2010年5月29日土曜日

2010年2月5~15日インド旅行記 (9)

八日目

インドに来るのはこれで三回目なのだが、もう当分いいかも。これで最後でも思い残すことはあまりない。まあ、そう言いつつまた来そうな気はするけど。

上のオフィスに行って、バスの切符を受け取る。

マサラ・チャイのスモール・ポット(コップ3杯分)とハニー・トーストを注文し、部屋に持ってきてもらう。

昨日インド人に粉ミルクを買わされた店で強引にお釣り代わりに押しつけられたビスケットをほおばる。ん、意外とうまいじゃねえかよ。二枚の円形ビスケットにオレンジ味のクリームがはさまれている。

そんな感じで、適当に食べたり飲んだりしつつ(まだ本格的に物が食える状態じゃないが)ベッドで横になる。

そのまま午後5時くらいまで休息。

チェック・アウト。受付の机には、各国からの旅行者が書いた感謝状が飾ってある。ニュージーランドの女性が書いた「とにかくすべてが最高で、予定より長く滞在しちゃった。このホテルを運営している兄弟は最高よ」的なべた褒めが目に留まる。なぜなら俺は昔ニュージーランドに住んでいたから。

ホテルマン「カシミール地方のツアーもやってるから今度インドに来るときは参加してくれ」
俺「そうだな」

午後5時くらいまで部屋でまったり。鍵を受付に戻して、いざバス乗り場へ。

いよいよこの旅も、終わりが近づいてきたな。まだ終わっちゃいないが、軽い達成感みたいなのが沸いてくる。

2010年5月17日月曜日

【最後に~参考文献】自由主義 vs. 多文化主義:アメリカの多文化主義を巡る保守とリベラルの対立

最後に(*117)

*117 この終章を「結論」ではなく「最後に」にしたのには意味がある。日本では多数派とは言わないまでも多くの人々が、最後の章の役割が、論文で最も重要な主張を明らかにすることだと考えている。しかしそれは間違いである。これはおそらく、「conclusion」の誤訳から来るものだと筆者は考えている。ほとんどの人は、この単語を「結論」、すなわち最終的な主張、と捉えている。この考え方からすれば、最後の章ではじめて論文の骨子、主張が明らかにされるのだ。実際、後述する共同発表会でも、その勘違いによるものかは不明だが「肝心の結論が聞きたかった」というような感想を受けた。しかし、conclusionという言葉には「結論」という意味と、「最後の締め」という意味がある。論文の最後の章にあてられるconclusionは、普通、後者の意味である。その証拠に、アメリカで出版された、論文の書き方に関する本やウェブサイトを読むと、conclusionの章で行うべきは、本論の簡単な要約をした上で、その議論の意味合いを探ったり発展させたりすることだ、と書いてある。そこではじめて主張を示せ、という助言は聞いたことがない(たとえばVan Evaraを参照)。論文の主張は「はじめに」で明らかにし、本論で証明するのだ。最後の章は本論を軽く振り返った上で、議論を補足したり発展させたりするのが基本だ。なお、これを読まれている学生がいれば、論文やレポートの書き方についてはCohenほかを推薦する。また卒業論文の書き方についてはStudents Helping Studentsも参考になった。

本稿で筆者は、多文化主義論争におけるアメリカ政治思想の対立を「自由主義 vs. 多文化主義」に求めた。誤解して欲しくないのは、このモデルはあくまで多文化主義をめぐる思想的対立の描写であってそれ以外ではないという点だ。本稿の主張は、アメリカの保守主義が自由主義と同じだということでもなければ、自由主義と多文化主義が対立するということでもない。筆者が論証しようとしたのは、「自由主義 vs. 多文化主義」というモデルが、多文化主義をめぐる保守とリベラルの対決を説明する上で有効な切り口だということだ。

この「最後に」では、主に本稿を完成する以前に受けた批判に答えることを通じて本論の補足や発展を図りたい。本論を読まれた読者の中には、内容について色々と批判的な見方をされている人もいるかもしれない。また、まず論文や本の最初と最後を読む習慣の方でも、既に首を傾げている方がいるかもしれない。幸いにも筆者は、現段階でいくつかの批判に答える機会に恵まれている。

筆者は本稿の内容について、いくつかの研究会共同での発表会で発表を行った。質疑応答の時間と、終了後に提出する仕組みの「フィードバック・シート」で、複数の人々から所感を受け取った。その中にはいくつか、批判的な感想が含まれていた。ここではそれらからいくつか取り上げて返答する。本稿の読者にも同じような不満を持つ人がいた場合に有益と考えるからだ。内容の性質上、Ⅴ章までに比べて文体が戦闘的にならざるを得なかったところも若干あるが、ご了承いただきたい。

【第五章 多文化主義から見た自由主義の問題点】自由主義 vs. 多文化主義:アメリカの多文化主義を巡る保守とリベラルの対立

Ⅴ 多文化主義から見た自由主義の問題点

自由主義にも問題がある

自由主義は、Ⅰ章で述べたように私たちが身を置く近代社会の前提となる重要な思想である。そう考えると、その枠組みを否定しかねない多文化主義は、一種の危険思想にすら見えてくる。しかし、そう断定するだけではいささか単純すぎる。多文化主義が誕生し、滅んでいないのにはそれなりの理由がある。自由主義にも問題があるのだ。

個人による差別

自由主義は、致命的な限界を抱えている。それは、法的な差別、国家による差別をなくすことはできても、権力の干渉を受けない「自由な個人」が行う差別を解決できないことだ。Ⅰ章におけるディズニーやレストランの例を思い出していただきたい。自由主義は、国家権力の干渉から個人を守る思想である。個人が商売をする相手に誰を選ぶか、自分が経営する学校や企業に誰を受け入れるかは、国家権力が決める問題ではない。人々がそういった問題で意思を決める背景には、人種差別があるかもしれないのは想像に難くない。ところが、それに対しては、自由主義は為す術がない。なぜなら、個人がどういう考えを抱いて生きるかは、国家権力が踏み入れるべき領域ではないのだ。私たちには良心の自由がある。個人がどのような思想・世界観を持とうと国家権力とは関係ないのだ。自由主義社会に思想警察は存在しない。もちろん、ある行動が法律を侵害した場合には罰則を受ける。しかし、たとえば筆者が誰かを殺そうと頭の中だけで考え、具体的な行動には一切出なかったとしたら、それは犯罪ではない。

しかし、そもそもなぜ多文化主義が登場したのか? 大きな理由の一つが、差別の解消だった。アメリカは、黒人たちに対して奴隷制を敷き、それが終わったあとも彼らを法的に隔離してきた。その歴史を垣間見るに、法的な保護が平等になった途端「平等な社会」が現れ、アメリカが抱えていたすべての差別が解消したと考えるのはどんなロマンティストにとっても難しい。しかし、自由主義においては、「平等な社会」は権利が平等な社会でしかあり得ない。世の中に厳然として存在する差別に対し、権利の平等以上の指針を指し示すことはできないのだ。実際、アメリカの保守たちは、差別問題になると概して口が重い。彼らがアメリカ社会の差別について問われた際、返す答えの典型がこれである:「たしかに人種間の関係はまだ完璧とは言えないかも知れない。しかし、もう差別は終わった。過去のことばかりにこだわるのは止めよう!」。これはどう贔屓目に見ても詭弁だが、ある意味仕方ない。なぜなら、保守主義が拠って立つ自由主義の枠組みでは、たしかに差別は「終わった」のだ。

