだ。それどころか、彼はラッパー・MCという枠にもとらわれていないのではとさえ思う。私にとってバトル動画を通して見る彼の勇姿は、ひたすらに眩しいのである。

2014年3月25日火曜日

ラーメンたべたい?

アルバム『Get Together - LIVE IN TOKYO』で矢野顕子が歌う「ラーメンたべたい」という曲を聴いて、何とも言えない気持ちに襲われた。

たまたま同時期にテレビで矢野を追ったドキュメンタリー番組を観たのが影響している。その番組では国をまたいで活躍し長年のキャリアを積んで名声を得た今でも新しい音楽に意欲的に挑戦する、類まれなる表現者としての彼女の姿が見て取れた。

そういうアーティストとしての偉大さとは別に私の印象に残ったのは、この人はおそらくお金持ちな家庭で上品に育ったんだろうなと思わせる振る舞いやエピソードだった。拠点を構えるニューヨークで、馴染みの店でアクセサリーを物色する姿。番組の制作陣を同行しているのを見て「有名人だとは知らなかったです」という店員に「そんなんじゃないのよ」と返すときの、本当に感じのよい、嫌味のない仕草。公式ソングを歌うことになった伊勢丹は子供の頃からよく来ていて、以前から大好きだったという話。

矢野顕子はセルアウトして金持ち用の百貨店である伊勢丹の公式ソングを作ったのではなく、元から伊勢丹に通い詰めるお嬢様だったのだ。そういう出自なのであって、伊勢丹って素敵というのは彼女にとっては背伸びをしない等身大のリアルな思いなのだ。

そんな彼女が歌う「ラーメンたべたい」は、本人がどういう気持ちで歌っているかは別にして「裕福な家で上品に育ち今ではアーティストとして大成功しニューヨークで暮らしている私だってたまには庶民の味であるラーメンを食べたくなるものよ」と私には聞こえてしまうのである。もちろんここには私の勝手な想像や飛躍、妬みが大いに含まれるわけだが、どうしても純粋に聴くことが出来ないのだ。

だからラーメンへの熱い思いを歌い上げる矢野に対して、私としてはそうそう分かります、無性にラーメンが食べたいときってありますよね!と同調する気持ちは湧いてこない。おそらく「ラーメンたべたい」というのは多くの日本人が共感できる欲求なのだろうが、私にとっての「ラーメンたべたい」と矢野顕子にとっての「ラーメンたべたい」は違うのだ。

首相がテレビの庶民的なバラエティ番組を無形文化財といって褒め称えても、それらを本当に日々の生活で観ている庶民とでは住んでいる世界は違うのであって、その断層は埋めがたい。同様に、伊勢丹が大好きだという矢野顕子と、公式ソングのビデオクリップ撮影時に矢野の後ろで笑顔で踊っていた伊勢丹の販売員たちとの間にも、確固たる断層がある。あの販売員たち同様、私も破産せずに伊勢丹で気ままに買い物が出来る身分ではない。

2014年3月23日日曜日

祭りの後。

友人の結婚式に行ってきた。人生の中でもそう何人も出会うことはない、いわゆる親友と言って差し支えがない奴だ。そうじゃなければ招待は断っていた。

俺は今、あまり他人の結婚式にのこのこ出かけていられる状況ではない。職がないからだ。何と言っても、金がない。ご祝儀を出せば生活が破綻する。気も進まなかった。企業の選考に応募しては書類で落ちたり面接で落ちたりというのを何度か繰り返しているうちに、悲観的な気分がデフォルトになってきた。毎日ほんの少しずつ精神は摩耗し、弱ってきている。こんな境遇と精神状態で他人の結婚におめでとうだなんて言う気は起きないのだ。

眠りについたらそのまますべてが終わりになってくれないだろうか。そうなってくれればどんなに楽だろう。布団の中でそう思ったこともある。それも悪くないかもなと思いかけた途端、先週会って一緒にお昼ご飯を食べた母親の顔が頭に浮かんだ。俺が死んだら母が悲しむ。何があっても親より先に死ぬことだけは避けたい。朝の8時過ぎになると自然に目は覚める。当たり前のように一日が始まる。憎らしいくらいに空は青い。布団を干す。洗濯をする。

