2010年8月1日日曜日

とりあえず行ってみた香港・マカオ、その記録(8)(2004年11月24日執筆)

快適なスピードで

警備員さんの言葉にしたがって、A1系統の止まるバス停まで歩いた。ドッグレース場のすぐ前がバス通りなので、特に迷うことはなかった。ベンチに貼り付けてある路線図を見ると、たしかに先ほど教えてもらった目的地にA1のバスは行くようだ。

ただ、ここで安心してベンチに座っているわけにはいかない。というのも、停留所とはいえ、こちらから積極的に乗る意思を示さないかぎりバスは止まってくれない。何台かA1以外のバスが、まったく減速せず俺らの前を通り過ぎていった。運転手によってはブレーキを踏んで様子を見ていたが。とにかく止まってくれるかはこっち次第のようだ。

道に半身を乗り出す感じで、向こうからバスが来ないか、そして来たらそれがどの系統なのか、判断しなくてはいけない。A1ならばすぐに手を振るなりして運転手に気付かせないといけない。数秒間躊躇したら、容赦なくバスは通過してしまう。さらに午後10時で薄暗く、光情報が限られている。目がよくない(のに裸眼で生活している)俺は諦め、何とか見えるらしいパンダに任せた。


レース会場の外

バス停に着いて10分くらいだっただろうか、パンダがバスが来ているのに気付いた。そして車道に一歩踏み出し、手を大きく振った。いかにも乗ります、という感じで。

ところが、その身振りは完全に放置された。バスは停留所側に幅を寄せる気配すらまったく見せないまま、快適なスピードで正面突破をすることに成功した。

唖然とする俺たち。「・・・・・・今僕、結構ちゃんとアピールしたよね?」。「うん」。俺は確信した、この調子では、もう一度A1が来ても同じ結末を見るだろう。そんなわけで、バスは諦め、タクシーを拾うことにした。

タクシーもなかなか空車をつかまえることができなかったが、何度か待つ場所を変えているうちに、赤ランプのついた車に遭遇することができた。ちょうどそのときに近くに犬がいることに気付いた。写真を撮りたかったが、乗らなければならなかったので諦めた。

運転手さんに地図を見せ、フェリー乗り場まで行ってもらった。値段は20ドルくらいだった。

時間潰し

建物の中に入り、チケット売り場へ。さて早速買おうか、と思ったその時、ふと顔を上げて見た電光表示を目にして凍りついた――「24:00」。どうみても次の便の出発時間を示しているようにしか思えない。24時ってさ、今香港ですらないわけよ。ここから1時間かけてやっと香港まで行って、でさらにそこからどうにかしてホテルに戻らないといけないんだ。頭を暗雲がよぎる。

いやいや、さすがに違うだろ。だって24時までまだ1時間半以上ある。これはきっと何か別の時刻だ。そうお互いに言い聞かせて、ちょっと歩いて別の売り場に行ってみた。すると、そこの電光表示にはよく分からないが「23:59」とあった。こうしている間にも、客が次々にチケットを買い求めている。ぐずぐずしているうちに、この便を逃してしまうと、それこそ悲劇だ。

受付の女性(推定27歳)にいきなり英語で聞いてみた、次の出発時刻が23:59なのか、と。相手は若干面食らった様子で、「ハァ?」と聞き返してきた。そこで "Do you speak English?" と聞くと、"Just a little."と返してきた。

本当に just a little だった。文章を何度かに分けて、区切ってゆっくり言っても、さっぱり要領を得ない。俺の言っていることの2割くらいしか分かっていないようだ。向こうがしびれを切らして、紙とペンを、受付と俺との間の小さなスペース越しに渡してきた。

そこに"Is the next departure at 23:59? Are earlier ones available?(次の出発時刻は23:59ですか? もっと早いのはありますか?)" と書いて戻した。どうやら文字にすると分かったらしく、俺にその紙を見せながら、earlierの下に線を引いて、早いのはある、だがそれはエコノミークラスより格が一つ上で、値段が高い、と価格表を俺に見せながら答えた。

そうこうしているうちに、俺らの後ろに並んでいる人が増えてきて迷惑になってきたので、分かった、考えてみる風なジェスチャーをして、一旦列から離れた。


ベンチが必要

パンダによると、香港の地下鉄は1時くらいに操業を終えるので、23:30のに乗ってもそれには間に合わない可能性が高いらしい。いずれにせよ香港からはタクシーに乗ることになりそうだ。だから、高い価格を払ってもそれほど見返りはなさそうだと判断した。同じ列に並び直し、結局、23:59の便のチケットを買った。