政治学者のトーマス・パワーズは、「自由主義の変遷、1964年から2001年(”The Transformation of Liberalism, 1964 to 2001”)」という論文で、アメリカの政治的論争を、反差別と自由主義との対立という視点から解読した(*107)。ここではこの論文を読み解くことで、多文化主義を含む政府による差別撤廃措置が明らかにした自由主義の限界を浮き彫りにしたい。パワーズによると、アメリカ政府による反差別政策は、自由主義的枠組みの弱点の暴露であった。アメリカの自由主義は、個人による差別を政府の関心事から外すことで、白人による黒人への人種差別を放置した。

*107 Powers

一般的に、1964年の公民権法は、自由主義思想の結実だとされることが多い。果たしてそうだろうか? パワーズによると違う。この法律は、Ⅱ章で述べたように、民間による差別を禁止する効果を持っている。それが、多文化主義の実践が公共部門だけでなく民間部門でも大いに発達することを可能にした。パワーズによると、公民権法は、自由主義の論理的帰結ではなく、むしろ限界の暴露だった。公民権法以前にアメリカを支配していたのは、公的空間における差別の禁止という自由主義の哲学だった。ところが、これでは私空間での差別をなくすことはできなかった。さらに、特に南部においては公的空間での平等すら達成することができなかった。これは、「自由主義の限界を越えた政策のみがアメリカにおける人種差別の問題を解決し得る(*108)」ことを明らかにした。自由主義の理論では、政府は、人々がどう生きるべきか、どういう考えを持つべきかには関知しない。しかしそれでは不十分なのだ。差別をなくすために、民間における人々の内面に踏み込んだ政策が必要になったのだ。そして、私的空間での差別をなくすための重要な手段が多文化教育である。多文化教育は、差別のない社会の構成員を作るために必要な道徳を教える。

*108 同上

【第四章 自由主義から見た多文化主義の問題点】自由主義 vs. 多文化主義:アメリカの多文化主義を巡る保守とリベラルの対立

Ⅳ 自由主義から見た多文化主義の問題点

自由主義 vs. 多文化主義

Ⅲ章で、筆者はアメリカ政治思想の保守とリベラルを三つの視点から定義した。意図は二つあった。一つは、既に述べたとおり、この二者がそれぞれ自由主義と多文化主義とつながっていることを示すことだ。それ以外にもう一つあった。それは、「自由主義 vs. 多文化主義」モデルの不十分さを補うことだ。アメリカの保守が常にⅠ章で述べたような個人の自由と平等のみを最優先するとは限らない。国益、愛国心、キリスト教といった、個人を「我々」にまとめ上げる力が、時に個人の自由よりも上に来ることがある。その例が、宗教右派による中絶医院への攻撃だった。逆に、大きな政府を志向し、個人の経済的な自由を制限しがちなリベラルが、特定の社会問題に関しては保守たちよりも個人の自由を認めることがある。「自由主義 vs. 多文化主義」というモデルは、アメリカの保守主義とリベラリズムをそっくりそのまま反映するわけではない。「保守主義 vs. リベラリズム」=「自由主義 vs. 多文化主義」ではないのだ。もちろん、「=」は不可能にしても、なるべく「≒」に近づけるのが理想だが、単純化の犠牲は避けられない。その犠牲をⅢ章で救出したかった。

Ⅰ章で論じたように、モデルとは複雑な対象から特定の部分だけを取り出し、残りを捨て去った理念型である。「自由主義 vs. 多文化主義」モデルで筆者は、保守主義の中の自由主義的な側面を取り出し、それと対比する形でリベラリズムを描いた結果、実際には自由主義の個人主義的な原則を保守が占有しているわけではないという事実を捨象した。つまり現実のある側面だけを切り取ったのだ。この二項対立モデルでは、多文化主義を支持する人々がみな、自由主義を完全に否定するかのような印象を与えるかもしれない。だが、前述のようにアメリカは国家全体が自由主義的な背景を持っている。実際、保守もリベラルも自由主義であることに変わりはないと解釈する学者もいるようだ。だが筆者のモデルは、自由主義をあたかも保守だけが占有する属性であるかのように扱っている。このように、「自由主義 vs. 多文化主義」モデルは粗探しをしようとすれば欠点を指摘するのは難しくない。

しかし、「自由主義 vs. 多文化主義」は、多文化主義をめぐって保守主義とリベラリズムが抱える最も重要な対立点の一つの描写である。それを本章と続くⅤ章で示す。実際のアメリカ政治思想との関係を探るために、Ⅳ章は保守たちによる多文化主義批判の議論、Ⅴ章はリベラルたちによる多文化主義支持の議論と、それぞれつなげる。まず本章では、自由主義の視点に立って多文化主義を攻撃する。

【第三章 アメリカ政治思想の右左】自由主義 vs. 多文化主義:アメリカの多文化主義を巡る保守とリベラルの対立

Ⅲ アメリカ政治思想の右左

保守対リベラル

アメリカ国民を説明する、使い古された表現に、「50-50 nation」がある。これは、彼らが様々な問題に関して、常に二つの相反する立場に分かれて議論をするという意味である。50というのは50%のことだ。もちろん、この単純な説明がいつでも現実のアメリカに当てはまるわけではない。しかし、このモデルは、アメリカの政治的な論争を見る上ではある程度有効である。

何と何の対立なのか? それは、保守主義(右翼)とリベラリズム(左翼)である。アメリカを50-50状態にさせる問題には様々なものがある。妊娠中絶を許すべきか禁止すべきか。税金を増やすべきか減らすべきか。そういった問題をめぐる対立には、ある程度、二項対立の構図が当てはまる。二大政党のうち共和党が保守、民主党がリベラルの立場を代表する。妊娠中絶に関しては、保守たちは反対し、リベラルたちは賛成する。税金に関しては、保守たちが減税、リベラルたちが増税を望む。もちろん、個々の保守たちやリベラルたちがすべてこの対立に当てはまるとは限らない。しかし、大きな構図としては、アメリカの社会問題をめぐる議論は、「保守対リベラル」で説明できることが多い。それは、本稿の主題である多文化主義においてもそれは例外ではない。そして、その対立をよく見てみると、保守主義がⅠ章で扱った自由主義、リベラリズムがⅡ章で扱った多文化主義と深いつながりを持っているのだ。本章では、アメリカの保守主義とリベラリズムを考察することで、そのつながりを確認する。

【第二章 多文化主義の解剖】自由主義 vs. 多文化主義:アメリカの多文化主義を巡る保守とリベラルの対立

Ⅱ 多文化主義の解剖

「多様の統一」ではなく「多様」

われわれの国土には、あらゆる種類の地質と気候があり、われわれ国民もあらゆる種類の民族、人種から成り立っている。しかも、この国土は一つの国であり、人びとはみなアメリカ人である。モットーというのは、とかく願いごとや夢を盛りこむ。ところが、アメリカの「多様の統一」(E Pluribus Unum)というモットーは事実である。不思議な、信じられないようなことだが真実だ(*24)。
*24 スタインベック、19

上の引用は、『怒りの葡萄』などで知られるアメリカの作家、ジョン・スタインベックによるエッセイ、『アメリカとアメリカ人』の、第1章の、最初のパラグラフである。「多様の統一」とは、独立以来アメリカが掲げてきたモットーであり(*25)、現在もラテン語の「E Pluribus Unum」は、現在使われているすべての硬貨に刻まれている(*26)。英語にすると「Out of many, one(多くからなる一つ)」である。このモットーは元々、13の州からなる一つの国家(*27)という意味だったが、後に、流入してくる色々な人種的、民族的背景を持つ移民たちを統合し、同化させ、一つのアメリカ人を作るという意味合いを持つようになった(*28)。私たちに馴染み深い言葉で言えば、これは「メルティング・ポット(いわゆる『人種のるつぼ』)」の発想である。