子供の頃に歯が立たなかったファミコン・ゲームの攻略動画をYouTubeで観るのに最近はまっている。「バットマン」。「ティーンエイジ・ミュータント・ニンジャ・タートルズ」。「さんまの名探偵」。「ドラえもん」。あの頃に分からなかった謎が解明されていく。人生の伏線を回収しているというか、何かこう、人生を締めくくっているような気持ちになってくる。冗談のような、冗談ではないような。

人生の先行きは見えないが、精神状態が悪いときでも積極的に死にたいとまでは思わない。日付のついた楽しみが、俺を未来につなぎ止めている。5月に出る上原ひろみのアルバムを聴かずして、死ねるか。GW中のキース・ジャレットの公演を会場で観ずして、死ねるか。この間、精神的に凹んで頭がボーッとして布団の上で天井を見つめていたらインターフォンが鳴って、出たら再来週の℃-ute五反田公演のチケットの配達だった。あんまりいい席ではなかった。チケットに印刷された日付を見て、まだ生きなきゃなと思った。

披露宴では一人一人の席にメッセージが置いてあった。自分のを開けると彼にとって俺は「仕事、人生観、遊びと、自分に一番影響を与えてくれたかけがえのない友人」だと書いてあった。俺は彼から多大な影響を受けたが、俺が実際のところどれだけ彼に影響を与えたのか、分からない。

何人もの元同僚たちと再開した。「元気?」と何人かに聞かれてその都度「元気じゃねえよ(元気じゃないですよ)」と返した。ある人は顔を合わせるや否や「今、ニートなんでしょ?」と煽って笑ってきた。ある人は転職したときに活動に一年かかり、いま勤めている会社に決まるまで合計で20社に落ちたと言っていた。ある人は無職生活の精神的なつらさが分かると言ってくれた。彼は無職になったことはないが、仕事で先が見えない不安からパニック障害になったことがあるらしい。結婚式に呼んでくれた友人ともう一人の友人は、夏頃に一緒に山登りに行こうという話をしてくれた。企業の面接官たちと違い、元仲間として、人間として温かく接してくれる彼らのおかげで、だいぶ救われた。

結婚式という場は、人生への肯定感で溢れていた。みんな笑顔で、楽しく、祝って、笑っていた。社会への不満、人生への絶望、将来への不安が入り込む余地など微塵もなかった。それはそれで不自然ではあるが、自分が日々で忘れていた温かさがそこにはあった。

結婚式に参加することで、人生を肯定していて心に余裕がある多くの人たちと触れ合い、少しだけ心が浄化された気がした。安定した職に就き、生活の基盤が確立していて、社会的地位が確保されている人々だからこそ出せるゆとりを感じた。

他人の結婚式に出ることが人生で最大の娯楽になっている人々が一定の割合でいるのだろうと、盛り上がる参加者たちを見て、思った。彼らにとっての結婚式はハロヲタにとっての現場のようなものなのだろう。退場するとき握手会じゃないけど贈り物の手渡し会があるしね。

一晩明けて、披露宴でもらったメッセージを見返した。もし俺が本当に彼に影響を与え、彼の人生の中で少しでも重要な位置を占めてきたとすると、俺が自分の人生を否定すれば、それは彼の人生を否定することにもつながるのではないか。

死ねない理由が一つ増えた。

2014年1月15日水曜日

服ヲタクを辞めます。

服ヲタクを自負してきたが、そろそろその看板を下ろそうと思う。

私のことをよく知る友人は、びっくりするかもしれない。

私のことをよく知らなくても、「大学時代までJEANS MATEで服を買っていた俺が、ヨウジとギャルソンを愛好するようになるまで。」を読んでくれた人なら驚くかもしれない。

http://s01454ks.blogspot.jp/2010/11/jeans-mate1.html
http://s01454ks.blogspot.jp/2010/11/jeans-mate2.html
http://s01454ks.blogspot.jp/2010/12/jeans-mate3.html
http://s01454ks.blogspot.jp/2010/12/jeans-mate4.html
http://s01454ks.blogspot.jp/2010/12/jeans-mate5.html
http://s01454ks.blogspot.jp/2011/01/jeans-mate6.html
http://s01454ks.blogspot.jp/2011/01/jeans-mate7.html
http://s01454ks.blogspot.jp/2011/01/jeans-mate8.html