あと1時間半ある。ここはありふれた土産屋が点在しているだけで、特に見るべきところもなさそうだ。一休みしたいのだが、この施設、座る場所が少なすぎる。致命的なまでにベンチがない。

ひとまず、自販機で飲み物を買い、そこら辺の柵に寄りかかってパンダとおしゃべりをした。ここでパンダが、外国での安全に関してこのような考えを表した。「みんな外国は危ないと言うけど、そんなことを気にしていたら旅行はできない。人間というのは、ほとんどが信頼できる。『危ない』と言われる原因を作っているのはごく一部の人間なのだから、旅行は基本的に安心して臨むべきだと思う」。何だか彼の人間観を垣間見た気がした。

それに対する俺の返答はこんな感じだった。「外国が危険だというよりは、日本が安全すぎる。そこで育ったら感覚が麻痺する。その感覚のままで行ったらどの国でも危ない。だから、『外国が危険だ』というのは、そういう人に当たり前の心構えを持たせるために重要だ。あと、本当に、シャレにならないくらい危ない場所だって存在するんだ」。

ちなみに、さっき受付の女性に話したときにも感じたが、3日目になって、俺の英語は完全復活した。考えないでも、さらっと英語が口をついて出てくるようになった。やっぱり地力+慣れだね、言葉は。ちなみにこれを書いている今は、しゃべることに関しては再び感覚が鈍っている。久しぶりにNHKのラジオ講座を聴いて音読を再開しようかと思ってテキストを買ってある。

適当に歩いて土産屋を回る。しかし、時間が時間だけに、店によっては営業を終えたように見えるところもあって、入っていいのか戸惑う。

刺激物

一つの店の前で少し商品に興味を示していると、中のおばさんがやたら愛想のいい営業スマイルで接近してきて、何かを言ってきた。声のトーンから最後に「?」がついていることが分かるのみである。

"Sorry, I can't speak Chinese" と、言い飽きたフレーズを口に出してみる。"Is this store open?" などと聞いてみるが、どうやら俺がしゃべっているのが英語だというのも彼女は分かっていないようで、頭の周りに多数の「?」マークが飛び交っている。営業スマイルも若干引きつってきたのは気のせいか。

すると、もう一人の店員で、より若い女性が近寄ってきて、一言、"Open."と言ってくれた。"Thank you."と言って中に入る。俺らが何歩か中に入ったところで、おばさんはもう一人のスタッフから俺が言っていた意味を聞いたらしく、「あー!(そういう意味だったのか)」と口に出して納得していた。

商品を見ていると、おばさんが再び寄って来て、「もも。あめ(それは桃の飴だ)」。と日本語で教えてくれた。しかし、パッケージにはpreserved apricot と書いてある。桃ではないはずだ。名前から判断するにこれは、果物を乾燥させたお菓子だろう。どうやらこれがここの名物らしく、アプリコット以外にもいくつか種類があったので、他にもしょうが、レモンしょうが、プラムのヴァージョンを購入した。しょうがのやつは、パッケージが筋骨隆々の男が、筋肉を誇示するポーズをとっている絵で、怪しいにもほどがある。

これを書いていて思い出したが、これらのお菓子は、今でもほとんど手を付けないまま部屋に置いてある。家族のお土産にしたが家に置いても一つも減らなかったのである。今、写真を撮ってすぐさまコンピュータに取り込んでリサイズしたので見て欲しい。


買ったお菓子全部

これはしょうが

右に貼ったしょうがのお菓子は、たしかもっと柔らかくて少し水気があったはずだが、今ではすっかり硬くなってしまった。しかし、賞味期限を見てみると、どれも2005年の5月や6月まで大丈夫と書いてある。だから大丈夫なはずだ。食べてみたい人がいれば、欲しいだけあげます。食べたくないけど単に見てみたいという人にも、有無を言わさずにあげます。むしろ返さないで欲しい。バドあたりに引き取ってもらい、一気に食ってもらいたい。

言っとくけど、別に食えないわけじゃない。ただ少し癖がある。特にしょうがはパンチ力がある。本当に、何というか、しょうがそのものなんだ。口に残る味なので飲み物がないときついかもしれない。香りも独特なものを持っている。