*25 より正確には、1776年にベンジャミン・フランクリン、ジョン・アダムズ、トマス・ジェファソンがアメリカの印章に採用し、6年後に国の公式なモットーになった。The Columbia Encyclopedia, Sixth Edition, 15742
*26 スタインベック、220
*27 アメリカは、独立する以前は、13の独立した州だった。独立の背景については次の章で説明する。
*28 “E pluribus unum,” Wikipedia, the free encyclopedia. http://en.wikipedia.org/wiki/E_Pluribus_Unum

スタインベックの本が出版されたのは1966年だが、40年近くたった今では、その考え方への批判が激しい。多文化主義は、その表れである。同化は、アメリカ人たちが持つさまざまな人種的、民族的な多様性を無視し、彼らを一つの支配的な「アメリカ人」のモデルに押し込む作業であるから反対しなくてはいけない。目指すべきは、すべての集団が一つの型に融合する「メルティング・ポット」ではなく、それぞれの集団が個性を失わずに共存する「サラダ・ボウル」あるいは「シチュー」である(*29)。「多様の統一」は統一に焦点を置いた目標だが、多文化主義者たちはそれよりも多様性を重視する。差異は、統一するより祝福しなければならないのだ。

*29 Mitchellほか、143, 209, 272

また、人種や民族、また他の社会集団は、白人男性中心の社会において、政治的・経済的な面で、周辺に押しやられている。この状況も改善しなくてはならない。多文化主義を支えるのは、そういった哲学である。この章の使命は、多文化主義を定義し、その理論と実際の運用のされ方を探ることである。

【第一章 自由主義の解剖】自由主義 vs. 多文化主義:アメリカの多文化主義を巡る保守とリベラルの対立

I 自由主義の解剖

「リベラル」の意味

よく評論家や学者について話すときに、あの人はリベラル派だとか、保守派だとかいう言い方をする。そのときの「リベラル」は、日本語にすると「自由」である。リベラル派が信じる思想である「リベラリズム」が、説明するまでもなく「自由主義」である。しかし、筆者がこの章で説明しようとする「自由主義」は、多くの人が「リベラル」という語から想起するその思想と同じではない。

どういうことだろうか? まず、頭の中に「リベラルな」評論家あるいは学者を思い浮かべていただきたい。仮に大学教授としよう。その人は、どういう意見を持つ人だろうか? 一つ、問いを出してみたい。

問い:「社会には毎日遊んで暮らしていけるお金持ちもいれば、明日のご飯を食べられるように必死で暮らしている貧乏人もいる。この現実をどう見るか。また、どうすべきか」。もしリベラルな教授がこの題目でエッセイを書くならば、その回答はどうなるか。論旨を要約せよ。

答え:「そのような不平等は許しがたい。社会は平等であるべきだ。毎日遊んでいても暮らしていける人は、必要以上にお金を持っている。この状況は、ぜひ解消しなくてはいけない。そのために、政府が福祉政策を通じて、富を正しく分配し、平等化に努めるべきである」。

ここまで率直な文章を書く教授が実際にいるかは別として、多くの人は頭の中に、上のような内容の回答を思い浮かべたのではないか。あまり評論家や学者たちの論争に馴染みがない人でも、上の回答を見せられ、「これがリベラルな意見だ」と言われると、まあそうだろうなと納得できる人が多いはずである。なぜなら、この回答が、現在の多くの「リベラル」な人たちの考えのエッセンスだからである。現在、リベラリズムと言ったら、多くの人たちは上のような思想を頭に浮かべる。

では、上の考え方はどうリベラル(自由)なのか? 誰が、どのようにして自由になっているのか? 答えに詰まる人が多いはずだ。なぜなら、それらの質問には答えようがないのだ。上に示された発想は、本来の「自由主義」からすると、まったく自由な考え方でもないし、誰も自由になっていない。むしろ、本来の「自由主義」とは正反対の思想ですらある。

この章の題材は、本来の自由主義である。「本来の」というのは、「過去の」という意味ではない。この自由主義は、近代社会を形成する根本的な思想として、今日の世界にも息づいている。しかし混乱を招くことに、現在「リベラル」とみなされる思想との名称上の区別なしに使われることが多い。また「本来の」意味で使われることもある。

名前を区別す場合は、よく元来の自由主義を「古典的自由主義(classical liberalism)」と呼ぶ。しかし、本稿ではそのまま「自由主義」と呼び、現代のいわゆる「リベラルな」考え方をカタカナで「リベラリズム」と呼ぶ。この二者の峻別が、本稿を理解するうえで肝要である。

この章の目的は、自由や平等といった重要概念の分析を通して、自由主義がどのような思想なのかを探ることである。ただし、章の最後や「最後に」でもことわるように、本章で解説するのは自由主義の一つのあり方であって、同じ名前に分類される思想全体の見取り図の作成は意図していない。

【構成~はじめに】自由主義 vs. 多文化主義:アメリカの多文化主義を巡る保守とリベラルの対立

2004年秋学期優秀卒業制作(SFC AWARD)受賞
自由主義 vs. 多文化主義
アメリカの多文化主義を巡る保守とリベラルの対立
白井健一郎
総合政策学部4年、70104541

構成

はじめに 3
Ⅰ 自由主義の解剖 5
‐「リベラル」の意味
‐二つの原則
‐モデル
‐権力からの自由
‐権利の平等、法の前の平等
‐ディズニーに検閲はできるか?
‐黒人を拒否するレストラン
‐政府の役割
‐リベラル・デモクラシー
‐功利主義

Ⅱ 多文化主義の解剖 15
‐「多様の統一」ではなく「多様」
‐多文化主義を定義する:三つの視点
‐文化とは属性のこと
‐「多様性」は集団間の結果の平等
‐「差異」と「多様性」は同じ
‐「オリジナル」の原理の不在
‐アファーマティブ・アクション
‐「人種差別解消」から「多様性」へ
‐学校教育
‐多様性トレーニング
‐ポリティカル・コレクトネス

Ⅲ アメリカ政治思想の右左 25
‐保守対リベラル
‐独立宣言の意味
‐保守主義と小さな政府
‐キリスト教
‐国家主権
‐リベラリズムと大きな政府
‐世俗性
‐越境
‐リバータリアニズム

Ⅳ 自由主義から見た多文化主義の問題点 35
‐自由主義 vs. 多文化主義
‐自由と平等
‐個人という単位はどこへ
‐AAと修正第14条
‐最高裁が合憲といえば合憲になるわけではない

Ⅴ 多文化主義から見た自由主義の問題点 40
‐自由主義にも限界がある
‐個人による差別
‐理論と現実
‐理想
‐自由主義とキリスト教

最後に 45
‐批判に答える
‐批判1:実際の社会現象や政治思想は複雑。筆者はそれを単純に整理しようと焦っている
‐批判2:自由主義の定義が狭すぎる
‐その他
‐過程としての自由主義

感謝

参考文献


はじめに

 1980年代頃から勢いを持ち始めた多文化主義は、アメリカ社会を動かす大きな原動力である。しかし、誰もがそれを支持しているわけではない。多文化主義をめぐる論争は熾烈である。アメリカの過去と現在をどう捉えるのか、これからアメリカがどう進むべきなのか、といった問いと直結しているからだ。支持者と反対者がともに譲れない哲学を持っており、一歩も引かない。多文化主義者にしても反多文化主義者にしても、発する言論は多くが党派的であり、論争全体を発展させないのはもちろん、下手をすると仲間内の自己満足で終わっている。最初から自分が正しくて敵が間違っていることが決まっているのである。多文化主義者の言葉は多文化主義者だけに向けられていて、反多文化主義者の言葉は反多文化主義者のみが聞いているかのごときである。