3年前の文章で書いてきたように、2005年に就職して以来、私のファッション・服への情熱は並々ならぬものがあった。人生の一つの軸だったと言っていい。

時間がたつにつれて熱意が徐々に冷めてきているのは感じてきたが、現在では明確に服ヲタクとしての自覚を失った。

あれだけ好きだったのに、なぜ? 煎じつめると、以下の三点だ。

理由1.あまりにもお金がかかり過ぎる。

理由2.いつまでたっても満たされない。

理由3.他の安価で楽しい娯楽を覚えた。

これらの理由が組み合わさることで、服ヲタからの卒業を決意するに至った。

理由1.あまりにもお金がかかり過ぎる。

私が働き始めてから服にどれだけのお金を費やしてきたのか、定かではない。500万円は下らないだろう。1000万円までは行っていないかもしれないが、その間のどこかだと思う。この金額を頭に浮かべる度に、その金額を貯金できていれば・・・という思いが頭をよぎる。

もし服に使っていなくても、他の何かに使っていただろう。お金の大切さをほとんど理解できていなかったからだ。

私はお金に関して無邪気すぎた。会社員という身分に慣れ過ぎて、給料が安定的に入り続けることが当然だと思っていた。むしろ自分がもらっている額は少ないと思っていた。給与明細の内訳もまともに理解していなかった。毎月、額面と手取りの額を見て少ないなとかちょっと多いなとか思っていた程度だった。健康保険料、住民税、年金などは何か引かれているなくらいの認識しかなかった。少し踏み外せば職がなくなり給料をもらえなくなる生活が来るとは想像も出来なかった。

職を失って、お金が生死に関わるほど大切だということが身に沁みた。収入がなくても前年度の収入に応じて請求される国民健康保険料に、住民税。国民年金の督促状。会社に勤めていた頃は何となく天引きされるのを横目にしていただけだった。一つ一つの請求書と向き合って、金額にげんなりして、初めて税金の重さを理解した。

服にどっぷりはまっていた頃は金銭感覚が麻痺していた。何せあの世界では、3万円のジーンズをお手頃ですよと言って勧めてくる。1万円のTシャツをちょっとした記念に買わせようとしてくる。そうやって何となく消える数万円が、境遇が変われば生活を続けられるかを左右することがある。それを分からずに、物欲に身を任せて貴重なお金を使ってしまうのは愚かなのだ。

最近、服が好きな友人たちと3人で飲んだ。私以外の2人は最近、結婚した。月の小遣いは2万円だと言っていた。月に2万円だと、年間に24万円、半年で12万円。服以外への出費をゼロにするという無理のある仮定でも、1シーズンに12万円しか使えない。12万円というとファッションの世界を知らない人は十分じゃないかと思うかもしれないが、すぐに吹き飛ぶ金額だ。服以外には1円も使わないのは不可能だから、実際にはもっと少なくなる。

そこまでして切り詰めて、毎シーズンのように服が欲しいだろうか。話した感じだと、彼らの服への出費は激減しそうだった。服をたくさん買っていた頃、私たちは消費者としての自己実現を楽しんでいた。いつまでもそこに留まっているのは幼稚なのだ。

理由2.いつまでたっても満たされない。

服を着ることには自己表現という一面も、たしかにあるかもしれない。だが、基本的にはファッションや服を楽しむのは消費であって、何かを生み出す行為ではない。デザイナーが作り出した世界や世の中の流行に、お客さんとして関わっているのだ。

あくまで消費者であって、ファッション・ヴィクティムだ。常に新しいのが欲しい。次が楽しみ。いつになっても、いくら使っても、終わりは来ない。その過程で、ブランドの売上に貢献するのを除けば、他の誰かを助けるわけではない。自分の欲求を満たしているだけ。でもずっと空腹なんだ。

『ビル・カニンガム&ニューヨーク』というドキュメンタリー映画で、ビル・カニンガムがこう言っていた。
「ファッションに否定的な声もある。『混乱を極め問題を抱えた社会で、ファッションが何の役に立つ? 事態は深刻だ』と。だが要するに、ファッションは鎧なんだ、日々を生き抜くための。手放せば文明を捨てたも同然だ、僕はそう思う」(訳の出典はhttp://eiga.com/extra/sasaki/3/)
毎日を生きていくためにファッションや服が必要というのは、自分のことを振り返っても思い当たる。私にとって服とは仕事をする理由だった。好きな服を選ぶ喜び、身にまとったときの高揚感。安心感。それらを得るための給料だった。仕事のストレスや疲れの大部分は服が癒してくれた。

