2010年10月24日日曜日

道重さゆみはHIP HOPである。

モーニング娘。の道重さゆみさんは、一般的には「ぶりっ子」、「ナルシスト」、「毒舌」といった言葉で認知されている。

それら自体は間違いではないが、そこで止まっているようでは分析が甘すぎる。

かねてから思っていたが、道重さゆみさんはHIP HOPである。

いや、違う。歌唱力が低いから歌がラップのように聞こえると言っているわけではない(その点は2010/10/23のヤンタンでもネタになっていた)。それに最近では、彼女の歌唱はだんだん歌に近づいてきているではないか。

そういう意味じゃなく、私が言いたいのは、道重さゆみさんの芸風や姿勢が、HIP HOPを体現しているということだ。

ピンと来ないでしょう。だって、彼女はラップしているわけではないし、ブレイク・ダンスを踊っているわけでもないし、グラフィティ・アートを作っているわけでもない。そもそも彼女自身、「ハロプロ以外の曲はほとんど聴かない」とラジオ(ヤンタン)で公言していたように、音楽ジャンルとしてのHIP HOPはほぼ聴いたことがない可能性が高い。

それに、そもそも「HIP HOPである」ってどういうことよ? HIP HOPって、するものでしょ?

たぶん、「道重さゆみさんはHIP HOPである」だなんて唐突に言われても、戸惑うばかりだと思う。

その戸惑いを解くために、まず「HIP HOPとはするものではなく、生きるものであり、あなた自身のことである」という前提を共有してもらいたい。

米HIP HOP界の大御所MC(ラッパー)、KRS ONEが残した有名な言葉がある。
“Hip Hop is something you live.”(訳:HIP HOPは生きるものだ。)
“You are not just doin' hip-hop, you are hip-hop.”(訳:HIP HOPっていうのはただやるものじゃないんだ。お前自身がHIP HOPなんだ。)

つまり、HIP HOPとは単に音楽や踊りといった表面的な活動として理解するだけでは不十分で、生き方、人としての姿勢に直結する概念なのだ。

KRS ONE本来の意図からすると拡大解釈にすぎるかもしれないが、一般的にHIP HOPという文化に含まれる行為、たとえばラップ、DJ、グラフィティ・アートに関わらなくても、人間として「HIP HOPである」ことは可能だと私は考えている。

じゃあ、そのHIP HOP的な生き方なり姿勢ってどういうことよ? この記事では、道重さゆみさんというフィルターを通して、自分なりのHIP HOP像を何となく分かってもらえればと思う。

私が思うに、道重さんの芸風および姿勢を定義づける主な特徴は、下記の三点である。

1.自己愛が強い。自分が一番。

2.歯に衣着せない。よくディスる。

3.「アイドルとはかくあるべし」という原則を持っている。

実は、3.の「アイドル」の部分を「HIP HOP」に置き換えると、ラッパーの行動原理としてそのまま通用するのである。

一つ一つ、見ていこうか。

1.自己愛が強い。自分が一番。

道重さんの芸風は、冒頭に書いたように「ナルシスト」と称されるくらい自己愛の強さを前面に出している。テレビ出演の際には常に「自分が世の中で一番可愛い!」と言い続けている。結果、彼女のことをよく知らない人ですら「あの自分のことを可愛いって言う子?」と眉をひそめるくらい自画自賛キャラが認知されてきた。2010/10/19の「はんにゃのオールナイト・ニッポン」では「ナルシスト対決」という企画で呼ばれている。

彼女は毎日、「よし、今日も可愛いぞ!」と鏡に向かって言ってから家を出ている。(ちなみに、本人は意識していないだろうが、これは自己啓発では「アファーメーション」と言われる、自分のありたい姿への臨場感と自己イメージを高めて目標達成するための技法である。事実、道重さんは2009年11月に放送された「美女学」というTV番組で坂東眞理子氏に自分に「可愛い」と言い聞かせていることを明かすと、坂東氏は「男の人も『自分は仕事ができる!』って自分に言ったりするのよ」という趣旨のことを言っていたが、坂東氏はアファーメーションのことを言っていたのだと思う。)