 このような状況において、多文化主義とそれをめぐる思想的対立を真に理解するためには、一歩引いた位置から全体を観察する必要がある。この作業を叩き台にしなければ、全体の理解はもちろん、賛成と反対を越えた解決策を見出すことはできない。しかし、そのような試みは、意外に少ない。たとえばチャールズ・テイラーはこの分野で古典とされる有名な論文、「承認の政治を考察する(“Examining the Politics of Recognition”)」で「差異の政治」と「尊厳の政治」の対立というモデルを示した。筆者の視点はこれと重なる。だが彼の論文の目的は、多文化主義をめぐる議論の整理というよりは、高度な論理的積み上げによる多文化主義の擁護だった。テイラーの議論自体は並の言論人には及びもつかない質の高さを持つ反面、具体的なアメリカの政治思想対立や、多文化主義が実際にとっている形への言及が不足している。それ以外にも多文化主義をめぐる思想的対立モデルの描写は存在するが、アメリカの保守主義とリベラリズムの対立と直接結びつけその関係を探ろうとする人々は少ないように見受けられる。

 また、一般的にいって、政治思想の専門家たちは、政治思想を用いて実際の社会を説明するモデルを作り、一般社会に問うという作業を怠っている。政治思想という学問分野のあり方には二つの潮流があると筆者は考えている。一つは、過去の偉大な古典文献を解釈して図鑑のように比較、分類する作業。もう一つは、特定の思想に立脚した「政治的な」意見を発露する作業。もちろん、それらの作業の重要性については改めて強調するまでもない。しかし、政治思想がどういう意味を持ち、世の中を理解するのにどう役立つのかを発信する作業も重要である。それがなくては、政治思想は、一般社会はもちろん、少しでも違う学問に携わる人々からも、役に立たないものとしてそっぽを向かれてしまう。言うまでもなく、世界に最も強い影響力を持つ国家であるアメリカを理解することは、専門家以外の人々にとっても重要な課題のはずである。そのためには、政治思想を現実社会の現象に当てはめなくてはならない。

 本稿の目的は、多文化主義をめぐる現代アメリカの政治思想の対立モデルを提示することである。どういう対立モデルなのか? それは「自由主義 vs. 多文化主義」である。この説明は一見逆説的である。なぜなら、一般的に、アメリカではリベラルたちが多文化主義を支持し、保守たちが反対するからだ。自由主義はリベラリズムの訳語で、それを信じる人たちがリベラル(自由主義者)なのだから、「保守主義 vs. 多文化主義」と言わないとおかしいのではないか? おかしくないのだ。なぜなら、Ⅰ章で説明するように、現代「リベラル」とみなされる思想と本来の自由主義は同じではない。Ⅲ章で明らかになるように、アメリカではリベラルたちよりも保守たちの方が自由主義と強いつながりを持っている。多文化主義に反対する保守たちの後ろ盾は自由主義なのだ。

 この論文の目標は、多文化主義の支持あるいは反対を表明することではない。片方が正しく、もう片方が間違っているという結論への予定調和も、こうすれば対立を乗り越えられるという解決策も、用意していない。本稿は、個々の読者が現実を理解したり自分の立場を決めたりするための材料、あるいは議論を発展させるための土台を提供する試みである。

 Ⅰ章では、自由主義の特質を浮き彫りにする。主にジョン・ロックの思想を紐解くことで、「自由」が国家権力の干渉からの個人の自由、「平等」が個人を単位とする権利の平等を意味することを明らかにする。自由主義は、社会を国家権力と個人に分け、前者から後者を守る思想なのだ。それが持つ意味を、現代社会の例に当てはめて考察する。

 Ⅱ章では、多文化主義を定義し、その理論と実態を探る。世の中に出回っている曖昧な定義を批判的に修正し、多文化主義を「ある国家内における社会集団を単位にした結果の平等を、主に政府の介入を通して上から目指すことを支持する考え方」と定義する。その定義の有効性を、アファーマティブ・アクション、多文化教育、多様性トレーニングなどを考察することで確認する。

 Ⅲ章ではアメリカ政治思想の保守主義とリベラリズムの対立像を描く。前者とⅠ章の自由主義、後者とⅡ章の多文化主義とのつながりを明示し、「自由主義 vs. 多文化主義」モデルの下敷きとする。ヨーロッパでは、権威を擁護するのが保守主義だったが、権威を打ち倒すことで成立したアメリカ合衆国ではその逆の自由主義が伝統となり、保守主義の源流となった。対するリベラリズムは社会主義的な再配分を肯定する思想である。またこの章では、「自由主義 vs. 多文化主義」モデルから欠け落ちた視点も補う。

 Ⅳ章では、まず「自由主義 vs. 多文化主義」モデルを説明した上で、自由主義の視点に立ち、多文化主義を批判する。多文化主義は、自由主義の芯を為す諸理念と真っ向から対立する。国家権力の介入によって社会を改良しようという動きは政府の暴走で、個人の自由を脅かす。人種や民族を単位に社会を分類する発想は個人主義に反するし、集団ごとに権利が異なるのは権利の平等を蹂躙している。

 Ⅴ章では、Ⅳ章の逆を行う。つまり、多文化主義の立場から自由主義の問題点をえぐり出す。自由主義には限界がある。その最たるものは、私的領域での差別を解決できないことである。その盲点を突いたのが多文化主義だ。また社会は自由主義が前提とするように個人のみで構成されているわけではない。社会集団を標的にした差別が現に存在するのだ。その上、そもそも自由主義が普遍的な正しさを持っているかどうかも怪しい。

2010年5月12日水曜日

構想走り書き(2004年9月2日執筆)

大学生時代の卒論構想。当時の個人的メモ。

俺は来学期、卒業論文を書く予定だ。何を書くかは、ちょっと前から考えていて、メモ帳を作って、時間があったときに何回かに分けて、ブレイン・ストーミング的に、思いつくままに構想(内容の案)を書いていた。自分に語りかけながら考えていった。別にこれで思考が完結したわけでもないのだが、ちょっと修正して、丸ごと載せる。こうやって、別にまとまった文章を書こうと意気込まないで書いた方が筆が進む。

●論文の目的は?

多文化主義がリベラル・デモクラシーの原理といかに相容れないかを検証すること。仮タイトル:「リベラル・デモクラシーの敵としての多文化主義 Multiculturalism as an Enemy of Liberal Democracy」。

俺は2003年春学期に「アメリカの保守主義から見たアファーマティブ・アクションの問題点」というペーパーを書いた。その究極の目的は、自由主義(そしてアメリカの保守主義)から見た多文化主義の問題点を、アファーマティブ・アクションという事例を通して分析することだった。

しかし、どうもアファーマティブ・アクションという事例を超えて多文化主義そのものまで問題をえぐることができなかった。それが今考えると少し心残り。だから、今回はある意味で、そのペーパーの拡張版を書きたい。なしえなかったことを補完して、自分の大学生活の思考の集大成としたい。

●まず、多文化主義とは?