それをずっと続けるわけにはいかない。日々の強いストレスや不満を高いコストのかかる娯楽や趣味で解消するのは消耗戦である。疲れたときの栄養ドリンクのようなもので、一時しのぎにはなるかもしれないが、長期的には疲弊するばかりで、依存症になって、幸せにはなれない。

ファッションは素敵だ。その考えを捨て去るつもりはない。私のことも鎧として守ってくれたのに、いきなり手のひらを返してディスるつもりはない。

今さらユニクロや無印の服に移れるわけがない(下着や寝間着を除く)。今後、ヨウジ・ヤマモトやコム・デ・ギャルソンの店舗にいっさい足を運ばないわけではない。でも、頻度はだいぶ落ちるだろう。

ファッション業界は、産業である以上、常に新しい服を作って売りださないといけない。そうしないと事業が成り立たない。関係者が生活できない。ただ、一人ひとりの消費者がそれに合わせて新しいものを買い続ける必要はない。

理由3.他の安価で楽しい娯楽を覚えた。

服の金額よりもはるかに安い金額で楽しめる娯楽が、世の中にはあまりにも多い。

ハイキング。私の今の住処からだと、6,000円くらいあれば埼玉の小川町に行って、昼食を食べて、静かなハイキング・コースを歩いて季節を感じ、温泉で岩盤浴とロウリュ・サウナを堪能し、世界一うまいポーク・ソテーを食って、帰って来られる。

友人との歓談。数千円出せば、一緒にうまいものを食って、酒でも飲みながら話が出来る。

音楽。何十回と聴き返しても飽きず、期間を置いて聴き直しても新たな発見があるようなジャズの名盤がCDで一枚1,000円から1,500円で買える。

映画。名画座に行けば過去の名作が1,300円で2本、観賞できる。

本に関しては説明するまでもない。

喫茶店に入れば、数百円でおいしいコーヒーを飲みながら、好きな音楽を聴きながら好きな本を読める。

もちろん、お金をかけて初めて見える世界があるのはたしかだ。一流のサービスや製品。それは服ヲタク時代にたっぷり味わったからよく分かっている。でも日常的に高いお金をかけなくても生活を楽しむことは出来る。

今後、私はどういう服を着るのか

お金の大切さが身に沁みた。服をいくら買い続けても満たされないことに気付いた。他の安価な時間の楽しみ方を覚えた。今後の私が以前のような勢いで服にお金を注ぎ込むようになるとは考えにくい。では何を着るのか?

一つ言えるのは、アウトドアの服は重用していくだろうということだ。2011年にトルコに旅行した。3月で場所によってはマイナス15度とかだった。同行した旅慣れた友人の勧めで、防寒用の服をアウトドア用品店で買った。それ以来、アウトドア服の虜になっている。

店内を見ていると着丈が短くてフードがでかいマウンテンパーカがあった。店員さんによると、着丈が短いのはクライミング時に腰に道具を付けるため。フードがでかいのはヘルメットを装着した上にかぶるため。てっきりおしゃれのためかと思っていたが無駄のないデザインに感心した。

そのときに買ったTHE NORTH FACEのマウンテン・パーカ(シェル)が今でも重宝しまくっている。夏を除くすべての季節に使える。飛行機の中でも重宝する。空調で変に風がふいており、普通の服では防ぎきれないのだがこれを着用すれば快適。

ネック・ウォーマー。朝の寒さが苦ではなくなった。首回りの防寒という目的に対して無駄がないというか、マフラーをあざ笑うかのような最小限のデザインがいい。

メリノ・ウールの靴下。クッション性が高く履き心地がよい。保温性がありながら蒸れにくい。普通の靴下には戻れなさそうだ。

実用性、機能性と、無駄のないデザインに、納得できる価格。服の高級ブランドに比べれば、ブランド・イメージの幻想ではなく実際に役に立つ何かにお金を払っているのを実感できる。

もっとも、全身アウトドア服だと登山の格好そのものになってしまうので、他の服とうまく組み合わせる必要はある。THE NORTH FACEのシェルに、ジュンヤのeyeのパンツがよく合う。そういう感じで組み合わせていくのが自分のカジュアルな格好としては中心になっていくだろう。