ラッパーも、その多くは「俺が一番のラッパーだ」と自己宣言している。自分のすごさを時には誇張を交えつつ言葉巧みに表現したラップは、HIP HOP音楽の醍醐味の一つだ。HIP HOP界には、自称「ナンバーワン」のラッパーたちがたくさんいる。(ただし面白いのが米のラッパーには、2 PACとNotorious B.I.G.という2人の偉大なラッパーを意識して、「PACとB.I.G以来では俺が最強」と言う人も多い。)

KRS ONEは"I'm Still #1"(俺はまだナンバーワンだぜ)という曲を出している。日本のZEEBRAはこの曲をサンプリングして同じ題名の曲を出している(1998年のアルバム「THE RHYME ANIMAL」。

自分に自信を持つ。K DUB SHINEのアルバム「現在時刻」(1997)にある「ラストエンペラー」のサビが、このHIP HOPの精神を強く表している。

「自分が自分であることを誇る/そういうやつが最後に残る」

他人と比べた上でないと自分に自信が持てないようでは、HIP HOPの世界では生き残れないのだ。

2.歯に衣着せない。よくディスる。

道重さんは、刺激的な言葉で他人をけなして場を盛り上げるという技を持っている。

彼女の毒舌芸が世に認知されるきっかけとなったのが、「ロンドンハーツ」での一連の罵倒芸。2009年7月の初登場以来、名物コーナー「格付けしあう女たち」で光浦靖子、misono、国生さゆりといった面々を正面切ってディスりまくり、旋風を巻き起こした。以来、同コーナーの常連の座を射止めている。

ここで大事なのが、第一に、相手の人間性を否定したり(表面上はそうしているように見えても)相手に危害を加えたりするのではなく、あくまでテレビ番組なりイベントなりで場やお客さんを盛り上げるため、一定のルールに基づいて言葉だけで攻撃するという点である。つまり、あくまで芸なのである。

テレビ番組での振る舞いを見た一部の視聴者からは反感を買う危険もある。しかし、言うまでもなく出演者たちは(ディスる方もディスられる方も)仕事として、私たちを楽しませるためにやっているわけであって、私怨でディスり合っているわけではない(もちろん、本当に仲が悪い場合もあるかもしれないが)。

そして第二に、愛があるディスであるという点。

私は2010/10/11にモーニング娘。のライブを観に行かせてもらったが、そこでも道重さんは毒舌芸で飛ばしまくっていた。たとえば亀井絵里さんに「頭の中身もおかしいけど外側もおかしいんだね」と言ったり(石頭で有名な高橋愛さんと頭がぶつかったが亀井さんはまったく平気だったという話を受けて)、自分が曲中につまずいてライブが中断した際、「れいなだけは何も言ってくれなかった」と田中れいなさんの対応を批判したりして場を盛り上げていた。それが道重さんなりの愛情表現なのだ。

米のラッパーは、自分の考えをラップした後に"fuck how you feel"(お前がどう思おうが俺には関係ねえよ)という捨て台詞のような歌詞を吐き出すことがある。つまり、ラップにおいては何よりもまず自分が言いたいこと、考えていることを堂々と口に出すのが重要なのであり、それが他人から見てどうかは二の次なのだ。K DUB SHINEだって、キングギドラのアルバム「最終兵器」のイントロで「言いてえこと言うのがHIP HOPだろ」と言っている。

ディス、ビーフ(争い、揉め事)、バトルはHIP HOPにおける重要な文化である。たとえばMCバトルといって、2人のラッパーが30秒なり1分なりの時間を与えられて、その場で初めて聴いたトラックに合わせて、交互に即興で相手のことをディスり合う。観客もしくは審査員が勝敗を決める。

私が以前YouTubeで見たMCバトルでは、Jinという中国系のラッパーと黒人のラッパーが対決していた。黒人がJinに「このChink(中国人への別称)が」みたいなお決まりのディスを投げる。Jinは「俺のことを中国人だって(悪く)言うけどよ、教えてやろうか、お前が履いてるTims(ブーツ)はたぶんMade in Chinaだぜ」と返し、観客は拍手喝采。Jinの勝利。

これもマイクとマイクの戦いであり、「いかにうまいこと言って相手を倒せるか」という言葉遊びである。あくまで、HIP HOPを守り、HIP HOPを盛り上げるのが目的。言葉上では「殺してやるぜ」なんて言っても、決して本当に相手に身体的危害を加えてはいけない。