これが普通の定義だ。「一つの社会あるいは国家の中における複数の文化の共存を目指す思想」。

しかし、これでは本質が分からない。なぜなら、「誰が」その「共存を目指す」のかが分からないからだ。この定義では、人々が勝手に自分の頭の中だけで文化相対主義を信じているだけで「多文化主義」になる。

だが、多文化主義は単に個人の内面の問題ではない。文化相対主義は、多文化主義の前提にはなるだろうが、多文化主義そのものではない。

そこで、俺はこの定義を提示したい。「政府の介入を通して社会における集団的な結果の平等を目指すことを支持する考え方」。つまり、複数の文化の共存を目指すのは、政府なのだ。社会を文化によって分けて、それらの平等を政策によって実現しようとするのが多文化主義だ。その際の分類は主に人種、民族だ。(ここでのとてつもなく重要なキーワードが多様性(diversity)だ。最近読んだ"Diversity: The Invention of a Concept"は力作だった。その本の著者もdiversityが主に対象にするのはraceだと言っていた。

平等とは、さっきちらっと言ったように、結果の平等。(平等には、権利、機会、結果の三段階がある、デイヴィッド・ボウツ曰く。)

*多文化主義の定義や内容については、いくつか文献(特に支持者が書いたもの)を見ておく必要がある。

●リベラル・デモクラシーとは?

まず、多くの日本人は「民主主義」という言葉を使うが、民主主義という思想はないんだ。この訳語は有害で、誤解を招く。

我々が「民主主義」と呼ぶものは、自由主義とデモクラシーに分けることができる。前者が思想で、後者は政治制度。前者を土台に後者が存在するのが近代デモクラシー。リベラル・デモクラシーと言われる。自由民主主義と訳されている。これらをしっかり区別するのが大事なんだ。

自由主義とは、国家権力の干渉から、個人の自由、財産、生命を守ること。根底にあるのが、人はみな平等で奪えない権利を持つのだから(生まれつき。自然権)、人が人を支配することはできない。だから政府は認めても最小限。その役割は人々の権利を守ること。そして外敵から守ること。極端な場合は無政府主義。積極的な政治参加にはどう考えてもつながらない。「政治からの自由」。

経済がすべて。バーナード・クリックが言っていたように、「自由主義者にとってのマスター・サイエンスは経済学」。「政治が悪いから経済がよくない」んじゃない。「政府が個人の競争に干渉するから経済がよくない」、「政治がある(ありすぎる)から経済がよくない」んだ。小室直樹も『田中角栄の呪い』で儒教倫理と相反するものとして説明していた。夜警国家。

自由主義の反対が権威主義だ。大きな政府→社会主義、共産主義。

*自然権という概念について、改めて学ぶ必要がある。ロックはちょっとしか言っていないから。レオ・シュトラウスがよさげな本を書いていた。

人間社会の差別と平等について思うこと(3) (2004年6月22日執筆)

●平等の意味

現在の自分が考える、平等な社会の定義は、「大多数の人間が納得するやり方で差別が存在している社会」だ。これはどういうことかというと、いかなる平等も、必ず何らかの差別に基づかなければ成立しない、ということだ。つまり、差別は平等のための必要条件である。

たしかにそうだ。平等と一口に言っても、「機会の平等」「結果の平等」のように、「~~の」という形でしか存在しえないのだから。その「~~」の部分を差別の材料にしなければ、平等という概念は実体を持てない。

差別の材料に何を使うかで、その中身はまったく異なる。機会の平等と結果の平等の違いは、資本主義と社会主義の違いだ。根本にどのような哲学、価値観を持ち、それを差別の材料にするかで、平等の意味は変わる。

だから、平等とは、差別がない状態ではない。平等とは、皆が納得する基準で差別をすることである。皆が認める基準なので、差別に見えないだけだ。その基準が何かは、時代や社会によって変わるだろう。たしかに、こう考えることもできる。つまり、個人を尊重するのが普遍的な価値で、それは時代や社会を問わない。徐々にその普遍的な価値の実現に向けて進んでいる現状が、差別がなくなっているということだ。しかし、それも個人主義というフィルターを通した見方でしかない。個人主義が正しいという前提なしでは成り立たない。

今は、その個人主義が世界的に(?)優勢になっている。過剰な個人主義が批判されることはあっても、少なくとも欧米や日本では、個人を尊重し、権利の平等を推進する考えそれ自体が、大きな反発を受けることはない。社会の大多数が、個人主義という基準を通した差別を肯定する。それが、平等と呼ばれるのだ。

●自分の限界/可能性を知るということ

だから、平等な社会なら誰でも同じようにチャンスがあるわけではない。生まれつきの能力とそれを上げる力が異なるのだから。

もし、すべての人々が、まったく同じ能力を持ちうるのなら、社会は成り立たない。たとえば、子供達にアンケートをとって、回答者全員がサッカー選手になりたいと答えたとする。

それで全員サッカー選手として同じレベルに到達することが可能だったらどうするよ。サッカー選手なんて、ゴマンとある社会の機能の中の一つにすぎないのに、そこに多くの人が集中しうる状況が発生したら、他の機能を果たす人が足りなくなる。

もちろん、全員というのはありえないが、実際のアンケートでも、特定の職業に人気が集中するのはご存知の通りだ。ところが、その集計結果は、実際に彼らが就く職業を正しく反映しない。

何が起きたんだろうか。単に、彼らが希望や趣向を変えただけだろうか。それもあるだろうが、それだけではない。成長するにしたがって、何かに気付かされるのだ。単なる、「やればできる」という次元の台詞では説明できない、何かに。人をして諦めさせる、何かに。自分について考えて、思い当たるフシがない人はほとんどいないんじゃないかな?

時として、諦める、自分の能力の限界を知る、自分が何かに向いていないことに気付く、ということが、厳しいことだが、人生では大事なんだと思う。これは裏を返すと、自分の可能性に気付く、自分が何に向いているかを知ることでもある。それが生きていて一番難しいことの一つかもしれない。

要するに、人には色んな能力、色んな適性がある。人には向き不向きがあり、出来ることもあれば、出来ないこともある。

それが、色々な仕事を生む。仕事とは、社会における人の役割だ。つまり、多くの仕事とは多くの役割のことだ。数多くの役割が存在することが、社会におけるさまざまな欲求と需要が満たされることにつながる。そうやって、社会は回ってるんだと思う。職業によって社会的評価や待遇が違うし、それが差別、社会の階層化を生むものだが、人間が集まって社会を作る以上、それらは避けられないことなのだろう。

人間社会の差別と平等について思うこと(2) (2004年6月22日執筆)

●空気の入っていない風船

能力差別を肯定する論拠があるなら、それはこれにつきるだろう。つまり、性別や人種は生まれつき決まっていて、個人の意思で変える性質のものではない。それに対して、能力は生後の努力で向上させることができる。だから、能力差別は許される。

これは、ある程度説得的である。何の世界でもいい、世界レベルで活躍している人を思い浮かべてみると、ほぼ例外なく、努力によって能力を磨いてきた人たちだ。たとえば、もし中田英寿が、生まれてからサッカーをせずに生きてきたら、今のようなサッカー選手になれなかったのは明瞭だ。だから、能力は、生まれつき決まっている人種や性別と完全に同じではない。

しかし、どこまでが「生まれつき決まっていない」のだろうか。これは難しい問いだ。いや、もちろん、生まれてこの方サッカーをやったことない奴が、20歳になって突然プロ契約を結んで代表に入って、なんて馬鹿げた話はありえない。人の能力は、生まれてから何をするかで、明らかに違ってくる。

しかし、だからと言って、生まれた時点で皆スタートラインが一緒で、そこからの条件(環境も含めて)がすべてを決めるとは思わない。

俺はこう考えている:人はそれぞれ、能力の限界や方向が決まっていて、生まれてからの努力で決められるのは、そこに何をどれくらい入れるかに過ぎないのではないか。努力する力も、人によって違うのではないか。

