2010年5月29日土曜日

2010年2月5~15日インド旅行記 (9)

八日目

インドに来るのはこれで三回目なのだが、もう当分いいかも。これで最後でも思い残すことはあまりない。まあ、そう言いつつまた来そうな気はするけど。

上のオフィスに行って、バスの切符を受け取る。

マサラ・チャイのスモール・ポット(コップ3杯分)とハニー・トーストを注文し、部屋に持ってきてもらう。

昨日インド人に粉ミルクを買わされた店で強引にお釣り代わりに押しつけられたビスケットをほおばる。ん、意外とうまいじゃねえかよ。二枚の円形ビスケットにオレンジ味のクリームがはさまれている。

そんな感じで、適当に食べたり飲んだりしつつ(まだ本格的に物が食える状態じゃないが)ベッドで横になる。

そのまま午後5時くらいまで休息。

チェック・アウト。受付の机には、各国からの旅行者が書いた感謝状が飾ってある。ニュージーランドの女性が書いた「とにかくすべてが最高で、予定より長く滞在しちゃった。このホテルを運営している兄弟は最高よ」的なべた褒めが目に留まる。なぜなら俺は昔ニュージーランドに住んでいたから。

ホテルマン「カシミール地方のツアーもやってるから今度インドに来るときは参加してくれ」
俺「そうだな」

午後5時くらいまで部屋でまったり。鍵を受付に戻して、いざバス乗り場へ。

いよいよこの旅も、終わりが近づいてきたな。まだ終わっちゃいないが、軽い達成感みたいなのが沸いてくる。

何人かに場所を確認しながらバス・ターミナルへ。そして自分のチケットを見せてどのバスに乗ればいいのか聞くという作業を三人相手に行う。三人ともこのバスだと言ったから、まず間違いないだろう。


(ここを下って)


(バス発見。「馬鹿発見」はホリエモンの名言)

そのうちの一人のチベット人おばさんが苦笑しながら教えてくれる。「荷物をバスの後ろに入れるのに10ルピー取られるわよ・・・。」「えー、10ルピー?」と俺。やれやれインド人はまったく、という感じでおばさんと苦笑しあう。

荷物を預け、席につく。左右に二席ずつ。俺は左の通路側。窓側にはちょっと不愛想そうなチベット人のおじさん。前にお子さんがいるっぽい。デリーからパタンコート、そしてダラムシャーラーへと向かったときのバスよりは明らかに上等だが、まあ、そんなに広くも快適でもないよ。

席の埋まり具合を見る限り、予約した順に前から席を割り当てていくという、単純極まりない仕組みのようで、後ろ半分は誰も座ってない。もうちょっと頭使えよな。

頃合いを見計らって席を移動。二つくらい後ろの二席を占有。

反対側に、ホテルで見た白人の男。たぶんスペイン人。いや、分かんないけど仮にスペイン人としておこう。軽く挨拶と雑談。

これで晴れてぐっすり寝ながら移動できるかと思いきや、そうは問屋が卸さない。なぜなら、寒すぎるからだ。ただでさえ気温が低いのは今まで散々説明してきたが、夜から深夜という、一番寒い時間帯の移動。当然だが、この「デラックス・バス」には暖房のだの字もない。足が冷たすぎて眠れないのである。

最初は町で買ったショールを毛布代わりに足をくるんで温めようとするも、足はサッカー日本代表の試合内容のように冷え込んだままである。

そこで苦渋の策を思いつく。ホカロンをいくつかカバンに入れておいたのだった。いくつか取り出し、靴下の中に入れる。これで何とか足を温めることに成功し、眠ることができた。

二席といっても、気持ちよく横になれるほどの幅はなく、身体を思いっきり海老のように丸め込んで何とか眠れる体勢を確保。それでも少し頭が席をはみ出すので気を使う。

しかも山道のせいか単純にアスファルトの舗装が甘いのか、揺れ方が尋常ではない。

途中、幅が狭い道で対向車線の車とお互い徐行してすり抜けようとしているときに、車体がこすったような気がする。

途中、一カ所トイレ休憩で停車。俺以外全員外に出る。俺は幸いトイレに行く必要に迫られておらず、また仮に出たとしても、外が真っ暗なので正しいバスに戻ってこられる自信がない。だから中で待機。

(8/11日目、終了)