そして、愛について。日本のラッパーの般若は、K DUB SHINEというラッパーをよくディスることで知られていたが、インタビュー記事で「愛があるディスだ」という趣旨の発言をしていた。

米ラッパーのNasとJay-Zは互いにディスり合っていた時期があったが、何かの映像で片方が「あれだけの相手だから・・・」と敬意を表していたのが印象的だった。そして最近では和解し、NasのアルバムにJay-Zが客演した。

一見、物騒なHIP HOPのビーフでも、相手に敬意を持っているからこそディスっている場合も往々にしてあるのだ。

3.「アイドルとはかくあるべし」という原則を持っている。

道重さんは、「アイドルは可愛くなくてはいけない」という明快な哲学を持っている(2010/9/25「今夜も☆うさちゃんピース」で明言)。私が思うに、これは道重さんのアイドル活動を内から支える一番の原点である。

ここで重要なのが、「自分はかくあるべし」という理念を、「コンサートにたくさんお客さんが来てくれる」「CDがたくさん売れる」といった商業的・社会的成功とは切り離したところで持っている点である。もちろん、「可愛くある」ことが他者からの評価や名声につながることは、彼女には大きな喜びだろう。

しかし、あくまで第一義的には可愛くあることそれ自体が目的であり、その譲れない原則を守ることが道重さんにとっての「アイドル」なのではないか、と私は思う。

HIP HOPを意識しているアーティストは、必ず自分なりの「HIP HOPはかくあるべし」という理論を持っている。そして自分なりのHIP HOP像が、そのアーティストにとっての「リアル(本物)」であり、それに反するアーティストは「フェイク(偽物)」「ワック(ださい)」としてディスの対象だ。

ここでも大事なのが、カネ、女、車、宝石といった即物的な成功から離れたところに「リアル(本物)」の基準を置くことである。

たとえば、Binary Starというグループの曲に、このような客との掛け合いがある:

Do you want to hear about the money we got? (oh no)
俺らがいくら金を持ってるかについてラップしてほしいか?(OH NO)
Talk about the people we shot? (oh no)
誰を撃ったかについてラップしてほしいか?(OH NO)
Bragg on the clothes we wear? (oh no)
着てる服について自慢してほしいか?(OH NO)
Do you think what we saying' is fair? (oh yea)
俺らが言ってることが公平だと思うか?(OH YEAH)

http://lyrics.astraweb.com/display/927/binary_star..waterworld..binary_shuffle.html

http://www.youtube.com/watch?v=SozJ63WgWlE

彼らのような、HIP HOPの原則を追い求める純粋なアーティストは、大衆受けするラップ(その多くは、HIP HOPの精神よりも物質的な成功に価値をおいた歌詞)をときにコマーシャル・ラップ(商業的ラップ)として蔑みの対象にする。

もちろん、曲が売れることそれ自体を完全に否定するアーティストは少ないかもしれないが、アメリカのインディーズHIP HOPに属するアーティストは「メジャーのやつらのほとんどはフェイクだ」と曲で罵る。

まとめ

大きく三点に分けて、いかに道重さゆみさんがHIP HOPであるかを説明してきた。「ナルシスト」「毒舌」といった言葉で簡単に片付けるだけでは、十分に彼女の芸風を理解したことにはならない。自己愛の強さやそれを前面に押し出し、物事をはっきりと発言しときには他人をけなす芸風。そしてその根本にある「アイドルとはかくあるべし」という哲学。ラッパーやDJと表現の形は違えど、これらはHIP HOPと呼ぶに相応しいのである。

言うまでもないが、HIP HOPにも道重さゆみさんにも、ここには書いていない色々な特徴がある。ここでは触れなかった角度から「道重さゆみ=HIP HOP」論を展開することも可能だ。たとえばHIP HOPには地域・ストリート、道重さゆみさんにはモーニング娘。という「何かを代表しているという意識」があるという点。でもここではあえて三つに絞って書いた。

「道重さゆみはHIP HOPである」という私の説を、少しは理解してもらえただろうか?

私はHIP HOPというフィルターから道重さゆみさんを解釈している。

そして道重さゆみさんというフィルターからHIP HOPを解釈している。

お前には真似できないだろ? そのはずさ、だって俺がナンバーワンだからな。