つまり、たとえるならば、人は生まれた時点では、空気の入っていない風船なのだ。それも、空気を注入した結果、どういう形になるかは人によって違う。大きさも異なる。そして、空気を入れる能力も、人によって違う。そして、先ほどのスタートラインという比喩を使うなら、そもそも人は、同じレースに参加するためのラインに立っているすら疑わしいのだ。

●身体と精神

人は、身体と精神に分けることができる。身体に関しては、人によって、身長にせよ、容姿にせよ、動体視力にせよ、生まれた時点で条件が異なっていて、それが何らかの格差を生み出していることは、あまりに自明だ。だから、たとえば容姿で悩んでいる女性に「あなたも努力次第で彼女と同じくらい美しくなれる」と言ったり、運動神経が鈍くて足の遅い小学生に対して、「お前がみんなに負けているのは努力が足りなかったからだ。これからの練習次第でいくらでも速くなる」と言ったりするのには、さすがにどんな偽善者でも多少はためらいを覚えるだろう。

精神も、身体と同じくらい不平等なのではないか。精神が体と違うのは、「お前だってがんばれば」式のレトリックが通用しやすいことだ。なぜだろうか。それは、精神が体と違って見えないからだ。ある女性が「美人」か「ブス」か、男性が「カッコイイ」か「キモい」(?)かは、誰でも(もちろん人によって判断尺度は異なるが)見るだけで判断できる(個人レベルで考えると、あなたはすべての異性に対してまったく同じように接しているだろうか?)。容姿は主観が入るし化粧とかの技術も入ってくるけど、身長となると完全に数字の問題だ。

しかし、頭がいいか悪いかは、見ただけでは分からない。人は知識を生まれつき持っているわけではない。たとえば、いくら頭が悪くて知識の少ない人でも、生まれたばかりの天才よりは知識が多いだろう! それが話を難しくする。はっきりとは分からない。だが、身体が不平等で、精神だけがなぜか平等、なんてありうるのだろうか。ありえないだろう。どれだけ賢くなれるかは、生まれつき決まっていると思う。知性を発揮できる方向も、人によって違うと思う。

忘れて欲しくないが、俺がここで話しているのは、単に能力の高さだけについてだけじゃない。志向、方向の問題でもある。つまり、運動が得意な奴もいれば、頭を使うのが得意な奴もいる。運動の中でも、たとえばサッカーという競技に限っても、GKで開花する人もいれば、FWで大成する人もいる。頭を使うと一言で言っても、数字を扱うのが得意な人もいれば、哲学的概念をこねくりまわすのに適性を見つける人もいる。複数の適性を高い次元で持つ人もいる。

そういう視点から見れば、むしろ、すべての人が生まれた時点で白紙で、それからどうするかで結果が決まると考える方がおかしい。もしそうなら、時代とか適応する社会によって、人間というもの自体の性質が大きく変わってしまうだろう。

「あなたもやればできる」というのは、裏返して言えば、やっていないからできていない、つまり「お前は努力が足りないから他の人より劣った結果を得ているんだ」ということだ。でも、人によってできること、得意なことは違うんだから、一律に「できる」なんて言うのは、ものすごく残酷でありうる。むやみに、考えずに使うべき言葉ではない、と思う。

人間社会の差別と平等について思うこと(1) (2004年6月22日執筆)

●そもそも差別とは何か

「差別」と聞くと、誰でも悪いイメージを受けると思う。差別はよくないと言われて、または、差別をなくすべきだと言われて、真っ向から反論する人はいないだろう。反論したら、その人は相当な変人として扱われて、のけ者にされるだろう。差別がよくないという主張には、反論の余地がないように見える。

しかし、誰も反対できないような考えこそ、一度疑ってみる価値がある。思わぬ盲点が見つかるかもしれないからだ。

誤解しないで欲しい。別に俺は、差別はいいことだとか、差別に賛成だとか、そういう次元の話をしているんじゃない。考えているのは、もっと根本的なことだ。つまり、そもそも差別がいい・悪いの問題なのか?ということだ。

一見、悪いに決まってるように思える。差別と聞いて人々が思い起こすものと言えば、人種差別、性差別、宗教差別、学歴差別・・・。眉間にシワを寄せたくなるような言葉たちだ。それがいい・悪いの問題じゃないって? じゃあ何なんだ?

落ち着いて欲しい。俺がここで言ってる「差別」は、そういう特定の差別のことではない。人間社会における、差別一般のことだ。つまり、すべての形の差別だ。

それを説明するには、差別という言葉を広く包括する定義が必要だ。そこで、ここでは「人間社会における差別」をこう定義する。「ある人が、ある基準を元に人を評価し、序列を作り、それをもとに選別(選択/排除)を行い、それにしたがって異なった扱いを与えること」。

たとえば、人種差別なら、人種を基準にして人を見て、たとえば白人が上で黒人がそれより下だったら、白人であることを黒人であることより高く評価し、白人を優遇することだ。性差別なら、性別というフィルターを通して人を見て、たとえば男性が女性より上とみなして、男性を女性より有利に扱うことだ。つまり、差別とは、ある角度から人を切り取り、それを基準にして評価し、扱うことだ。

●「差別がない社会」はありえない

この定義にしたがって差別を見ると、差別をいいとか悪いとか言って、それで終わらせるのは、表面的であまり意味がないことが分かる。なぜなら、人間であるということは、差別をするということだからだ。差別をしなければ、人間ではない。人間社会そのものが、差別によって成り立っている。最近、これは、最近、俺が到達した確信だ。

逆を考えてみるといい。差別をしないとはどういうことか。それは、あなたが人を評価する基準を何も持たず、何の序列も作らず、扱いを変えないことだ。言い換えると、差別をしないとは、価値観を持たないことである。価値観を持たないことは、考えないことである。なぜなら、いかなる考えも、何らかの哲学(価値判断の最終的なよりどころ)がないと成立しないからだ。考えないということは、人間ではなくなるということである。

たしかに、女性への差別、黒人への差別といった、特定の差別は、時代とか社会によって度合いや内容が異なるし、減らすこともできるだろう。しかし、差別一般は、絶対になくすことはできない。もしかしたら、減らすことすらできないのかもしれない。

差別のない社会とは何だろうか。多くの人が考えるには、それは、人が、人種、性別、信条、肌の色、出身国といった要素に関係なく、平等に評価されることだろう。では、「平等」に評価する、とはどういう意味だろうか。それは、人を見る際に、個人の能力だけを判断材料にする、ということだ。就職活動をしているときにも何回か聞いたよ。たとえば外資系メーカーの説明会で人事担当者が「うちは性別・人種などに関係なく活躍できる場所です」なんて言ってたな。

しかし、仮にそんな会社があったとして、そこでは差別がないのだろうか? ここでいう差別の意味は前に定義してあることをお忘れなく。「差別のない」会社は、社員を能力にしたがって序列付け、それを元に異なった額の給料を与えるだろう。つまり、差別をなくしたい人々が目指す「差別のない」社会とは、冷酷な「能力差別社会」に他ならない。それが、差別をなくしたい(と思っている)人たちの理想の、論理的帰結である。

つまり、差別はなくなっていない。人種や性別による差別にかわって、能力による差別が登場したのである。社会に何らかの競争があるなら、何らかの序列をつけなくてはいけない。そのためには差別が必要なのだ。

ここで問題なのは、人種や性別をもとにした差別と、能力をもとにした差別がどれほど違うのか、という点である。これが決定的に重要である。つまり、能力差別を正当化できるだけの相違が、この両者にはあるのだろうか。