こんな刺激物を大量に買ってしまったことを若干後悔しつつ、床に座り込んでフェリーの出発時間を待った。まだ1時間以上あるじゃないか。今の段階でフェリーに乗り込めるかを見に行ったら、改札には23時発と書いてあった。要するにこの便の切符が売り切れて、俺らが24時なんかに乗るはめになったんだな。

仕方なく、そのまま約50分間、菓子を賞味しつつ時の流れに身を任せた。俺らが腰を上げたのは11時半くらいだ。搭乗口に人が増えてきて、どうやら乗れそうな空気になってきた。

ゲートを通過すると、左側に長蛇の列ができていた。乗る人の列かと思って並んでいると、右側のオープンスペースを悠々と突破する人たちが出てきた。最初は彼らが不正をしているのか、あるいは特別なチケットを持っているのかと思ったが、それは勘違いだった。俺らが並んでいたのはどうやらキャンセル待ちの列だった。列を抜けて右を突破。キャンセル待ちどもから羨望の視線を浴びる。

チケットもぎりのおじさんがパンダに「(君と後の人つまり俺は)一緒?」と日本語で聞いた。「はい」とパンダ。当たり前のように日本語で会話が成立していることに、思わず俺とパンダは笑ってしまった。

船の座席に着き、腰をおろす。2階席だ。シートベルトが見当たらない。前の席の人も同じようにベルトが見つからなくて困っている様子だが、どうやらベルトは存在しないようだ。

とりあえず、この船に乗れたことで、香港のホテルまで戻れる公算が高くなって一安心だ。もしあのままマカオに取り残されていたらどうなっていたことか。

行きと同じく、約1時間で到着した。俺らも含めて、着く数分前から、多くの人が席を立って出口に向かっている。たぶんみんな、タクシーに早く乗るためにこうしているんだろう。

日本で、バスなどの交通機関がなくなった深夜に電車を降りると、皆が我先にと走ってタクシー乗り場に向かうという光景を何度も目にしたことがあるが、それと意味合いは同じだと思う。


ひとまず香港に戻れる

行き先が分からない

船を出て、エスカレーターを降りて、表示にしたがってタクシー乗り場に行った。パンダのガイドブックには、ホテルがある九竜サイド行けるタクシーと行けないタクシーがあるらしいのだが、周りを見ても他にタクシーを待つ列は見当たらないので、ひとまず乗ってみて駄目だったら運転手にどうしたらいいか聞くことにした。

懸念は的中し、行き先を告げても運転手は「何だそれは、聞いたことがない」的反応。九竜サイドか? と聞いてきたのでそうだ、と言うとそれは向こうだ、と右の列のタクシーを指差した。

車を降り、その指示されたタクシーに入る。今度こそは、と自信を持ってパンダが「パンダ・ホテル」と言うと、なぜかまたしても相手が分からない。それは九竜サイドの場所なのか? と確認してきたのでイエス、と答える。運転手は紙とペンを俺らに渡してきた。パンダがp-a-n-d・・・と、パンダ・ホテルのスペルを書き出すと、運転手は「Pandaのdくらいで見るのを諦めた」(パンダ談)。後から分かったが、どうやら、アルファベットを解さないらしい。皮肉ではなく、本当に。

そのまま車は走り出したので、分かったのかと思いきや、単にとりあえず発車してみただけだった。タクシー会社と通信するためのトランシーバーを俺の方に向けてくる。最初は意味が分からなかったが、目的地をここに言ってくれ、ということらしい。そこでパンダ・ホテルと言ったが、無線の中の人は分からないらしく、何度も繰り返してパンダ・ホテル、パンダ・ホテルと言わされた。3回それを繰り返すとようやく分かったらしく、運転手が「OK」と言ってくれた。目的地が分からない間も車はずっと走り続けていた。

運転手はかなり激しい運転をする人で、すごくスピードを出しているのが乗っていて分かった。途中で高速道路らしきところも通った。20分くらいで目的地に着いた。着いた段階では値段が123ドルで、チップを入れて150ドル払おうとしていたが、直前になって高速代ということで額が増え、147ドルになった。慌ててチップ分を増やし、170ドル払って、ありがとうを言って車を出た。

それにしても、無事帰ってくることができて安堵。ホテルの部屋でしばし脱力する。シャワーを浴びる気力は残っていない。翌朝に持ち越すことにした。3時くらいに眠りについた。眠りについたというより、電源が切れた。(三日目、終了)

次で終わらせる。何とか完結までこぎつけられそうだ。今回は写真が少なかったが次は10枚以上用意している。