アルバム『Get Together - LIVE IN TOKYO』で矢野顕子が歌う「ラーメンたべたい」という曲を聴いて、何とも言えない気持ちに襲われた。
たまたま同時期にテレビで矢野を追ったドキュメンタリー番組を観たのが影響している。その番組では国をまたいで活躍し長年のキャリアを積んで名声を得た今でも新しい音楽に意欲的に挑戦する、類まれなる表現者としての彼女の姿が見て取れた。
そういうアーティストとしての偉大さとは別に私の印象に残ったのは、この人はおそらくお金持ちな家庭で上品に育ったんだろうなと思わせる振る舞いやエピソードだった。拠点を構えるニューヨークで、馴染みの店でアクセサリーを物色する姿。番組の制作陣を同行しているのを見て「有名人だとは知らなかったです」という店員に「そんなんじゃないのよ」と返すときの、本当に感じのよい、嫌味のない仕草。公式ソングを歌うことになった伊勢丹は子供の頃からよく来ていて、以前から大好きだったという話。
矢野顕子はセルアウトして金持ち用の百貨店である伊勢丹の公式ソングを作ったのではなく、元から伊勢丹に通い詰めるお嬢様だったのだ。そういう出自なのであって、伊勢丹って素敵というのは彼女にとっては背伸びをしない等身大のリアルな思いなのだ。
そんな彼女が歌う「ラーメンたべたい」は、本人がどういう気持ちで歌っているかは別にして「裕福な家で上品に育ち今ではアーティストとして大成功しニューヨークで暮らしている私だってたまには庶民の味であるラーメンを食べたくなるものよ」と私には聞こえてしまうのである。もちろんここには私の勝手な想像や飛躍、妬みが大いに含まれるわけだが、どうしても純粋に聴くことが出来ないのだ。
だからラーメンへの熱い思いを歌い上げる矢野に対して、私としてはそうそう分かります、無性にラーメンが食べたいときってありますよね!と同調する気持ちは湧いてこない。おそらく「ラーメンたべたい」というのは多くの日本人が共感できる欲求なのだろうが、私にとっての「ラーメンたべたい」と矢野顕子にとっての「ラーメンたべたい」は違うのだ。
首相がテレビの庶民的なバラエティ番組を無形文化財といって褒め称えても、それらを本当に日々の生活で観ている庶民とでは住んでいる世界は違うのであって、その断層は埋めがたい。同様に、伊勢丹が大好きだという矢野顕子と、公式ソングのビデオクリップ撮影時に矢野の後ろで笑顔で踊っていた伊勢丹の販売員たちとの間にも、確固たる断層がある。あの販売員たち同様、私も破産せずに伊勢丹で気ままに買い物が出来る身分ではない。