残念ながら、今の自分ではそれにはっきりとした答えを出すことはできない。でも、今の仮説的な考えを、思い込みや勘違いが入っていることを承知で、言い切ってしまうことにする。どうせ、この問題を論じるのに必要な科学的知識なんて持ち合わせてないんだから。

2010年5月9日日曜日

就職活動:今と昔(2004年2月15日執筆)

俺は、就職について考えるにあたって、たまに父の助言をもらっている。何せ、父は、社会に出て数十年間、金を稼いで、家庭を支えているのだ。俺を含めた家族の生活を成り立たせているのだ。その人に相談しない手はないわけで。

父から話を聞いて分かったことで、驚いたことがある。それは、今と昔で、就職活動というものの中身がかなり変化しているということだ。今、俺は大学3年の秋学期が終わったところで、かなり活動で忙しくなりつつある。(就職の)試験対策も含めて。3月、4月になると多くの企業が試験を行う。もう行っているところももちろんある。だが、父の時代には、大学4年の時の10月1日だかなんだかに「就職市場」が一斉解禁されて、それ以外の時期に企業を受けることはなかったし、企業同士でもそれ以外の時期に行動しないという取り決めがなされていたらしい。

で、それ以前に何をやるかっていうと、(4年生の)7月くらいに、ゼミなんかのつながりで、自分の行きたい企業で働いている先輩を見つけて、その人を訪ねる。そして、そこで根回しをして、実質、そこで就職が決まったような感じだったらしい。で、10月1日か何か(全会社が同時に始めるから、基本的に本命の企業しか行かないとか)に、実際に行きたい企業を受けて、その日のうちだったっけな?あるいは数日中だったけな?それくらいの時間でさらっと内定が決まったと父は言っていた。

「自己分析とか、企業分析とか、そういう手順は?」。聞いてみると、父は即答した。「そんなのはなかった」。父の時代と比較すると、今は、就職活動がもうかなり体系化されている。何月ごろに自己分析を行い、企業分析をこうやって行い、とかそういうあれだ。本屋に行って、就職部門の本の題名をざっと見るとよく分かる。さまざまな本が、見事に、対策別に分類されている。これは、あらかじめ、就活というのはこういう順序でやる、という前提があるからだ。

就職活動と読書(2004年2月6日執筆)

就職活動を始めている。色々とエントリーして。今日だけで8社くらいにウェブで登録。俺は、自分の分析によると、模範的な就職活動家と比べて、活動の進み具合や意識が最低2ヶ月分は遅れている。辛口な批評家は3ヶ月と言うかも知れない。まあ、遅れているとか、遅れてないとか、そんなことはどうでもいい。時間は戻らないんだから。それに致命的な遅れじゃないよ。うん。あと、人それぞれでしょ? そもそも。

就職活動をするにあたって困ることの一つが、それが読書に制約をかけることだ。まず当然のこととして、忙しくなる。したがって自由な時間が減る。読書とは自由な時間にするものである。よって読書に割け得る時間が減る。あと、自由な時間での読書でも「就活」の二文字が頭に浮かんできて集中できなくなる気がする。今も少しその兆候がある。

あと、就活関連の本を読まなければならないため、自分が本来読みたい本を読みにくくなる。就職の対策本を読むのは、結構、空しい。今日、本屋に行って見て来たんだけどね。大体、今日買ってきたやつのタイトルからして『超速マスター!就職活動こまったときのなるほど!ブック』だよ。自室の本棚にある未読の(つまり読みたいと思って買った)本のタイトルをパッと見ると『プラトンの哲学』、『社会科学の方法』、『ヨーロッパ思想入門』などなどなどなど。今、読んでるのが"The End of History and the Last Man"。まだ読んでないけどそれと並行して読もうとしているのが『経済学殺人事件』。

で、改めて、今日買ってきた本を見る。色とりどりの表紙にこうある。「ホンネ&裏ワザはこの3人に聞け!」・・・つまり、俺が普段読みたい本と、今読まなければならない本にはこれだけの落差があるんだ。今の状況で俺は、よく言えば実用的、悪く言えば、何だろう、即物的っていうのかな、低俗って言うのかな、そういう本を読まざるを得ないわけだ。嘆かわしいね、まったく。それに、この一冊じゃ足りるわけないし。あと何冊か買うはめになるんだろうなあ。

大学で学ぶことと、企業でやること(2) (2004年5月22日執筆)

●学んだことは無駄だったのか?

大学の授業で教師がしゃべることは、ほとんどの場合、直接、会社では使えない。企業は、ほぼすべての学生(ここでは文系に話を限る)が、大学を卒業したらそれ以降、身を置き続ける場所だ。では、大学が社会に出るための準備機関で、仮に社会≒会社(両者がほぼ一致する)とすると、企業で使えない知識を得ることには意味がないのではないか? 

今の俺は、その主張を完全に論破することはできない。明らかに、一定の真実性があるからだ。

俺は、大学に入った当初は、語学、言語学に興味があって、途中から転向して主に政治学、特に政治思想に関心を移した。語学を除けば、学んだところで、企業の入社試験でまったく有利にはならないし、得た知識は、会社に入ってからも使えない。

では、俺はそれらのことに興味を持ってきたことを、勉強してきた(と言えるほどのあれでもないが・・・)ことを、本を読んできたことを、後悔しているのか? 最初から、会社での仕事に直結したことを学んでいればよかった、とため息をついているのか?

少しはそうかもね、正直なところ。でも、それは、もうちょっとビジネス的なことも学んでいればよかったかも、と思うからで、決して、自分で興味を持って学んできたこと、考えてきたこと、それ自体が無駄だと思うからではない。要はバランスの問題だ。

大学および大学生活での「学び」を、講義を聴いたり、本を読んだりして(読書が主)自分の頭で考えること、と定義すると、学んだ(でいる)ことは、無駄などころかむしろ大いに有意義だと思っている。なぜなら、俺にとって何かを学ぶということは、単に具体的な対象についての知識を得ることではなくて、より深い意味を持っているからだ。

●社会を見る「メガネ」

自分にとって、その深い意味とは何か。主に社会に関する学問に興味を持つ自分にとって、それは、社会を見るための「メガネ」を獲得することだ。

大学で学ぶことと、企業でやること(1) (2004年5月22日執筆)

●金にならない学問

社会に出て役立たなければ、勉強する意味がない、という人がいる。「役立つ」の定義は人によって異なりうるが、最初の言葉の意味は、要するに、「仕事につながらなければ、お金にならなければ、学ぶことに意味がない」ということだ。この立場の支持者は、大学の授業に対して、論文に対して、本に対して、学問好きな人間に対して、学問に対して、常にこう問いかける。「で、それがどう会社で役に立つわけ? いくらになるんだ?」。

まさにプラグマティック(実用主義的)な意見。即物的と批判するのは簡単だし、実際、その批判は当たっていると思う。後に、その視点から、自分の考えも書くつもりだ。でも、批判して済むもんでもない。金にならない学問への懐疑主義者たちの問いかけには、一縷(いちる)の真実があるからだ。ちょっと前には考えられないことだったが、最近では、俺は、部分的に、その問いかけに同調する。それを支えているのが、就活をして以来味わっている、大学での多くの授業への失望、脱力感である。

今回は、その失望と脱力感を前面に出して、大学で学問を学ぶことへの懐疑を書く。ただ、この文章に書いてあることは、俺の考えの一部に過ぎないことを断っておく。

●当たり前のことが改めて分かった

俺は、2月くらいに就職活動を始めてから、初めて、世の中にどういう職業があるか、社会がどういう仕事で成り立っているか、自分がやるとしたらどういう職種があるか、といったことについて、真剣に悩んだ。それなりに、答えは見えてきた。

