2014年3月23日日曜日

祭りの後。

友人の結婚式に行ってきた。人生の中でもそう何人も出会うことはない、いわゆる親友と言って差し支えがない奴だ。そうじゃなければ招待は断っていた。

俺は今、あまり他人の結婚式にのこのこ出かけていられる状況ではない。職がないからだ。何と言っても、金がない。ご祝儀を出せば生活が破綻する。気も進まなかった。企業の選考に応募しては書類で落ちたり面接で落ちたりというのを何度か繰り返しているうちに、悲観的な気分がデフォルトになってきた。毎日ほんの少しずつ精神は摩耗し、弱ってきている。こんな境遇と精神状態で他人の結婚におめでとうだなんて言う気は起きないのだ。

眠りについたらそのまますべてが終わりになってくれないだろうか。そうなってくれればどんなに楽だろう。布団の中でそう思ったこともある。それも悪くないかもなと思いかけた途端、先週会って一緒にお昼ご飯を食べた母親の顔が頭に浮かんだ。俺が死んだら母が悲しむ。何があっても親より先に死ぬことだけは避けたい。朝の8時過ぎになると自然に目は覚める。当たり前のように一日が始まる。憎らしいくらいに空は青い。布団を干す。洗濯をする。

子供の頃に歯が立たなかったファミコン・ゲームの攻略動画をYouTubeで観るのに最近はまっている。「バットマン」。「ティーンエイジ・ミュータント・ニンジャ・タートルズ」。「さんまの名探偵」。「ドラえもん」。あの頃に分からなかった謎が解明されていく。人生の伏線を回収しているというか、何かこう、人生を締めくくっているような気持ちになってくる。冗談のような、冗談ではないような。

人生の先行きは見えないが、精神状態が悪いときでも積極的に死にたいとまでは思わない。日付のついた楽しみが、俺を未来につなぎ止めている。5月に出る上原ひろみのアルバムを聴かずして、死ねるか。GW中のキース・ジャレットの公演を会場で観ずして、死ねるか。この間、精神的に凹んで頭がボーッとして布団の上で天井を見つめていたらインターフォンが鳴って、出たら再来週の℃-ute五反田公演のチケットの配達だった。あんまりいい席ではなかった。チケットに印刷された日付を見て、まだ生きなきゃなと思った。

披露宴では一人一人の席にメッセージが置いてあった。自分のを開けると彼にとって俺は「仕事、人生観、遊びと、自分に一番影響を与えてくれたかけがえのない友人」だと書いてあった。俺は彼から多大な影響を受けたが、俺が実際のところどれだけ彼に影響を与えたのか、分からない。

何人もの元同僚たちと再開した。「元気?」と何人かに聞かれてその都度「元気じゃねえよ(元気じゃないですよ)」と返した。ある人は顔を合わせるや否や「今、ニートなんでしょ?」と煽って笑ってきた。ある人は転職したときに活動に一年かかり、いま勤めている会社に決まるまで合計で20社に落ちたと言っていた。ある人は無職生活の精神的なつらさが分かると言ってくれた。彼は無職になったことはないが、仕事で先が見えない不安からパニック障害になったことがあるらしい。結婚式に呼んでくれた友人ともう一人の友人は、夏頃に一緒に山登りに行こうという話をしてくれた。企業の面接官たちと違い、元仲間として、人間として温かく接してくれる彼らのおかげで、だいぶ救われた。

結婚式という場は、人生への肯定感で溢れていた。みんな笑顔で、楽しく、祝って、笑っていた。社会への不満、人生への絶望、将来への不安が入り込む余地など微塵もなかった。それはそれで不自然ではあるが、自分が日々で忘れていた温かさがそこにはあった。

結婚式に参加することで、人生を肯定していて心に余裕がある多くの人たちと触れ合い、少しだけ心が浄化された気がした。安定した職に就き、生活の基盤が確立していて、社会的地位が確保されている人々だからこそ出せるゆとりを感じた。

他人の結婚式に出ることが人生で最大の娯楽になっている人々が一定の割合でいるのだろうと、盛り上がる参加者たちを見て、思った。彼らにとっての結婚式はハロヲタにとっての現場のようなものなのだろう。退場するとき握手会じゃないけど贈り物の手渡し会があるしね。

一晩明けて、披露宴でもらったメッセージを見返した。もし俺が本当に彼に影響を与え、彼の人生の中で少しでも重要な位置を占めてきたとすると、俺が自分の人生を否定すれば、それは彼の人生を否定することにもつながるのではないか。

死ねない理由が一つ増えた。