九日目

そこからはほとんどの時間、睡眠に没頭することができた。

車掌がバス内を回ってきながら「着いたぞー、着いたぞー、起きろー」ってな感じで声を出してるので起こされる。

寝ぼけ眼をこすりながらおぼつかない足取りでバスを出ると、お約束だが既にタクシー運転手がたむろしており、「タクシーに乗らないか」「どこに行くんだ」と攻勢をかけてくる。まだバスの後ろに入れてもらったカバンも取ってないので「ちょっと待って」と言いまずはカバンを確保。

右側の席にいたスペイン人がタクシー運転手の一人と交渉しており、俺に「一緒に乗らないか」と誘ってくるのでありがたく話に乗らせてもらう。彼はメイン・バザールに行くらしい。俺はコンノート・プレイスにあるアルカ・ホテルというところに行くつもりだ。なぜなら、今朝もしくは明朝、インド人の家族が俺のことをコンノート・プレイスのマクドナルドで待っているはずなのだ。

二カ所で降ろしてもらい、料金はスペイン人と俺が半分ずつ出す。お互いが得をするというWIN-WIN(死語、だと思ったらこの間アメリカ人がメールで使ってるのを見た)なソルーションである。

スペイン人「スモーキングは好きか?」
俺「スモーキング? たばこのことか?」
スペイン人「違う。マリファナだ」
俺「(やっぱりそう来たか)いやいや、俺は好きじゃないよ」
スペイン人「え、好きじゃないの?」
俺「うん、あなたは好きなの?」
スペイン人「とっても好きさ。家に栽培してあるぜ」

俺「俺、下痢しててホテルで休んでたんだ」
スペイン人「俺はインドに来るの7回目なんだけど、最初のときは40日くらいの旅で30日以上お腹壊してたよ」

その人はメイン・バザールで降りる。「よい旅を」と言って握手を交わす。

アルカ・ホテルというのは中級ホテルで、一泊3245ルピーもする。でも、最後の一泊は、ちょっといいところに泊まりたい。しっかり疲れを癒せるホテルに。

運転手は何度も地元民に聞きながら苦戦しつつも、無事俺をアルカ・ホテルの前まで連れていくことに成功。最初は「コンノート・プレイスに行ってくれ」としか言っていなかったので、運転手は当然料金の割り増しを要求してくる。

運転手「がんばってここまで来たんだからちょっと多めに払ってくれ。この時間(早朝5時くらい)に分からない場所で降ろされたら大変だったぞ」
俺「そうだな、あいよ」

いくらかは忘れた。

ホテル受付に行くと、「今チェック・インすると二泊分になるぞ。正午以降なら一泊分だ」と言われる。困惑した表情を浮かべていると、「午前7時以降であれば一泊分としてカウントする」と、素晴らしくありがたいお言葉をいただく。しかも、その時間までロビーのコンピュータでインターネットを自由に使わせてもらえるらしい。

大学時代に「特打タイピング」で身に付けた自慢のタッチ・タイピングでツイッターに旅行記をつぶやき続けていると、まだ7時にはなっていないが「もういいぞ、部屋まで案内する」とスタッフが言ってくれる。投稿に熱中しているので「もう少し待ってくれ」と言い、キリのいいところで止めて部屋へ。

何と快適な部屋! 広くはないのだが、この絶妙な空調! そして今回の旅で間違いなく一番清潔な部屋! 初めて日本人の感覚でもきれいと形容できる部屋。何か色んな苦しみから解放された気分。

横になる。どっと疲れが沸いてくる。さっきまで寝てたとは言え、まともな睡眠環境じゃなかったからな。

正露丸を飲む。

マクドナルドで会う約束はすっぽかしてしまうことになるが、仕方ない。明日会えることを信じて(彼らは、今日と明日の朝9時から10時まで待ってくれると言っていた)、今日は可能なかぎり体調を回復させることに努めよう。

目が覚めると昼12時になっていた。快適な目覚めだ。約5時間も寝たことになる。

何とか、外に出ようという意欲が出てくるくらいには調子がよくなってきた。「地球の歩き方」を見ていると、いくつか気になるお土産屋さんがある。特にPremierという紅茶屋さんがよさげだ。家族や職場へのお土産を確保しておきたい。いっちょ、出かけるか。(続く)