悩んだ結果、分かった。企業にある仕事は、俺が大学で(あるいは大学生活で)学んできたことと、ほとんど一切何の関係もない。もちろん、大学で学ぶことをそのまま仕事にできるだなんて、別にそんなロマンティックな考えに浸っていたわけじゃない。でも、それを理屈上で何となく理解するのと、実際に自分のこととして、実感をともなって理解することは違う。

2010年2月5~15日インド旅行記 (8)

ホテルに戻るや否や(as soon as構文)、風呂場のバケツにお湯をためて、足を浸ける。何せ、数時間に渡って氷でキンキンに冷やされていたのだ。

高校生の頃観たエヴァンゲリオンのアニメで碇ゲンドウが腕まくりをしてうちわをあおぎながら、暑さを紛らすためにバケツの冷水に足を浸す場面があったと記憶するが、今やっているのはその逆である。

足を温めた後、しばしベッドで横に。いやあ、疲れた。ただでさえ普段そんなに運動をしない頭脳派の俺なのに、今日に関してはほとんど経験がない登山、しかも足場が雪と来たもんだ。この悪条件で普通のナイキのスニーカーで挑んだのは無謀だったかもしれぬ。悪天候のため本来の目的地まで行けなかったのは心残りと言えば心残り。でも、何はどうあれ、今やれることをやり切ったことに満足。

相も変わらずお腹の調子はまったくよくないのだが、何かしらの形で肉を摂取したい。これは意地である。身体は求めていないが、頭が求めている。手軽に肉がどこでも食える日本は恵まれている、としみじみ思う。

足取りは自然とホテルを出て、チベット寺院方面へ。寺院近くに、肉料理を出してそうなパンジャブ料理屋(パンジャブとはインド北部の地域名)を発見し、目を付けていたのだ。

レコーディング・ダイエットの泰斗である岡田斗司夫氏は『いつまでもデブと思うなよ』で、頭の欲望に身を任せず身体の声を聞き食事内容を決めることを指南されていた。その原則からすると俺の行動は非難の対象となって然るべきである。

それはともかく、店。収容人数は10人くらいかな。言っちゃ悪いが小汚い。まともな日本人なら、外から垣間見る限りお世辞にも衛生的には見えない厨房を見て逃げ出したくなるかもしれない(実際には中はきれいなのかもしれないが・・・)。


(店)

本当はガッツリ肉にありつきたいところだが、あまりにお腹の調子がすぐれなくて空腹感ゼロなので、料理はチキン・モモの一品だけを注文。それとホット・レモン・ジンジャー・ハニー(温かい飲み物)も。

私の不安をかき消すかのように現れたのが、奥で作っていた料理人。ネパール人。片言の日本語を操る。少し日本で働いていたことがあるらしい。親子丼と緑茶が好き。

2010年5月3日月曜日

2010年2月5~15日インド旅行記 (7)

「地球の歩き方」を見てると、Ladie's Venture Hotelというのが評判がいい。何やら部屋が清潔で、ホット・シャワーで旅の疲れも吹き飛んでしまうらしい。しかも一泊220ルピーと来たもんだ。

マクロード・ガンジは町全体が坂になっていて、中心部から5分くらい降りたところにLadie's Ventureがある。

支配人はインド人にしてはおとなしそうな雰囲気。部屋を見せてもらう。

シャワーとトイレはあるが、隣の部屋と共用らしい。自分が入っているときは、隣の部屋に通じている扉に鍵をかけることで独占使用権を確保する仕組みだ。

部屋はまあたしかにそこそこきれいだ。値段聞いたら200ルピーとのこと。外は雨だし、インドなのに同じ時期の東京近郊より寒いし、今から別のホテルをあたるのも手間なので、おとなしくここに決める。

毛布が一枚しかベッドにないので、主人に頼んでもう一枚もらう。


(部屋の鏡。チベットの拠点らしく町中にフリー・チベットの文字が)

午後10時頃、Tシャツ+トレーナー+ユニクロのフリース+毛布を上下に一枚ずつ+布団という、ファイナル・ファンタジーVでいうところの「にとうりゅう」のくらいのフル装備で就寝。(4/11日目、終了)

五日目

しかし、あまりの冷たさに何度も目が覚める。そのまま目をつむっても耐えきれない極寒ぶりに、たまらずスウェット・パーカを重ねるがそれでもきつい。

外はしょっちゅうピカピカ雷が落ちている。洒落にならないくらい本気で天気が悪い。窓の外を見ると、雪が積もっている。ふんわりした雪ではない。固いひょうみたいな物体がバシバシ地面を叩いている。

2010年5月2日日曜日

2010年2月5~15日インド旅行記 (6)

入場する前に、水がたまっているところを通って足を清めるようになっている。

足を洗い、階段を下りると、お目当ての建造物が姿を現す。実のところ、建物の上の方は外からも見えていたのだが、四方を壁に囲まれていて、一段低い場所にあるので全容は中に入らないと見えない。

昼間も金色は金色なんだけど、夜は照明に照らされて正真正銘の金ピカ。荘厳で本当に美しい。見とれてしまう。

スピーカーからずっと、お経みたいな音楽が鳴っている。来てる人はみんな土下座して寺院に向かって拝んでいる。


(独特の雰囲気は言葉では表現しづらい)

周りを一周して一通りの角度から写真を撮りまくる。いい被写体に巡り会ったときは、なるべくたくさん写真を撮っておくのが肝要だ。なぜなら、その場ではうまく撮れたと思っても後から見るとぶれてたり斜めってたりして後からがっくりすることがあるからだ。夜ならなおさらぶれやすいので念を入れる必要がある。






(以上が最もよく撮れた三枚。案の定ぶれてる写真もあった)

あ、ちなみにここに入るには頭に布を巻かないといけない。入り口に黄色い布がたくさん置いてあって、自由に使わせてもらえる。

2010年5月1日土曜日

2010年2月5~15日インド旅行記 (5)

2:45にホテル前に行くと、さっきのリクシャ運転手が待っている。国境(アターリー/ワガ国境)とホテルの往復で500ルピーとのこと。

雨が降り出す。運転手が席に雨よけをかけてくれる。インドに来て雨が降ったのは初めてだ。

でも5~10分ほど乗ったところだろうか、降ろされて、こっちに乗れと乗用車に案内される。車の運転手は、リクシャ運転手によると、そいつの父親らしい。

するとリクシャ運転手が、50ルピーのチップを要求。おい、最初往復で500ルピーと言っただろと抗議するが、ここまで連れてきたんだからいいだろと向こうは譲らない。仕方ないので払う。

父親に「お前の息子はグッド・ビジネス・マンだな」と言うと父親は頷く。

ちなみに後から見たのだが、「歩き方」に載っていたアムリトサル発の国境までの運賃相場は、ジープ・ツアー(ただし1台8人)で75~85ルピー、リクシャで250~300ルピー。

車の移動はさすがにリクシャなんかよりは快適で安心感がある。運転手は何度か「ほらあそこに・・・があるよ」的にガイド的な発言をしてくれる。しかし英語がほとんど通じず、まともに会話を交わすことはできない。


(インドに雨は似合わない。そういえば傘さしてる人ほとんど見ない)

国境付近に到着。国境そのものまでは車で入れない。セキュリティ・チェックがあって、カバンも持ち込み禁止。

セキュリティ・ゲートの開場を待つ人で鮨詰めになっている。満員電車のようだがインド人は他人と身体が接触することへのストレス耐性がとても強いらしく、苛立っている人はいない。なぜか前の人の背中に手を付けている人がちらほらいるが、やられている方は気にしている様子もない。